青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2003年11月(4)>

(53)青森県での取り組み その18
(54)青森県での取り組み その19
(55)青森県での取り組み その20
(56)青森県での取り組み その21
(57)青森県での取り組み その22
(58)青森県での取り組み その23
(59)青森県での取り組み その24
(60)青森県での取り組み その25
 
(53)青森県での取り組み その18 2003年11月23日(日)
 連載の方は青森市・平内町・今別町・平舘町・三厩村の「東青学区」に入ります。過去の情報は、一番下の「次のページ」をクリックされますと参照可能となります。

 さて、青森市より開始したいと思うのですが、本日は荒川小学校のみ取り上げることにいたします。
 
 現在は「青森市荒川」となっておりますが、昭和30年に合併される以前は「東津軽郡大字荒川村」であり、ここは、先日ご逝去された、当協会副会長の北彰介氏の生まれ育った場所でした。
 昭和23年に師範学校を卒業後、北氏は、まず荒川中学校へ赴任。ここで四年間、親戚や知人の子どもたちとともに青春時代を送った土地でもあり、荒川への愛着は、人一倍強いものがあったようです。その北氏から生前、貴重な資料をいただいておりました。それを添付、本日は荒川小学校をご紹介してまいります。
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〔東青学区 その1〕

【青森市 その1】 平成11年度青森県文化課の調査資料より

〔荒川小学校〕
◎荒川獅子舞・荒川駒踊り〔参加人数 30〕
・運動会、学習発表会の年2回

 荒川小学校の取り組みに関する北彰介氏の参考情報を以下に付記いたします。
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 青森市は私が生まれ育ち、そして今も居住しているところであるが、小さい頃から親しんできた「津軽獅子舞」は、津軽を象徴する芸能として愛着が深いものがある。
 物の本によると「津軽の獅子舞」は慶長18年、弘前城築城の時、地割りが終わり地鎮祭に、二代藩主の信牧(のぶひら)が、京都より舞楽人を招いて舞わせたものが後に土着化したものだという。
 その「津軽の獅子舞」は熊獅子系と鹿獅子系に分かれている。
 
 熊獅子系は、獅子頭が大きく、にわとりの羽で作られた毛髪の上に二本の角が突き出しており、衣装は渋い紺系で丈も長く、踊り手の指は見えない。囃子も踊りもゆったりと荘重である。
 鹿獅子系は三本枝の角で、衣装は赤系が多く華やかで、丈は短く、踊り手の指が見えている。囃子も踊りもテンポが速く軽快で、時にはクルクルと、転回すら見せる。雄獅子二匹、雌獅子一匹にオガシコと呼ばれる、猿かヒョットコの面をかぶった道化物が一組となって踊る。
 村の祭礼や新築祝い、祝言の時に踊られた。

 荒川の獅子舞は、元和年間に開墾者が持ち込んだといわれる古い歴史を持つ。
 荒川の獅子舞は熊獅子系であるが、奇妙なことに角が扇状に四本突き出している。囃子にも鹿獅子系が含まれているという独特なものである。
 三匹の獅子と一人の道化が演ずる勇壮な獅子舞を見るたびに、大地にシッカと足を踏みしめ生きてきた農民の魂がズシン、ズシンと、こころに響いてくるようだった。「獅子の子は、生まれで落ぢれば頭振る・・・」という哀調を帯びた唄の一節が、子どもの頃、遊びながらも、ふと口を突いて出るほどに心情的にも密着していた芸能であった。
 
 高田、荒川、油川、宮田、駒込の五団体ほどある青森市の獅子舞は昭和40年代には後継者がなく存続が危ぶまれた。しかし昭和50年代に入ると、各保存会では積極的に後継者づくりに取り組み、各団体に「子ども組」が作られるようになった。
 わが荒川の獅子舞保存会でも「子ども組」はもちろんであるが、学校のクラブ活動に指導に出かけていると聞く。
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 参考になる資料ではないかと存じます。こういった情報も当協会では積極的に求めております。お寄せいただければ誠にありがたいです。
 
 10月28日の事務局日記でも触れましたが、北氏ご本人から、退院が間近いと聞いておりましたので、荒川の芸能について、もっと詳しく書いていただく予定でした。しかし、それもかなわぬものとなってしまいました。北氏ご自身、このような資料を後世に残すことに積極的な姿勢を見せておられただけに大変残念に思っております。
 
