東海道ひとり漕ぎ編(関東東海2) 東海道ひとり漕ぎ編(関東東海2)

10月12日

●女子トイレを見張る男
 朝の寝ぐら、R1号の道の駅「富士」では、トイレのコンセントで充電中の機材が盗まれないように、トイレを見張れる場所にテントを張りました。
 男よりも女の方が利用客が少ないこと、悪い奴も女の方が少ないだろうことを考慮して、充電するのは女子トイレの入口にあるコンセントにしました。
 幸い機材が盗まれることもなく、朝までに全ての充電が完了したのですが、テントを張って始終女子トイレを監視している男、そんなぼくの方が、下手なこそ泥よりよほど怪しい奴だったに違いありません。

●親切なおっさん
道の駅「富士」での歯磨き
道の駅「富士」での歯磨き

 道の駅の駐車場には、アイドリングして仮眠する大型トラックが満杯で、その排気ガスのおかげで朝起きた時にはハナクソが真っ黒になっていました。
 テントを畳んでいると、トラックの運ちゃんの一人がよってきて
「自転車でどこまで行くんだ」
「できれば四国まで」
「ジュースと朝飯おごってやる。来い」
と、ペットボトル茶2本と、立ち食い蕎麦をおごってくれました。
「どうもありがとうございます」
こんなぼくでも感激してお礼を言うと、
「こういう親切な人もいるんだぞ。気をつけて行けよ」
と自分で言って去って行きました。
 ありがたや、ありがたや。

●海岸をゆく 
 ペットボトル2本は予想外の荷物でしたが、なにはともあれ出発。富士川で丁度日本橋から150km。
 蒲原町あたりは桜エビが特産らしく、道にまでエビを茹でるうまそうな匂いが漂ってきます。
 茹で立ての桜エビをパリパリ噛みながら地酒をキュッと…。最高だろうなあと舌なめずりをするだけで通り過ぎてしまいました。

 海岸の堤防わきをひた走り、10時頃に清水市に突入。清水市内は、清水エスパルスの、ブタみたいなキャラクターの等身大模型が林立してたりしていて気持ち悪い。観光魚市場をひやかした後、清水の次郎長生家前を素通りして三保へ。

●がんばれヒロシ君
東海大自然史博物館
東海大自然史博物館

 我が座右の書『珍日本紀行』(都築響一著)に、三保の《三保文化ランド》と《東海大人体科学センター》が大アホで必見、と書いてあったのですが、行ってみるとどちらも閉鎖。
 仕方なく同大学の《自然史博物館》と《海洋科学博物館》を見物しました。
 前者の《自然史博物館》は、箱根で見た《いのちの星・地球博物館》を手作りにした感じ。微妙に古ぼけていて、いい味出してます。恐竜の骨格模型なんかはぜんぶレプリカだけど、
「レプリカは展示・学習のために有効な方法なのです」
とわざわざ解説(いいわけ)してるのがほほえましい。
 深海鉱物紹介コーナーでは、映像が子供だましのストーリー仕立てになっておりました。
「ぼくの名前はヒロシ。これからみなさんに、ある日ぼくが見た夢の話をします」
と、わざとらしい役者の実写映像が投影され、小学生のヒロシ君が「博士」と「リエコ」とともに海底探検をするのですが、
「海底山脈と地上の山の違いはあーだこーだ、コバルトグラスは海底3,000mのところで作られて、30cm成長するのに何万年かかって、その利用方法があーだこーだ…」
文系のぼくにはなんだかさっぱりわからない説明だったのですが、一言言いたいのは、
「ヒロシ!半ズボン履いて野球帽かぶったコテコテの小学生のくせに、そんな理屈っぽい夢見るな!」

●メカニマルにご満悦
 …まあ、ツッコミなしでも楽しめるのは《海洋科学博物館》の方です。ぼくなどはクラゲやイカの泳ぐ姿を見ていると、見とれてしまって時が経つのも忘れてしまうのですが、ここではクラゲの幼生(エフィラとかストロビラとか)の水槽もあり、ちっっっっちゃなクラゲの赤ん坊が健気に泳いでいる姿は「いとあはれ」でした。
 また、海の生物の動きをロボットで再現した《メカニマル》のコーナーでは、たどたどしい動きの動物ロボットたちが水槽のなかを蠢いていました。特にそれらロボットの名前が、
「ノタリエイ」(エイの動きをまねてのろのろ泳ぐ)
「タラズガニ」(本物のカニより足の数が少ない)
「カンガエビ」(センサーで自分で判断して動く)
といった、可愛い名前の連中ばかりだったのでとても気に入ってしまいました。
 コンパニオンのお姉さんによる実演解説もあり、当初観客はぼく一人で
「おっ、これは、俺が15分間お姉さんを独占か!?」
とドキドキしていたら、すぐに小学生の団体がどやどやかけこんできたのでがっかりしてしまいました。一方のお姉さんは小学生たちがやってきたとき、露骨にホッとした表情をしていましたけれど。

