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沿革
昭和12年6月10日国鉄船川線の貨物専用線として船川〜船川港間(1.8km)が開業
昭和43年4月1日線路名称を男鹿線に変更し、併せて船川駅を男鹿駅に改称
平成14年1月1日貨物輸送が廃止され、路線も廃止

石油輸送を目的に、男鹿線の終点である男鹿駅の先にある船川港まで敷設された貨物専用線で、一日2往復の貨物列車が奥羽本線まで乗り入れていましたが、トラック輸送への切り替えにより廃止されました。廃止後、線路や枕木はすべて撤去されてしまいましたが、ほぼ全線が臨港道路に沿っているうえに廃止後間もないこともあり、容易に廃線跡を辿ることができます。

路線概要

種別:鉄道(貨物)
廃止時営業キロ:1.8km(男鹿〜船川港)
線路規格:非電化単線 1,067mm
動力:ディーゼル
区間: 男鹿船川港

廃線跡

男鹿 おが

男鹿駅構内には今でも赤錆びた側線が何本も走っていますが、現在使用しているのは左側の2線だけです。

今でも列車の入れ替えに使用しているのか、手前の踏切は現存しており、封鎖もされていませんでした。

 

(船入踏切付近)

男鹿駅から200mほど先にある船入踏切(上の写真の撮影地点)から30mほど先で線路は途切れており、その先は草が生い茂っていました。

それにしても、男鹿駅から先の線路を見ても列車が走ったような形跡はなく、何故終点からこんなに線路が続いているのか疑問です。

 

(テルハ踏切付近)

男鹿駅からさらに700mほど先にあったテルハ踏切付近から男鹿駅方面を撮影したものです。

広い路盤跡は今でもはっきりと残っていますが、踏切跡は再舗装されたらしく、道路には線路の痕跡はありませんでした。

なお、右奥に見える山は寒風山です。

 

(工場地帯)

この辺りから線路は工場地帯を通っており、かつては数多くの側線がありました。

写真手前が本線跡で、緑色フェンスの奥に側線が広がっていました。

同じく工場地帯の廃線跡です。

線路は右奥から手前にカーブしてしていました。

廃線跡を辿っていくと突然進路を白い建物にふさがれてしまいました。どうやら廃止後に建てられたものらしいです。

 

船川港 ふながわみなと

上の写真の建物のすぐ裏に終点だった船川港の跡がありました。

周辺は既に民有地となっているらしく、立ち入り禁止の札が立っていました。

駅跡は完全に更地となっており、ここに貨車がひしめいていたとはとても思えない光景になっていました。

▲TOP2004/11/23撮影
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