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沿革
明治22年7月14日秋田馬車鉄道として新大工町〜土崎間(5.1km)が開業
明治42年秋田軌道に改称
大正9年秋田電気軌道に改称
大正11年電気運転開始
昭和5年秋田電車に譲渡
昭和6年12月17日秋田駅前〜県庁前間(1.1km)が開業
昭和7年2月15日県庁前〜大町間(0.2km)が開業
昭和14年11月7日秋田駅前〜大町間(1.3km)が廃止
昭和16年4月1日秋田市に譲渡し秋田市交通局となる
昭和25年9月1日県庁前〜保戸野信号所間(1.5km)が開業
昭和26年2月7日秋田駅前〜県庁前間(1.1km)が開業
昭和34年4月1日新大工町〜信号所間(0.5km)が廃止
昭和40年12月31日全線運行停止
昭和41年3月31日秋田駅前〜土崎間(7.3km)が廃止
平成18年4月1日秋田市交通局が廃止

国鉄秋田駅が開業する13年前に軌道が敷設された、県内初の旅客営業路線です。本州最北端の路面電車でしたが、積雪のため冬季は頻繁に運休していたようです。そして、昭和30年代から始まったモータリゼーションに伴い台頭してきた秋田中央交通のバス路線網に対抗する形で軌道を廃止し、バス路線へと転換しました。
当初の起点であった新大工町は現在の大町一丁目付近にありました。秋田駅前まで延伸したときには現在の広小路の真ん中を走り、中央郵便局付近から現在の新国道に沿って土崎南小学校を過ぎた付近に至っていて、廃線跡の道路は今でも「旧電車通り」と呼ばれています。 廃止後は区画整理や道路拡張などが行われ、かつての軌道敷地はほとんど確認することができなくなってしまいましたが、専用軌道だった新国道沿いでは道路や敷地の形状からその痕跡を知ることができます。
ところで廃止に伴って不要となった車両ですが、岡山電気軌道と南海電鉄和歌山軌道線へ譲渡され、前者は7100系の台車として現在でも生きながらえていますが、後者は昭和46年限りで路線自体が廃止となっています。
なお、秋田市交通局は平成17年度をもってすべてのバス路線を秋田中央交通へ移行し、65年の歴史に幕を下ろしています。

路線概要

種別:軌道(旅客)
廃止時営業キロ:7.3km(秋田駅前〜土崎)
線路規格:直流600V電化単線 1,067mm
動力:馬→電気
停車駅名: 秋田駅前公園前木内前大町二丁目田中町県庁前表鉄砲町日吉八柳将軍野自衛隊前竜神通土崎新大工町

廃線跡

秋田駅前 あきたえきまえ
開業日:昭和26年2月7日
廃止日:昭和41年4月1日

現在のバス乗り場となっている辺りが電車乗り場でした。

晩年は電車乗り場の横にバス乗り場が設けられ、本数は電車をはるかに上回っていたようです。
公園前 こうえんまえ
開業日:昭和26年2月7日
廃止日:昭和41年4月1日

広小路です。現在は一方通行の3車線道路となっていますが、かつては真ん中の車線を電車が単線で走っていました。

この通りにあった「公園前」「木内前」の停留所は今でもバス停の名前となって残っています。
木内前 きのうちまえ
開業日:昭和26年2月7日
廃止日:昭和41年4月1日

現在のさいわい橋付近です。

電車は奥から進んできて右側にカーブしていました。

ところで右奥に「木内」の看板が見えますが、当時は県内でも最大級の百貨店でした。
しかし郊外大型店の影響により縮小の一途をたどり、店前にあるスクランブル交差点のみが往時を物語っています。

※画像にマウスを置いてみてください。
大町二丁目 おおまちにちょうめ
開業日:昭和26年2月7日
廃止日:昭和41年4月1日

竿灯大通りです。

今では片側3車線の大通りとなっていますが、当時は併用軌道の狭い通りでした。

右側に見える白い建物は日本銀行秋田支店で、電車はその横を通っていました。
田中町/県庁前 たなかまち/けんちょうまえ
開業日:昭和26年2月7日
廃止日:昭和41年4月1日

山王十字路です。

電車は右側から進んできて奥の道路へと大きくカーブしていました。
表鉄砲町 おもててっぽうまち
開業日:昭和25年9月1日
廃止日:昭和41年4月1日

右側に見える茶色の建物は中央郵便局です。

軌道はここから郵便局のある辺りへ進み専用軌道へと入っていきました。

また、右側へは新大工町停留所への支線も分岐していました。
日吉 ひよし
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

泉小学校付近です。

専用軌道は現在の新国道の東側を通っていました。

廃止後、軌道跡のほとんどは区画整理されて宅地などに変わってしまいましたが、所々で道路の一部として残っています。

左の写真は泉小学校付近に残る、道路となった軌道跡です。
八柳 やつやなぎ
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

軌道跡はほとんど道路や宅地などに転用されているのですが、ここはおそらく唯一残った「廃線跡」です。

非舗装のまま残されており、線路を撤去した当時の姿そのままではないでしょうか。

奥には野村・田中公民館が建っていますが、その先にはまっすぐ軌道跡が延びています。
(外旭川)

上の写真の先です。

軌道跡がまっすぐ延びている様子がよくわかります。

横切っている道路は県道72号線で、右に進むと奥羽本線をくぐるアンパスです。
(草生津川)

ここでは草生津川を渡っていました。

廃止後しばらくは歩行者専用の狭い橋に転用されていましたが、現在クルマも通ることができるように架け替えられ、「向山橋」と命名されています。
将軍野 しょうぐんの
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

線路は単線でしたが、ここには行き違い設備があり、ホームは島式でした。

道路右側にある松は当時からのものです。

※画像にマウスを置いてみてください。
自衛隊前 じえいたいまえ
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

奥に見える信号機がある交差点を右に進むと自衛隊駐屯地で、左に進むと新国道に突き当たります。
(土崎南小学校付近)

右に見える青い屋根の建物が小学校です。

学校の前を電車が走っていたこともあり、電車は通学の子供たちでにぎわったそうです。

ちなみに開校した昭和36年には児童数が1,000人を超えていましたが、現在は3分の1以下にまで減っています。
竜神通 りゅうじんどおり
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

見た目はここが軌道跡であることを示すものは何もありませんが、地図上では「旧電車通り」と表記されています。
土崎 つちざき
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和41年4月1日

終点付近です。

道路の中央に島式ホームがあり、その両側に線路が延びていました。

周囲には商店街もなく人通りもまばらですが、当時から閑散としていたそうです。

新大工町 しんだいくまち
開業日:明治22年7月14日
廃止日:昭和34年4月1日

開業当初はここが起点でした。

秋田駅前まで路線が延伸した後も、現在の中央郵便局付近にあった信号所から支線として分岐していましたが、昭和34年に廃止となっています。

▲TOP2005/4/3〜2008/3/2撮影
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