 また、ここでも例のチープな実写投影ストーリーがありました。
「ガメラ対ギロン」に出てくる女宇宙人みたいな全身タイツ(?)の女性が、イルカタクシーに案内されて未来の海底都市を見て歩くというストーリーなのですが、背景に投影される海底都市のイラストが黄色く色褪せており、ふた昔前の少年科学雑誌の挿絵そのまんまだったのがとても印象的でした。今時こんな古臭い未来像なんて、見てるだけで恥ずかしい。

●羽衣松の哀愁
 そんなこんなで一人で博物館を堪能した後、天女相手の不敵な下着泥棒伝説で有名な三保の松原へ。
 今にも枯れそうな樹齢600年の《羽衣の松》の根元には、松にとどめを刺すかのように、願い事が書かれた川原石がゴッチャリと積まれておりました。
書いてある願い事を見てみると
「本庄君と両想いになれますように」
「有名人にたくさん会えますように byあき乃様×2より」
というたぐいのものばかりだったのですが、気になった願い事がひとつ。
気になる願い石
気になる願い石

じゅんやはあやのが大好き。ずっと一緒にいようね。H13.10.9」
という石の隣に、
「あやのはじゅんたが大好き。ずっと一緒にいようね。H13.10.9」
という石がありありました。
 《じゅんや》、《あやの》、そして《じゅんた》の関係はいったいどうなっているのでしょう。それともただの誤字?だとしたら…。
 いろいろ想像して一人ほくそ笑む27歳独身、悲しいぞ!

●恐怖の大崩海岸
 三保の松原でおでんを食い、再び走りだしました。
 難所だったのは国道150号の静岡市と焼津市の境にある大崩海岸。
大崩海岸
大崩海岸

 「東海道の親不知」の異名をとる名所らしいですが、もちろん道路わきに歯がニョキニョキ生えているわけではありません。
 たぶんここは心霊スポットです。
 切り立った崖に沿って細い国道が曲がりくねり、富士山が遠望できる路傍には事故死者への花束
 道わきにへばりついている建物は軒並み廃屋。ある廃屋の玄関をくぐるとその先はすぐに断崖絶壁で、いったいどんな建物だったのか推測すらできません。
 唯一人が棲んでいるらしき民家には、玄関前に工事用のロープが張り巡らされ、「住居につき立ち入り禁止」の殴り書き。
 こんなところを真夜中に自転車で通ったらたぶん、怨霊にでくわすか、自分が怨霊になるかのどちらかです。

●人のいぬまに洗濯
 焼津を過ぎ、藤枝を過ぎ、夜も暗くなって島田市に入るとどこからか祭り囃子の音が。
島田大祭
島田大祭

 誘われるようにふらふらと市街地に入って行くと、島田大祭とかいう秋祭の真っ盛りで、囃子屋台と踊り行列が練り歩いているところでした。
「あーそこ、自転車降りて」
「あーそこ、迂回して」
「あーそこ、行列通るからどいてどいて」
と警備の消防団にどやされながら、ひとしきり見物。

 再び走りだしてしばらくすると、念願のコインランドリーを発見。客が誰もいないことを確認して、煌々と蛍光灯が照らし出す店の中でシャツもトランクスも脱ぎました。
栄養ドリンクを飲みながら
栄養ドリンクを飲みながら洗濯を待つ

 パジャマ代わりのジャージズボン一丁になってさあ洗濯物投入、と思ったら小銭がないことにはたと気づきました。あわてて服を着直して、近くのコンビニで両替して、ようやく洗濯をすることができました。投入する前に自分のパンツを嗅いでみたら、ケモノの匂いがしました。
 実はぼく、コインランドリーを使うのは初めてだったのですが、なんとなくコインランドリー屋の戦略というものが分かったような気がしました。
洗濯機の脱水がゆるいのです。
 乾燥機に入れる前に手で絞ると、ぼたぼたと滴が垂れます。30分間乾燥機を回しましたが、ジーンズの腰の部分は生乾きでした。脱水を軽くして乾燥機で小銭を稼ごうとは見下げた根性です。被害妄想かな。

●あとは寝るばかり
 夜は、金谷町のスーパーヤオハンで半額になった弁当を買い、「出会い公園」なる公園でテントを建てて寝ました。
 さすが田舎だけあって、星空がきれいでした。明日は、浜松のちょい先あたりまで行けるでしょう。
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10月13日

