四国巡礼てくてく編(土佐3) 四国巡礼てくてく編(土佐3)

11月14日


 中土佐町ふれあい広場での朝は、夜露がひどくてテントがびっしょり濡れました。テントを拭いて畳んでいると、いつものように近所のおっちゃんが来て、
「野宿か、寒くはないか、どっから来た」
というおきまりのやりとり。おっちゃんの話によれば、中土佐町はカツオ漁で有名な港で、ここの大正町市場は「土佐の一本釣り」というマンガの舞台として有名なんだそうです。
「知らんか?もう何年も続いとるマンガだけど」
すいません、私は知りませんでした。
なにせ最近買うマンガと言えば、諸星大二郎と星野之宣と高橋葉介ばかりだったもので。

 大正市場で漁師向けの食堂なんかあれば、朝飯食うのもいいな、と思ったのですが、遠回りするのが面倒だったので、ぼちぼち遍路道に沿って歩きだしました。
 途中、おばさんがお接待でみかんと、アマダイの姿寿司をくれました。 そして、
「これ読むとためになるわよ」
と「崇教真光」のパンフレットもくれました。

 ミカンと寿司を入れたビニール袋をぶら下げながら、「七子峠」の坂道を登りました。
 峠のてっぺんまで登ると国道56号に出たので、もらった寿司を食いました。この寿司はアマダイ(鯛にしちゃ細長い)を背中から開き、酢飯を詰めて固めたもので、江戸前寿司よりも酢が効いていて、素朴な感じの寿司でした。
 頭の部分も寿司になっていて、「これも食うんだろうな」と思って食べたのですが、エラや骨が固くてずいぶん食いにくかったです。地元の人はどうしてるんだろ。

 寿司を食い終わったとき、同じく峠道を登ってきた若い男の遍路さんがやってきたので、みかんをおすそわけしてあげて岩本寺まで同道することになりました。
 彼は学習院大学法学部4年の二宮君で、単位も取り終わり、公務員試験にも落ちたので
「テレビや映画で八十八ヶ所巡りってのがあるの知って、親の実家が両方とも愛媛なもんだから、ばあちゃんたちに久しぶりに会うついでに歩いてみようと思って来たんですよ」
という、いかにも学生らしい軽いノリの動機でした。

 11月2日に1番をスタートして、12月5日頃までに打ち終える計画という、かなりのハイペース野郎です。
「自分サッカー部に入ってて、最後の試合があるもんですから。レギュラーが4年生ばっかなんですよ」
私とは違って、法学部といえどかなり体育会系が入っているようです。
「今年は一応試験対策に専門学校通ったんですけど、ろくに勉強しなかったから余裕で落ちちゃって。これでも宅建の試験は頑張って合格したんですけどねえ。
え、公務員の志望動機ですか?まあ、父親が公務員なもので、そーいうのもいいかな、と。定時で帰れそうだし」
と、昨日のこどもの森の管理人さんが聞けば、何か言いたくなるだろうな、という、ごく普通の学生さんです。
 それでも、一応世代が近いので、それなりに話ができて楽しかったです。

二宮 「今朝トイレ探して歩いてたら、おばちゃんに朝飯までごちそうになって、『これから冷えるから、持ってきな』って、ホッカイロ10個一パックのをもらっちゃたんですよ。これがまた重くて」
今井 「基本的に鉄の粉だもんね。きっとそのうち、どっかのおばちゃんが亀仙人の甲羅をくれるよ。50キロくらいのやつ、『修行になるから、持ってきな』って」
二宮「甲羅に同行二人って書いてあるんですかね」

 とまあそんな感じ。

 二人してスパーで昼飯を食い、がしがし歩いてようやく岩本寺に着いたのが午後3時半。この寺には銀杏の大木があって、傾いた日差しに映えてきれいでした。
 納経所でお金を払うと、寺の人が
「ありがとうございます、頂きます」
と言って受け取ったので、なかなか好感が持てました。
遍路の在り方としては「修行させていただく」、「納経させていただく」立場というのが建前なので、札所の寺の態度もけっこう横柄なところがあります。
納経帳を書いてもらい、お金を払っても、
「ご苦労様、お気をつけて」
と言ってくれるところはまだ愛想のいい方で、何も言わず仏頂面で金を受け取る所がほとんどです。しかし一般的には金をもらって、
「ありがとうございます」
というのが常識なわけで、他の寺も岩本寺に見習ってもらいたいもんです。
 だいたいハンコついて筆でシャーと書いて、1色刷りの紙切れ一枚渡して、それで300円なんて、ボッタクリもいいところ。
 納経に先立っては、本堂と大師堂にそれぞれお賽銭を入れるのが遍路の「作法」になってるし、 そのうえ寺によっちゃ駐車料金500円徴収なんてところもある。
 さらに本堂改修するから屋根瓦一枚につきいくら寄付しろだの、水子供養がいくらだの、護摩供養がいくらだの…、これだから宗教法人はかなわねえんだよな、
 なんてことを、敬虔なお遍路さんは思ってはいけません(特に僕の場合、通夜堂などでずいぶんお世話になっている)。

