青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2003年10月(2)>

(8)貴重なテープ
(9)桑名の取り組み
(10)岩手県の取り組み
(11)人の輪
(12)歌は越えていく
(13)散逸・・・、そして消失
(14)ヘルプ!
 
(8)貴重なテープ 2003年10月14日(火)
副会長の北彰介先生より「協会の略称を決めたら」とご意見をいただきました。青森県音楽資料保存協会という正式名は確かに長いです。新聞社の方でも先般の記事では適当に省略して部分的にその略称を使っていましたが、こちらから正式にこれで・・・と略称も提示できるようにしておいた方がよいかもしれません。皆さん、何か良いネーミングはありませんか。「音楽資料協会」「県音資保存会」・・・ご提案のほどよろしく。さて、当協会では30年以上前の録音カセットテープを管理しております。ここには八甲田除雪隊の歌(詳しくは「玉稿」のコーナーをご覧ください)が、何曲か異なったバージョンで収録されています。現在は、シンセサイザーを使用したアレンジもあるようですが、30年も前のことですから、すべて合唱の一発録り(当然多重録音は無し)です。ここで、私がおやっと思ったのは、男声四部(4人)の合唱版が吹き込まれており、トップテナーの声がどうも当協会の会長、小倉先生に似ているのです。そこで小倉先生に尋ねたところ、確かに、これはブルービーバーズ(「メンバーの声」の小倉先生のエッセイをご参照ください)が歌ったもの。当時、青森県庁の道路課の方がわざわざいらして、デンスケの愛称のあった図体の大きい録音機で録音したものだということが判明しました。ちょうど県の道路課では、広報課にお願いし、「八甲田春の除雪作業」の記録映画を撮影しており、その映画の中に、この八甲田除雪隊の歌を入れたらどうだろう、ということになったのだそうです。広報課の高橋嘉兵衛さん(故人)が中心になり、東京のアオイスタジオでナレーター、除雪機械の音、吹雪の音の間にはさみこむ形でこの曲を入れたところ、素晴らしい効果が出たと好評。この記録映画は「春雪に挑む」と題され、全国各地で上映されることになったといいます。完成した映画を見て除雪隊員は、除雪作業もさることながら、この歌が出たときは感動のあまり涙が出て、画面が見えなくなったといいます。その歌の収録されたカセットテープ、おそらくデンスケのダビングだと思いますが、当の小倉先生に尋ねたところ、自分の手元にもなく、だいたい映画のフィルム自体も現在行方不明だそうで、どうなっていたのか、気にしていたものだとのお話。このテープの持ち主は、粗大ゴミに出すものはないかと物置を整理していたところ偶然、埃をかぶったテープを発見したそうで、こんなものがあるんですけど・・・と、問い合わせていただかなかったら、確実に捨てられていました。そんな貴重なテープだとは私も知りませんでした。おそらく、青森県のあちこちに、こういった形で、たくさんの貴重な資料が眠っているものと予想されます。価値はよくわからないのだけど、昔の音楽資料が出てきたという場合、破棄なさらず、当協会にお知らせいただけませんか。当協会で資料の内容について調査したいと存じます。しかし「春雪に挑む」の映画フィルムは本当に行方不明なのでしょうか。どなたか所在をご存じありませんか。
 