(54)青森県での取り組み その19 2003年11月24日(月)
 東青学区、青森市の続きでございます。青森市の取り組みとして特徴的なのはネブタです。生前、北彰介氏からこれに関連するお話もいただいておりました。
 なんとも甘酸っぱいエピソードでございます。
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 昭和44年4月、当時中学校教師であった私は、人事異動で中央公民館職員となった。担当は「子ども会」。ここでの最大事業は、8月3日・4日の両日おこなわれる「子どもねぶた」の運行であった。毎年の参加団体は30をくだらなかった。その「子どもねぶた」を秋村友吉氏が、春早くからコツコツ製作しておられた。
 秋村氏の作られる「子どもねぶた」は、小型だが、実に細かく、力強く、色鮮やかである。それぞれの子ども会では、これをリヤカーに乗せて運行に参加するのである。
 
 8月3日の夜、花火の合図で子どもねぶたの運行が開始した。そのとき、運行責任者の私のところへ、子ども会役員の一人が走ってきて言った。
「どこかの子どもが、ねぶたを引いて運行に割り込んできた。追い出して欲しい」

 駆けつけてみると、なるほど、リヤカーに乗せた、それこそ形も色も稚拙そのものの手作りねぶたを中学生を頭に、四人ほどの小学生が引いている。一人は小さな太鼓をトントコと叩いていた。話を聞くと沖館から来た。自分たちだけで作ったねぶたを町の人に見てもらいたくて運行に入ったのだという。

 「運行に参加するには届出が必要で順番も決まっている。急に入っては困る。それにお前たちのねぶたは、きたなくてお客さんに見せられねえべ」
 そういうと、子どもたちは、すごすごとリヤカーを引いて小路へ消えた。
 それから何年かして、私は本当の意味で「手作りの大切さ」を知ることとなった。
 しかし思い起こしてみると、昭和21年の夏、私がまだ師範学校の時代、子どもたちと一緒に「桃太郎」のかつぎねぶたを作って村をねり歩いたことがあったが、それはなんとも不恰好な「桃太郎ねぶた」であった。しかし、わいわい言い合って作り上げた喜びは今も忘れられない。
 戦前の子どもたちは、このように自分たちで、扇ねぶたや、とうろねぶた、金魚ねぶたを作り、夜、仲間7〜8人と「ローソク一本(ガガスコ ガン)」と家を廻り歩いた。
 今、青森ねぶたは年々観光化が強くなり、プロのねぶた師が製作している。これも時代の流れであるが「子どもねぶた」の運行の時だけは、子ども自身の作った金魚ねぶたや扇ねぶたを持って歩かせたいものだと今は、しきりに思う。そんな私が、せっせと子ども自身が作ったねぶたへ、「お前たちのねぶたはきたないべ」と言ったことは、なんとも取り返しのきかないことであった。
 ねぶた祭りがくるたびに、あの時のこどもたちへ「すまないことをした」とわびたい気持ちで一杯になるのである。

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〔東青学区その2〕

【青森市】〔 〕内は参加人数 平成11年の県文化課資料より

〔高田小学校〕
◎高田獅子踊〔59〕
・青森市高田熊野宮神社奉納、青森市小学校連合音楽会、
 校内学習発表会(計3回)、その他外部からの要請あり。

〔荒川小学校〕
◎荒川獅子舞・荒川駒踊り〔30〕・・運動会、学習発表会の年2回

〔合浦小学校〕
◎子どもねぶた〔5〕
・わんぱく子どもフェスティバル(1回)、落成記念式典(1回)
◎金魚ねぶた〔63〕
・わんぱく子どもフェスティバル(1回)、落成記念式典(1回)

〔三内小学校〕
◎ミニねぶた制作〔26〕
・7月中旬わんぱくねぶたフェスティバル(3日間)
 三内小子ども祭り(9月・1回)

〔浅虫小学校〕
◎ねぶた流し踊り〔39〕
・浅虫ねぶた祭り期間のうちの2日間のみ

〔泉川小学校〕
◎ねぶた囃子教室〔34〕
・児童会活動の時間(平成12年度は学校行事として設定予定)