「絵を描くとこ見たいなあ。でもなるべく距離稼ぎたいんで、お先に」
二宮君と別れ、ぼくは寺に飼われている犬の「シン君」を葉書に描き、彼宛に送ってやることにしました。

 このシン君(雑種)は、参拝客がいくらいても吠えもせず、毛布の上でうとうとしたり、たまにあくびをして伸びをするおっとりしたキャラクターなのですが、ヘルメットをかぶった郵便屋さんが入ってくると、とたんにキャンキャン吠えだすという変わった犬でした。

 岩本寺を出たのは午後5時近く。途中のヤマザキデイリーストアで晩飯の弁当を買い、今夜のねぐらは国道脇の植え込みの陰です。
 近くに「大観峰」という山への登山道入り口があり、山頂の眺めがよかったり、昔山伏が修行した所があったりするらしいので、明日の朝登ってみようと思います。
 これから先はいよいよ足摺岬の38番金剛福寺への道のり、その距離は99.7kmと、八十八ヵ所の中で一番の長さです。
一日に30km歩くとして、明々後日あたりには着ければと思います。
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11月15日


 昨晩テントを張ったのは、「大観峰」という山の登山道の入り口近く。峠道にでっかく「大観峰」と書かれた看板があり、ふるさと創生事業で商工会議所青年部だかが整備したということだったので、
「そこまで頑張っているなら登って進ぜよう」
と思った訳です。
 朝、出発の支度を完了し、いざ登山道に入ってみると、100mも行かないうちに「通行禁止」。
アホか。
看板撤去しとけ。

 岩本寺へ向けて国道を歩くと、「天然温泉7km先」という看板がありました。
薬王寺の温泉に入って以来、一週間以上風呂に入っておらず、そろそろ身体を洗った方がいいかなと思っていた時分だったので、これ幸いと思いました。
 しかしほどなく行くと、「四国のみち」の道しるべが、国道を逸れて集落の中へ。「四国のみち」は、四国4県が制定し、景色のよい場所を選んで札所をつないでいる(というタテマエの)ウォーキングコースです。
 ついついふらふらと道しるべ通りに入ってしまったばかりに、温泉は通り過ぎるわ遠回りにはなるわで、あまりいいことがありませんでした。

 このあたりに来ると、「かわうそのすむ町」といったキャッチフレーズの看板が多く目に付くようになり、ああ、そんなケモノもいたかなあと思い出します。
 ニホンカワウソなんて、もう絶滅してんでしょ。トキみたいに中国から輸入すりゃいいのに。

 港町手前のスパーで昼飯(スーパーカップのカレーうどんと菓子パン)を食い、さらに歩くと、国道は再び磯辺に出ます。
 メシを食って元気が出て来たので、十三仏の真言を覚えながら歩くことにしました。
不動明王
「ノーマクサンマンダ バザラダン センダン マカロシヤダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」

釈迦如来
「ノーマクサンマンダ ボダナンバク」

大日如来
「オン アビラウンケン バザラ ダトバン」

虚空蔵菩薩
「ノウボウ アキヤシヤ キヤラバヤ オン アキシヤ マリボリソワカ」

薬師如来
「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」

などなど。こういうの覚えとくと格好いいよね。
 特に薬師如来の真言は、ケガを治す呪いとしてこれを唱えるとよいという言い伝えもあります (「痛いの痛いの飛んでけ」と同じ用法)ので、覚えておいてもよいかと。

