東海道ひとり漕ぎ編(近畿1) 東海道ひとり漕ぎ編(近畿1)

10月15日

師崎から知多半島を眺める
師崎から知多半島を眺める
 先輩の家を出たのは6時半。おやつに昨夜の魚福で折りにしてもらった、アップルパイを持たせてもらいました。
 鳥羽行きのフェリーは9時30分発。万一送れては大変と、少し頑張って走ったら8時30分頃に着きました。
 乗船前にトイレに入り、タオルを水洗大便器の中に落としてしまうドジをしましたが、拾い上げてよく洗って、何もなかったことにしました。
 フェリー料金は自転車一人1,700円、旅客だけなら一人1,100円。自転車を畳んで袋に詰めて「荷物」にし、えっちらおっちら担いで乗船して600円浮かせました。
 山猿の私にとって、船はいつ、どんなのに乗ってもうれしいものです。風に吹かれながら絵葉書を描いていたら、あっと言う間に鳥羽に着いてしまいました。
 港で14日の分の日記メールを打ち、伊勢神宮と秘宝館に参詣すべく国道42号線を走りました。 鳥羽というとやはり真珠、そして鳥羽一郎(おまけで山川豊)。鳥羽駅前を通過すると鳥羽一郎の演歌が大音量でかかっており、
「ああ、鳥羽に来たんだなあ」
と実感が湧きました。

●またちょっと民俗チックに
蘇民将来の護符
蘇民将来の護符

 途中「蘇民の館」という面白そうな名前の施設があったので覗いてみました。「蘇民」とは「蘇民将来」という名の伝説上の人物のことです。

昔「蘇民将来」という貧乏父さんと「巨旦将来」という金持ち父さんがおりました。ある日そこへスサノオノ命が宿を借りに来ました。巨旦は断りましたが、蘇民は優しくもてなしたため、スサノオは巨旦の一族を疫病で皆殺しにしてしまいました。以来人々は門口に「蘇民将来子孫之家」といった文字を書いたりして疫病神がやってくるのを防ぐようになったのだそうな。

 実際この辺りの家の玄関には注連縄に似た蘇民将来の飾りがつけられてましたし、松下社という小さな集落のお宮には《蘇民社》という社までありました。
 なかなか興味深い土地だなあと思ったわけですが、問題の「蘇民の館」はただの農産物直売所で、蘇民将来に関する文化的なものは一つもありませんでした。つまんないの。

●蛙と猿の不思議な関係
カエル君と夫婦岩
カエル君と夫婦岩

 伊勢鳥羽の観光コースの定番といえば、二見浦の夫婦岩。国道沿いだったのでついつい行ってしまいました。
 夫婦岩があるのは二見興玉神社。神社の御神体である石が海中にあり、夫婦岩はそれに対する鳥居の役目をしているんだそうです。印象的だったのが、参道のそこらべったりに蛙の置物があること。  神社の祭神が猿田彦命で、そのお使いが蛙なんだそうです。猿田彦というなら猿がお使いでもよさそうなものですが、なんで蛙なんだろ。ぼくは不勉強でよくわかりません。
 この神社では「ハローキティお守り」が売られてました。こういうのって誰がどういう権限で企画してつくるんだろうね。お守り袋空けると「サンリオ(丸C)」とでも書いてあるのかな。ありがたくないんだけど(たれぱんだは別だい!)。

●ドキドキしながらお伊勢参り
外宮の神嘗祭
外宮の神嘗祭

 伊勢市内に入り、まず伊勢神宮外宮(げくう)に行くと、神嘗祭で米俵積んだ山車が市内を巡航してる真っ最中。
「みんなで」
「そうりゃ!」
「元気に」
「そうりゃ!」
「しっかり」
「そうりゃ!」
「声出せ」
「そうりゃ!」
威勢のいい掛け声がマイクで響き渡っておりました。

 ひとしきり行列を見物した後、外宮に参拝。広い境内というか社地には、まるで船長さんみたいな制服着た警備のおっさんたちが何人もうろうろしています。
まさかセコムの警備員ではあるまいが、ものものしい雰囲気で少し緊張します。さすが国家神道の中心だけあって、左翼や他の宗教の過激派から攻撃されることがあるのかしら。
 伊勢神宮だって、田舎の神社やお寺と同じ一介の宗教法人に過ぎないんだよね。それとも宮内庁とかが関わってるのかしら。神社庁ってのがあるけど、あれは国家組織なのか?いろいろ興味疑問が湧いてくる(不勉強なだけだけど)。インターネットで調べれば分かるだろうど、ザウルスからだと電話代と電気消耗がばかにならんでなあ。

