四国巡礼てくてく編(土佐4)
四国巡礼てくてく編(土佐4)
夜遅くまで日記を打ったり充電したりで寝不足でしたが、足摺岬からの朝日が拝みたくて朝六時過ぎに起き、急いでテントを畳んで展望台にかけつけました。
風が強かったせいか、夜露もなくてすぐにテントが畳めたのと、水平線間際にのさばっていた雲のお陰で、今日最初の日の光に間に合うことができました。
展望台は足摺岬化観光のメインスポットで、ぼくと同じ意図の観光客がすでにひしめきあっておりました。
日の出を待っているときに、自転車で巡っている橋本さん(♂)と話をしました。
自転車なら楽でしょう、とぼくが言うと、焼山寺への道など、登坂では苦労しているそうです。
いいじゃんかなあ、そのぶん下りがあるんだし、などとぼくなどは思ってしまうのですが、まあ、四国遍路はそれぞれのレベルで苦行があるのでしょう。
観光バスで回ってても
「酔った」「けつが痛い」「隣席の男のシャレがつまらん」
など、悩みは尽きないことでしょう。
その橋本さんに聞いたら、昨日今日と流星群が見られるんだそうで。そういや昨夜深夜ドライブに来てた学生さんたちが
「あ、流れ星!」
などとゆっとったなあと、思い出しました。昨夜の星空は格別だっただけに、じっくり夜空眺めときゃよかったかしら。
足摺岬の日の出
|
日が差して来たのは7時過ぎだったでしょうか。とりあえず日が射したのを見届けると、観光客さんたちは満足して帰ってしまい、ぼくは残って、一人のんびりと岬の風景を絵にかいておりました。
しかし半刻もしないうちに、団体さんたちが記念撮影に次から次へとやってきました。
休日はすごいですね。写真屋さんもおおわらわでした。団体さんたちはガイドさんに
「はーい時間がありませんので移動してくださーい」
と、まるで番犬に先導される羊の群れのようにぞろぞろと流れて行きます。あんな旅は修学旅行だけで十分です。
足摺岬には七不思議があって、
足摺岬、定番の風景
|
「地獄に通じる穴」(今は塞がってる)
「親孝行の度合いを計るゆらぎ石」(こんなでかい石動くか)
「丈が伸びない根笹」(そーいう種類なんだろ)
「潮の干満で水量が変わる手水鉢」(誰か観察したんかい)
「弘法大師が爪で南無阿弥陀仏と書いた石」(読めねえよ)
などといった、こんなものがなんで今に伝えられているのかということ自体が不思議なものたちです。
ただ「白山洞門」という海食洞はかなりの迫力で、さすが観光名所のことだけはあると思いました。
そこで絵を書いていると若いカップルが来て写真を撮ろうとしていたので、ぼくが撮ってあげました。
ぼくがこんな親切をする気になったのも、女性の方がさほど美人ではなかったからでしょうか。
その後ジョン万ハウス(ジョン万次郎の記念館)を見ました。
ジョン万さんは偉いですね。遭難してアメリカ船に救助されてアメリカに渡ったのは偶然だからいいとしても、その後しっかり勉強したうえ、ゴールドラッシュで稼いで金をため、23歳で船を買って自力で日本に帰国してるところが偉い。
彼と一緒に救助されアメリカに渡った日本人もいるのに、彼らは完全に歴史の表舞台からは消えてる訳です。
昼飯は近くの店で鶏のピリカラ揚げ定食を食いました。トリの唐揚だからモモ肉だろうと思ったらムネ肉だったのと、ピリリと辛いのかなと思ったらしょっぱいだけだったのが残念でした。
岬から土佐清水市街まで、断崖絶壁の磯が続きます。かなりの絶景です。
竜宮神社でカッコつけてるつもり
|
旧日本軍の見張り台跡で一時間ほど昼寝をし、竜宮神社というちっちゃな神社を見物して、夜6時に土佐清水の港町に着きました。
晩飯は、半額になってた牛のタタキと、30円引きになってたホウレン草の胡麻和えと、ごはんと、土佐中村の地酒「藤娘」純米生吟醸です。
今日はのんびりしてたので13kmしか歩いていません。
39番延光寺へは50km近くあるので、着くのはあさってになるでしょう。
明日は竜串で「足摺海底館」なんかを見物しようかなあ。
昨夜テントを張ったのは、土佐清水漁港の近くの公園でした。
流星群は、結局寝ていて見ませんでした。
のんびりテントを干して、公園の隣にある「黒潮市場」とかいう漁協の土産物屋を冷やかしたあと、竜串方面に歩きだしました。
11時頃、道の駅に通りかかったので少し早い昼飯にしました。
うどんかソバに具を自分でトッピングし、その分だけお代を支払う形式のもので、特に地物の菜っ葉が50円で乗せ放題というのが魅力でした。
