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沿革
元禄13年(1700年)個人により鉱山発見
天文3年(1738年)佐竹藩直営へ
昭和15年閉山に伴い廃止
 ※資料不足により、専用線の開業日は不明  

荒川鉱山は、古くから全国屈指の鉱山として発展してきました。明治以降に三菱合資会社の所有となってからは大規模な開発が行われるようになり、削岩機の導入や発電所の建設などが進みました。そして明治末期には水平坑道下180m、坑道総延長35,000mに達したと記録されています。 明治30年には電灯がともり、鉱山内には病院を始め市場や劇場、銭湯などが設けられ、大正元年には従業員が2,100人にも達したそうです。しかし、昭和4〜5年頃に衰退のきざしが見え始め、昭和15年に閉山となりました。 鉱山跡地は観光坑道「マインロード荒川」として整備されており、製錬所跡地は町営の「モーターサイクル場」となっています。また、山肌には重厚な選鉱場の遺構も残されています。
ところで軌道ですが、羽後境駅から鉱山まで約10kmの道路併用の人車軌道でしたが、その後、動力が馬力になっています。また、大正12年までは羽後境〜上荒川間を森林鉄道と共用していました。

路線概要

種別:軌道(貨物)
廃止時営業キロ:[不明]
線路規格:非電化単線
区間: 羽後境荒川鉱山

廃線跡

羽後境 うごさかい

起点の羽後境駅では、北側に多くの支線と側線がありました。

現在でも随所に空き地が広がっています。

 

(羽後境〜荒川鉱山)

道路に転用された廃線跡です。

大正12年から昭和15年までは、荒川鉱山軌道と並走していました。

国道13号線との合流点です。

軌道は現在の国道13号線の位置を山裾に沿って進んでいましたが、国道の建設に伴い痕跡は消滅してしまいました。
(当時の国道は境集落の中を通っていました。)

軌道は、現在の国道13号線と46号線の分岐点付近から46号線側に直角に曲がっていました。

左の写真は岸館地区内にある、軌道跡と思われる道路です。

上荒川地区の集落を通る道路が旧国道で、軌道はこちらに敷設されていました。

集落の東端には、宮田又沢川を渡る上荒川橋がありますが、現在の橋のすぐ南側に旧橋が残っており、軌道はこの橋の上に敷設されていたと思われます。

橋の上は芝生のようになっているので一瞬見分けがつきませんが、橋の下に今にも倒壊しそうな橋脚があるのが確認できます。

三軒屋地区からは国道を離れ、荒川の北側を進んでいました。

現在も林の中を細い舗装道となって貫いています。

鉱山軌道最大の遺構です。

軌道はここで荒川を越えて鉱山施設へと向かっていました。

橋台付近には橋の由来についての説明板が設置されています。

なお、この橋以外にも付近には労働者宿舎や病院などの設備があった旨の説明板が随所に設置されていますが、その跡地には木が生い茂ってしまい、かつての繁栄をうかがうことはできません。

 

荒川鉱山 あらかわこうざん

この付近には製錬所がありました。

木々の中から顔を出している煙突がそれを物語っています。

なお、跡地はモーターサイクル場として整備されています。
 
選鉱場の重厚な設備は今でも山肌に残っており、威容を誇っています。

なお、坑道の一部は観光坑道「マインロード荒川」として整備されています。

▲TOP2005/5/3・11/5撮影
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