●夕暮れの伊勢神宮(内宮)
 その後、「猿田彦神社」に寄ってから内宮に行くと、もう日が暮れて人影もまばら。ただっ広い参道を一人じゃりじゃり歩いて行くのはなかなかいいもんです。
 太い木々の中を道が入り組み、所々立ち入り禁止の注連縄が張ってあって通行止。薄暗くなって立て札も見づらく、遭難するんじゃないかと思いました。
 この社叢のなかでテント張れたら面白いのにな。鬱蒼とした森だけど雰囲気が荘厳すぎてお化けも出なさそう。
 そんなことを思いながらじゃりじゃり歩いていると、例の制服のセコムの人に止められました。
「今、神嘗祭の儀礼の行列が通りますから、参道脇に下がって動かないでください」
ひえ〜、何だ何だ?と思っていると、向こうから白い神主装束の男どもがぞろぞろやってきて、 参道の途中で別宮に向かってスクワットしたり手拍子打ったりした後、
ザッザッザッザッザッザッザッザッザ
とこちらに向かって一列になって行進してきました。総勢約50人ほど、全員神宮の神職なんだそうです。まるで亡霊のように、薄暗い参道を無表情で行進する神職たちをまじまじ見て、
「この人たち、いったい何考えながら日々の儀礼やってんのかなあ」
と思いました。たぶん伊勢神宮のことですからいろんな儀式が毎日のようにあるでしょう。そういうのを日々こなしてる彼らは、それを信仰心から行っているのかしら。それともサラリーマン的な割り切り方で、ひたすらこなしているだけなのかしら。こういうデカイ神社を見ると、そんなことを思ってしまいます。
内宮前で気取る
内宮前で気取る

 ようやく正宮にたどりつき、
「さてお賽銭はどうしよう、天下の伊勢神宮にお賽銭1円だけってのも面白いな」
と思いながら白布の敷かれた賽銭場を見ると、なんのことはないほとんどが1円か10円でした。 日本国民、みんなシミッタレなのかふざけてるのか。コンビニのレジの募金箱じゃないんだから。ぼくは奮発して50円投げました。

 少し御札マニアの気のあるぼくは、3,000円も出して内宮/外宮両方の御札を買ってしまいました。リュックに入れるスペースがかなりきついです。

●伊勢うどん食って寝る
 晩飯は、内宮近くの店で伊勢うどんを食いました。濃いめの醤油たれを上からたらしたうどんで、ここの名物らしいです。
 観光マップで当りをつけ、自転車で内宮から10分ほどのところにある五十鈴公園でテント設営。トイレの洗面台の下にコンセントを発見したので、後で充電しようと思います。今日一日でザウルスのバッテリー一本がもう電池切れになってしまいました。こういう点、ザウルスは放浪者のモバイルとしては問題ありです。IBMのワークパッドとかは、連続使用時間2週間って書いてあったからなあ。 これからPDAを買おうとお考えの方には参考までに。
 ということで、今日は神社参詣に終始して、秘宝館には参詣できませんでした。観光マップを見てみましたが、あれだけ有名なのにどこにも載っていません。
まあ、大体の位置はわかるのであしたじっくり行ってこようと思います。
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10月16日

●じいさんのたまり場
 伊勢市五十鈴公園でぼくが出発準備していると、数人の犬散歩じいさんが集まって来て、井戸端会議を始めました。なかなか時事ネタに詳しいみなさんで、
「今メッツが2対0、4回表のところで家を出て来ましたが、どうなりましたかなあ」 とか、
「アフガン、とうとうアパッチが出て来ますなあ」
「そらそうや、最後の仕上げはあれで狙い撃ちせんと」
といった会話を、おっとりした伊勢弁で楽しそうに交わしておりました。そんなおじいさんの一人にコーヒーと奄美黒糖をごちになってから、出発しました。

●あこがれの秘宝館へ
(以下の文章には性的な表現が含まれております。18歳以下の方は保護者同伴でお読み下さい)
秘宝館
秘宝館

 途中「月読神社」に参詣してから、走ること約1時間。伊勢市を出て隣の隣町、玉城町というところにあの秘宝館がありました。
 《総合レジャーランド》ということになっていて、秘宝館の他にドライブイン、ボーリング場、 マンガ喫茶、ゲームセンターなどがあるのですが、それらすべてが老朽化して、いい崩れ具合を醸し出しておりました。
 近くのマクドナルドで朝の腹ごしらえをしてから、通行人に目を合わせないようにそそくさと館のなかへ。2階の切符売り場は売店となっており、古めかしいアダルトグッズが曇ったガラスケースに陳列されておりました。
 入場料は2,100円。バイトのおばちゃんにリュックを預けると、キルトで手作りされた、妙にかわいらしい猫のアップリケつきの引き換え証をくれました。もちろんこれも、いい具合に手垢にまみれています。
 入り口に入ると、この秘宝館のお題目が誇らしげに掲げられておりました。

