四国巡礼てくてく編(土佐2) 四国巡礼てくてく編(土佐2)

11月10日

 あまり遅くまで寝ていると小学生が登校して来てうるさいし、昨夜誰かが見回りに来たこともあったので、早めにテントを撤収して日の出と同時くらいに歩きだしました。
 マメは治ったのですが、足首(アキレス腱の反対側)が筋肉痛です。

 コンビニでトイレを借り、軒下に座り込んで朝飯を食っていると、足元を大きなナメクジが這っています。どうやら公園にいたやつを、リュックにくっつけて持って来てしまったようでした。
 のろのろとあてもなく、果てしないアスファルトの車道に向かって這って行くナメクジは哀れでしたが、草むらに移してやるほどぼくは慈悲深くないので、
「がんばれよ」
と温かい声援をかけて立ち去りました。

 31番竹林寺は五台山という小高い山の上にあり、展望台に登ると高知市内が一望でした。風は強かったですが日差しは暖かく、のんびり絵を描いていると何組もヒトのつがいが来ては去って行きました。

 竹林寺では七五三参りの親子連れが来ており、着飾った女の子が可愛いかったです。
 夢想国師が作った庭園を見、宝物館を見、次の寺へ。

 32番禅師峯寺は桂浜まで見渡せる海岸近くの山の上にあり、縞模様の奇岩とあわせて面白い雰囲気の寺でした。

33番雪渓寺へは約10km、32番を出たのが午後3時。納経期限の5時までの2時間で10kmを歩かねばならないということで、かなりの速足モードで歩きました。
 途中カツオの土産店や居酒屋などがあり、道草したい気分でしたが、自らを叱咤し、4時50分に寺に着きました。
 途中道を間違えて若干遠回りしたので、もしかしたら時速6km近くまで出てたかもしれません。

 寺を出たころにはとっぷりと日が暮れ、近くにスーパーもなし。近くの個人商店に入るとショボいパンばかりでろくな飯もない、といういつものパターン。
 ねぐらを探しながら歩いて行くと、あげくに道を間違えたらしく、どうもガイドブックの地図と合わない。
 あーあ、今日はつまんないな、と思いながら、道端の土捨て場みたいなところでテントを張りました。設営場所をミスってでこぼこの所に立ててしまい、寝心地も悪かったです。
 なんだか今回は、小学生が書きそうな、締まりのない日記になったような気がする。
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11月11日

 今朝は四国に来て一番の寒さでした。厚着レベル4(着替え用の服をすべて重ね着し、シュラフの上に自転車カバーを被る)で寝ました。
 ちなみに最高段階はレベル5(ゴアテックスのレインウエアを着込んで寝る)で、まだ発動されていません。

 昨日速足モードで歩いたせいで、今日は朝から足が痛い。
 幸い34番種間寺への看板がすぐ見つかったので、のろのろ歩いて10時頃到着しました。
 ザウルスの電池切れでここしばらく出来なかったメールチェックを行い、本堂のコンセントを借りて機材の充電。
 納経をしていると、観光客のおじさんが話しかけてきました。
「歩きですか。へえ、テレビなんかでは見ますけど、ほんとやってらっしゃる人がいるんですね。 そんなの(輪袈裟)までかけて、その関係のお仕事ですか?」
「いえいえ、とんでもない」
あまり札所に足を運んでない人なんでしょうね。私みたいのが珍しいとは。
 それから子育観音(部分)の絵を描いていると、この旅始めて若い女性に声をかけられました。 (若いといっても、僕より年上だったかもしれませんが)
「絵をかいてらっしゃるんですか。観音様の絵を?」
「ええ、奉納されてる布のあたりを」
「へえ、すごい」
交わした会話はこれだけでした。たとえばその後
「どちらから?」
とか
「今日は何番まで?」
とか、会話を繋げればよかったのでしょうが、相手が母親連れだったのでそれ以上話はしませんでした。
 同じ歩き遍路なら
「次のお寺までご一緒しましょう」
なんて手もあるんですけどねえ。