〔堤小学校〕
◎ねぶた囃子教室〔16〕
・わんぱくねぶたフェスティバル(1回)、全校朝会時、全校児童に披露

〔北中学校〕
◎ねぶた笛講習会〔223〕・・文化祭(10月)の開会式で全校生徒による演奏

〔青森第二養護学校〕
◎ねぶた囃子鑑賞・体験・ねぶた運行・ねぶた音頭〔167〕・・運動会

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 昨日取り上げた荒川小学校も、本日のデータが青森市の一覧として使えるように再録しております。
 
(55)青森県での取り組み その20 2003年11月25日(火)
 平成15年4月に「青森県音楽資料保存協会」の設立総会が開かれました。
  
 ここで時間をかけて話し合われたのが会の名称でした。提出した素案では「青森県音楽資料保存活用協会」と、名称に「活用」の文字が組み込まれていました。
 これについて「長すぎる」というのが第一点。また、保存するからには当然「活用」も念頭に置いていることは明白であり、「活用」の文字はなくてもよいのではということではずしました。
 ただ、会則には「青森県音楽資料保存『活用』協会」の素案の精神は次のように生きております。

(目的)
第3条 本会は、青森県の音楽文化を散逸亡失から守り、
    後世に文化遺産として継承し、それを土台とした
    新しい音楽文化創出活動を促すことを目的とする。
(事業)
第4条 本会は、前条の目的を達成するために次の事業を行う。
(1)青森県の音楽資料(以下「音楽資料」という。)の保有者及び
   音楽資料の保存活用に係る関係機関との連絡調整、情報交換、
   協力等に係る事業
(2)音楽資料の保存活用に関する調査、研究等に係る事業
(3)青森県の音楽文化に係る演奏会、講演会、研究会等の開催事業
(4)その他前条の目的を達成するために必要な事業


 順番として「活用」の前に「保存」があるわけであり、青森県の貴重な音楽資料の数々が散逸・消失してしまわないように現在、保存が急務なものに関しては現物を保管、さらに青森県の音楽資料に関する情報をいろいろ集めているところでございます。その活動成果の一端を、事務局日記でご報告しております。

 当協会の長期プランとして、青森県の音楽資料の保存作業が一通り完了したら、そこで
当協会の役割は終わった。解散というのではなく、そこから、今度は「活用」の方向へ、
比重を置き直すこととしております。そうなるまで、まだ10年以上はかかるかもしれませんが、いずれ「活用」の方向へも活動を精力的に展開していくためには、今のうちから準備をしておかなければなりません。
 その準備とは、青森県の広い意味での音楽史の把握と、各音楽資料の生まれた背景・周辺情報の収集でございます。

 ただ単に楽譜や録音物を集めても、その音楽資料がどのような背景で生まれたのか、青森県の音楽史や様々な周辺情報を知らないと、その資料を有効活用させていくことはできないように思われます。
 また、保存の過程においても、例えば青森県の民俗音楽の貴重な録音物が寄せられた場合、やはり歴史や広い観点からとらえた周辺情報がないと、その現物をどのような位置づけで保存していったらよいのかわからなくなってしまいます。
 
 「音楽」はいろいろな分野と有機的なつながりを持っており、周辺情報はどこでどのようなつながりが出てくるかわかりません。一見、音楽には何のつながりもないと思われる情報が、ある音楽資料の形成に重要なかかわりをもっていたということも充分考えられます。
 
 そこで、事務局では寄せられる情報を選別し、「純粋な音楽情報」のみを選択、それ以外は捨ててしまうというのではなく、大きな視点で周辺情報を蓄積しております。
 また、その情報は蓄積しておくだけではなく、速報として「事務局日記」で情報発信しております。
 ということで、事務局日記には純粋な音楽情報だけではなく、その他の周辺情報も現れることとなりますが、これは当協会が将来目指している資料「活用」のための準備情報だとご理解いただければ幸いです。 

さて、連載は平内町です。
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〔東青学区 その3〕

【平内町】 〔 〕内は参加人数 平成11年の県文化課資料より

〔茂浦小学校〕
◎ほたて太鼓〔18〕
・学習発表会、町内福祉施設との交流活動(年2回)
 町内発表(年2回程度)

