東海道ひとり漕ぎ編(近畿2) 東海道ひとり漕ぎ編(近畿2)

10月19日

●寒さの話
 ホント、寒くなりました。寝袋は一応春〜秋用のものなんですが、少々薄さが気になるようになりました。冬用ジャンパーを着込んで寝ております。
 しかし、この程度ならまだ大丈夫。厚着の手段はまだ残してありますので。今のところ、おかげさまで風邪もひいておりません。

●丑の刻参りのメッカへ
 今日の見物予定は、貴船神社と晴明神社、それから嵯峨野の念仏寺(化野&愛宕)でした。
 まず向かったのは貴船神社。ここは小野小町が恋の願かけをしたことで有名な神社なんですが、恋祈願=ライバル呪詛、ということで、古くから丑の刻参りの本場として、その方面では有名な神社なのです。
 貴船はけっこう山ん中で、渓流沿いの道を上がって行くと、いい感じの宿泊料亭なんかがありました。少し高そうではありますが、気取った京都旅行のときにはけっこういいかも知れません。
 神社に着くと、いましたいました、おばさん客に交じって若い娘やカップルが。だからってわたしがどうなるわけでもないのですが。
貴船神社「結び社」の願掛け文
貴船神社「結び社」の願掛け文

 恋祈願の本家は、本社から少し川の上流にある中宮「結社(むすびのやしろ)」です。行ってみると小さな社殿の裏にある木には、まるでアメリカシロヒトリの大群のように願かけ文がびっしりと結ばれ、人々の情念の深さを見せつけておりました。
 このあたりの木には、今でも時折藁人形が釘付けになっているらしいというのを以前テレビでやっていたので、それらしい大木を検分してみました。確かに丸い小さな穴は開いていたのですが、果たしてそれがクギの穴か、それともただの虫の穴かは判別できませんでした。
 前回の放浪日記を書いたのは、ここのトイレの中です。ニオイと、他の客の不審げな視線に耐えながら打ちました。それもこれも、充電池が昨夜の時点で空になってしまったせい。このトイレにしかコンセントが見つからなかったのです。

●魔王に逢いに鞍馬山へ
 貴船神社の、川を越えた反対側の山が牛若丸で有名な鞍馬山です。日本有数の天狗の産地ですので、やっぱ行っとかにゃいかんかな、と足を延ばしたのが運の尽き。結局奥の院まで意地で登ってしまい、かなり時間をくってしまいました。
境内のあちこちには貼り紙が。
怪しいモニュメント「いのち」
「愛と光と力の像」だそうです
「テロはやめよう
 戦争もやめよう
 無慈悲で残酷だ
 真の平和を願って
 ひたすら祈ろう
      鞍馬寺」
あほじゃねえかなあ。こんなのを境内に何枚も貼りゃ、テロや戦争がなくなると思ってんのかな。そう思ってるとすりゃ、既に頭ん中は平和だからことさら貼り紙しなくてもいいだろう。それとも、国際的に既に活動してるのかしら。アフガニスタンに同じ紙を貼ってまわってたりして。

 そんなのどかな鞍馬寺の本尊は、《護法魔王尊》といい、なんと650万年前に金星から飛来したというノストラダムスのような神様です(でもお寺なんだよな)。
 そんな神様が仏教にいていいのかしら。650万年前っていえば、いつごろですか。恐竜はもう絶滅してましたか。マンモスは生きてたんですか。そんな大昔にやってきたすごい奴が、そりゃ石段は長いけど、こんな京都の田舎の山に落ち着いちゃってていいんでしょうか。
え、どうなんだ、護法魔王尊さんよ!

 、魔王といえばシューベルトということで、
「おとーさんお父さん、魔王ーが今ー♪」
と機嫌よく歌いながら登り始めた私でしたが、奥の院その名も「魔王殿」に着いたころには息も絶え絶えでした。ただ気になったのが、奥の院へ続く山道に

「女性の一人歩きはやめましょう 京都府警」

の看板があったこと。
「こんなとこで痴漢するやつも、されるやつもいるわけねーだろーに」
と笑ってたら、どうやら笑い事じゃないみたいだったようで。奥の院に看板があり、
「ご注意!
 剃髪して作務衣を着た僧形の男性や、行者風の人が、奥の院方面を徘徊し、参拝者になれなれしく声をかけているようです。しかし、鞍馬寺とは一切無関係ですからご承知おきください。最近の他山の例もありますので、十分に心してお参り下さい。特に女性の方はくれぐれもご用心下さい。」