(9)桑名の取り組み 2003年10月16日(木)
「メンバーの声」への戸塚先生の原稿アップしました。ご覧下さい。来週はグリーンコール指揮者の大嶋和久先生です。大嶋先生には月に一度は登場していただき、毎回、おもしろい話題を提供していただけないかお願い中です。どうぞご期待下さい。さて、協会には全国から地域文化保存に関する様々な情報が集まってきています。これを私の机の中に入れておくだけというのも誠にもったいないので、青森県にとって有益な情報は、随時、皆様方にご提供させていただきます。今回は桑名の取り組みでございます。今年の2月22日に三重県桑名市教育委員会の主催で、桑名に伝わるわらべ歌の学習会「ふれあい歴史教室」が開かれました。桑名市教育委員会文化課から資料をいただきましたので引用させていただきます。「今回のふれあい歴史教室は、完全学校五日制が実施された子供たちに生きる力を育むことを求め、各学校においては地域に開かれた創造的な教育課程の編成、家庭や地域では子供たちが多様な体験活動を行うことを目的とした、クリエイティブスクール事業の一環としておこなわれました。手まり歌やお手玉歌などの古くから伝承されたわらべ歌を通し、児童・生徒と家族、地域の高齢者の方々とのふれあいを図りながら、文化の継承をと考えています。」当日は、愛知県わらべ歌保存会会長の服部勇次さんが講師となって、小学生を中心に、母親やお年寄り約百二十人が参加しました。わらべ歌の効用として、遊びながら自然に人間が生きていく上での集団のルールが学ぶことができる。抽象的理論と違って、遊びながら身に付けたものは一生離れることがなく、こういった体験により、社会の一員として自発的に行動する大人に育てる。また、目を見つめ、肌を触れ合い、共に呼吸し合う、わらべ歌遊びの体験を通し、心の痛みのわかる共感感情を自然に育め、ますます凶悪化する少年犯罪防止が期待される。さらに、小さい人間から熟年までが寄り合って文化を伝える場を持つことができ、各世代の自然な交流が、わらべ歌を媒介に生み出せ、そのことで地域を活性化させるきっかけにもなる・・・。こういった良さが、わらべ歌にはあるようです。わらべ歌の体験学習を通して地域文化を学習し、同時に豊かな人格形成を目指すという素晴らしい取り組みをおこなっている桑名の試みは、わらべ歌の宝庫、青森県でも実施する価値が十分あるように思われました。桑名市では市民会館を使い、一つのイベントとしておこなったようですが、青森の場合は、もっと身近な町内会レベルで、近くの保育園や小学校、老人ホームなどで気張らずに、わらべ歌の伝承がおこなわれるようになったら素晴らしいのではと感じました。こういった場合、どんな曲を取り上げたらよいのですか?青森のわらべ歌研究の草分けのお一人、村林平二さんに何百曲とある、青森のわらべ歌の中から60曲を選んでいただきました。どうぞご覧下さい。当協会も、青森の音楽文化保存につながることですので、こういった取り組みがあるようでしたら、お手伝いしたいと考えております。(1)遊び始めの歌「つぶやつぶや」「いも人参」「いつこたっこ」(2)手まり歌「正月は」「一番はじめは」「したごやしたご」「どんどはいやどんど」「いなごいなご」「正月ァ門松」(3)あやこ歌「おしゃらかひとつ」「たんたんたいこ」「たげののれんに」「ひとしこふたしこ」「へらへら」(4)身体遊び歌「せっせっせパラリとせ」「ひときりふたきり」「ひとつひよこが」「おばどはら」「わらしとわらし」(5)鬼遊び歌「坊さん坊さん」「中の中の地蔵様」「じょうりぎ」(6)縄跳び歌「おじょうさん」「郵便屋さん」「くまさんくまさん」(7)外遊び歌「隣のおばさん」「勝ってうれしい」「すんずめ欲しんじょ」「ひとげり勝負よ」(8)言葉遊びの歌「とじとれば」「さいなら三角」「べろべろかめこ」「かれこやえで」「あ、あ、あっさらも」「てらのやしぎさ」「おらほの浜ね」「からすかあてば」(9)子守歌「ねんねこ」「からがんご」「ののさまなんぼ」「なぐなにわとり」「ねんねろねんねろ」「やえこ山コがら」「次郎やえ太郎やえ」(10)動物・植物の歌「とんび」「ほだるこい」「雁、雁わだれ」「ほずきほずき」(11)自然の歌「ゆぎやこんこ」「かだゆぎかんこ」「かだゆぎわだるが」「上見れば」(12)行事の歌「さえぎさえぎ」「正月どごにだ」「正月、正月」「今年ゃ豊年」・・・・・以上でございます。何曲ご存じでしたか。私はたったの3曲。トホホでした。
 