〔土屋小学校〕
◎獅子神楽〔22〕
・校内での学習発表会、
「なつどまり祭り」などに参加(年3〜4回程度)

〔内童子小学校〕
◎内童子の獅子舞〔19〕
・学習発表会、地区の夏祭など年4〜5回

〔稲生小学校〕
◎権現舞〔16〕
・校内学習発表会、一年生を迎える会、六年生を送る会

〔東小学校〕
◎津軽民謡手踊り(津軽じょんがら踊り)〔121〕
・運動会、学習発表会、その他(年2〜3回)

〔浦田小学校〕
◎虫送り〔16〕
・運動会(平成11年度3回)、
 NHK「まるごと青森」の中継、「なぎさの教室」
◎権現舞〔16〕・・・学習発表会

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 次回が、東青学区の最終回となります。
 北彰介氏の情報をまた付けたいと存じます。
 
(56)青森県での取り組み その21 2003年11月26日(水)
 昨日、青森市教育委員会の担当課から、ご返答をいただきました。少し時間がかかるかもしれないが、これから最新調査をしてみたいと思うとのことでした。

 平成11年の県文化課の調査資料に掲載されていた学校の「現在の取り組み状況」はもちろんのこと、「新たに取り組みを開始した学校」があればその情報も、さらに学校の現場に限定しない青森市内の「各伝統芸能団体の様子」も合わせて教えていただけるとのことでした。情報をいただきましたら、ご報告させていただきます。
 担当の方のお話によりますと、民間企業の伝統芸能への助成制度があって、青森市教育委員会でも、地域の伝統芸能の消失には胸を痛めているので、積極的に各団体に助成制度を紹介しているのだそうです。が、それへの反応は多くはない。その大きな理由の一つが
後継者不足。お金をもらったからといって芸能がこのまま、継続できるかわからないからだとのこと。
 
 私は青森市立新城小学校の出身ですが、周辺地区のお話を伺ったところ、昔は新城にも大人の団体があったが、いつのまにか消えてしまったようだとのお話。青森市の多くがこういった傾向にあるような雰囲気のお話でございました。
 
 岩手県や秋田県の取り組みの報告を参考にすると、子どもたちは嫌々やっているのではなく、嬉々として地域の伝統芸能に取り組んでいるようです。これには、そういった楽しさや達成感を与える継承のテクニックがあるようですが、岩手・秋田の報告書を読むと、子どもたちは積極的に地域の伝統芸能に取り組んでいるかのようです。もしかしたら後継者不足問題の一つの要因として、情報をうまく発信していないために、継承したい方と、子どもたちの間での情報交換にズレがある。スムーズに情報が伝達されていない点が挙げられるのかもしれません。
 私は大学進学直前まで、新城地区に住んでおりましたが、地元に伝統芸能があることすら知りませんでした。
 もし知っていたら、興味半分に、何回かは参加していた可能性があります。
 
 全国的にも、各市町村がローカルな地域の伝統芸能についての情報をほとんど発信していないといいます。
 地元に根ざしたローカルな伝統芸能の情報を発信している市町村は3割程度しかないという数字も先般の会議(連載16をご参照下さい)で耳にしました。これからの時代、伝統芸能継承についての情報発信は大きな意味を持ってくるのかもしれません。
 この件について当協会事務局でも、何かお役に立てないかと思案しているところでございます。

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 連載は東青学区最終回です。

 〔東青学区 その4〕平成11年度の県文化課の資料より

【今別町】 〔 〕内は参加人数

〔今別小学校〕
◎荒馬踊り〔153〕
・運動会、北海道知内町立知内小学校との交流学習の場において
(隔年で1回)

〔大川平小学校〕
◎荒馬踊り〔44〕・・・運動会、ねぶた運行

〔二股小学校〕
◎荒馬踊り〔20〕・・・運動会、学芸会

〔大泊小学校〕
◎太刀振り〔8〕・・・学習発表会

〔開智小学校〕
◎太刀振り〔23〕・・・運動会

〔今別中学校〕
◎荒馬踊り〔60〕
・体育祭(応援合戦)
 文化祭(今別地区・大川平地区生徒の各1回7分位)