「全世界に共通するのは愛、私たちが性愛を謳歌し楽しむことは、子孫繁栄のために神から義務づけられたことでもあるのです。
 その意味でも性愛は、真剣に取り上げられ、研究されるべきものです。当館のコレクションは、世界十数カ国から多年の歳月をかけ、十数億の巨費を投じて収集されたものです。
 また、テレビでおなじみの秘宝おじさんも、開館10周年をにあたってついによき伴侶と巡り合うことになりました。その名も秘宝おばさん、おじさんともどもかわいがってやってください」

 秘宝おばさんは、チンチクリンのおじさんとは似てもにつかず、夫の3倍は背丈がありそうな8等身(いや、実際は5等身くらいかな)の美女(?)です。
 中に入って行くと、怪しい 楊貴妃やらクレオパトラやらチンギスカンやら、歴史上の美女や豪傑を無理やりエロ仕立てにしたマネキン人形がずらり。
 所々についているボタンを押すと、マネキンが動いたり(動かなかったり)、マネキンがしゃべったり(しゃべらなかったり)。
 コースを中程までくると、さっき受付にいたおばちゃんがワープしてきていて、
「おにいちゃん福引券出して」
入り口で入場券と一緒に渡された紙切れを渡すと、
「あと500円出して。空くじなしだで」
そういうことか、と思いましたが、ここは乗るしかアルマイト、500円出してくじを引くと、けったいなハンカチとけったいなライターが当りました。

 ぼくが一番気に入ったのは《陰部神社》です。《陰部神社》の御祭神は二柱、《大萬腔姫乃尊》と《大魔羅大明神》で、祭壇にはなぜかバナナとブドウが供えられています。神社のかたわらにおみくじ場があり、そこの看板に恐ろしい神の言葉が書かれていて、同じ文句が繰り返しスピーカーから流れてくるのです。
「カケマクモ カクモカケクモ カシコミテ
 男女和合のおみくじをそこもとに授けようと
 カシコミテマオス
 陰部神社を素通りする者は
 老若男女を問わずたちどころに
 珍罰満罰起こると思うべし
 朝夕に春情を催せども性力突然として下り
 女にありては その泉は枯れ果て
 冷感不感の石女(うまずめ)とあいなるべし
 男にありては おのが欲するときに役立たず
 陰毛カイカイ 粗にして漏らす
 いずれにしても家庭の不和は必定と心得るべし
 アナカシコ」
 その後もさらにさまざまなモノが観客を待ち構えているわけです。100円入れて壁のレンズを覗くと、段ボール紙に張り散らかされたエロ写真がひたすら回り続けるカラクリとか、100円入れるとどうなるのか怖そうな女体椅子とか、はたまたエロとは何の関係もないものとか。
また、「個室 自由にお使い下さい」と書かれた、長椅子の置いてある汚い部屋とか。この秘宝館を作った松野社長(故人)の新聞記事やらテレビ出演のスナップとか。
 秘宝館を経営しているのは「近畿観光開発株式会社」という、名前だけはまともな会社なのです。帰りがけに売店の別のおばさんに聞いたところ、今では経営は2代目に移っているそうですが、 先代はそれはそれは「すごい人」だったそうです。
「今では日本中に秘宝館ができましたけど、あれはみんなうちのを真似しただけですから。うちは何年もかけて本物の貴重な資料を集めてますけど、よそはそれができないからどうしても作り物になっちゃうでしょ。だから見た目は新しくてきれいだけど、長続きしないのよね」
おばさんは誇らしげに説明してくれましたが、はっきり言って展示のほとんどはマネキンと動物の剥製だけ。性文化に関係する資料はほとんどないです。こんなのの収集にどうやって「十数億の巨費を投じ」られるんだか。
 馬の交尾ショーというのもやってるみたいなんですが、また追加料金取られそうだったんで、行くのはやめました。
水子の霊園
水子の霊園

 秘宝館を出ると、すぐ近くに
「水子の楽園 幸福寺」の看板が。
えっ、楽園!?と振り返ると、「霊園」の見まちがいでした。
 普通の寺のようでしたが、なにしろ頭の中が秘宝でいっぱいになっていたぼくには、この場所ならそんな楽園があっても不思議ではないように思えたのでした。