 そうこうしているうちに日が暮れ、いつものように晩飯を買う店がなかなか見つからず、ようやくタコ焼き屋が開いているのを見つけてタコ焼きを買い、浜辺に降りて草地にテントを張りました。
 近所の犬がワンワン吠えてやかましいですが、無視。
 買ったタコ焼きは、タコ焼きの中にマヨネーズが入っていて、パッケージの説明によれば「マヨたこ」の登録商標で特許出願中だそうなのですが、中に入れようと上からかけようと、味にはあまり変わりがないような気がしました。
 むしろ、マヨネーズが嫌いな人もいるし、量も調節できるから、別にした方がいいんじゃないのかな。
と言うと、たぶんタコ焼き屋の社長は
「じゃあなにか、お前はアンパンもパンとあんこを別にした方がいいってのか、肉まんも肉とまんじゅうを別にした方がいいってのか、ええ、どうなんだコノヤロ」
と襟首を掴みかかってくるに違いない。

 テントの設置場所が斜めなので、寝てるうちに身体がずり下がって行きますが、何とか寝ました。
謎の石仏群
謎の石仏群

 ところで。夕方、海沿いの細道で謎の石仏(?)群を見つけました。
ちょっとした岬の突端、「四国のみち」の立て札の根元に、地蔵とも道祖神ともつかぬ石仏(?)や、マジックで目鼻が描かれた謎の小石などがごっちゃりと積まれておりました。
何か信仰的な習俗なのか、子供のいたずらなのか、よくわかりません。
 どなたか、何かご存じでしたら是非ともご一報ください。
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11月16日

 昨夜テントを張った浜辺はナントカ浜といって(もう名前忘れた)、後醍醐天皇の第一皇子、尊良親王という人が、鎌倉幕府によって四国に流された時に上陸したという伝説のある、ゆかしい海岸でした(どうってことない砂浜だったけど)。

 足摺岬の金剛福寺まで、残るは約60km。作りかけの大規模海岸公園を抜け、小汚い港町を抜け、 サーファーが波間に漂う海岸を横切り。
 昼飯はサーファー向けっぽい、浜辺の小店に入りました。店先にビーチパラソルが出てるような感じの軽食屋です。
 客は、近所のばあちゃんと土木作業員。ばあちゃんは、ばあちゃんのくせに昼間から缶ビール飲んでました。
 ぼくが注文したのは焼きそばの大盛り。食い物の美味不美味は人それぞれですが、僕にとって四国の焼きそばはどうも不味いと判断せざるを得ないようです。  どろどろしたソースにまみれた野太い麺。徳島の13番札所近くの「はじめ食堂」で食べた焼きそばとほぼ同じでした。紅生姜もついてなかったし。
 会社員時代、夜食でペヤングを食べ続けて舌が肥えてしまったのでしょうか(ひでえ言いよう)。

 とりあえず腹は膨れたのでぼちぼち歩き出すと、しばらくして貴船神社がありました。実は前日も海岸沿いに貴船神社があるのを見て、へえ、こんなところにもあるんだ、と関心していたところでした。
 京都で貴船神社にお参りして来たこともあって興味が湧き、由緒書を見て見ると、例の尊良親王が四国に来る折り、京都の貴船神社から、御神体の鏡などを勧請して来て、嵐に会いながらも上陸できたのは貴船の神の御守護のためとして、この場所に社を建てて御神体を祭り、それ以来海運の神として崇敬されているそうです。
 てことは、ほんとの貴船の御神体は四国のど田舎のこの神社にあるってことなんでしょうか。
四万十川と渡し舟
四万十川と渡し舟

 謎の貴船神社から100mもいかないうちに、清流として名高い四万十川の河口に出ました。
 渡し舟があるらしいので河口の港に向かってきょろきょろしながら歩いていると、自転車に乗ったおじさんが通りかかりました。
ぼくが何も言わないのにおじさんは、
「兄さん渡し舟乗るの。今渡しの人が家にいるかどうか確かめてやるね。もしいればすぐ渡してくれるから。そうでないと午後二時まで待たなきゃいけないからね」
といって、携帯電話をかけてくれました。電話に誰も出ないとわかると、おじさんは
「いい、あの砂利の山の向こうに渡し場があるから。この道まっすぐいけば着くからね。今自転車で渡しの人の家に行ってあげるから、待合室で待ってなさい」
といって、いずこへともなく自転車に乗って行ってしまいました。
(へえ、なんかよくわからんけど、親切だなあ)
と思いながら歩いて行くと、おじさんの言われたとおり進んだつもりだったのですが、遠回りしてしまってようやく渡し場に着きました。ちっぽけな渡し場で、待合室と言っても田舎のバス停程度です。
 やれやれと椅子に座って待っていると、さっきの自転車おじさんがヒイフウいいながらやってきて、
「渡しの人は呼んできても、こんどはあなたがいないでしょ。探しにもう一周してきちゃった」
とのこと。いやはや、どこまで親切なんだか。
話しているうちに渡し舟(小型ボート)の運転手さんがやってきたので、
「いやー、これで安心して事務所に行けますワ」
といいながら自転車おじさんは去っていきました。
もちろん、ぼくは何度もお礼を言いました。
財布に1000円しかなかったので渡し賃が心配だったのですが、なんと一人100円とのこと。
渡し守(いい響きだ)のおじさんは中村市から月給をもらっているのだそうです。
昔はこうした渡し舟が方々にあったのですが、橋などができて今ではほとんどなくなりつつあるのだと、解説板に書いてありました。
 本来の運行時間外。しかも乗客はぼく一人。それで四万十川を100円で渡れるとは、なんたら贅沢なんずら。
 四万十川は日本一の清流だそうですが、水は普通の川と同じでした。河口だったからかな。