〔今別高等学校〕
◎今別荒馬〔17〕
・第23回全国高等学校総合文化祭(郷土芸能部門)
 県高等学校総合文化祭開会式、校内の文化祭

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【平舘村】

〔平舘小学校〕
◎荒馬踊り〔112〕
・運動会、学習発表会、松前街道を歩こう、村民運動会、
(年4回程度)

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【三厩村】

〔三厩中学校〕
◎太刀振り〔90〕・・・体育祭、文化祭

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 田植えが終わり、田の神(サの神)が天に昇るとき、農民が神への加護と感謝のためにおこなうサナブリ(サ・ノボリの転)の行事が、色々の事情で消滅し、行事の一部であった「荒馬」と「太刀振り」が独立しておこなわれるようになった。これが今別の伝統芸能であると、故 北彰介氏はコメントを残されています。
 
(57)青森県での取り組み その22 2003年11月27日(木)
 先日の青森市教育委員会に続きまして、昨日、八戸市教育委員会の担当課よりご連絡をいただきました。

 今後、伝統芸能の保存・活用を推進していくためには、このような学校を通じた子どもたちの、伝統芸能に対する活動状況の把握は重要であると認識しています。
 ただ、年内は新年度予算、市議会の定例会があり、なかなか時間がとれない状況なので
年明けに、各学校の取り組み状況についてアンケート調査を実施するなど、最新のデータを調べてみたい、とのお返事でした。
 この件については、八戸市教育委員会の方で以前にも話題になったことがあるそうで、必要性は感じていたものの、なかなか手をつけることができずにいたそうです。
 具体的な保存活用事業とまではいかないにしても、資料として一度調べておけば、使い道はいろいろあるのではないかとのご意見でした。


 弘前市教育委員会とも現在、ご相談の最中であり、まだ確定ではございませんが、青森市・八戸市と同様に最新情報の調査をしていく方向性でお話を進めております。

 青森市・八戸市・そしておそらくは弘前市の具体的なデータが来年になりますと、出揃ってくるかと存じます。

 5年ぶりのデータ更新です。「総合学習」などで、新たに取り組みを見せる学校が増えてきているようなので、かなりデータが入れ替わるかもしれません。
 どのようなデータが出てくるか興味津々です。


 また、青森市教育委員会同様、八戸市教育委員会からも、ご厚意により、大人の伝統芸能団体の情報もいただけそうなので、資料が得られましたら、こちらでご紹介させていただきます。

 さて連載の学校県内めぐりも
「西北五学区」と「上十三学区」を残すのみとなりました。

 十和田市・三沢市・野辺地町・七戸町・百石町・六戸町・横浜町・上北町・東北町・下田町・十和田湖町・六ヶ所村の「上十三学区」は最後を飾ってもらうこととし、先に「西北五学区」の方をご紹介させていただきます。

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〔西北五学区 その1〕平成11年11月現在の県文化課のまとめによります。

【五所川原市】 〔 〕内は参加人数

〔七ツ舘小学校〕
◎浅井の獅子踊〔103〕
・運動会、老人ホームの慰問など(年3〜4回)

〔羽野木沢小学校〕
◎羽野木沢の獅子踊〔77〕・・運動会、エルム正月行事(年2回)

〔南小学校〕
◎五所川原甚句〔367〕 ・・・運動会

〔藻川小学校〕
◎藻川の獅子踊〔40〕
・学習発表会、地域の宵宮、猿賀神社など(年6〜7回)

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【木造町】

〔出野里小学校〕
◎獅子踊り〔17〕
・運動会、内潟療護園、学習発表会、木造町福祉大会、引継ぎ式

〔蓮川小学校〕
◎登山囃子〔22〕
・運動会、学習発表会、福祉施設訪問、集落行事

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【森田村】

〔育成小学校〕
◎三方荒神鹿島獅子舞〔44〕
・運動会、引継ぎ式、森田村火祭り、
 文化祭、姉妹都市交流(年5回)

〔森田養護学校〕
◎ねぷた〔5〕・・森田村老人クラブとの交流(年1回)

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五所川原市、木造町、森田村へも
最新情報のデータ更新をお願いしているところでございます。
 