●鈴鹿越え
 その日の午後は、ただひたすら走ってばかり。津→亀山と進み、国道1号に戻りました。午後4時頃に雨が降り出しました。カッパを着ても下が濡れることは目に見えてましたので、ジーンズを脱ぎ、カッパを直接着込みました。
鈴鹿峠のトンネルをゆく
鈴鹿峠のトンネルをゆく

 1時間ほど走っていたらはやくもベトベトしてきて、O脚の私の足の線がぴったりと浮き出て、 色っぽいことになりました。
 鈴鹿峠は坂もゆるやかで道も広く、箱根に比べればあっけないほど楽でした。下りは寒かったですが。夜はバス停留所に陣取り、さっそく服を着替えて、イワシの缶詰を肴にカップ酒をかっくらって寝てしまったのでした。
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10月17日

 案の定、朝から雨でした。濡れたパンツとTシャツを着て、昨日同様へぼカッパを直接着込みました。
 雨降りの日は道草する気にもなれず、朝からひたすら走って昼頃には大津市内に着きました。50kmくらいは一気に走った計算です。
 いーかげん寒いし、せっかく大津まで来たので琵琶湖を眺めながら昼飯を食らおうと思い、1号を逸れて琵琶湖岸を走り、適当な牛丼&うどんのチェーン店で650円のセットを食いました。下半身びたびたのカッパを着たまま食ったので、少し迷惑だったかも知れませんが。
 それにしても、近ごろの店員のセリフには気になる言葉が多いです。頼んだメニューを反復するとき、
「ご注文ほうは、○○でよろしかったですか」
「ご注文のほう」ってどこのことだ?
「ご注文は」でいいじゃないか。
「よろしかったですか」
って、今言ったばかりなのになんで過去形にするんだ? 「○○でよろしいですか」 でいいじゃないか。…まあ、「ほう」のほうはぼくも営業時代についつい使ってしまい、「いかんなあ」と自分に舌打ちしておりましたが。

●ついにやってしまいました、パンク
 昼飯を食い終わり、1号線に戻ろうと走っていたとき。横断歩道をわたるときに
「ぶす」
という露骨な音がして、
「ぷしゅうう〜」
というこれまた露骨な音とともに、みるみる自転車の前輪の空気が抜けていきました。かなりとがったでかいものを踏ん付けたらしいです。
「やっちゃった♪」
と思いながらとぼとぼ自転車を押して歩いて行くと、不幸というものは伝染するらしく、駐車場に入ろうとして歩道をゆくぼくの通過を待っていた車が、後続車に
「がん」
という露骨な音とともに追突されました。後続車はバンパーの角がきれいにへこんでいました。
「なにやってんだかな〜」
そうつぶやいて、ぼくは他人事のようにその場を歩き去りました。

 自転車を押してゆくこと1時間、ようやく「竹内自転車店」という店を捜し当てて直してもらいました。料金1,000円。10日目にしてこの災難ですから、このペースでいくと、かなり痛いです。

 逢坂を越えて京都入り。御霊の本家八坂神社に参拝し、あしたは比叡山でも登ろうかと大原方面へ。
闇に浮かぶ崇道神社
闇に浮かぶ崇道神社

 途中《崇道神社》というのを発見して、もう暗くなっていましたが参拝することにしました。崇道天皇は生前「早良親王」といい、謀反の罪を着せられて流される途中絶食死し、天皇らに祟りをなしたという、怨霊の親玉的存在です。暗闇の参道を、わずかな街灯をたよりに雨の中を行くのは、怨霊巡りとして中なかなかの味わいでした。

 その後雨をしのげる場所を探してうろつきまわり、ようやく工務店の空き工場のようなところがあったのでそこにもぐりこむことにしました。
 晩飯は「充実野菜」1リットルパックの一気呑みとコンビ二寿司です。あしたも雨かあと思いながら寝ました。
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10月18日

●寒い朝
 いやほんと、急に寒くなって来ました。昨夜は寝てる間に冷えて来たので、用意してきたモモヒキと、冬用ジャンパーの裏側(ジッパーで取り外しできるやつ)をついに着込んでしまいました。
 朝起きたら、工務店の主人らしき人がやってきたので
「すいません、一晩お邪魔しました」
と挨拶すると、
「今回はええけど、次からは前もって声かけてよ。何か事故とかあったらいかんで」
と言われました。
「次回と言われましても、二度とこちらにお世話になるこたあないでしょうが」
と思いつつ、
「はい、どーもすみませんでしたあ」
とにこやかに笑ってその場を後にしました。