とのこと。
魔王殿
魔王殿

「他山の例」ってのがどんな事件だったのか気になるところですが、意外とそんな怪しい奴こそ 鞍馬山のご本尊なんじゃないのかしら。魔王っていうくらいだから、それくらいの悪事はするんじゃないの?(でも魔王様は金星人だからな。地球人の雌には欲情しないか)

 魔王殿の拝殿に入ると、赤いよだれ掛けがいくつか奉納されておりました。誰が奉納したかは知りませんが、
650万年前に金星から飛来した恐ろしい魔王に、よだれ掛け奉納してどーすんだー!!

●ミーハー根性で晴明神社へ
一条戻橋の下はただのドブ
一条戻橋の下はただのドブ

 今注目の京都巡りスポットと言えば、、漫画化ドラマ化映画化で大人気の安倍晴明を祭る晴明神社。堀川通を行き過ぎて、一条戻橋のところで文字通りUターン。この橋の下に晴明が式神を飼っていたとかで、ここにも若い女の晴明マニアがカメラをもって集まっておりました。一晩この橋の下で寝てやろうかしらと思いました。
 そんなわけですから晴明神社は大賑わい。本殿脇では総工費四億円かけて社務所だかの新築工事が行われており、ずいぶんと羽振りがよさそうでした。
 それもこれも、岡野玲子(ついでに夢枕貘)のおかげでしょうねえ。お札と一緒に漫画とかビデオとか売りゃいいのに。
工事中の晴明神社社務所
工事中の晴明神社社務所

 それにしても、安倍晴明がなぜこれほどまでに人気が高いのか。そりゃまあ、歴史上の陰陽師として一番露出頻度が高いというのもあるでしょうけど、やっぱり名前が大きいですよね。
「安倍晴明」
なんて字面も響きもいいじゃないですか。これが
「芦屋道満」(この人も陰陽師)
じゃ、ヒットはとれませんやね。

●野宿禁止がなんぼのもんじゃ
 その後、日本で一番有名な御霊の大将、北野天満宮をさくっと観た後、西の方に走って晩飯は《大力屋》という食堂で日替り定食を食い、近くの公園でテントを張りました。
 「野宿禁止」と張り紙がべたべた張ってありますが、堂々と無視。いいじゃねえかなあ、ここに住みつこうってんじゃないんだから。
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10月20日


 夜から朝にかけては恐ろしく冷え込みました。京都のくせに。
 上半身はTシャツ&長袖シャツ&トレーナー&冬用ジャンパー。下半身はトランクスにモモヒキにパジャマ用スウェットパンツにジーンズ。以上を着込み、シュラフに入って鼻だけ出して、シュラフの足を空のリュックに突っ込み、上から自転車カバーを被って寝ました。それでも うすら寒く、寝返りをうちながら寝ておりました。

●故郷からの急襲

 朝6時、携帯が鳴りました。前の会社の後輩の男の子(彼も私と一緒に辞めた)A君からでした。
 何事かと思って出ると、今、同じく元同僚のB嬢(彼女は昨日19日に辞めた)とC嬢(彼女は半年前に辞めた)の3人で、今京都に来ているとのこと。以前から陣中見舞に来てくれるとは聞いていましたが、全くの不意打ちだったので驚きました。
「イマイさん、どの辺におるんな」
「えーとね、なんとか言う公園」
全く要領を得ない説明だったのですが、電話が切れておよそ10分後、公園に入ってくる人影が。 彼らは見事私のねぐらを探り当てたのでした。恐ろしい。

