(96)仕事始め (97)県外からの質問 その1 (98)県外からの質問 その2 (99)青森県の「古代文化」とは? (100)十和田湖の歌 |
(96)仕事始め | 2004年 1月 5日(月) |
本日より仕事始めという方も多いかと存じます。 青森県音楽資料保存協会も昨年の続きとなる仕事を本日よりスタート継続させていきたいと考えております。目に見える楽譜や録音物などの現物はもとより、その他いろいろな情報も県内外から集め、今年も青森県に関する様々な音楽資料の収集保存にあたっていきたいと考えております。 さて、こうして集まってきた様々な分野の情報、そして音楽資料の現物を、活用しやすいようにどのように整理していくか。 実は、協会設立の一年ほど前に以下のような案を起草しております。 【伝承音楽関係】 ◆わらべうた関係・・・・・・・・・1名 ◆民謡関係・・・・・・・・・・・・1名 ◆郷土芸能・年中行事関係・・・・・1名 【創作音楽関係】 ◆作詞関係・・・・・・・・・・・・1名 ◆作曲関係・・・・・・・・・・・・1名 ◆演奏関係・・・・・・・・・・・・1名 【学識経験者】・・・・・・・・・1名上記、合計7名の委員は、最低でもこれぐらいは必要だろうと思われる人数です。今後、さらに項目が細分化され、スタッフが増える可能性も指摘されています。 これは、協会設立の準備会議で検討された素案であり、当協会の正式決定事項ではないのでございますが、いずれこれがたたき台となって、専門スタッフの配置が決定していくと思われます。 | |
(97)県外からの質問 その1 | 2004年 1月 6日(火) |
昨年の末、青森県合唱連盟の掲示版に次のようなメッセージを見つけました。 突然の書き込み失礼いたします。私は北海道に住む者です。中学の時、修学旅行で青森に行った際、バスガイドさんが歌ってくれた歌に心うたれ、涙しました。 八甲田山の雪中軍の悲劇を唄った歌で、たしか曲調は、「月の砂漠」のような感じでした。歌詞の最後のほうに、“桜の木の下に埋めてくれ。そして春になって桜の花びらとなって君に降りそそぐだろう”といった感じの歌詞だったと思います。 この歌の題名は何というのでしょうか? もし知っている方がいらっしゃいましたら、歌詞を教えて下さい。 しばらく掲示版の様子を注視していましたが、誰も明確な答えを提示する人がいません。そのうち時間がたって、しだいにこのメッセージは下のほうに回され、忘れられようとしているように感じられました。これは、まずいのではと思いました。 実は東京で、ある民謡研究の大家と会っていろいろお話を伺うことがあったのですが、ずいぶん手痛いことをおっしゃっておられました。 私は青森が大好きです。でも青森の行政は好ましく思っていません。 どうしてですか? 驚いて私が尋ねますと、以下の答え。 せっかくですよ・・、東京から、青森に足を運ぶんです。もちろん実費。それは青森に「唄の心」を求めてです。 だいたいあてはないので、めざす民謡資料の候補地の役場に行って、どこに行ったら音楽資料が得られるのか尋ねます。 が、その対応のひどいことといったらありません。 ほとんど誰もその情報を知らない。かろうじて出てくる資料も、東京で手に入る本のコピー、またはそれの丸写しの文が少なくないんです。 そういったものを見るために、わざわざ青森に行くのではないんです!! 役場の案内係として立つ人なら、地元の歴史や芸能をもっと勉強し、県外からやってくる人を満足させるだけの案内を、ぜひともやってほしい・・・。 お酒が入っていたせいもあり、長年のうっぷんを全部いただく格好となりました。が、反論も出来ず、申し訳ありませんと謝るしかありません。 昨年の春のことでした。 当時、青森県は「観光立県」を宣言していましたが、県がいくら様々な観光イベントを企画しても、県外から青森県の文化遺産を求めて来られる方に対し、上記のような対応をしていたのでは、まずいのではないか・・・、青森県の地域の伝統芸能などに興味を持って、県外からわざわざいらしてくださった方への質問等に対しては、誠意を持って答えるべきではないか。そのように感じました。 きっと、上記掲示版の書き込みをした方も、しっかり対応してもらえないことへの同様の悲しさを味わっているのではないかと考え、当協会のある理事に、ご尽力をお願いいたしました。 青森県音楽資料保存協会には、様々な音楽分野での権威が理事、または会員として名を連ねておりますが、藤川ツトム氏は、青森関係の歌謡曲・労働歌の分野での第一人者です。 その藤川氏に調査を依頼しました。 当協会は原則ボランティア活動で成り立っており、皆さん、ふるさと青森県の音楽文化を守っていきたいと、ほとんど手弁当で活動されております。今回の藤川氏も調査費用は自腹。ご厚意により、たいへん面倒な作業に従事してもらうこととなりました。 手掛かりは「桜の木の下に埋めてくれ・・・」という歌詞の一節しかありません。 さあ、どうやって調べたらよいものか。 この続きは明日に。 | |