●語るおっさん
 朝。金谷町の「であい公園」でテントから這い出たら、おっさんが一人一所懸命に公園の草取りをしておりました。なんでも退職前は公園を作る会社にいたとかで、この出会い公園もおっさんが手掛けた公園なので、退職後もついつい草取りなんぞをしてしまうのだそうです。
「どっからきた」
「どこへいく」
「寒くないか」
とお定まりのやりとりの後、
「俺も昔はそういうことをよくやったもんだ」
という話になりました。
 今でもおっさんは西表島などによく行くのですが、そこでは若い男女が民宿で働きながら青春を消化しているのだそうで。
 女3に男1という割合だそうで、
「あ、いーなー、そーいうの」
と思いましたが、そうした南の島の泊まり込みバイトは倍率が高いのだそうで。
 それからまた、おっさんの息子も26歳のときに就労ビザでオーストラリアに行き、自転車旅行をしてきたんだそうで。
「仕事に就いて女房子供を持った今でも、そのころのことが忘れられないらしいよ」
とゆってました。いったいこのぼくが女房子供を眺めながら、今の自転車旅行を懐かしく思い出すときが来るのかしら。そんなことを思って少し暗くなりました。女も仕事も、なにがなんだか全然あてがない状況ですので。

●妖怪ウブメの影を見る
 今日は、史跡巡りがメインでした。
中山峠の夜泣き石
中山峠の夜泣き石

 小夜の中山峠というところでは、殺された妊婦の霊が石に乗り移って泣き声をあげたという「夜泣き石」を見物しました。赤子の命は助かり、寺に引きとられて飴を与えられて育てられたそうで、いまでも夜泣き石の近くの店では「子育て飴」の商品名で飴が売られています。
 パンフレットにも

「小夜(さよ)とは塞(さえの意味で、夜泣き石は峠を守り悪霊をさえぎる《塞の神》≒道祖神として信仰されていた石である」

との学者の説を紹介していました。
 民俗チックな話になりますが、
1.この夜泣き石は丸石で、山梨県などにも見られる丸石道祖神との関連も考えられること、
2.祭られているのが中山峠の山頂部であり、塞の神が祭られる場所としては典型的であること
などからしても、夜泣き石と塞の神(=道祖神)の関係が深いことは確かなようです。
 さらに妊婦が殺され、その子供が寺に助けられて飴で育てられたという伝説は、子育て幽霊の説話に通じるものがあります。
 さらにいうと、中山峠には昔から怪鳥(鳥と蛇の合体したような妖怪だったらしい)が旅人を襲ったといわれているらしいのですが、峠(あの世とこの世の境界)に現れる死んだ妊婦の霊と鳥の妖異とを結び付けると、妖怪ウブメとの関連も考えられそうです。
 マニアな話題で失礼しました。

 その後掛川市に入り、掛川城を見物しました。最近復元された城で、まあことさらどうこう言うものでもありませんでした。

●人身御供伝説の神社
 それからもう一つ寄ったのは、磐田市の見附天神社。
見附天神社
見附天神社

ここの伝説では、かつて化け物が家々に白羽の矢を立てて若い娘を人身御供に要求していましたが、信州駒ヶ根光前寺の早太郎という犬に退治され、里人はそれを喜んで裸祭りを行い、今ではそれが無形民俗文化財になっています。パンフレットの写真では、褌姿の男たちが揉みくちゃになっているのですが、よっぽど嬉しかったんでしょうねえ。ワイルドな感情表現がすばらしい。
 まあそんな予備知識があったので期待して参拝したわけですが、実際行ってみれば人身御供なんておどろおどろしい雰囲気はなく、緋袴履いた巫女さんが可愛かったです。

●うなぎ食って寝る
 今夜のねぐらは、湖西市(静岡のはしっこ)の、海岸堤防の裏です。
 浜名湖にくればやっぱウナギでしょ、ということで、通りすがりのウナギ屋で買ったかば焼きとカップ酒が晩飯です。
 豊橋はあと20km程度、名古屋はあと100km弱です。だいたい毎日60kmの距離を進んでいます。
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10月14日

 愛知県半田市に住む大学時代の先輩から、13日夜に
「拾ってやるぞ」
というありがたいメールをもらい、その言葉に甘えることとなりました(予定通り)。
 朝7時20分に湖西市を出発し、早々に愛知県に入り、丁度東京日本橋から300km地点で先輩のジムニーに拾ってもらいました。
 実をいうと先輩は来月挙式を控えており、不肖の後輩を相手してるヒマは、かなりなかったようなのです。しかしずうずうしいぼくは、汗で臭れきった靴下のまま新婚生活用の新居に押し掛け、婚約者の方に突撃インタビューなどして楽しんでしまったのでした。