●そんなに俺が臭いのか

 ひとしきり再会の感動に浸った後、その場に自転車を置いて皆で京都観光に出発しました。A君の車の後部座席にぼくが乗り込むと、皆から一斉に
「イマイさん、臭いわ」
の声が。ファミレスで朝食(皆におごってまらいました)を食べた後、
「イマイさん、早く風呂入って」
と京都タワーの地下銭湯に直行されました。
 風呂は少し熱めでしたが、コロナの湯以来、約1週間ぶりだったので、生き返った気分でした。一応Tシャツや下着も、まだきれいな方に着替えたのですが、車に戻ると
「イマイさん、まだ臭い。靴下が臭いんだ」
「靴も臭いで買い換えな」
「鼻が曲がりそう」
「息ができん」
「死ぬ」
と苦情の嵐。
 靴を換えるわけにはいかないので、コンビニで新しい靴下を買って、履き替えることで勘弁してもらいました。
 靴下を履き替え、やれやれと愛用の手ぬぐいをパタパタやってくつろいでいると、
「イマイさん、その手ぬぐい汗くさい」。
 いずれのにおいにしても、自分では
「ときどき感じるけど、まあ他の人の所までは届いていないだろう」
とたかをくくっていたのです。
 自分のにおいに鈍感になるのって、浮浪者への道にまた一歩足を踏み入れたようで、けっこうショックでした。

●定番観光
 皆と一緒に回ったのは、清水寺、金閣寺、嵐山。
 清水寺では地主(じしゅ)神社にて、1対の石を目をつぶって片方から片方までたどり着くと、恋の願いがかなうという《恋占いの石》に挑戦。皆の声をたよりに何とかたどり着きましたが、 はてさて今後どうなることやら。
 それにしても、「恋占いの石」が古代縄文から伝わってるっちゅうのは、その時点でウソ臭い。
 金閣寺は参拝路が一方通行で、警備員に促され、観光客の波に流されているうちに寺の外に出ていました。
 その後、嵐山で豆腐御膳の昼飯を食べたのですが、紅葉にはまだ早いのにかなり混んでいて、 空き駐車場にありつくまで公園周囲をさまよいまくりました。A君たちは朝も、私のテントを探すため嵐山を走り回っていたそうで、随分と嵐山の地理に詳しくなったようです。ご苦労様。
 豆腐料理で腹もくちくなったところで、朝の公園に送ってもらいました。
「関西じゃ自転車に鍵かけてても、チェーン切って持ってかれちゃうよ」
とC穣に脅かされましたが、我が愛車は無事公園にありました。
 せっかくなので記念撮影しよう、ということで、皆で手に手にボールを持って
「ザ・テレビジョ〜ン」
と写真に収まりました。なんかのCMですか?私にはよくわからなかったのですが。  なにはともあれ、こんなところまでこんな男の顔を見に来てくれるとは、友達とはありがたいものです。

●まず、有名な方の念仏寺へ
 友人らの声援を背中に受けながら、ふたたびサドル上の人となった私は、当初予定していた嵯峨野の念仏寺へ。
 嵯峨野はかつて屍(かばね)散らばる風葬の地だったという話ですが、今では人形博物館やら土産物屋やらが立ち並ぶ観光地に成り果てています。
化野念仏寺
化野念仏寺

 まず、有名な方の化野(あだしの)念仏寺へ。門限ギリギリに500円払って入場しました。 無縁の石仏やら石塔やらが一ヶ所に集められ、不気味な雰囲気を醸し出しているというのが売りの寺です。
 20m四方の石垣の中に、風雨に削られてのっぺらぼうになった石仏石塔が寿司詰状態になっていました。
 いってみれば、墓石の墓場といったところでしょうか。見渡す限り石塔の海、という光景を思い描いていた私には、少しもの足りませんでした。

 竹林をくぐって寺の裏に出ると、普通の墓地のところに六角形の石柱に彫られた六地蔵がありました。六地蔵は、六道(六種類の死後の世界)から死者の魂を救済するてな意味で、多く墓場に置かれているものです(確か)。
 念仏寺の六地蔵は、それぞれの地蔵に水をかけると願いがかなうとかなんとかいわれがあるらしく、観光客の若い男女が神妙な面持ちで地蔵に水をかけておりました。
 いい若い者が神妙な顔でそんな年寄りくさいことをしているなんて、京都ならではの光景でしょう。

●あまり有名でない方の念仏寺
愛宕念仏寺
愛宕念仏寺

 化野念仏寺よりさらに数百メートル上ると、土産物屋もなくなって本当に寂しくなります。そんな嵯峨野のはしっこにあるのが愛宕(おたぎ)念仏寺。
 この寺は、もともとそれほど見所があったわけではないのですが、昭和50年代に当時の和尚が
「うちの寺を五百羅漢(仏様の五百人の弟子)の像で埋め尽くしてやろう」
と思い立ち、一般に羅漢像を募集したところ、最終的に二千体を超える像が集まり、文字通り境内を埋め尽くしてしまったという寺です。
 素人が彫ったものも多く、どの像も個性的で奔放です。
羅漢+α
羅漢+α

