毒吐き遍路の独白
毒吐き遍路の独白
遍路はでっかいスタンプラリーだと思う。
納経は機械化して、納経料を値下げしてほしい。
賽銭箱の隣に両替機を置いてほしい。
「欲を捨てろ」と説きながら商売繁盛のお守りを売っている寺は、矛盾していると思う。
(※1)
献灯のロウソクは、供えてもすぐ火が消えるし、すぐゴミになるからもったいないと思う。
光巡拝団
(※2)
というのは、ロウソクを下から、線香を外から挿す人間を暗殺する秘密結社に違いない。
経の意味もわからず唱えている自分って、かわいいと思う。
納経所の坊さんがGショックの腕時計をはめているのを見ると幻滅する。
納経料を受け取ってお礼を言わない坊主は、コンビニのバイトにも劣ると思う。
千手観音や十一面観音は、はっきり言ってバケモノだと思う。
五百羅漢は、はっきり言って全員変な人だと思う。
大日如来は「大日本如来」の略だと今でも信じている。
本堂の軒下で、雨風にさらされて半分崩れかかっている「びんずる尊」というのは、誰だか知らないけど哀れな人だと思う。
白衣を着てガイドに連れられてぞろぞろ歩くツアー遍路を見ると、モンゴルの羊を思い出す。
巡拝百何回という金札を見ると、ちびくろサンボのバターを思い出す。
御姿は、どうせならパラパラマンガにしてくれればいいのにと思う。
金を接待してくれるのはおばさん、道を教えてくれるのはおじさん。
目の前に車が停まると、お接待を期待して身構えてしまう。(実はケータイで喋る人だったりする)
ミカンばかり接待されるので、銀行でミカンを換金してほしいと思う。
「頑張って」「もう一息」などと書かれた道しるべを見ると、なぜかイライラする。
「お大師様と出会い、お大師様と語る」と書かれた鯖大師の札を見ると、どっと疲れが増す。
遍路みち保存協力会の道しるべの向きを、変えてみたいという欲求を抑えるのに苦労する。
道で子供に挨拶されると、ずいぶん田舎に来たもんだとしみじみしてしまう。
四国は犬の糞が多い。
十夜ヶ橋に来ると、杖で橋を乱打したくなる。
遍路は信心深いというより、空海フェチだと思う。
ご利益ほしさに回る遍路なんて、邪道だと思う。
札所の坊主は、一度でも歩いて遍路したことがあるのかなと思う。
寺の経営は水子で回ってると思う。
加持祈祷で日本の景気を上昇できないのなら、今どきの密教寺院に存在価値はないと思う。
賽銭箱が空き缶の形をしていたら面白いのに、と思う。
何でも弘法大師にかこつけりゃいいってもんじゃないと思う。
寺として一番インパクトのある札所は香園寺だと思う。
八十八ヶ所を世界遺産にするなんて、無理だと思う。
札所の坊主って、いい商売だなと思う。
本堂や大師堂の前にある一休さんの看板は、寺の風情をぶちこわしてると思う。
遍路客を呼び込みたいのなら、民宿の看板には「お遍路さん歓迎」ではなく「お遍路さん優遇」と書くべきだと思う。
納め札入れに手を突っ込んで金札や錦札を漁るおじさんやおばさんは、見ているほうが恥ずかしいのでやめて欲しい。
札所だということ以外に何のとりえもなさそうな寺を見ると、坊主が弘法大師をありがたがる理由が分かる気がする。
新四国霊場だの、曼荼羅霊場だのというのを見るにつけ、便乗するのもほどほどにしろと言いたくなる。
※1 密教は、欲望の解釈についてかなりの理論武装を行なっているが。
※2 札所のロウソク立てや線香立てに、
「ろうそくは上から、線香は中から 光巡拝団」
と書かれたシールが貼られているのである。
問題発言が多々ありますが、それほど悪意があるわけではないので、関係者の皆さんは腹を立てた上で見逃してください。
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