 昼飯は、道の途中の無人販売(四国では「良心市」という)で買った一袋百円のトマト丸かじり。
 足の痛みが微妙に続くのでゆっくり歩き、35番清滝寺に着いたのは4時過ぎ。今日は15km程度しか歩いていません。
 境内で柿などを売っていたおばあちゃんが
「あんた野宿かい、このお寺で頼めば泊めてくれるよ」
「でも、晩飯用意してないんで」
「頼んだら作ってくれるよ」
というのでお寺に頼んでみたら、泊まるのはいいが夕食は用意できないとのこと。
 うう、どうしようかな、これから山を降りようかな、と考えていると、
若いお坊さんが
「食うもの本当にないのか、じゃあ下で弁当買って来てやる。何でもいいか」
とのこと。
「ありがとうございます」
ほんと、助かりました。
先ほどのおばあちゃんが、
「そうか、よかったなあ、あれはここの副住職さんで、優しい人なんだ。これ傷もんだけど食いな」
と、柿とミカンを一袋ずつ接待してくれました。
 副住職さんはわざわざぼくのために車でふもとまで行って来てくれたようです。
 ほかほか弁当を持って来てくれました。700円のところを500円でいいといい、200円は「ジュースでも買いな」
と返されたので、宿泊所に祭られているお大師様のお賽銭箱に入れておきました。

 この夜同宿(部屋は別ですが)になったのは、托鉢の修行遍路のKさん(51歳)。
 この人は、以前半職業遍路のMさんが
「“お大師さんがどうのこうの”ともっともらしいことを言う坊主風の托鉢遍路に限って・・・」
とこきおろしていた、まさにそんな感じの人です。
 納め札の名前の肩書には「修行者」とあり、ビニールに小さな紙切れ(「南無大師遍照金剛」と書かれていて、千枚通しとかいうらしい)が同封されていて
「腹痛などにこれを溶かして飲むとすぐ治るんですよ」
との説明でした。
 いわゆる「拝み屋」とか「ヒジリ」とかいわれる民間宗教者で、仏教に限らず神道、修験系のまじないもする人のようです。
 接する限り悪い人ではないと思いますし、民俗学的にいえば、こうした人が民間信仰を伝播させる主要な役割を果たしているわけで、いろいろお話を聞けば面白いのかもしれませんが、どうも話が説教臭くて教訓じみてて押し付けがましいので、あまり話をする気になれませんでした。
「自分はお大師様と一体になりたくて修行させていただいてる」
「修行しているとすばらしい出会いがある」
「こんなことをしてだれそれから感謝された」
「本来の十善戒とは…」
「わたしの母親は、石鎚山の女神の生まれ変わりで…」
尋ねもしないことを一方的に喋ってくるのです。言っていること自体は、信心深くて結構な内容なのですが、
修行者だからってそんなことをなんで言い触らすんかな、という気がするのです。
「ね、ね、ぼくってこんなに信心深いのよ、すごいでしょ。感心してちょうだい」
という懇願が透けて見えるようで気分が良くない。
ほっといても一人で喋ってるんならいいんですが、黙ってると相槌を求めてくるんで、これまためんどくさい。営業トークが身について、それが普段のときも離れなくなっちゃったんですかねえ。
 電気を消して、それぞれの部屋に入ってまで壁越しに話しかけてくるので面倒臭いです。
 信心はないにしろ、ぼくはこのまえのMさんの方が信用できるような気がしました。

 …こう思うのも、Mさんによって先入観を植え付けられたせいなのかなあ。

 それにしても、職業的遍路さんはみんな
「遍路と言っても中には悪い奴もいるからね、気をつけなよ」
とアドバイスしてくれます。
お互いライバル意識を持ってるんでしょうか。
「お経もろくに上げずに、遍路の格好だけして信心のかけらもない人もいるんですよ。そんなのは遍路と呼べないでしょう」(K氏)
「今時舗装された遍路道歩いて、修行になるはずない。
坊主の格好してお経読んで、もっともらしいこと言う奴に限って金がたまると飲みに行くんだ」(M氏)

 どっちが正しいとか、間違ってるとかはないのでしょう。ただ、どちらも四国遍路の輪の中で生きている人達。
 ぼくは、外から彼らを見て面白がっている。今のところ、そういう立場でいられることが幸いです。
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11月12日

