Q1 次のうち開業がもっとも古い駅は? ① 秋田駅 ② 大館駅 ③ 湯沢駅 ④ 羽後本荘駅
正解:② 大館駅
国鉄奥羽本線は、青森・福島双方から建設が始まり、県内では明治32年6月21日に白沢駅が最初に開業しています。
その5ヶ月後の明治32年11月15日には大館駅が開業し、明治35年10月21日には秋田駅が、明治38年7月5日には湯沢駅が開業しています。
羽後本荘駅の開業は、大正11年6月30日です。
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Q2 かつて「船岡信号所」と呼ばれていた駅は? ① 大張野駅 ② 上飯島駅 ③ 折渡駅 ④ 北大曲駅
正解:① 大張野駅
JR奥羽本線にある駅で、大正10年11月10日に旅客を扱わない信号所として設置されました。
その後、信号場への変更や改称を経て、昭和25年2月1日に駅員常駐の旅客駅として開業しています。
昭和54年に無人化され、平成9年の秋田新幹線開業時には駅舎側のホームが撤去されたため、乗降するには必ず跨線橋を渡らなければならなくなりました。
なお、信号所設置時は「河辺郡和田村」で、「船岡村」は隣の村でした。なぜ信号所を「船岡」と名付けたのかは不明です。
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Q3 秋田県内にありながらJR秋田支社の管轄ではない路線は? ① 五能線 ② 花輪線 ③ 田沢湖線 ④ 北上線
正解:② 花輪線
花輪線は、鹿角花輪駅を境に歴史が異なります。
大館~鹿角花輪間は、私鉄の秋田鉄道が大正12年までに開通させた区間ですが、鹿角花輪以南は国鉄花輪線として岩手県の好摩駅から建設され、昭和6年に秋田鉄道に接続しました。
その3年後、秋田鉄道が国鉄に買収され、全線が国鉄花輪線になったという経緯があります。
花輪線が通る鹿角地域は、かつて南部藩の管轄だったのが影響しているのかどうかは不明ですが、国鉄からJRに路線が移管され、さらに好摩駅がJRから切り離された後も盛岡支社の管轄であることは変わっていません。
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Q4 平成13年に廃止された男鹿線の貨物列車は、最後まで何を輸送していた? ① 濃硫酸 ② 木材 ③ 魚介類 ④ 石油
正解:④ 石油
船川港へつながる路線ということで、魚介類の輸送がメインのように思えますが、実は船川港は一大石油備蓄基地であり、石油の輸送が中心でした。
かつては木材や小坂鉱山から産出される濃硫酸の輸送も担っていた時代もありましたが、輸送量減少やトラック輸送への切り替えにより平成13年末をもって貨物輸送が廃止されています。
また、秋田市の近郊路線として旅客輸送も多く、かつては長編成列車が走ったり、電化の話が持ち上がったこともありましたが、近年は乗客の減少が続き、駅の無人化や列車のワンマン化が進んでいます。
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Q5 平成9年に秋田新幹線が開業する前日まで秋田~大曲間で運行されていた特急列車は? ① たざわ号 ② きたかみ号 ③ 秋田リレー号 ④ 特急は運行されていなかった
正解:③ 秋田リレー号
秋田新幹線は、秋田~大曲~盛岡間を広軌化する必要があったため、複線区間である秋田~大曲間を単線とし、単線区間である大曲~盛岡間を運休・バス代行として1年かけて工事が行われました。
この間、東北新幹線への接続の便を図るため、秋田~横手~北上間に気動車特急「秋田リレー号」が1日10.5往復運行されました。
秋田新幹線開業までのわずか1年間の運行だったとはいえ、車両(キハ110系)の乗り心地が良かったこともあって予想を上回る利用がありました。
ちなみに同時期に秋田~山形間には特急こまくさ号が運行され、山形新幹線への接続も考慮されていました。
また、特急たざわ号も運行されていましたが、名前とは裏腹に秋田~青森間で運行され、秋田新幹線開業後は特急かもしか号となり、昭和35年の準急時代から続いてきた「たざわ号」の名称は消滅しました。
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Q6 秋田内陸縦貫鉄道は、大正時代の建設計画時には何線と呼ばれていた? ① 阿仁合線 ② 角館線 ③ 鷹角線 ④ 七座線
正解:③ 鷹角線
国鉄鷹ノ巣駅と角館駅を結ぶ路線として計画され、両駅の頭文字をとって命名されました。
鷹巣側は「阿仁合線」として、角館側は「角館線」として両駅側から建設が開始され、全通目指して昭和45年まで建設が続けられましたが、国鉄の財政悪化により建設は凍結され、全線が廃止対象となりました。