二人で酒を酌み交わしてるヤツ、
子どもが見たら絶対泣き出しそうなヤツ
カメラ構えてるヤツ
郵便番号(〒)に目鼻つけたような顔のヤツ
どうみてもこりゃ妖怪だろ、って顔のヤツ…。
 かなりウケ狙いのものも含めて、けっこう苔むしていい雰囲気出しているのです。京都に行ったら必見のスポットです。
 参拝料は無料(パンフレットは300円)です。 《ふれ“愛”観音》もあるので、マニアな《ふれあいハンター》にはなおさら必見です(いねえよそんな奴)。

 ●大阪を目指して
 奈良にも行きたいなあと思っていたのですが、翌日は大学の先輩に大阪で酒をおごってもらう約束になっていたので、国道1号を大阪に向けひた走ることになりました。
R1号500km地点
R1号500km地点

 記念すべき日本橋から500km地点は、京都市郊外の三菱自動車販売店の前でした。三脚を立て、距離を記したポールとともに記念撮影しましたが、フラッシュが反射して距離がつぶれてしまいました。撮り直そうとしたら、デジカメのバッテリーが切れて動きませんでした。あほだ。
 今夜のねぐらは、それから数キロ走った公園にしました。
 昼間、皆から「臭い臭い」と言われ続けたので、夜、公園の水道で靴下と靴を洗いました。いくら洗っても、すぐ臭くなるんだよなー。乾かんし。
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10月21日

●思案の朝
 ゆうべ洗った靴下を、テントの天井にぶら下げて干してみたのですが、案の定全く乾いていませんでした。今日は夜に大学の先輩や阪大の人達と飲み会です。
「イマイ君、くさい」
となるべく言われないようにするにはどうすればいいかと考えました。
 ニオイの原因は、足の裏から発散される汗が靴下に吸収され、雑菌が繁殖するためだと考え、足をビニール袋で包んでから、その上に生乾きの靴下を履きました。これなら足の汗が靴下に染み込むことはありません。もう一足の生乾き靴下は、リュックにぶら下げて乾かすことにしました。
 はた目からは、すごい格好悪いだろうなあと、思いながらも実行してしまう。羞恥感が薄れて行くのも、ホンモノの放浪者への第一歩なのでしょうか。

 そんなわけで走りだした国道1号線ですが、朝からどんよりと曇り、降るんだか降らないんだかわからない、中途半端な天候でした。

●飛行神社って、名前がインパクトあるよね
 途中、岩清水八幡宮の標識があったので、せっかくなので行ってみたら、その手前で
《飛行神社》
を見つけてしまいました。この神社は、二宮忠八という明治時代の人が建てた神社です。
飛行神社
飛行神社

 忠八はライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見し、模型飛行実験にも成功しましたが、軍部から却下され、自費で研究を続けようとした矢先にライト兄弟に先を越されてしまった不運の発明家です。 それ以来研究を断ち、民間の製薬会社に転職して重役まで務めましたが、飛行機事故の犠牲者が絶えないのを憂いて事故死者の霊を祭る当神社を創建したのであります(口調が変)。
 奉納絵馬には
「パイロット試験に合格しますように」

「JALに合格しますように」
てのがあるかと思えば、
「H2A打ち上げが成功しますように」
てのから、
「貿易センタービルに無事激突できますように」
なんてのまで、その関連の願いごとがたくさん書かれていました(一部嘘)。

●大阪で気づいたこと
 なんだか飛行神社で満足してしまったので、八幡宮を参詣せずに一路大阪へ。
 大阪に入って気づくことは、歩行者は赤信号でも、車が来なければ渡ってしまうということ。これは大津や京都でもその傾向がありましたから、関西全般の特徴と言えるのではあるまいか。  飯田では、どんなに短い横断歩道でも、ほとんどの人は行儀よく青になるまで待ちます。  全く車が来ていないのに、赤だからといって渡らないなんてアホちゃうか、と関西の人たちは言うでしょうね。法律とかは別として、どっちが常識的にマトモなのでしょうか。難しいところだ。
 それからもう一つ気づいたのは、大阪では駐車場のことを
《モータープール》
と呼ぶことです。少なくとも看板はそう書かれてるのが多い。車がクロールでも泳いでんのかしらという印象を持つのは私だけでしょうか。
 いいじゃん《駐車場》で。なんなんでしょう、この背後にあるものは。