(10)岩手県の取り組み 2003年10月17日(金)
ごめんなさい。青森市の合唱連盟の掲示板にぜひ遊びに来てください、と挨拶文を入れましたが、当協会のホームページアドレスを変に入れてしまいました。遊びに行こうにもいったいどこに行ったらよいのだ・・と散々苦労し、当協会のホームページに辿り着かれた方、誠に申し訳ありませんでした。パソコン歴1年目の事務局長ですので、いろいろご迷惑おかけいたします。どうぞ皆様、よろしくご指導のほどお願い申し上げます。さて、本日は昨日の続きでございます。岩手県の取り組みについてご紹介させていただきます。今年の春に秋田県の「たざわこ芸術村」の民族芸術研究所を訪ねました。以前より、主に民謡関係の情報交換をさせていただいているのですが、はじめて研究所で管理されているたくさんの音楽資料(主に民謡・民俗芸能資料)を拝見いたしました。その折、研究員の小田島清朗先生から、参考までどうぞと手渡された冊子がございます。青森県にとってもこれは興味深い内容でございます。小田島先生の許可をいただきましたので、本日は小田島先生が平成14年3月30日に発行された「岩手県の小中学校における芸能伝承について」をご紹介させていただきます。2001年の2月に岩手県教育委員会が初めて、小中学校における郷土芸能の取り組み状況を調査。その結果、岩手県全体では三百十三校(65%)の小学校が、中学校では八十校(37%)が、なんらかの形で地元の芸能に取り組んでいるということがわかりました。一番多いのが神楽系(小・中学合わせて百三十一)、さらに「さんさ踊り」「なにゃとらや」等の盆踊り(百六)、剣舞(五十八)、鹿踊り(三十六)、田植踊り系(二十八)、創作太鼓(三十九)で、これらが大半を占め、特別に発表会を持ったり、運動会や文化祭での発表、福祉施設への訪問上演など、地元の芸能をこれほど取り上げている学校の数はおそらく、岩手県が日本一ではないかといわれています。では、いつ頃から学校で取り上げたかを集計(開始年を記していたのは全体の46%)してみると、1950年代は1校、60年代は11校、70年代は46校、80年代は76校、90年代は46校で、この30年ぐらいで急増してきたそうです。そのきっかけは、運動会での表現種目として適切。地域の芸能の後継者不足対策に学校が応えて始まった。その芸能に込められている先人の願いや、今、芸能を守り続けている人々の思いに触れてもらいたい・・などがあげられていますが、一番多かったのは、「単に芸能を習得するだけでなく、それを通して自分が住んでいる地域の文化や、ふるさとの良さをわかってもらいたい」という回答。その成果として、「子供たち同士が教え、教えられる中で人間関係ができていく。クラスがまとまる。自分たちの精一杯の踊りが地域の人たちに喜ばれたことでの充実感を持っていく。表現力がつく。地域に目を向けるようになった・・・など」があげられ、学校文化の大きな柱となっているようです。一方、児童生徒が芸能にかかわることへの親や地域の人たちの態度は、概して支援・協力がどこの地域でも非常に熱心。保存会員の指導はもちろんのこと、PTAや地域の婦人会・老人会が本格的な衣装や道具を手作りで作成したり、揃えたり、ある場合には、そのための寄付金まで集めているそうです。なぜ、地域が全面的にバックアップするのか、その根底には「明治の頃、若い者たちがバクチに明け暮れる状況を何とかしたいと、鬼剣舞の導入を思いつき、鬼剣舞をやるようになってから若者がしゃんとし、村がよくまとまるようになった」との古老の話が決して過去のことでない。芸能を通して、子供たちを健やかに育てようという地域ぐるみの取り組みが、現在も、脈々と受け継がれているというのがよくわかります。岩手県では、1999年に発表した県の総合計画の中で、「学校と地域社会連携のもと、自然や伝統文化を生かした、いじめや暴力のない、子供たちの個性や創造性を伸ばす教育」を進めるため、学校づくりの指標の一つとして、2010年までに、伝統芸能の学習に取り組む小中学校の割合をそれぞれ、70%まで持っていこうとの目標を立てているそうです。隣県でこのような素晴らしい取り組みがおこなわれているとは知りませんでした。私の母校の中学では警察官が常駐していると耳にしました。青森県の荒れる教育現場の、立て直しの一つのヒントが、もしかしたら、こういったところに存在しているのかもしれません。小田島先生、どうもありがとうございました。
 
