トップページ失われた鉄道>奥羽本線旧線(陣場〜津軽湯の沢間)サイトマップ

沿革
明治32年6月21日国鉄奥羽北線として碇ヶ関〜白沢間開業
明治42年10月12日福島〜青森間全通に伴い、線路名称が奥羽本線に変更
昭和45年11月5日複線化に伴い新線が建設され、旧線は廃止

この区間は開業当初は国道7号線沿いに敷設されていました。しかし、急勾配と曲線が連続していて輸送上の隘路となっていたことから、複線化に際して直線状に矢立トンネル(3,180m)が新設されました。これにより最急勾配は25‰から10‰へ緩和されました。もともと国道7号線に沿っていたこともあり廃線跡のルートを辿ることは容易で、随所に放棄されたトンネルや橋脚などが点在しています。また、陣場駅前には峠越えに備えて蒸気機関車に石炭を積み込んだ貯炭槽の残骸も残っています。

路線概要

種別:鉄道(旅客・貨物)
線路規格:非電化単線 1,067mm
動力:蒸気
区間: 陣場側津軽湯の沢側

廃線跡

 
旧陣場駅です。

左側の小高い部分がホーム跡です。

ところで、廃線跡にもかかわらず真新しいレールが敷かれ、架線も張られていますが、これは保線員の架線工事の訓練をするためのものです。

ホーム跡にはなぜか駅名標の外枠が残されていました。

この周辺は土木工事によりホーム自体その原型をとどめていないというのに、何故外枠だけが残っているのか不思議です。

貯炭槽の残骸です。

かつてはここで奥羽本線の難所である矢立峠を越えるため蒸気機関車へ石炭を積み込んでいました。

陣場駅から150mほど先には下内川を渡っていた第2下内川橋梁のプレートガーダーが残っています。

橋脚は明治期に造られたものであるため、風化がかなり進んでいます。

陣場集落に残るコンクリート橋です。

しかしその前後にあった築堤は削られたため、今は畑の中で異彩を放っています。

道路橋の下に旧線の橋台が見えます。

この区間は当時、国道は陣場集落の中を通っていて、写真に見える道路橋もありませんでした。

国道と並走する廃線跡です。(道路左側のスペース)

道路拡幅に備えているのか、敷地は草木が刈られるなど手入れがされています。

最近まで廃線跡にはトンネルや橋台などが随所に残っていましたが、現在国道7号線の直線化工事が進められていて、トンネルが貫いていた山は削られ谷は埋め立てられるなど、地形が一変しています。

なお、道路右端には旧線の築堤が続いているのが見えます。

日影温泉の入口付近です。

国道改良工事のため山が大きく削られており、旧線跡は完全に消滅してしまいました。

矢立温泉旅館の手前には立派な第6矢立トンネルと橋台が残されています。

それにしても明治期に造られた重厚な坑門には圧倒されます。

旅館の横には巨大な橋脚も健在です。

奥のレンガ造りの橋脚が極端に短くなっていますが、数年前までは手前の橋脚と同じ高さでした。
地震や水害などで倒壊してしまったのでしょうか。

第6矢立トンネル(青森方坑口)を正面から見た景色です。

坑口は塞がれることなく、ポッカリと不気味な口を開けています。
 
上の写真の撮影位置の後ろには第5矢立トンネルも残っています。

しかしこちらは坑口が塞がれています。

▲TOP2005/4/24撮影
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