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沿革
昭和3年8月10日雄勝鉄道として湯沢〜西馬音内間(8.9km)が開業
昭和10年2月13日西馬音内〜梺間(2.8km)が開業
昭和19年6月1日横荘鉄道と合併し羽後鉄道に改称
昭和27年2月15日羽後交通に改称
昭和42年12月1日西馬音内〜梺間が廃止
昭和46年7月26日非電化(架線撤去)
昭和48年4月1日湯沢〜西馬音内間が廃止(全廃)

接続する奥羽本線すら非電化の時代に全線が電化されていて、羽後町から湯沢市への通勤・通学客を電車が運んでいました。また、沿線で積み出される米の輸送なども行われていましたが、乗客の減少による経営悪化により昭和46年には非電化となり、昭和48年には全線が廃止となってしまいました。廃止後は大規模な土地改良整備や宅地造成、高速道路や県道の建設などが行われ、その痕跡はほとんど消滅してしまいました。 なお、残った車両ですが、除雪車のDC2形は南部縦貫鉄道(平成14年8月1日廃止)へ譲渡されてDC251形となり、電車のデハ5もしばらくは湯沢市役所前の公園に保存されていましたが、野ざらし状態だったため老朽化が激しく、平成5年に撤去されてしまいました。

路線概要

種別:鉄道(旅客)
廃止時営業キロ:8.9km(湯沢〜西馬音内)
線路規格:直流600V電化単線→非電化単線 1,067mm
動力:電気→内燃(ディーゼル)
駅名: 湯沢羽後山田貝沢羽後三輪あぐりこ西馬音内元西馬音内

廃線跡

湯沢 ゆざわ

起点の湯沢駅では5番線から発着していました。
ホームは既に撤去されていますが、現在もその跡がスペースとして残っています。
(線路の外側の砂利が敷かれている部分)
(旧跨線橋内)

湯沢駅構内には、当時から使用されていた跨線橋が残されていましたが、平成27年の駅舎改築の際に撤去されました。
跨線橋内には、かつて発着ホームだった4・5番線へ延びていた部分が枠となって残っていました。

 

(築堤跡)

湯沢駅から200mほど離れた住宅地の横には築堤が残っており、水路を渡っていた橋桁も健在です。
以前はもっと長く続いていたのですが、奥に見える高速道路の建設に際しかなり削られてしまいました。
(雄物川橋梁東岸)

廃線跡はハローワークの南側を通り、雄物川を長い橋梁で渡っていました。東岸には現在でも橋台が残っています。
空中写真で見ると、橋脚も1本残っているのが確認できます。
(雄物川橋梁西岸)

雄物川にかかっていた鉄橋の西側にも橋台が残っていました。
雄勝線最大の遺構だったのですが・・・

橋台を裏側から見たところです。
コンクリートはかなり風化していました。

堤防をはさんで反対側にも小さな橋台が残っていました。
この先は築堤になっていたようですが、今では水田が広がるだけでその面影はありません。

上記の説明文でなぜ「過去形」となっていたかと言いますと、実は上の橋台跡は既になくなっています。
上の写真を撮ったのは平成16年11月だったのですが、平成17年5月に現地に行って見ると跡形もなく消えていました。
おそらく河川改修の一環で撤去したものと思われます。

 

羽後山田 うごやまだ

駅跡地は深堀保育園となっています。
駅の手前には2つの橋台がはっきりと残っています。
この駅にはかつて米の積み出し用の引き込み線もあったとのことで、橋台が2つあるのもその名残でしょうか。

保育園の裏側にも橋台が残っていました。
線路はこの先、西側に角度を変えて進んでいたようです。

 

貝沢 かいざわ

この付近に貝沢駅がありました。
この付近は廃線跡をそのまま道路に転用したようで、道路地図で見ると不自然にカーブしている様子がわかります。

 

羽後三輪 うごみわ

この付近に羽後三輪駅があったと思われますが、宅地造成などによりその痕跡を辿ることはできませんでした。
なお、写真右側のコンクリート構造物が雄勝線と関係があるかどうかは不明です。
(奥の建物はJAです。)

 

あぐりこ あぐりこ

この付近にあぐりこ駅があったと思われますが、一面水田しか見当たりません。
写真中央の畦道は廃線跡とは関係ないようです。
また、この先に羽後大戸川があり、雄勝線はそこを渡っていたと思われますが、大規模な河川改修により橋台などの構造物はすべて撤去されてしまいました。

 

西馬音内 にしもない

現在のJA巨福会館が建っている辺りに西馬音内駅がありました。
昭和42年に西馬音内〜梺間が廃止されてからは終着駅となりましたが、それ以前から湯沢方面からの乗客の大半はここで下車したとも言われ、事実上のターミナルとなっていたようです。

巨福会館の入口の右側には記念碑(?)が建っています。
よく見ると表面には「雄勝鉄道株式会社 西馬音内駅」と書いてありました。
しかし長い間、風雨にさらされたためか字がほとんど消えかかっており、これでは“記念碑”というよりは“墓標”と言った方が合ってるかもしれません。

巨福会館の向かい側に目をやると、かつて駅前として賑わったであろう「焼き餅の三浦屋」の入口横に、なぜか電車のコントローラーが置いてありました。
もしかしたら他にも台車などがあるのではないか、と期待したのですが、残念ながらどこにも見当たりませんでした。

 

元西馬音内 もとにしもない

この駅も水田の中に消えてしまっており、そのありし日の姿を想像することすらできません。
ところで、駅名は「元西馬音内駅」ですが、一般的には「元西駅」と呼ばれていたそうで、今でも役場の支所や小学校の名前は「元西」を名乗っています。
ちなみに雄勝線を引き継いだバスの停留所は「元西馬音内」となっています。

 

 ふもと

昭和42年に廃止されるまで終点だった駅です。
構内跡には腕木式信号機が1本立っていますが、これは現役時代のものではなく、廃止後に復元されたものです。
また、奥の小屋の中には実際に走っていた木造電動客車(デハ3)が保存されています。

※現在は腕木式信号機と電車庫の間にマイクロバスの車庫が建っています。

窓から中を撮影したものです。
中に入って見学するには、あらかじめ羽後町企画商工課から許可を得る必要があります。(ただし平日9時〜17時までに限られます。)

車両が保存されている小屋の横には、雄勝線の沿革が書かれています。
ところで、雄勝線には矢島までの延伸構想があったようですが、具体化はしませんでした。また、横荘線の本荘への延伸計画が頓挫した後、代わりに雄勝線を延伸させようという構想もあったそうですが、これも実現には至りませんでした。

▲TOP2004/11/21〜2006/9/9撮影
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