普段の食事が野菜不足であることは自覚しておりますので、ここぞとばかりにうどんに山盛りにしました。
腹もくちくなってしばらく行くと、勘違いした中華料理屋みたいなごてごてとした建物に出くわしました。
「珊瑚博物館」だそうで、この外観は竜宮城をイメージしているようです。
外ヅラがかなりけばけばしいので、これは期待できると思い、さっそく中に入りました。
バスツアーも立ち寄る観光スポットのようで、玄関先でくつろいでいたツアーの人たちが、私を見て
「あ、この前歩いてたお遍路さんだ」
と言うのです。
「げ、どこかで目撃されてましたか」
というと、ツアーのガイドさん(おばさん)が
「岩本寺で抜いてったんですよ。『あ、お遍路さんが歩いてはる』ってみんな振り返ってねえ」
とのこと。恐ろしや。
「へえ、長野から来てるの。あちらには善光寺さんって立派なお寺があるのに、なんでまたこんなところへ」
と言われて、答えに困りました。
実はこの質問、数日前も交通整理のおっさんからされたことがありました。このあたり(四国地方)では、善光寺信仰がさかんなようです。
「人が死ぬと魂が善光寺参りに行く」
といった伝承もあったように記憶しています。
300円払って展示室へ。中は珊瑚を使った彫刻コーナーと、、サンゴの生物学的な説明コーナーに分かれておりました。
前者は赤いじゅうたんが敷かれていて、展示ケースの裏が金張りになっていたりしてゴージャスなのですが、後者になると途端に手抜きになり、パネルは脱色しとるわ、電球は切れとるわ、標本は干からびとるわ、哀れな有り様でした。
特に「海底をジオラマで再現した」コーナーは、薄暗い中に干からびた魚の干物が糸でぶら下がってるような、もう投げやりな展示でした。
珊瑚細工コーナーはかなり派手で、珊瑚で作った実物大の虎だの、珊瑚で作った名古屋城(なぜ高知城じゃないんだろう)だの、珊瑚を貼って作った絵だの、お宝が目白押しでした。
その他にも、一本の珊瑚を削って作った彫刻がずらりと並んでおりました。
しかし題材がワンパターンで、「七福神」「唐美人」「龍」ばかりだったので、じきに飽きました。「珊瑚で作ったマリリン・モンロー」とかが、絶対あるだろうと期待してたのに。
それにしても、珊瑚は随分高価なお宝なのでしょうが、私の中で今一つ感動がありません。
なぜかというと、珊瑚はプラスチックにそっくりだからです。
昔はああした光沢のある物が少なく、珍重されたのでしょうが、現在では新品のプラスチック製品ならほとんど見た目が同じです。
プラスチックの光沢や質感に慣れてしまった私の目には、珊瑚の光が安っぽく見えてしまうのでした。
次に国道沿いに現れたのが「海洋館」と「海底館」。名前的に面白そうな海底館の方に入りました。
海底館は水中に屹立している塔のような建物で、サナダムシの頭のような形をしており、いわゆる一昔前の「近未来」感覚のデザインです。建設されたのが昭和47年ですから、ムベナルカナ。
海岸から鉄の細い橋を渡って中に入ると、入場料900円。ちと高いなと思いましたが、それなりのものが見られるのだろうと思って入場。
螺旋階段を下って海底へ。階段の壁には、浦島太郎や乙姫様の手書きの絵が貼ってあって素朴な味を出しています。
海底のフロアには、円形の部屋の周囲に丸いガラス窓があって、濁った海中の様子が見られるようになっていました。
はっきりいってそれだけで、900円はやっぱり高いと思いました。海底人の模型がしゃべって案内してくれるに違いないと期待してたのに。
よっぽど普通の水族館の方が、いろんな魚が見られて面白いのではないでしょうか。
ただ、海の魚は岩の水草などをしょっちゅう食べており、ものを食っている生き物は見ていて飽きないので、その点はよかったです。
海底館の顔ハメ
|
帰り専用の階段を上がって海上へ。展望フロアには、あの観光地の記念撮影場などにある「顔ハメ」がありました。それも、海底館の建物の絵の真ん中に顔をはめるもので、なんでそんなものに顔をはめにゃいかんのか、理解に苦しみました。
「海底館になったつもり」になれってことなのかしら。
やれやれと思って国道に戻り、ふらふら歩いていると、目の前に香川ナンバーのバンが停まりました。降りて来たのは30代くらいの兄ちゃんで、
「今、若いお遍路さんの写真集を作っているので撮影させてくれませんか」
とのこと。
(わあお!俺ってかっこいいのかな!?)