(11)人の輪 2003年10月18日(土)
小倉尚継会長、木村博子先生、下山一二三先生、そして萩野昭三先生の音楽資料の保存管理の作業完了いたしました。萩野昭三先生の関係する全CD、ビデオ、楽譜を管理し終わって(点数多数のため)ホッと一息ついているところでございます。皆さん、当協会の会員ですが、当協会メンバー以外の方の音楽資料についても随時受け付けておりますので、お気軽に事務局長までご相談下さい。さて、前回「岩手県の取り組み」をご紹介し、地域の人の輪・熱意が芸能を育てることについて書かせていただきました。今回はこれに関連した話題「青森県学生寮の寮歌」でございます。東京の小平市に、青森県学生寮があります。寮生は百名弱。外見はちょっとしたマンション、もちろん完全個室で、原則四年、東京で学ぶ青森県出身の大学生(専門学校生)たちの住まいとなっております。実は私はここに四年間お世話になっておりました。入寮式が終わって何日かすると突然、朝6時、全員集合の一斉放送がかかります。何事かと思って、外庭に集まると、歌詞の書かれた小さな紙が渡されます。寮歌だといいます。これを新人は、各階ごとに集まって先輩方の指導で憶えることになります。楽譜など書かれていませんから、先輩の歌を耳で聴き取って憶えていくことになります。朝で眠いのと、寮歌など、どうでもいいではないかという気持ちで正直、身が入りません。そのうち、各階ごとの発表となります。新入生は、2人またはソロで寮生全員の前で歌わねばなりません。もちろん、憶えたての曲を正確に歌えるわけがありません。間違えます。するといきなり先輩から怒号が飛び、誰が教えたんだー。連れて行けー。実は青森県学生寮の隣は学芸大学の女子寮で、そこに行って、自分の部屋番号と氏名を名乗り、大声で寮歌を、教えた先輩共々歌ってこなければなりません。毎年のことなので女子寮の方は慣れっこで、窓からおかしそうにこちらを眺めています。声が小さくてもアウトです。すぐに、「連れて行けー」の声がかかります。西一階、西二階、西三階、東二階、東三階と5グループある新入生全員が合格するまで続けられるので一週間近くかかります。こうしてマスターした寮歌は、寮生活のあらゆる機会で歌われ、寮生にとってこの歌は、忘れられぬ一つの思い出となります。正直なところ、私はこうした封建的とも思われるしきたりが大嫌いでした。ところが、各階の班長、副班長が自分の階の新入生が合格するのをハラハラしながら見つめ、どうしても合格できそうもない新人に対しては全体指導が終わった後、付きっきりの個別指導をおこなうなど、寮歌を通して、入ってきたばかりでバラバラな寮生の気持ちを一気にまとめ、寮生としての一体感を持たせる毎年恒例の行事だということが次第にわかるようになってきました。ここで事件が起きます。確か、私が入寮3年目の頃、裏の住宅地から苦情が来たのです。朝っぱらからうるさい。何やってんだ、やめてくれ!!と電話がかかってきたのだそうです。次の日より、伝統の寮歌指導は中止となりました。寮母さんは、今までは地域の人も、おおらかで苦情なんか一つも来なかったのに。せちがらい世の中になってきたね、と、ため息をついていたのが忘れられません。以前は寮の学生と地域の人のあたたかい交流が当たり前だったのに、最近はそれが希薄になってきたのが、ひょっとしたら原因なのかもしれない、とのことでした。私が在寮していた頃、まだ、ミニネブタで近所を練り歩いたり、寮祭でリンゴの格安販売をおこなうなど、昔ほどではないにしても、地域の人たちとの交流があったと記憶していますが、今はどうなっているのでしょうか。私が寮にいた頃は、寮歌も楽譜などというものを見たことがありません。こうしたものは耳から耳へと伝えていかないとすぐに消えてしまいます。民謡・各種民俗音楽と同じです。もしかして歌詞だけが額に入れられ、埃をかぶって、どこか片隅にひっそり掛けられている。しかし肝心の歌の方は、すでに歌われなくなって久しい。そんなことになっていなければいいのだが・・・、と思っております。地域のあたたかい人の輪が消えると、同時にそこにあった昔ながらの歌も消えてしまう。こうした事になってしまうのだなあ、と感じ入っております。似たような事例は、おそらくきっと皆様方の周りにも、たくさんあるのではないでしょうか。音楽保存は、人の輪作りから始めないといけないのか、と、考えてしまいます。それを踏まえ、前回の「岩手県の取り組み」に目を向けますと、いかに素晴らしいことを隣県でやられているのかが、よくわかってきます。
 