「お大師様のお弟子になるため修行中」
という、同宿の修行遍路Kさんは、朝はぼくよりお寝坊さんでした。
出立の時、僕が閉め忘れた部屋の窓を閉めてくれたのはいいのですが、
「あ、すいません」
と僕がいうと
「兄ちゃん、まだまだ修行が足りませんナア。何でも修行です、修行するんじゃない、させて頂くという気持ちでないと何事もおろそかになる、云々」
と、朝っぱらからまた説教臭いのです。
 こんなのと同道になったらかなわんので、慌てて寺を出ました。
 36番青竜寺(なんか似たような寺ばっか)へは、約15kmの道。
 朝7時に出たのですが、もう11月というだけあって、四国でも吐く息が白い。
 昨日が無理のないペースだったのが幸いして、今日は足の痛みもさほどありません。 機嫌よく歩いていると、鼻歌が出ます(本当の遍路は歩きながら「南無大師遍照金剛」と唱えなければいけないのですが)。

 良く出るのは、自作の替え歌。この場を借りて披露すると、
 シャーマンのうた(パーマンの節で)


♪シャーマシャーマシャーマーン
 遠くで呼んでる声がする
 来てよ神サマ ぼくのところへ
 来てよご先祖サマ わたしのところへ
 神と人との合言葉 シャーマン

 行くよ待ってて 口寄せをしよう
 あの世とこの世 つなぎ合わせる
 合言葉 シャーマン
など、その他もろもろ。

 宇佐方面へトンネルを抜けると海に出ました。
 スーパーで和風弁当とデニッシュクリームパンの朝昼飯を食い、柿ピーをボリボリ噛みながらもどかな海岸沿いを歩いて行くと、36番に着きました。
 ここのご本尊は波切不動尊という漁業や海運の神様、もとい仏様で、御札に描かれた御姿が、梵字を組み合わせて絵にしたてるという、ちょっと面白い形をしています。
 空海が中国から独鈷を日本に向かって投げたところ、ここの山の松の木にひっかかったので、お寺を建てたという、室伏孝治もびっくりな、ほとんど弾道ミサイルみたいなお大師さんの伝説が伝わっています。
 中国から投げ込まれたんなら、着弾時の速度はかなりのもののはずなのに、なんで地面にめり込まずに木の枝にひっかかっちゃうのかなあ。
 なんて疑問は、敬虔な信者は思ってはいけません。
 この寺の奥の院は岩礁を見下ろす崖っぷちにあり、自殺地候補としてもなかなかのところです。 がけっぷちにハッピーターンの包み紙が落ちており、
「倒産で絶望した会社社長が、ここで最期のハッピーターンを食べてから身を投げたのかも知れないな」
と感慨に浸ってしまいました。

 次の37番岩本寺へは、60km以上の道のりです。車なら1時間から1時間半で行けますが、歩きなので私が着くのは明後日になるでしょう。
甲崎付近の海岸
甲崎付近の海岸

 ゴツゴツした岩の海を見下ろして、海岸沿いの尾根伝いに行く県道を歩きます。
 尖った岬が幾重にも続いているのが峠から見通せます。三方を木々に覆われた崖に囲まれ、船からでないと入れないプライベートビーチみたいな入江もあります。
 空は快晴で、ずっと高いところを鷲のような鳥が飛んでいます。いかにも四国遍路に似つかわしい風景でした。
 で、ちょっと感傷的な気分になって、ふと道の下を見ると、業務用冷蔵庫なんかが不法投棄されてるわけですね。
 日本中そんなとこばっか。

 今日のねぐらは、そんな道沿いにある《県立こどもの森》の駐車場です。ろくに人家もなく、山と海に挟まれた所なので、夜は寂しいだろうと思ったら、けっこうドライブの若者なんぞがやってきます。
 夜の12時ころ、数人の男女がマフラーを改造した車で乗り付け、フェンスをよじ登って子供の森の中へ入って行きました。きっと、
「やっぱここのフィーアス(フィールドアスレチック)はサイコーだよな」
とかいって遊んでるんでしょう。
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11月13日

 子供の森駐車場での一夜は、暴走族がやかましくて度々目が覚めました。
 連中は走ることが目的というより、マフラーの音を轟かせるのが目的のようですね。曲でも演奏するかのように
「ヴおんヴぉおおん」
と爆音をハモらせておりました。