 四万十川を渡ると、今度は土佐清水市に入ります。国道321号に出て、山中の退屈な道を歩きました。
 途中、ドライブインわきの公衆トイレで充電していると、遍路の団体客がバスでどっときて、その中のおばさんの一人が
「荷物になるかも知れんけど、食べて」
と、みかん10個と柿4個を接待してくれました。
 やたら重いので、近くにいた歩き遍路の夫婦におすそわけしようとすると、
「私らもリュックに入り切れないほどもらいましたので」 と、手を合せて辞退されてしまいました。このご夫婦は見たところ70代、銀マットをくくりつけた大きなリュックを二人とも持っています。
今日はこの公衆トイレのベンチで寝るとのこと、たいした爺婆がいるものです。

 仲睦まじくマッサージしあっている夫婦と別れ、ぼくはその日、さらに数km先の入の加江という漁港の神社の境内にテントを張りました。
 晩飯は、スーパーで買ったおでんと、コロッケと、発泡酒と、パンです。おむすびやお寿司がなかったので、どうもちぐはぐなメニューになってしまいました。
 どれも冷めて冷たく、それを発泡酒で胃に流し込んだら、腹が冷えたのか少し腹痛になりかけました。季節的に、これからは焼酎にでも切り替えるべきなのでしょうか。

 ついに厚着レベル5を発動し、上半身だけレインウエアを着て寝ることにしました。
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11月17日

 やっぱゴアテックスのレインウエアは温かかったです。このぶんなら、少なくとも今月中は大丈夫でしょう。これでもきつくなったら、ラクダのシャツでも買おう。

 パンとコーヒー牛乳の朝飯。小便がしたくなって、人目のつかないところというと神社の裏、 つまり本殿の真裏、一番神聖な場所のはずのところで失敬してしまいました。
 昨夜もすみっこの方で立ち小便してしまったので、2回分のお詫びとして20円、お賽銭箱にいれときました。罰あたるかな。

 足摺岬まで、約28km。道は、眺めのいい海岸沿いです。「鯨の見える道」と愛称がついていますが、正確には「鯨が見えるかもしれない道」だと思います。
 鯨の潮吹きでも見られれば最高ですが、ぼくに見えるのは、沖の方で小魚がぴょんぴょん跳びはねてるのだけです。トビウオでもなさそうだけど、あの魚はなんであんなに跳びはねてるんだろう。

 高知県の道路標識には、「はっきり道しるべ」などと書いてあることがあります。
道しるべなんだから、はっきりしてることが大前提じゃないか。
なんか、落語会のタイトルが「おもしろ寄席」なのと一緒で、アホっぽい。
 高知の道路地図看板には、地名のボタンを押すと該当する場所のランプが点灯するのがあって、 「はっきりくん」と愛称がついています。
 とりあえず「くん」とか「さん」とか「ちゃん」をつけて、無理やり擬人化して強引に愛称にしてしまうという風潮はずいぶん以前からあるようですが、ハシリはどのへんからでしょう。
 「むじんくん」「お自動さん」など、無人契約機が出回ったころにかなり広まったと思いますが。
某自治体では、職員が出張して行政サービスの説明をする講座の愛称を「いきますくん」と名付けておりましたが、愛称だけ聞いてもなんのことやらさっぱりわかりません。
 看板やら出張講座やら、そんなもん擬人化する必要ねえじゃねえか。
 そもそも、愛称つける必要もないと思うし。