(12)歌は越えていく 2003年10月19日(日)
東京も寒くなってきました。身体をあたためようと思って熱燗を飲んだら、そのまま眠ってしまいました。ハッと気がつき、今あわてて事務局日誌を書いています。いつもより、更新時間が遅くなりました。さて、秋田県の「たざわこ芸術村」の民族芸術研究所の小田島清朗先生(もともと、芸術村の「わらび座」の俳優、民俗音楽の造詣のあまりの深さに研究員に抜擢される)より、こんな資料もありますよ、とご連絡をいただきました。資料は、青森県の学校の郷土芸能の取り組み、そして秋田県で今年開催された「こども芸能祭典」で得られたアンケート調査の資料の中から、秋田県の学校での芸能の取り組みです。先般、岩手県の取り組みをご紹介させていただきましたので、これで北東北三県の教育現場における「郷土芸能の取り組み」がわかることになります。小田島先生より資料が送られてきましたら、事務局日記の中でご紹介させていただきます。どうぞ、ご期待下さい。小田島先生、お心遣いどうもありがとうございます。ところで、以前、神戸にお住まいの民謡研究の方から印象に残る言葉を頂戴いたしました。それは、「歌は越えていく」というもの。青森県音楽資料保存協会の役割として、青森県の音楽資料に特化した調査・保存活動を展開するのは当然のことです。しかし、青森県で歌われている歌の多くが、他の地域から伝播、それが青森の風土の中で形を変えたものだということを忘れてはいけませんよ。青森中心の変な地域ナショナリズム的考えに固執すると、歌の本質を見失ってしまう危険があります。広い視点から、地域の文化をとらえることが大事だと思います。このような趣旨のアドバイスをいただきました。協会事務局として、青森県の音楽資料についての情報を集めることはもちろんのことですが、地域の文化保存に対し、同じような志をお持ちの団体や個人の方との情報ネットワークを、積極的に構築したいと努力しているところでございます。青森県の音楽資料についての情報を求めておられる方には、必要情報を発信。また、全国から音楽に限定しない地域文化保存に関する有益な情報を入手。それを協会の活動、ならびに青森県の皆様に還元していければと願っております。コンピューターの世界には、インターネットを使い、情報を共有し、みんなで知恵を出し合って、より良いソフトウェアを作り上げていこうという考えがあると聞きました。このような自由な発想に学びたいと考えております。・・・追伸、事務局日記の古い内容は格納庫に保管されていくようです。一番下の「次のページ」をクリックされますと、以前の内容もご覧いただけます。いつもご覧いただき、ありがとうございます。
 
