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沿革
大正11年4月21日五城目軌道として一日市〜五城目間(3.8km)が開業
昭和18年6月26日社名を秋田中央交通に改称
昭和25年1月20日全線電化
昭和40年6月1日一日市駅を八郎潟駅に改称
昭和44年7月11日八郎潟〜五城目間が廃止

本来ならば奥羽本線は五城目を通る予定だったのですが、鉄道反対運動によって八郎潟経由となり、のちに不便を感じて連絡鉄道を敷設したのが始まりです。開業当初は非電化でしたが昭和25年に電化しています。一時は現在の国道285線沿いに路線を延長する構想もあったようですが、モータリゼーションの波には勝てず、昭和44年に全廃となっています。県道に並行する形で敷設されていたため、廃止後も路盤跡は歩道や道路の一部となって痕跡が残っています。 また、五城目小学校のグラウンドにしばらく電気機関車と客車が保存されていましたが、老朽化が激しいため平成15年に解体撤去されてしまいました。
ちなみに、廃線跡に沿って続く県道を今でも同社による廃止代替バスが走っており、八郎潟と五城目を結んでいます。

路線概要

種別:鉄道(旅客)
廃止時営業キロ:3.8km(八郎潟〜五城目)
線路規格:直流電化単線 1,067mm
動力:電気
駅名: 八郎潟川崎高校前五城目

廃線跡

八郎潟 はちろうがた

起点の八郎潟駅では奥羽本線の西側(跨線橋出入口付近)から発着していました。

跨線橋の下は今は駐車場になっていますが、これはかつて多くの側線があった名残です。

 

(八郎潟〜川崎)

道路となった廃線跡です。

この道路は300mほど続き県道に合流しています。

県道との合流地点です。

車道とガードレールで仕切られた左側の歩道が廃線跡です。

手前の広い歩道が廃線跡です。

奥に見える信号は国道7号線との交差点で、かつては国道を踏切で横切っていました。

歩道となった廃線跡がまっすぐ延びています。

奥に見える高架橋は秋田自動車道です。

 

(廃止代替バス)

鉄道廃止後は同じ秋田中央交通が代替バスを走らせており、現在も20往復ほどの便数があります。

写真は廃線跡に沿って走る五城目行きバスです。

 

川崎 かわさき

川崎駅は今もホームが健在です。

ホーム上には松の木が整然と植えられているので、これがホーム跡であることを知らなければ単なる植え込みだと思ってしまいそうです。

一時は秋田自動車道建設の際に撤去されるのではないか、との憶測もありましたが、幸い難を逃れています。

 


川崎駅を出ると30mほど廃線跡が続いたあと県道に吸収されてしまい、この先は痕跡を確認できなくなっています。

かつてはこのまま県道の北側を進んでいたようですが、県道拡幅と宅地化により往時の面影は消えてしまいました。

この辺りは県道から離れて築堤の上を走っていました。

今は水田にその姿を変えていますが、ここだけ周囲より高い位置にあり、かつて築堤があったことを物語っています。

当時の航空写真と比較してこの付近の廃線跡位置が南側に寄りすぎているのが気になりますが・・・

県道から築堤跡を見ると水田の景色に惑わされてしまいますが、近づいて土盛の切れ目付近(上の写真では奥の角付近)を見ると橋台跡と思われるコンクリート構造物が残っているのが確認できます。

上の写真の橋台から五城目側の10mほど先にも橋台はあります。

こちらはもっと形が整っていますが、低い位置にあるせいか、中はゴミ捨て場と化していました。

かつてはここから高校前駅まで築堤が続いていたと思われますが、現在は水田と民家にその姿を変えています。

ちなみに、右奥に見えるピンクの建物は湖東総合病院です。

築堤はこの付近で県道のすぐ南側を通っていたようです。

廃線跡には民家が建ってしまいましたが、その裏手には築堤の残骸のような敷地が広がっています。

 

高校前 こうこうまえ

高校前駅跡で、現在はバス乗り場となっています。

この空き地が当時からのものかは不明です。

ところで「高校」とは五城目高校のことであり、かつては駅北側にあったのですが、現在は馬場目川を越えた南側に移転しており、バス停も「五城目高入口」となっています。

 

(高校前〜五城目)

線路は奥から手前に続いていたようですが、道路の拡幅などにより痕跡は確認できなくなっています。

奥に見える信号は国道285号線との交差点です。

 

五城目 ごじょうめ

手前の道路付近に終点の五城目駅がありました。

当時は側線が何本もあり、駅前もかなり活気があったということですが、写真中央の朽ち果てた看板跡が象徴するように、今では閑散としています。

なお、奥にバスがたくさん並んでいるのが見えますが、これは秋田中央交通の五城目バスターミナルで、ここがかつて鉄道の終点であったことを物語っています。

駅跡横には五城館という観光案内施設がありますが、これは農業倉庫だった建物を改造したもので、かつては貨物側線が延びていました。

建物入口横にある駐輪場にはそのことを示す案内板も設置されています。
▲TOP2004/12/12撮影
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