(58)青森県での取り組み その23 2003年11月28日(金)
 「何か力になることがありましたら何でもお申しつけ下さい」と、ある高校生の方からご連絡をいただきました。青森県立西高等学校の合唱部に所属しておられる方でした。
 
 昭和38年に女子高として開校。その後、平成8年から本格的な男女共学校に生まれ変わった青森西高校は、優秀な顧問の先生方の指導、そしてなにより学生の熱意が、全日本合唱コンクール全国大会への数度の出場を可能とし、昭和57年には高校の部金賞に輝くなど合唱部はめざましい活躍をされています。今、このホームページをご覧になっている方の中にも、西高合唱部卒の方がいらっしゃるかもしれません。

 さて、その西高合唱部の近況を尋ねましたところ、西高の合唱部の先輩方の名簿が見つからないなどで大変困っている。西高の伝統ある合唱部の歴史を残しておきたいです、とのお話。

 そこで、西高合唱部の歴史をまとめてくれませんか、と、その高校生の方にお願いいたしました。
 歴史は、やはり関係される方がおまとめになるのが一番。
 協会事務局ではその作業をバックアップさせていただくことといたしました。

 若い人たちの中からこうして青森の音楽保存に関して何かしたいと名乗りを上げてくださることは、本当に嬉しい限りです。
 当協会の関係者の平均年齢は五十代です。ついこの前まで、37歳の私が最年少でした。最近、二十代の若手が精力的に動いてくれ、若干平均年齢は下がってきてはおります。
 
 伝統芸能の継承は子どもたちにかかっている。
 
 これは、これまでの連載で繰り返し触れてきたことですが、地域の文化はバトンリレーのように、世代から世代へと手渡していくもの。そのカギを握るのが、若い世代。これはいうまでもございません。

 現在、協会役員としてご活躍されている方々も、いずれは退かれる時が来ます。そのとき、次は頼むよと、仕事の引き継ぎをお願いできる若い方がいるかいないかで、ふるさと青森の音楽文化を守っていけるかどうか。この命運が決まるような気がしております。
 青森県内各地の多くの若い人たちと、「ふるさと青森」に寄せる協力の輪を広げていきたいと願っております。

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 さて、連載です。

〔西北五学区 その2〕平成11年 県文化課の調査による

【岩崎村】 〔 〕内は参加人数

〔岩崎小学校〕
◎御慶山踊り〔77〕・・・・・運動会

〔岩崎中学校〕
◎花上げ踊り〔20〕
・校内文化祭での発表、岩崎地区神楽にて発表(各一回)

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【稲垣村】

〔稲垣西小学校〕
◎登山ばやし〔16〕
・学習発表会、運動会、産業文化まつり等(年3回)

〔下繁田小学校〕
◎立ち振り〔32〕
・学習発表会、運動会、福祉大会、子ども会(年4〜5回)

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【金木町】

〔金木小学校〕
◎金木さなぶり荒馬踊り〔197〕・・・運動会

〔川倉小学校〕
◎金木さなぶり荒馬踊り〔50〕
・創立120周年記念式典アトラクション

〔嘉瀬小学校〕
◎嘉瀬奴踊り〔173〕
・運動会、学習発表会、障害者施設慰問(年1回)、町芸能発表会、
 校内奴踊りチャンピオン大会、その他歓迎行事など

〔喜良市小学校〕
◎津軽三味線〔13〕
◎金木さなぶり荒馬踊り〔13〕
・校内での学習発表会、町産業文化まつり

〔金木中学校〕
◎津軽三味線〔10〕
・平成11年4月より活動のため、まだ発表段階に至らず

〔金木南中学校〕
◎嘉瀬奴踊り〔68〕
・体育大会、文化祭、町夏まつりでの流し踊り、町文化まつり
◎金木さなぶり荒馬踊り〔56〕・・文化祭での発表(パレード含む)

〔金木高等学校〕
◎奴踊り〔162〕・・留学生の歓迎会、学校祭パレード(合計年2回)