と思って一も二もなくOKしました。
「今若い遍路さんが増えてて、どんなことを考えて遍路に来てるのかを探ろうって企画なんですよ。ではさっそく撮影を」
と、道端で撮影会が始まりました。
前いた会社で、パンフレットの取材で人を撮ったことはあるものの、撮られる側になったのは、せいぜい遠景のエキストラで背中が写るぐらいだった私。
今回自分が一人でモデルになるとあって、もう内心は得意満々。
「はい、まっすぐカメラ見て」
「杖、力強く握って」
「じゃあ今度、遠くの山を見つめる感じで」
「はい、そろそろ服脱いでみよっかァ」(嘘)
などなど。
今回の写真集が出版されたら本を送ってくれるそうなので、楽しみです。
反面、自分のことなので
「あんなふうに写ってるんだろうな」
と想像がつき、現物を見て身もだえしそうな予感がして恐いです。
これからも若者遍路を捕まえにゃならんという写真家氏に
「頑張ってください」
と言って別れを告げ、その夜は通りがかりの店で菓子パンを買い、国道沿いの海岸に面した崖っぷちにある叶崎展望台でテントを張りました。
展望台だけあって夕日と月がきれいで、パンをかじりながら眺めていたらずいぶんと蚊に食われました。
まだいますね、蚊は。
今月も早くも下旬となってしまいました。
私の方はと言えば、なかなか寺数が稼げません。こんなことで今年中に打ち終わるのでしょうか。
叶崎の展望台での一夜は、崖下の波の音がかなりうるさかったです。
宿毛市内までは30km、そこから郊外にある39番延光寺は約8km、合計38kmを今日は歩く目標で、7時20分に出発。
叶崎のある大月町の海岸は月の灘といって、沖合で珊瑚が採れることで有名な場所です。
ぼくは坂東真砂子のファンで、『桃色浄土』という小説がちょうどこのあたりを題材にしており、桃色珊瑚と補陀落渡海をテーマにしていることもあって、ちょっと感慨がありました。
お月さん桃色
誰ん言うた 海女ん言うた
海女ん口 ひっ裂け
江戸時代、土佐藩は珊瑚の漁を禁じ、珊瑚が採れる場所を秘密にしました。この童歌は、月の灘で桃色珊瑚が採れることを暗示した歌だということです。
ロマンですねえ。
その大月町の国道沿いには「道の駅大月」があり、芝生やアスレチックのある「ふれあいパーク大月」があり、門柱には「ふれあいの里 大月」の文字、そしてエントランス付近のベンチの全てに
ペンキの汚い字で「ふれあいベンチ」と書かれているという、
筋金入りの「ふれあい王国」でした。
そんなに「ふれあい」が好きなら町名を「ふれあい町」にすりゃいいのに。
必死こいて歩き、延光寺まであと2km地点で、コンビニとは名ばかりの普通の商店で晩飯の弁当を買いました。
弁当の陳列棚を蟻の行列が這っているという、店のおっさんに説教の一つも垂らしてやりたくなるような店でした。
寺まで1kmという所まで来て、健康ランドに巡り合いました。入浴料600円ということで、早速入ることに。
薬王寺の千羽温泉に入って以来、なんやかんやで約20日ぶりの風呂です(汚すぎ)。
身体をこすると、垢太郎が作れそうなくらい垢が出ました。特に、いつもまくり上げて日に焼けている腕の部分の垢がすごかったです。
身体中まんべんなくこすり上げると、さっぱりした反面、寒さに敏感になりそうな気がして恐くなりました。
また、ジェット風呂を使って足の裏をマッサージするとすごく気持ちいいことも発見しました。
身体はきれいになったものの、脱衣場の自分のロッカーを開けると「むわ」と汗くさい匂いが立ちのぼります。服も日間洗っていないので、せっかく身体を洗ったのにもったいない気分です。
早くどこかで洗濯せねば。
この健康ランドは、追加料金1000円を出せば2階の休憩室で泊まることがでるとのことでした。
風呂に入って心身ともにぐったりした状態だったので、よっぽど泊まろうかと思いましたが、寺の駐車場でテントを張ろうと決めていたので、自らを奮い立たせて夜道に戻りました。
ようやく着いた延光寺の駐車場は、宿坊のすぐ脇で少々狭く、少し気兼ねしそうになりましたが(本来は気兼ねすべきなのでしょうが)、明日朝早くテントを畳めばいいやと開き直り、そそくさとテントを張ってもぐりこみました。
その晩、自宅の家族との電話で私の携帯電話の先月分の請求額が2万を超えているとのこと。
おったまげました。
現在私は南信州ローカルのプロバイダに入っており、旅先からのインターネットで携帯電話の長距離通信をしていたせいです。
とくに四国に来るまでは、地図情報をマピオンのサイトで検索していたので、それで通話料がかさんだに違いありません。
電子メールのやりとりは、さほど時間食ってないと思うんですが。
今のプロバイダとの契約ももうじき更新時期だし、早くOCNあたりにくらがえしなければ。
と思い、家族に手続きの代行を頼むことにしました。
DoCoMoの料金プランも見直さなきゃいかんな。うう、面倒臭い。四国のドコモショップで手続きできるのかな。
そんなことを考えながら、寝ました。