 大阪城公園では浮浪者のみなさんのテントがあちこちに。段ボールを積んでリヤカーを引くおっさんたち。そのテの人達を見るたびに、なんだか怖くなります。実際、そういう生き方も成立してるんだもんね。リヤカー引いて歩いてるのと、自転車漕いで走ってるのと、どれほど違うんでしょう。

●思わず兵庫へ
 先輩との待ち合わせ場所は阪大池田キャンパス近くの石橋駅。僕はそれまで、阪大って大阪市内にあるもんだとばかり思ってました。池田って大阪市池田区じゃないんですね。市なんですね。びっくり。
 場所も大阪市から豊中市を挟んでかなり端っこの方。国道を行こうとしたら高架になって自転車禁止、下道を走ってたら川に阻まれ、川沿いにあてずっぽうに走ってたら兵庫県尼崎市に出てしまいました。

●3年ぶりのゲロ
 まあなんとかなつかしい石橋界隈にたどり着き、先輩と合流。最寄りのビジネスホテルにチェックインして、おでんと焼肉の西本に。6年くらいぶりに会う面々で、
「あー、なんとなく覚えてるんだけど、名前何だっけ」
と内心冷や汗を垂らしておりました。  旅の話やら学生時代の思い出話やらに花が咲き、私は日本酒を次々注がれて、不覚にもトイレで数回吐きました。かっこわる。
 二次会はなんとかいう沖縄料理屋に連れて行ってもらいましたが、ぼくはずっとぐったりしておりました。ゴーヤサラダを注文した記憶がありますが、食った記憶はありません。

 11時過ぎてホテルに帰り、布団にぶっ倒れて寝ました。酒でこんなにダメージくったのは学生以来です。そんなに量は飲んでいなかった気がするんですが。
 みなさん、大変ありがとうございました。
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10月22日

 朝は頭痛でした。昨夜吐き過ぎたせいか、喉も痛くなっていました。風呂に入り、先輩がゆうべ買って来たコンビニ寿司をわけてもらって朝飯となりました。

 10時頃のろのろとホテルをチェックアウトし、二人で大阪観光に。まず、天神六丁目の「すまいのミュージアム」に行くことにしました。
 石橋駅で自転車を畳み、バッグに入れて電車に乗り込みました。どんよりした天気は今日も続き、湿気が多くてぼくはあっと言う間に汗だくになりました。学会帰りの先輩も両手に本や書類を入れたカバンを持っていて、ずいぶん重そうでした。

 ようようミュージアムに着き、受付嬢に荷物を預けて入場。コインロッカーに入らないほど大きな荷物は無料で受付に預けられるので、かえって得です。
 ビルのワンフロアに、江戸末期の大阪の町並みが実寸大で再現されており、時代劇の撮影セットみたいでした。
 町並みを見下ろせる上階では米朝のナレーションが流れ、下階に行くと町並みを自由に歩け回れます。お湯屋、薬屋、長屋などが立ち並び、
「上がらないで下さい」
と札あるところ以外は自由に上がり込めます。札があるところに入り込もうとすると、
「アガラナイデアガラナイデクダサイ」
という声が自動的に流れる仕組みです。
子供なんか連れて来たら、鬼ごっこして大はしゃぎすることでしょう。座敷などに置かれている家具や道具も、ほとんどが本物を使っています。
 コンパニオンさんのレベル(何のレベルだ)もなかなかのもので、制服は上半身が着物風、下半身がスカートというデザインで、個人的に気に入りました。
 家々の入り口には
「十二月十二日」
と書いた紙が逆さに張り付けられていていました。そのわけをコンパニオンさんに聞いてみたら、これは泥棒避けのおまじないだとのことでした。
 昔その日に石川五右衛門が大仕事をしたので、それを逆さにして貼ると泥棒避けになるという習俗があったそうです。
 地方には小正月などに木の板に「十二月」とか「十三月」などと書いて戸口に置いて魔よけとする風習がありますが、もしかしたらそれとの関連があるのかもしれません。
 さらに下の階は明治から昭和にかけての家や町並みの移り変わりを、ミニチュアで展示しておりました。これもなかなか凝ったものでありました。
 ミュージアムを出てから千日前通りへ行って昼飯を食い、(先輩は、安いからと言って生ビールを昼から飲んでました)。次に向かったのは、府立上方演芸資料館「ワッハ上方」。
 ここは映像とパネル展示が主で、落語家からコメディアンまで、上方演芸の紹介をしておりました。
 印象的だったのは、ボランティアガイドのおばさんがまとわりついて鬱陶しかったことと、《ワッハちゃんのワンダーツアー》とかいう立体映像番組がつまらなすぎたことです。
 往年の落語家や歴史的漫才師を紹介するのはともかく、間寛平やら「パチパチパンチ」のでぶ(名前知らない)なんぞをなんで公立の資料館の映像に登場させねばならんのか。この資料館はノック元知事が作ったそうですが、もうじき閉鎖されるという噂もムベナルカナという気がしました。
 ライブラリーは無料でいろんなビデオが見られるらしいので、その辺は重宝だと思いますが。