 ついでにいうと、2002年には高知で国体が開かれるということで、今この県にはイメージキャラクター「くろしお君」がはびこっています。
 黒潮の波頭をキャラクター化したようなのですが、ぬっぺりとした頭と体に、ぞんざいな手足がついた、海坊主の奇形児みたいな哀れな生き物です。
 そんなのが町のあちこちの看板で、野球したり、水泳したり、剣道したり、いろいろ無理してます。たぶん何百万円もかけて着ぐるみ作ってるんだろうな。
 一人じゃ可哀想だから、とりあえずピンクに色塗ってリボンつけて「あかしおちゃん」ての作ってあげればいいな。

 道端で、昨日もらった柿を食いながら、たまっていた日記を打ちました。
 私は子供のころ柿が嫌いでした。道路で潰れて蝿がたかった熟し柿が、汚らしくて大嫌いだったからです。
 大人になってからもあまり進んで食べることはなかったのですが、四国に来ると今の季節柄、ミカンと柿はダダクサモナクくれます。
 お接待なので食べなければと思い、柿をよく食うようになりました。おかげで不味いものだという先入観はとれつつあります。
私の親などは、もうどろどろに熟したやつをじゅるじゅる音を立てながらうまそうに食うのですが、さすがにまだそのレベルに達してはいません。

 休憩を終わって歩いていると、通りがかりのおばあさんが
「えらいなあ」
といってまたミカンをくれました。
昨日もらったミカンがまだたくさん残ってるのに。食っても食っても減りません。
 このミカン、質屋に流せないかななどと思いながら歩いていると、うまいことに向こうから、歩き遍路のおじさんがやってきました。
静岡県から、数年かけて区切り打ちしに来ているという人で、
「すいませんけど、もらってくれませんか」
と、うまく半分片付けました。

 海岸沿いに、小さな漁港をいくつも通り過ぎます。
 さすが高知だけって、鰹節の匂いが漂って来ます。
 途中いい食堂でもあれば寄ろうと思ったのですが、海水浴場など砂浜がある海岸は午前中のうちに通り過ぎてしまい、田舎の漁村に来ると、食堂も商店もほとんどありません。
 結局きのう買ったピーナッツチョコ(一口サイズ徳用)と飴で食いつなぎ、納経締め切り10分前についに金剛福寺に着きました。
 車一台がようやく通れるような狭い道、ろくに人家もなかったような田舎道が、もじゃもじゃした木の群生林(天然ツバキらしい)を抜けるととたんに開け、土産物屋の立ち並ぶ観光地に出るのです。
 足摺岬の「足摺り」というのは、「蹉(さ)だ(漢字が出てこん、足偏に陀の右側)」ともいい、悪魔退散のための仏教の修法の一つで、昔偉い坊さんがこの岬で足摺りをして魔物を退けたためにこの名がついたとか。
 五来重(仏教民俗学者)によれば、九州などにも佐多岬とか佐田とかいう地名がありますが、 これらは昔、修行者らが海岸沿いを巡り歩き、岬で足摺りの儀礼を行ったことに由来するのだとか。 (この足摺りってのは、いわゆる「反閇(へんばい)」と同じものなんですかね。よく知りませんが)

 そうした修験者の海岸沿いの修行ルートが、現在四国で遍路道として残ったのだそうです(四国巡礼を一般人も歩くようになったのは室町末期から江戸時代初期あたりからだそうです)。
 つまり、かつては九州などにも海岸沿いに修行者のための「遍路道」があったわけですね。

 コムズカシイうんちくになってしまい失礼しました。

 寺は団体遍路で大にぎわいでした。納経所の寺男も無愛想なじいさんで、
「通夜堂などありましたらお借りしたいんですが」
と言ったら
「ないよ」
とあっさり言われました。

 晩飯は門前の土産物屋の2階のレストラン。
「鯨たたき定食」にひかれましたが、2500円もするので躊躇し、1300円のカツオタタキ定食にしました。
 薬味たっぷりのカツオをあつあつご飯に乗せて食う。
 旨かった。久しぶりにまともな飯を食いました。ご飯をおかわりしました。

 ザウルスを充電していたのでゆっくり食い、ようやく勘定を済ませて外に出るともう他の店はシャッターを降ろして真っ暗。道も人っ子一人歩いていません。
 店に悪いことしたなと思う反面、もうすこし遅れていたら飯抜きだったかと、ぞっとしました。

 テントは近くの駐車場のトイレわきの芝生。少し風は強いけど、観光地なのできれいなトイレはたくさんあるし、コンセントもあるから充電仕放題だし、さすが暴走族も来なくて静かだし、天気は晴れて星がきれいだし、野宿環境としては最高です。
 月が糸のように細くて、空が濃いので天の川までよく見えます。
 あしたの朝は早起きしてご来光を拝むぞー。

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