 朝起きてテントを畳んでいると、管理人さんが来て、
「ここはまだ暴走族が少ない方だからいいけど、2km先のレストラン(の廃屋)の駐車場は、パトカーも取り締まりに来るくらいだからね、危ないよ」
と言っておりました。ふう、早めにテントを張って命拾い。多少管理人さんと話が弾んで、四国に自殺しにくる人も多い、という話題になったら、
「今年の夏もね、例のそのレストランの屋上で首吊りがあったらしいよ。朝方、暴走族が帰った後はだれもいないからね、自殺するにはいい時間帯だね」
と、恐ろしいことを言うのです。
 たしかにこのへんは断崖絶壁が続き、すさんだ気分を盛り上げるには最高の場所だと思います。 ぼくが会社を辞めて遍路に来たという話になると、彼は県立の施設の管理人という仕事柄、県職員との軋轢もあるらしく、
「なんて言っても公務員ほど使えないのはいないね。転職するにしても、事務系の公務員出身じゃ何やってもだめだよ。奴ら、マニュアル通りのことしかしないからね」
と言っておりました。

 自殺現場のレストランを横目に通り過ぎ、海と別れて山間の道に入りました。
 朝昼飯は個人商店で買ったヤマザキの菓子パン。最近のメシはコンビニ弁当とパンが多く、特に田舎の商店だとパンしか置いてないことが多いので、ずいぶんぼくはヤマザキに貢ぐはめになっています

 須崎の街の手前で、逆打ちしてくる人に会いました。白装束も菅笠もなく、杖もただの木の枝なのですが、リュックを背負って野宿の体で遍路道を歩いているので、たぶん遍路の人ということになるのでしょう。
 歳の頃は30後半か40代、真っ黒に日焼けして頭に手ぬぐいを被っていました。彼がぼくに尋ねてきました。
「大久保という人に会わんかったかね。足に鉄の輪をはめている人なんだが」
(ひえ〜、そんな人もいるのか)
と思いながら、どうも年期の入った遍路人のようだったので、
「いえ、ぼくはその人には会いませんでしたが、宮本さんという人には会いましたよ」
「ほう、宮本さんに会ったかね。どのへんで」
「5〜6日前、神峯寺のへんで」
「そうか、なら、あの人のことだ、今頃は高知市内でゆっくりしてるな」
共通の知り合いがいたのでぼくは少し嬉しくなってしまい、この人のことがもう少し知りたくなって、
「失礼ですけど職業遍路の方ですか」
ときいてしまいました。彼はぼくの顔をまじまじ見つめて、
「職業遍路。そういう言葉があるのか。まあ、遍路で飯を食っている人もいる。わしも必要な分の米は百姓からもらっとる。しかし相手に対してそういう言葉を使うのはどうかと思うな」
確かに、「職業遍路」というのは一種差別的な意味が込められることが多いので、これはしまった、とぼくも思いました。
「すいません」
「わしは村上という者だがね、わしはほとんど山の中を歩いておる。たまにこうやって里に降りてくる。
君は納経をしておるのか。そうだろうな。わしは歩き始めて5年になる。初めの5回ほどは一生懸命寺で経をあげて納経もした。しかし無駄だった。だから今は寺には行っておらん。ただ、ひたすら歩いておる」
「じゃあ、なんのために歩いて・・・?」
「君を納得させなきゃいかんのかね。目的なんてものは自己満足にすぎん。
 君に一つだけ言っておこう。寺をよく見ろ。何が見えてくる。…わしには何もみえんかったがね。
 君も寺で般若心経を詠んでいるのか。あれは娑婆の連中のために書かれた言葉じゃない。舎利子、つまり修行者に言っておる言葉なのだ」
「ありがとうございます、ぼくはこういうものです」
と、ぼくが住所名前を書いた納め札を渡そうとすると(営業時代の名刺を渡す癖が抜けてない)
「いや、受け取るのはよそう。無駄にする」
と言って、村上さんはすたすたと去っていきました。
 なんかよくわかりませんでしたが、今まで会った中で彼が一番修行者っぽかったです。
 けっこう一本気な性格の人みたいだったし。
(「君を納得させる必要はない」か。議論を一方的に打ち切るにはいいセリフだな。覚えとこ)
そうつぶやいて、ぼくも歩きだしました。

 その後、須崎市街でカップラーメンを食い、携帯ラジオの安い奴を買おうかなと思って電気屋に入ったら、コンパクトなやつは7000円もして手が出ず、そのまま歩いて道の駅でカツオのタタキや生節を試食して(旨かった)、晩には酒が飲みたくなって中土佐町でカツオのタタキ一パック(気仙沼産)と地元西岡酒造の「土佐の粋・水・酔(すいすいすい)」という、どうかと思うようなネーミングの日本酒の小瓶を買って、町の「ふれあい広場」にテントを張って、飲みました。
いやあ、旨かったっす。

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