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(追伸)
 夜、仕事場からの帰宅途中、陸橋の下を通りかかりました。ここ東京では、楽器練習が近所迷惑となるため、サックス、トランペットなど、色々な楽器の練習を、夜間、こういった場所で若い人たちが盛んにやっています。
 ここは往来する車の音にかき消され、どんなに大きな音を出しても近所迷惑にならないこと、そしてなにより陸橋下のコンクリートで囲まれた空間は響きがたいへん良く、気持ちよく演奏ができる、というわけで、隠れた人気スポットとなっております。
 ここを通ると、いつもいろいろな楽器の音が聞こえてきますが、先日はなんと、津軽三味線でした。思わず、足を止め聴き入ってしまいました。

 コンクリートの壁に向き合いながら、一人の若い男性が懸命に三味線を撥で叩いていました。意外な場所で「ふるさと青森の音」に出会い、感激でした。
 
(59)青森県での取り組み その24 2003年11月29日(土)
 昨日、黒石市教育委員会の担当課からご連絡をいただきました。再調査に向け、これから動きたいとのことでした。青森市・八戸市・弘前市に続き、市では黒石市の更新データも得られる見込みとなってまいりました。

 ところで、当協会では故 北彰介氏の曲を得ております。
 作詞家としても有名な北氏のことですから、そう言って驚く方はいないと思いますが、
「北氏の作詞・作曲」の作品ですというと、えっ?と驚く方は少なくはないと思います。
 生前、北氏から、「ワは音楽のこと、ナンもわがんね・・・」と繰り返し聞かされていたので、私もまさかと思いましたが、確かに北氏作曲の作品を4曲、事務局では手にしております。
 こういった「まさか?」と思うような資料をどれだけ、散逸亡失から守り、後世への貴重な資料として管理していけるか。
 ある意味、こういった所に協会活動の真価が問われると考えております。ただ、このような資料は、関係者がお亡くなりになると同時に急速に失われていきます。活字になっていない情報は特にそうです。10月26日に北氏は、青森市内の病院でご逝去されたわけですが、突然のことで多くの方が驚きました。私もその一人でございます。
 もっとも身近なところから協会の存在意義を問われたようで、北氏の音楽資料情報を散逸・亡失からどれだけ守っていけるか。事務局としても、これは青森県音楽資料保存協会の一つの試金石であると認識し、全力を傾け、その作業に取り組んでまいりました。
 その成果として、青森オペラ研究会の歴史(11月1日よりこちらで連載)を完了、さらに民俗芸能に関するエピソードの収集、そして今回の北氏自身の作曲作品の発見となりました。
 こうして北氏の周辺情報をいろいろ調査照会しておりましたところ昨日、たいへん興味深い情報が舞い込んでまいりました。以下にご報告させていただきます。

 埼玉県の川越市には「川越百万灯夏まつり」がございます。このまつりは川越城主 松平斉典公 寂年(嘉永2年、1849)の翌年より冥福を祈ったことに始まるもので、名前のとおり、街のあちこちに提灯を飾り付けます。
 現在のまつりの前身である「川越百万灯提灯まつり」は仙台の七夕のように、竹にちょうちんを下げているだけだったとのこと。
 そこで、川越市観光協会が祭りの活性化を考え、青森の「金魚ねぶた」を子ども会に作らせパレードする企画が持ちあがりました。昭和56年のことです。
 その金魚ねぶたの講習会に北彰介氏が招かれたそうです。
 川越市2つの会場で、約150名のお母さん方〔子ども会の世話人〕に、金魚ねぶたの作り方を北氏は伝授。7月下旬のまつりには色・形さまざまの金魚ねぶた約300が夜の町をねり歩き、川越市民の喝采を浴びたそうです。その数は毎年増え続けていると、その後も北氏に便りがあったそうですが、現在までの変遷がどうなっているのか。
 担当の川越商工会議所から昨日、以下のようなご回答をいただきました。
 
 ご教授いただきました青森市の「金魚ねぶた」は、「金魚ちょうちん」として、「川越百万灯提灯まつり」の併催行事として商店街が実施していた、歩行者広場の行事として昭和56年に導入。翌、昭和57年の川越市市制施行60周年に名称も「川越百万灯夏まつり」となって、市民まつりとして発展。
 「金魚ちょうちん」は、子ども会の協力により実施され続け、参加者も4年後には千人規模まで増加したそうです。しかしながら、その後参加者が減少し、残念ながら、平成3年を最後に、現在は実施されなくなっているとのこと。
 ご指導いただきました「金魚ねぶた」が、現在実施されていない状況にあり、たいへん心苦しく思っています、とのご回答でした。