そこで1981年(昭和59年)に第三セクター「秋田内陸縦貫鉄道」が設立され、昭和61年に阿仁合線を「秋田内陸北線」と、角館線を「秋田内陸南線」として引き継いで暫定開業しました。
そして1989年(平成元年)に未開業区間だった比立内~松葉間が開業して全線を「秋田内陸線」とし、現在に至っています。
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Q7 次のうち一度も開業せずに廃止となった駅は? ① 池内駅 ② 大琴駅 ③ 東浅舞駅 ④ 川崎駅
正解:② 大琴駅
横手と本荘を結ぶ路線として大正4年に羽後交通横荘線が計画され、両駅側から建設が開始されました。
しかし資金難により、本荘側は大正11年に前郷まで開通したところで、横手側は昭和5年に老方まで開通したところで工事がストップしてしまいました。
その後、本荘側は昭和12年に国鉄に買収され、横手側は段階的に区間廃止が行われ、1971年(昭和46年)に全線が廃止されました。
未開業区間の老方~前郷間には「蔵」「大琴」「館」の3駅の設置が予定されていましたが、開業することなく幻に終わりました。
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Q8 県内に最後まで残っていた手動式踏切があった路線は? ① JR五能線 ② 小坂鉄道小坂線 ③ 秋田臨海鉄道北線 ④ 羽後交通雄勝線
正解:② 小坂鉄道小坂線
小坂線は、小坂鉱山から産出される鉱石の輸送を目的として明治42年9月15日に開業した路線です。
大正3年には花岡鉱山からの鉱石輸送のため花岡線も開業し、両線とも旅客輸送も加わって昭和30年代まで隆盛を極めました。
大館駅を出てすぐに、商店街通りにつながる交通量の多い道路を横切っており、大館駅構内での頻繁な入れ替え作業があったこともあり、保安員が遮断棒を手動ハンドルで上下させるという珍しい手動式踏切がありました。
昭和60年の花岡線廃止や平成6年の旅客輸送廃止によって列車本数が激減した後も自動化されることはなく、平成21年の路線廃止まで手動式が貫かれました。
ちなみに小坂線は、県内では最後まで腕木式信号機が現役だったことでも知られており、日本の古き良き時代を感じさせる路線でした。
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Q9 画像← この廃線跡は何? ① 同和鉱業花岡線 ② 阿仁鉱山専用線 ③ 秋田営林局鷹巣線 ④ 東北肥料専用線
正解:③ 秋田営林局鷹巣線
いわゆる森林鉄道は、昭和30年代まで県内、特に県北を中心に張り巡らされており、国有林から切り出される木材を貯木場や最寄りの国鉄駅まで運搬し、中には沿線住民の貴重な足にもなっていた路線もありました。
鷹巣線は、国鉄鷹ノ巣駅の隣接地にあった貯木場を起点に明利又付近の国有林まで伸びており、途中、米代川を壮大な4連木製トラス橋で渡っていました。
規格の高い1級線だったということもあり、今でも随所に廃線跡が残っており、北秋田市葛黒地区には、今でも走れそうなコンクリート製の橋桁が乗ったままになっている鉄橋が威容を誇っています。
画像は、北秋田市の与四郎岱地区で防川を渡っていた橋脚跡です。
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Q10 未成線の「角六電気軌道」という路線が接続予定だった駅は? ① 羽後境駅 ② 新屋駅 ③ 二ツ井駅 ④ 飯詰駅
正解:④ 飯詰駅
JR奥羽本線の飯詰駅が設置される際、六郷町と角間川町の間で激しい誘致合戦があったとされています。
どちらの町も歴史が古く、六郷町は平安時代から城下町として栄え、角間川町は雄物川に接して港を擁し、物資の荷揚げ・積み出しの商業拠点として栄えていました。
しかし当時の国鉄は、どちらかに決めることができず、両町の中間地点に駅を設置するという折衷案で決着を図り、駅は明治38年6月15日に開業しましたが、結果、両町どちらからも遠い不便な駅となってしまいました。
そこで、両町から飯詰駅までの足を確保すべく、昭和5年に連絡鉄道の会社が設立され、昭和7年3月までの工事着手、昭和10年6月までの竣工を条件に特許を取得しましたが、結局期限までに竣工できず、昭和11年3月に特許が失効しています。
開業に至らなかった理由は不明ですが、会社の資本金が200,000円であったのに対し建設費の見込額が365,919円(いずれも当時の額)で、初めから計画に無理があった感があります。
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