青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年1月(1)>

(92)新春
(93)縁起の良い「祝福芸」
(94)今後の課題 その1 「方言」
(95)今後の課題 その2 「音響」
 
(92)新春 2004年 1月 1日(木)
 新年明けましておめでとうございます。
 平素のご厚情を感謝し、皆様のご健康とご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

 新年度の事務局日記の情報発信は明日よりのスタートでございます。

 本年も様々な価値ある情報発信に努めていきたいと存じます。
 ご指導とご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 平成16年元旦
 
(93)縁起の良い「祝福芸」 2004年 1月 2日(金)
 昔は元日になると、豊漁を予祝する恵比須神、豊作を願う大黒神が仮面をつけて訪れ、
囃子方の太鼓に合わせ、おめでたい言葉を述べ、家々をまわる光景が日本のあちこちで見られたといいます。こういった祝福芸が家の門付けをしていたのは青森でも過去の話になってしまいました。

 門口に立っておめでたい文句を唱え、にぎやかに祝い歌を唄っていた祝芸者の様子が今も忘れられない。あれがお正月の魅力ある風情の一つだったと語るご高齢の方は少なくありません。

 今年は青森も雪が少なく、お正月の風情が今一つのようですので、せめて動画配信で恵比須舞や大黒舞をご覧いただき、昔ながらのお正月の雰囲気を味わっていただければ幸いと存じます。

 以前もご紹介いたしましたが、次のURLに、おめでたい恵比須舞と大黒舞がいくつも含まれております。

 お正月休みでのんびり過ごされている方も多いかと存じます。
 年の初めに、ゆっくりと、おめでたい芸能をお楽しみいただければと存じます。以下URLの「えんぶりの動画配信メニュー」がその入口となっております。

http://www.hachinohe.jp/enburi/

 
(94)今後の課題 その1 「方言」 2004年 1月 3日(土)
 当協会はもちろん青森県にかかわる音楽を扱うわけですが、昨年より「音楽」という言葉をどうとらえたらよいか、複数の方々からご意見・お願いをいただいております。
 本日は一番多かった「方言」について触れてみたいと存じます。

 昨年、青森県音楽資料保存協会が設立、10月1日より事業がスタートいたしました。いろいろな方にご挨拶に伺い、忌憚のないご意見を伺ったのですが、その際、次のようなご意見を複数の方々より頂戴いたしました。

 それは「できるなら、消滅しつつある県内の昔話の方言による語りなども、広い意味での青森県の音楽資料として収集・保存してもらいたい」というものです。

 確かに、方言を目で読んでも、そのニュアンスや魅力は伝わってきません。方言は、その独特な「響き」を堪能するだけで、一つの音楽鑑賞ともいえる。
 こういった意見も述べる方も少なくはありません。

 青森県出身の作曲家 川崎祥悦氏にはご子息がおられます。
 ご子息も現在高名な作曲家としてご活躍中ですが、東京生まれのため青森の方言はまったく話せないそうです。
 
 ただ、聞いて理解することはできるそうで「ほんだツきゃー」、「ほんだビョーン」という、青森ではおなじみの方言に、フランス語的なエレガントな響きを感じ、特にこの2つの言葉はお気に入り。このようなお話を、川崎祥悦氏の奥様より伺いました。

 津軽弁とフランス語の響きの上での不思議な類似点を指摘する人は少なくないようですが、フランス語は語るだけで音楽になるという方もおられます。
 青森の方言も、言葉自体に、もしかしたらそういった音楽的魅力があるのでしょうか。

 それはともかく、青森の方言歌曲、そして郷土を素材にした創作オペラの周辺情報として、方言による昔話の語りものの保存、これも重要なテーマであることは確かであり、録音物などによる保存の意義を感じているところです。
 
 現時点で「方言」まで「音楽」の範疇を拡大し保存にあたっていくかどうか。
 これは、協会各理事の方々の判断に委ねる必要があり、事務局として積極的な「方言」の録音収集活動はできませんが、持ち込まれるものに対しては、方言歌曲などの周辺資料としての位置づけができます。事務局としても保存管理していくことは充分可能でございますので、ご希望の方はどうぞご相談下さい。 

 ところで、もう一つ、「音楽」についての拡大解釈が求められる問題があります。それについては、明日、ご報告させていただきます。
 
(95)今後の課題 その2 「音響」 2004年 1月 4日(日)
 当協会の副会長 故 北彰介氏から、青森の古い伝承を伺っておりました。主に子ども時代の思い出話が多かったのですが、本日取り上げる「カパカパ」もその一つでございます。
 
 旧暦1月15日の小正月の夜、子どもたちは、カパカパ人形を作り、「あじ(明け)の方がら、カパカパねきした」と大声を張り上げながら各家々をまわったそうです。
 どこの家も「よぐきた、よぐきた」と言って、餅やカント豆、ミカンやダラコ(小銭)をくれたそうで、子ども時代、白一面の雪道を一列になりながら、カパカパ人形を持ち「カパカパに来した」と、声をかぎりに叫び歩いた思い出が、忘れられなかったといいます。

 その「カパカパ」の名の由来は、折敷の底を木の棒で叩いたからだ、もとは手に何か鳴るものをもっていたからだ、など諸説あるようですが、音に関係するところから出たものだという点では一致しているようです。

 ちなみに下北地方では「カパカパ」を「カセドリ」と呼んでいたそうです。

 だいたいのカパカパ人形は割り箸を十字に組ませ、ダイコンやニンジンなどで頭をつけて、紙の衣服を着せたものだったそうで、青森県内各地域にそれぞれの特色があったそうです。
 が、物もらいの風習だとして、禁止するよう指導する学校も大正時代の頃から出てくるようになり、カパカパは次第に消滅。
 しかし現在、田舎館村や黒石市などでは一部復活し、おこなわれているそうです。

 ところで音楽のジャンルに「環境音」があります。その方面の権威が当協会の理事の中にもおられますが、県内各地域で聞かれていた懐かしい「音」も、保存の対象に含めてはとの提言を複数の方面からいただいております。

 ここまで守備範囲を広げてよいものなのかどうかは今後の課題ですが、たとえば、この「カパカパに来た・・」と叫ぶ子どもたちの声。それに答える「よぐきた、よぐきた」と言う家々の声。その合間に聞こえるチャリーンというダラコや餅入れの音・・・。
 
 確かにこれらは、風情ある、ふるさと青森の音響風景の一つではないかと感じてもいます。西洋人にはノイズとしか感じられない「虫の音」に、そこはかとない風情を感じ、それらの音を、一つの「音楽」ととらえる伝統が日本人にはありますので、単なる楽音のみを「音楽」とせず、もっと大きな、響きそのものを「音楽」ととらえてみてはという意見にはうなずける点もあります。

 こういった点をどのように考えていくか。これまた協会としての今後の検討課題です。


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