 外に出ると、本格的な雨。
 友人と飲む約束をしていたという、無謀な酒飲家の先輩と別れ、高校時代の友人と待ち合わせる新大阪駅へ。
 会社を抜けてつきあってくれた友人とお好み焼きを食い、彼のアパートでコインランドリーを使わせてもらい、11時ころ帰宅した友人と一緒に横町の銭湯に行きました。
 壁に富士山の絵はありませんでしたが、番台におっさんがデンと構えている、典型的な銭湯でした。
 友人からは、餞別にとアシックスの高級レインウエアをもらいました。ゴアテックスという新素材の布地を使っていて、1万5000円以上はするらしい。
 いやあ、ほんとに友達ってのはありがたいもんだ。

 その夜インターネットで調べて見ると、明石海峡大橋はやはり自転車通行禁止で、さらに大阪〜徳島間のフェリーは廃止されているらしく、高速バスを使うしかないことを確認しました。
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10月23日


 朝、アパートの1階の店で朝飯を友達におごってもらい、彼の会社の前で別れ、まず向かったのは、大阪駅前にある石井スポーツという専門店。そこで友達お薦めの速乾性シャツと防寒用のシュラフカバー、それから銀マットカバーを買いました。
 その後日本橋のソフマップという家電販売店でザウルス用のデジカメカードと、ザウルス用のカバーを買いました。これでようやく旅先からの映像を、放浪日記に添付できるようになりました。
 ズームもオートフォーカスもフラッシュさえもついておりませんので、撮れる画像は限られておりますが。
 その後徳島行きの高速バスに乗るためになんば駅に行ったのですが、はじめJRのバスターミナルに行ってしまい、南海のバスターミナルを見つけるのに一苦労してしまいました。
 16時10分発のバスに乗り、夕焼けの大阪を後にしました。
 橋を渡った最初のバス停で降りようと、「鳴門大橋記念公園」とかいうバス停で降りようとボタンを押したら、運転手さんが
「ほんとにここでいいの?降りても何にもないよ」
と脅かします。どこで降りても料金は一緒と言うことだったので、次のバス停「高速鳴門」で降りることにしました。何にもないところにバス停作るなよなー。
 鳴門に着いたのは夜7時過ぎ。海峡の景色も見られませんでした。
 近くのスーパーで夕食を買い、酒コーナーで発泡酒を買うと、レジの兄ちゃんが
「リュック背負って、これからどこかいかはるんですか?」
「ええまあ、八十八ヶ所巡りに」
「すごいなあ。これ持ってってください」
と、深層水のウエットティッシュと、ニッカウヰスキーの小さなバッグをくれました。若者からこうした待遇を受けたのは初めてだったので、さすが四国はお布施の国なんだなあと感じました。

 その夜は「うずしおふれあい公園」にテント張り。ウォーキングのおっさんおばさんがうようよしている公園でした。暖かかったのでテントのファスナーを開けておいたら蚊が数匹はいってきてしまい、ぜんぶ叩き殺すのに苦労しました。

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