トップページ>失われた鉄道>東北石油 | サイトマップ |
※大正初期から昭和初期まで使用されていたと推測されますが、詳細は不明です。 |
種別: | 軌道(貨物) |
廃止時営業キロ: | [不明] |
線路規格: | 非電化単線 |
区間: | 大久保−豊川・黒川油田 |
軌道の分岐点付近です。 ここで左に急カーブで曲り、道路を横切っていました。 なお、現在は左の道路は国道101号線の旧道扱いとなっていますが、当時はこの道路が南北を結ぶ重要な街道でした。 | |
| |
(元木山付近) 奥羽本線から分岐した軌道は宮の前地区を斜めに横切り、元木山の南側に沿って進んでいました。 現在も幅広の畦道として残っています。 ただ、この先は国道7号線と秋田自動車道の開通により地形が一変しており、痕跡は完全に消滅しています。 | |
| |
豊川地区 豊川真形地区にある槻木遺跡群の辺りを進んでいました。 ところで「遺跡」というのは、天然アスファルトの採掘場跡のことで、右側に見える池は明治時代の露天掘り跡です。 この豊川地区もかつて無数の油井があった場所で、軌道はまさに油田地帯の中心を通っていたことがわかります。 | |
| |
(広域農道付近) 秋田広域農道との交差付近です。 左の堤は当時からあるもので、軌道跡もクルマ台が通れるくらいの狭い道として残っています。 この先は谷底を這うように進んでいたのですが、広域農道の建設に伴い谷は埋められてしまいました。 | |
| |
広域農道付近からは黒川地区までトンネルで抜けていました。 当然ながら坑口は埋められていますが、ここにトンネルがあったという雰囲気は伝わってきます。 | |
県道112号線との合流点です。 この道は当時から生活道路として存在していて、軌道は道路との併用となっていました。 | |
内畑地区付近の風景です。 正面に見える油井は現在でも動いていますが、実際に石油が湧出しているのかは不明です。 ちなみに路線バスはここで終点です。 | |
軌道の終点付近です。 付近には中央鉱業所有の建物や油井が散在しており、かつての栄華を物語っています。 また、油井ポンプに動力を伝えるワイヤーが随所に架設されており、周囲には「キィキィ」というワイヤーの支柱が動く不気味な金属音が響いています。 |
▲TOP | 2006/9/3撮影 |
Copyright© 2006-2009 Matagi☆Fighter | サイトについて |