(98)県外からの質問 その2 | 2004年 1月 7日(水) |
さて、持病の腰痛で一週間寝込んでいたという藤川理事ですが、ふるさと青森のためということで、病身に鞭打って、いろいろご尽力くださいました。 まずおこなったのが文献調査。ダメでした。該当する楽曲がありません。 皆さん、明治のころから歌われている「陸奥の吹雪(作詞:落合 直文 作曲:好楽居士)」ではないかとおっしゃるのですが、歌詞があまりに違います。 それではということで、藤川理事、バスガイドさんが歌ってくれたという情報だったので、なんと複数のバス会社に行って直接、バスガイドさんに尋ねてみていただきました。 そうしたところ、十和田在住のあるバスガイドさんが心当たりあるとの回答をいただいたそうです。 ただ、頭の中に歌があるとのことで、カセットテープに録音して後日お届けしますよとのお返事。事務局では、藤川氏とともにカセットテープの到着を待つこととなりました。 ・・・待つこと一週間あまり。 届きました。が、藤川氏の手元に届いたテープは、その方の無伴奏ソロによる歌のみ。 そこで、これを耳にし、藤川氏は楽譜に歌詞とメロディーを書き写し、和声をつけ、イントロをつけ、シンセサイザー演奏による藤川氏自身の歌による録音カセットを作って、それを事務局に送っていただくことになりました。 あれっ、これって・・・・ 事務局に到着したテープの音を聴き、楽譜を見て驚いてしまいました。 実は、私が中学校時代に愛唱していた曲でした。 30代以上の青森の人で知らない人はほとんどいないという1977年に公開された映画「八甲田山」。そのテーマ曲でした。 題名「春には花の下で」作詞 山川啓介 作曲 芥川也寸志。 五堂新太郎の歌で、映画「八甲田山」の主題歌としてシングル発売されましたが現在は廃盤のようです。 ただ、映画には歌は流れなかったようで、キャンペーン用の曲として、映画に使われた芥川氏のメロディーに歌詞づけされた曲のようです。実は、このシングル盤のレコードを昔買いました。映画の劇中音楽とは違うじゃないかと思いつつも、芥川氏の心揺さぶるメロディーに引き込まれて、よく口ずさんだものです。が、すっかり忘れておりました。 しかし、藤川氏の録音した歌を聞いて、当時の記憶が甦ってきました。 なんだ、この歌か・・・ こんな身近な曲を探すために二ヶ月も費やしたのかと大笑いしてしまいました。 バスガイドさんは「春には桜の下で」という題名で伝承しておりました。 どこか無名の作者の古来の伝承作品と思いきや、青森県にとって超メジャーな楽曲でありました。 さっそくメールで「見つかりましたよ」と、質問者に回答をお送りいたしました。 民謡やわらべ歌などは原曲が口伝えに伝播され、原曲の存在をほとんどの人が知らないまま形を変え、ある地域に根付いていくようです。この楽曲も題名やメロディーが若干変えられ、バスガイドさんの間に作者不詳の楽曲として伝えられていました。 県内各地には、このようにして地域に根を下ろし、作者不詳のまま地域の伝承音楽になっていった楽曲が少なからずあるのでは・・・と感じられた次第です。 | |
(99)青森県の「古代文化」とは? | 2004年 1月 8日(木) |
「古代文化」という言葉から何をイメージされるでしょう。 ほとんどの方が、時代区分上の「原始・古代に所属する文化」をイメージされるのではないでしょうか。 ちなみに、これに関して学説上諸説あるそうですが、ふつう古代とは平安時代までで、 鎌倉時代以降は含まれないそうです。当然のことながらここに現代が含まれることはありません。 ここで、ユニークな解釈をとっている県があります。島根県です。 島根県では上記の解釈に加え、「古代文化」を、時代区分上の原始・古代には直接関係なく、中世であれ、近世、近代、あるいは現代であれ、各時代に残存している古代文化的な要素、つまり、「各時代の文化の基層を意味するもの」という解釈をとっています。 この立場を踏まえ、平成4年4月、島根の歴史文化についての調査研究・資料収集・体系的整理、およびその活用をおこなう組織「島根県教育庁 古代文化センター」が設立されました。 この島根県の「古代文化」のとらえかたは、たいへんユニークであり、刺激を受けるところでもあります。 「母親の葬式のとき、野辺送りのときに鳴らされる鎮魂具の鉦が長二度で響いていった。あれを聞いて、ああ、おれの音の根っこはこれなのかなあと驚いた」と、作曲家の下山一二三氏(弘前市出身)も語っておられましたが、音楽的な「各時代の文化の基層を意味するもの」が、もしかしたら青森の地にも、あるのかもしれません。 それが何なのか、まだわかりません。