●比叡山まるごと一日体験ツアー
 なんとか雨もやみ、せっかくなので比叡山に登ろうと決意しました。大原あたりから登る道があるのかと思ったら行き過ぎたみたいで、修学院のあたりから上り道がありました。
ブラック・サークルK
ブラック・サークルK

 なかなかきつい坂道を一時間ばかりかけて登ると、黒い看板のサークルKが出現。普通あのマークは赤ですよね。さすが京の鬼門を守る山は、コンビニまでが違うんだなあと感心してしまいました。
 しばらく行くと、比叡山スカイラインなる料金所が出現。
料金所のおっさんに
「自転車は通れないんですか」
「通れないよ」
「つまんないの」
聞こえよがしに言って、仕方なくそこから先はバスに乗ることに。
 寺の入口で550円の拝観料を払い、とりあえず根本中堂へ。靴を脱いで裸足でぺたぺた回廊を行くと、足が冷たい。根本中堂の本堂は薄暗く、でっかい黒柱が立ち並んでいて、いかにもな雰囲気。
 ご本尊(薬師如来らしい)があるらしき方角からは、絶え間無く陀羅尼を詠唱する低い声が聞こえています。僧侶が入れ替わり立ち代わりで唱えて入るんでしょうか(テープだったりして)。
延暦寺根本中堂
延暦寺根本中堂
 荘厳な雰囲気なのですが、しっかりお守り授所があり、売店(て言うな)の坊さんたちが
「そろそろ飯、食いに行く?」
なんて小声で相談しあってたのが興ざめでした。
 薬師如来の護摩があったので、1本300円は高いなと思いましたが、せっかくなので書きました。洒落で
「鎮護国家」、
加えて本音で
「道中安全」。
どちらも薬師如来に頼むようなことではないような気もするんですが、どうなんでしょう。

 また、近日には「世界平和祈願護摩供養祭」なるありがたい護摩供養が行われるのだとか。さすがは延暦寺、密教の呪力で世界に貢献しようとは結構な心がけです。平和祈願祭では一般からの護摩奉納も受け付けており、ボールペンで書かれた願意を読めば「家内安全」「商売繁盛」「健康長寿」「良縁祈願」…。
「世界平和祈願護摩供養」なら、自分のことじゃなくて世界の平和を祈願しろよ!世界平和の護摩供養なのに、一般人からの祈願を受け付けるからこういうことになるんだ。
元三大師道をゆく
元三大師道をゆく

●山歩きで時間を費やす
 延暦寺は寺域が広く、山の方々に関係寺院が散在しています。30分おきにシャトルバスが出ているのですが、なるべく自力移動を今回の旅のモットーにしているぼくは、1時間半の山道を歩くことに。
 この山道は「元三大師道」といい、かの角大師の元三大師との関係があるみたいです。途中、特別な坊主が12年間山から降りずに最澄の墓前にお供えをするナントカ院や、
「修行中につき立ち入り禁止」
と看板の出ているナンタラ堂を過ぎ、ようやく最終地の横川(よかわ)中堂へ。駐車場のトイレを覗いたらうまい具合に電源コンセントがあったので、充電を兼ねながら前日分の放浪日記を打ちました。夏場は麓より10度気温が低いと言われる比叡山。この日はやたらと風が強く、鼻水を垂らしながら震える指で必死でキーボードをたたきました(ザウルスには簡易キーボードがついています。最近はペン入力はほとんど使っていません)。
最澄が眠る浄土院
最澄が眠る浄土院

 最終バスが4時半ということだったので、4時になり30分で急いで横川中堂を観て歩こうと門に行ったところ、門はしっかり閉鎖されており
「横川中堂は4時にて閉門です」
の看板が。
なんだとお!
と無理やり門の透き間をくぐって入り込みましたが、すべての建物は閉められており、人っ子一人おりません。元三大師堂で本場の角大師の御札を買うのを楽しみにしていたのに、もちろん売店も閉っておりました。
 泣きながら帰りのバスに乗り、自転車に戻り、用意してきた真冬用のジャンパーをしっかり着込んでや山を下りました。

●飯食って寝る
 晩飯はさびれたようなラーメン屋の唐揚セット。ラーメンとごはんと唐揚のセットで800円でした。壁の下の方を探るとコンセントがあったので、店の大将に
「すみません、充電させてもらっていいですかね」
と聞くと
「ああいいよ」
とあっさりOKをもらいました。
「へえ、自転車でねえ。失礼だけど、目的はなんなの?」
と大将に聞かれ、
「なんなんでしょうねえ。自分でもよくわかんないんですけど」
と正直に答えました。
今日のねぐらは、ラーメン屋のすぐ隣の公園です。雨も降らないようなので、寝場所選びも楽です。


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