 「金魚ねぶた」は小さいとはいっても「ねぶた」です。ただ行列するだけではなく、ねぶた囃子の付いたミニねぶた祭りで復活することを期待したいところです。
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 連載は、本日の掲載データ容量が少なくなってきましたので、中里町のみ扱うことといたします。

〔西北五学区 その3〕平成11年 県文化課調査資料より

【中里町】 〔 〕内は参加人数

〔中里小学校〕
◎宮川獅子舞、登山囃子〔30〕・・学習発表会、運動会、中里祭り

〔大沢内小学校〕
◎虫送り〔53〕・・・・運動会、年1回地域を練り歩く

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 今回の北氏の情報、日記「連載19」のエピソードにつなげてお読みいただけると、一層味わい深いものがあるかと存じます。なぜ、北氏は、遠方の川越まで「手作りねぶた」の講習会に出かけたのか、その心情が理解できるかのようです。
 
(60)青森県での取り組み その25 2003年11月30日(日)
 平成12年度 県褒賞受賞の作曲家 川崎祥悦氏の録音作業を完了いたしました。
 
 経緯は連載の8と14にも書きましたが(未見の方は一番下の「次のページ」をクリックの上、内容をご参照下さい)、目の具合が思わしくなく、長時間の執筆は困難だということなので、これまで体系づけた記録となっていなかった、川崎氏の音楽情報をご本人のお話でデジタル収録。現在事務局で進めている「川崎氏音楽資料の保管作業」をバックアップする参考情報として今後、活用していく予定でおります。
 
 今回の作業により、合計9時間弱の録音データを得ることができました。
 
 これは誠に貴重かつ興味深い内容です。
 川崎氏は、音楽教育に携わっておられる方なら知らない人はいないという「教育芸術社版 学校音楽教科書」を通し、日本の音楽教育の発展と充実に尽力してこられた方です。 ここに語られた内容は、日本の学校音楽教育の歴史の一端、貴重な証言の数々であり、その内容の多くが活字になっていないという、本当の意味での生情報です。
 こういった情報は、研究者にとってたいへん重要なものだということは事務局でも認識しております。
 川崎氏より内容公開の承諾を受けておりますので、事務局としても、例えば大学で、音楽教育のテーマで研究されている方の卒論の参考資料として求めがあった場合など、使用目的を一応ご確認させていただいた上、提供していきたいと考えております。
 
 事務局としても、大学で学ばれている多くの学生の方々と協力体制・相互補完の関係を築き上げていきたいと考えているところです。協会のデータを使って大学時代、思う存分研究していただき、それを卒論の形で、青森県の音楽文化史の充実のために還元してもらえれば、ご本人や協会はもとより、青森県にとっても益するところが多いのではないかと存じます。

 協会に蓄積されてきているデータは秘蔵するのでなく、使用目的に問題ないようであれば、積極的に開示していきたいと考えております。

 著作権問題や個人情報の秘匿という点への留意をしつつも、多くの方々と、できうる限りの情報共有をはかり、皆さんと一緒にふるさと青森の音楽について考える「情報の広場」の役割も果たしていけたらと願っているところでございます。

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 本日連載は鶴田町です。

〔西北五学区 その4〕平成11年 県文化課調査資料より 

【鶴田町】
〔鶴田小学校〕
◎津軽三味線〔7〕・・・学習発表会他(年2回)

〔胡桃舘小学校〕
◎登山囃子・おどり〔148〕・・・・運動会、学習発表会

〔水元小学校〕
◎ねぷた囃子〔13〕・・ねぷた運行村周り、鶴田まつりねぷた運行に参加
◎ねぷた太鼓〔7〕

〔妙堂崎小学校〕
◎登山囃子〔35〕・・・・学習発表会、施設訪問

〔富士見小学校〕
◎富士小獅子舞〔116〕
・運動会、獅子舞引継式、その他町内イベント年4〜5回

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 次回が「西北五学区」の最終回となります。川崎氏より、現在連載の件に関する情報もいただいておりますので明日、それについてはご報告させていただきます。


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