しかし、多くの青森県にかかわりある音楽文化遺産を守っていくことで、この基層を流れている「青森の音楽文化の核」が浮かび上がってくるのではと期待しております。 さて、こちら「古代文化センター」の研究員の方と最近知り合う機会があり、事務局では情報交換を少しずつおこなわせてもらっております。 事務局で特に関心があるのは、平成5年度から始まった「民俗分野の調査研究」です。 古代文化センターの神楽(国・県指定のものを優先的に)を中心とした調査活動は全国でも指折りであり、担当者は謙虚に語っておられますが、その業績に学ぶところは非常に大きいものがあります。 神楽を中心とした民俗芸能のビデオ・写真による撮影、作品制作などの成果物に関する報告書の作成はもちろんのこと、インターネットで動画を発信するなど、成果物を芸能団体や協力者、関係市町村教育委員会、県立生涯学習センターや、一般への貸し出しなど、積極的に活用しようとしているようです。 調査活動・保存のほか、こういった活用の点でも、全国屈指の活動をしているのが島根県古代文化センターです。今後いろいろな情報を頂きながら、それを参考に当協会も発展的な活動を展開していきたいものだと考えております。 本日は、この島根県古代文化センターの成果物の一つ、神楽映像のインターネット動画配信URLを参考までに以下に示しました。島根県を代表する神楽三種(各約6分)が堪能できる内容となっております。 http://movie.pref.shimane.jp/culture/kagura.html | |
(100)十和田湖の歌 | 2004年 1月 9日(金) |
事務局日記のバックナンバーができましたので、過去の情報が比較的参照しやすくなったかと存じます。その第1回の事務局日記に「湖畔の乙女」と「奥入瀬大滝の歌」について触れさせていただきました。 1950年代の初め、詩人の佐藤春夫氏が県立三本木高校の校歌の作詞を当時の校長に依頼され、下見のために十和田市を訪れます。十和田湖遊覧などをした際に、十和田の思いを綴った詩が生まれ、当時、三本木高校の音楽教諭だった長谷川芳美氏が作曲したのが上記の2曲です。十和田湖遊覧バスのバスガイドが必ずこれらの歌を挿入しながらガイドをしていたそうで、全国から訪れた多くの観光客がこれらの歌を耳にし十和田湖の風景を心に刻んだそうです。 ところが、自家用車の普及で観光バスの本数が減り、ガイドはいつしかテープ録音にかわり、歌われなくなっていきます。 そして現在はその歌も50歳以下の人は、もう知らないという状況なのだそうです。 作曲者の長谷川氏、そしてその遺志を継ぐべき息子さんも亡くなられたそうで、上記2曲に関する資料は、長谷川氏の奥様の手元にひっそり残されているだけ。 美しいあの曲をなんとか守ってもらえませんか。こういったご相談を60代の女性の方から昨年受けました。 そこで早速、事務局では「湖畔の乙女」と「奥入瀬大滝の歌」の楽譜を入手管理することにしました。 しかし、やはり歌は人々に歌われてこそ命を持つ。人々に歌い継いでもらうためには、 その歌の背後にある数々のエピソード、そして、その歌にかかわった方々の思いも同時に伝えていく必要があるのではないか。 事務局では、音楽はもちろんのこと、その音楽に付随する人々の思い・心もできることならば、同時に保存しておきたいと願っております。 これなしに、A4サイズ2枚の楽譜だけを保管庫に回しても、おそらく、それは無味乾燥な文献資料として眠ってしまうだけではないかと考えております。 そこで、「湖畔の乙女」「奥入瀬大滝の歌」の2曲に関する様々なエピソードを集めることにしました。幸運なことにご連絡を頂いた方が、当時三本木高校の教頭先生のお嬢さんであり、曲の成立をこと細かくご覧になっていたということです。 その方に作曲者の長谷川氏の奥様とも連絡を取っていただきながら、いろいろな周辺情報をまとめてもらっております。 先日お電話しましたところ、「そろそろ資料がまとまりますよ」とのことでした。 資料がまとまりましたら、こちらでご紹介できるかと存じます。 こういった曲の背景に存在する様々な人間模様に触れ、共感、また当時の懐かしい記憶を甦らせた人が、歌ってみたいということになるかもしれません。 保管庫の中だけの文献資料ではなく、人々に歌い継がれていく本当の意味での「生きた保存」につながっていくよう、お役に立ちたいものだと願っております。 また、歌い手さんの多くは、ある歌曲を取り上げる際、作詞者・作曲者のプロフィールはもとより、歌われた場所、その曲の生まれた背景などを、徹底的に調べ上げるそうです。このようにしてはじめて、その曲に共感、思いを乗せて歌うことができるという話も耳にしております。 単なる楽譜だけではなく、周辺情報も同時に保存していく。 これはその曲がより良く演奏されていくための基礎資料の提供にもつながることではないか、と認識しております。 |