(13)散逸・・・、そして消失 2003年10月20日(月)
音楽資料保存に関し、その資料を制作された作曲者ならびに作詞者に直接、その所在を尋ねればよいように思われます。が、これは時として、甘い考えだということを思い知らされます。まず、すでに作者がお亡くなりになっているケース。ご家族が、故人の音楽的業績を理解していることは信じられないくらいに少ないです。身近にいたはずの奥さんやお子さんでさえ、故人が音楽創作家だとは知っていても、具体的にどのような活動をされ、どんな作品を生み出し、いったいそれがどのような価値を有しているのか。まったく無頓着なのです。一般的イメージでは、親御さんが音楽に関係した活動をされた場合、そのお子さんも自動的に音楽関係の活動をされていると考えがちですが、それはこちらの勝手な思い込みであることが多いようです。その結果・・・、ある方がお亡くなりになると、その方の音楽資料は破棄、消失していくということになります。下山一二三先生から伺ったところ、青森県出身の作曲家ですばらしい才能を持った方がおられたが、亡くなられた。ギターの優れた作品があるのだが、その作品の価値に、家族が気がついておらず、楽譜は破棄寸前。それを見るに見かね、下山先生がその資料を引き受け、日本近代音楽館に入れた。現在は、ギターの現代音楽の名曲としてしばしば演奏されているとのことです。もし下山先生が引き取らなかったら、この曲は闇の中に消えていたに違いありません。今であれば、当協会でお引き受けするところですが、だいぶ前のことなので、この資料は大切に今も、日本近代音楽館に保管されているとのことです。さて、制作者が現存している場合でも問題は多いようです。自分の作品なのに、なぜか現物がどこかへ行ってしまう。こういったケースが多々あるようです。例えば、今回、木村博子先生の非常に素晴らしい「子供のためのオペレッタ」の2作品を管理させていただくことになりましたが、そのうちの一作品が、木村先生のお手元に一部しか在庫がないとのこと。自主出版であり、再版する予定はないので、本当に最後の一冊。このような貴重な資料を当協会でお預かりしております。人にあげたり、貸したりするうちに、いつの間にか、作者の手元から作品が消えてしまう。このようなケースも多いのです。川崎祥悦先生の全作品も、当協会で管理予定であり、現在、川崎先生にご自宅にある音楽資料の整理をお願いしているところでございますが、まず、あちこちに散っている資料を自分の手元に取り戻すのに大変な労力を使うとおっしゃっておられました。しかし、大変な作業だが、今整理しておかないと音楽資料は散逸・消滅してしまうのはわかっているので、なんとか整理してみます、とのたいへんに嬉しいお言葉を頂戴しております。川崎先生、どうぞよろしくお願いいたします。以前も少し触れましたが、日本近代音楽館、そして国立音楽大学で、保管資料の見学をした際、遺族から持ち込まれる音楽資料というものを見せていただきました。現物は保管されてはいるものの、例えば録音物にしても中に何が収録されているのか、ラベルに克明に明記されているケースは稀で、いちいち担当者が聴いて調べなければならない。しかし、いくら聴いても、故人にしかわからない情報も多く、多大な労力を費やしても、完全な整理に結びつかないのでは、と担当の人はおっしゃっておられました。資料はその人がお亡くなりになってから持ち込むのではなく、内容に関する質問などのできるうちに、管理の体制を整えておくことが大切だと言われました。あと10年放置されたら、青森県に関する音楽資料の多くが散逸・消滅することが懸念されています。まさに、今が正念場です。
 
(14)ヘルプ! 2003年10月21日(火)
事務局日記、一面文字ばかりで読みにくい、
とのご意見をいただきました。
同じようなご不満をお持ちの方が多かったのではと存じます。
たいへん申し訳ありませんでした。
適当な位置で改行、スペースを設けるなどし、
できるだけ読みやすくなるよう心がけますので
どうぞよろしくお願い申し上げます。
その他お気づきの点などございましたら
ご意見、どうぞお寄せ下さい。
貴重なご提言、どうもありがとうございました。

さて、先日、予告いたしました資料、
本日、たざわこ芸術村の民族芸術研究所の小田島清朗氏より
届きました。前回、岩手県について
小中学校での民俗芸能の取り組みをご紹介いたしました。
小田島氏のご厚意により
これで、青森県と秋田県の取り組みについてもご報告できます。
北東北三県の学校教育の現場での民俗芸能の取り組み、
すなわち「地域芸能の保存」の実態を
データの分量が多いので何回かに分けてお知らせします。
明日から報告をスタート
本日、早速、寄せられたデータの解析に入ります。

ところで
協会活動も活発化してまいりました。
事務局日記に最新情報を書いておりますが、
その中で触れた音楽資料情報を整理要約し、
左のボタン「音楽資料情報」のコーナーの中に、
見やすい形で
まとめていきたいと考えております。
また、「玉稿」のコーナーにアップしたい資料も
いくつかございます。しかし
人手不足で現在、思うようにアップできず困っております。
寄せられる資料は手書き、あるいは印刷物が多く、
ホームページに掲載するには
文字情報の打ち込みを行わねばなりません。
これが思いのほか時間がかかり、現在の人員では
寄せられる資料の整理に追いつかない状況です。
まさに、ヘルプ!の状態です。
どなたかお手伝いくださる方がいらっしゃれば、
本当に助かります。
当協会は、ふるさと青森の音楽資料を守りたいという一念で
集まったメンバーで構成されており、
それぞれ本業のかたわら、各自できる範囲で
力を出し合っております。
例えば、
一週間に原稿用紙一枚分くらいなら原稿打ってもいいかな。
本当にごくごくわずかのお力添えで結構でございますので、
事務局運営を
援助していただける方がいらっしゃると助かります。
自分は音楽のことなどわからないのだけれど・・・。
結構でございます。ふるさと青森の文化に寄せる思いがあれば
それだけで十分でございます。

お手伝いくださる方を随時求めております。
ご連絡いただければ、誠にありがたく存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


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