●「コロナの湯」で復活
 先輩の家(実家)で洗濯をしてもらった後、半田名物という《コロナの湯》に連れて行ってもらいました。映画館、ゲームセンターその他もろもろが集まった《コロナワールド》というビルの中に天然温泉があるのです。
 浴室内はやたらと広く、一通りの風呂(泡風呂、打たせ湯、露天、サウナ、など)が完備されており、泉質はちょっと塩味でした。1週間分の垢をこそげ落とし、ふううと息を吐いて湯船に浸かりながら辺りを見回すと、浴室内のデッキチェアにはたくさんのじいさんが身じろぎもせず寝ておりました。もしかしてこいつら、ここに住んでるんじゃないか?

 風呂から上がって、二人して活力年齢なるものの測定を二人してチャレンジしてみたのですが、 活力年齢の結果はぼくが26歳、先輩が25歳で、先輩よりぼくの方が肉体的にジジイだったのがショックでした。カロリーの摂取と消費の状況を答える設問があったのですが、旅に出てからの食生活と運動量をアテッズポーに答えたら、「栄養失調」と診断されました。

●新見なんきっつあんの謎
新見南吉記念館
新見南吉記念館
 その後、ぼくは新見南吉記念館を見学。新見南吉は半田出身で「ごんぎつね」「手袋を買いに」などの作品が、小学校の国語教科書に採用されていることで有名な童話作家です。とくに「ごんぎつね」は、《お涙ちょうだいモノ》としては日本文学を代表する作品です。
 記念館は半地下式の不思議な建物で、ちゃんとレストランも併設されており、レストランの客席ではおっさんがのんびり新聞を読んでいました。

 展示のメインは29歳で肺結核を患って死んだ(文学青年はこうでなくっちゃ)南吉の生涯を紹介したパネル展示、主な童話作品のシーンのミニチュア、童話のスライドが主です。南吉の日記やら遺書やらもセキララに紹介されており、じっくり見ると「下手に有名になって死ぬと大変だなあ」と身につまされます。私が身につまされる必要はないんですが。南吉の遺書にはどんなしおらしいことが書いてあるかと思ったら、
新見南吉復元模型
いかにも早死にしそうな顔つきである
「弟よ  どうも今度はくたばりさうである。
 もしくたばったら次のことをやってくれたまへ。
一、借金を払ってほしい。
  ・安城の日新堂に四百五十円
   (以下十数件支払先列挙)」
…あわれなものです。図書室に入ると、
『ごんぎつねの〈解釈〉と〈分析〉』
『てぶくろを買いにの全発問・全指示』
などという国語指導用の専門書がずらり。我々は子供のころ、こんな策略の下でごんぎつねを読まされていたのかと、ぞっとしました。

●今回の旅最大のグルメ体験
 その後、先輩とご両親、岐阜からおいでたご親戚のおじさんおばさんと《魚福》という割烹料亭で夕食。
 来月結婚を予定している先輩のお祝いにいらっしゃったおじさんたちを、おもてなしする席だったのですが、ずうずうしくも私も高級フグ料理のフルコースをご一緒させていただいてしまいました。
 実をいうとフグというものがこの世にあるというのは聞いていたんですが、食るのは初めてだったもので、キンチョーしてしまいました。
 岐阜のおじさんは軽口な人と辛口な人の二人組みで、その方々から放たれる冗句に、さすが血というものは恐ろしいなあと実感いたしました。
楽しいご親戚のみなさんで、披露宴はさぞかし盛り上がることでしょう。合掌。
 ふぐナベ、ふぐの唐揚、ふぐ刺、その他フルコースを腹一杯食べさせてもらったぼくの手土産といえば、新見南吉記念館で慌てて買った《南吉クッキー》一袋。いいんですかね、こんなことで。

●後は寝るばかり
 伊勢神社にお参りしたい、とぼくが言うと、
「それなら師崎から鳥羽にフェリーがでてるぞ」
と先輩が教えてくれました。
 あしたはフェリーで伊勢に向かい、あこがれの伊勢神宮とあこがれの秘宝館にお参りしたいと思います。いよいよ物見遊山の観光ツアーになってきたぞ。
箱根を必死で越えたあのひたむきさはいったいどこへ消えたんだ、イマイ君!
まあいいや、楽しいんだから。
 というわけで、この夜は久しぶりに屋根の下で、布団の上で、寝ることができたのでした。

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