青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年1月(5)>

(113)岩手と青森の芸能 その1
(114)岩手と青森の芸能 その2
(115)岩手と青森の芸能 その3
(116)デジタル化の問題点 その1
(117)デジタル化の問題点 その2
(118)デジタル化の問題点 その3
 
(113)岩手と青森の芸能 その1 2004年 1月22日(木)
 昨日まで連載していた江釣子中学校の近況ですが、今はもう始めて20年以上たっているので、夏休みの「全校芸能発表会」は、学校の伝統となっているといいます。
 また、今の中学生の親の半数以上は、自身も中学時代に芸能を体験しているのだそうです。こういったところに、歴史の厚みを感じてしまいます。

 絶滅危惧種に指定されているという言葉を使う人もいる民俗音楽のジャンルですが、録音物や映像などでこれらを残していくこともできます。もちろん、青森県音楽資料保存協会ではその作業もおこなっておりますが、それだけでは何か寂しいような気がします。
 
 やはり一番幸せなのはその民俗音楽を発する芸能に残ってもらい、血の通った音を地域に絶えることなく響かせ続けてもらうことではないかと感じております。
 そのために当協会としてできることは、各保存会や関係者に保存継承に関する有益な情報を送りながら、後方から活動を支援していく。
 それぐらいしかできませんが、事務局でも一生懸命、地域の芸能の保存を真剣に考えている方々をバックアップする良い情報を収集しております。
 こういった良質の情報が、昨日までの連載をご覧いただければおわかりいただけるよう岩手県では豊富です。芸能に対する考え方も青森県とはかなり違っているようで、岩手県では伝承者もそれを取り巻く研究者や学校を含めた関係者も非常に熱心、かつ厳しく臨んでいるとのことです。

 昨日までの対談でいろいろな事例を述べておられた高橋氏も、対談では触れていなかったものの、たいへんなご苦労があったといいます。
 先日、岩手の県教育委員会の方とお話しする機会があったのですが、岩手県の場合、高橋氏のような熱心な方々が中心となって、各地域ごとに自律的に自分たちの芸能を守っていこうと熱意ある取り組みを続けているそうです。

 岩手県教育委員会が中央から号令を発し、各地域の伝統芸能を守っていくよう指導しているのかと思いましたが、そうではないとのことでした。
 自分たちの地域の伝統を、自分たちの手で守っていこうということで、保存会・学校・PTA・地域の人たちが一丸となって芸能保存の取り組みを続けているところが少なくないのだそうです。

 現在、岩手県関係者から、いろいろな情報を聞いているところですので、有益な情報は今後も次々にお知らせしてまいります。

 岩手県の面積は、ほぼ四国全体に相当する大きさ。かつて北が旧南部領、南が旧伊達領だったというのはご存じのとおりです。
 また、南部衆(のんびり屋)と伊達衆(律儀者)という具合に、一般的に生活様式や気質に少し違いがあるともいわれています。

 民俗学の父とも呼ばれる柳田国男の紹介となる「遠野物語」に刺激を受け、全国各地の民俗や行事の採訪と報告が行われ、日本民俗学の土台が固まっていった経緯があるようで、そのため、岩手県の遠野市が「民俗のふるさと」と呼ばれることもあるようです。

 こういった岩手県ですから、まさに民俗芸能の宝庫。明日より、少しばかり青森県の民俗芸能と対比させながら、岩手県の芸能を見てみることにしたいと存じます。そのことで、今後、岩手県から寄せられる情報を理解するための予備知識を得ておくことができそうです。
 
(114)岩手と青森の芸能 その2 2004年 1月23日(金)
 さて、昨日の続きでございます。
 岩手県の郷土芸能は種類別にみると次のようになります。
  @神楽 (36.6%)
  A鹿踊り(14.5%)
  B剣舞 (13.1%)
  C田植踊り(12.4%)
 『祭礼行事 岩手県』桜楓社 平成4年 より

◆神楽
 岩手県の中央にそびえる早池峰山は修験の霊山としても知られています。かつて、ここを拠点にしていた修験道の山伏によって伝えられた山伏神楽が、岩手県の主流となっています。
 ところで、明治の修験宗廃止令と神仏禁止混淆禁止令の影響で旧伊達領の山伏神楽はほぼ消滅しますが、そのことで、農民たちによる別種の神楽も生まれることになったということです。
 ちなみに青森県でも下北の東通村を中心に、修験道の人々によって伝えられた神楽が残されています。

 南部地方でも十和田市の「切田神楽」、田子町の「田子神楽」、八戸市の「鮫神楽」が
山伏神楽の系統であるといわれています。

 火伏せや加持祈祷に、権現とあがめる獅子頭を回しながら付近の村々を巡り、神楽が演じられてきたのが原形というだけあって、一般に、山伏神楽には修験が練り上げた気迫がこもっており、そのダイナミックさが現代人の心を、今なお魅了する一因になっているといわれています。
 岩手県内学校での取り組みも、この神楽系がもっとも多く、ついで「さんさ踊り」「ナニャドヤラ」等の盆踊り、そして鹿踊り、さらに田植踊りが続き、これらで全体のほとんどを占めています。

◆鹿踊り
 岩手県では、「一人立ちで3頭が1組になって踊る三匹獅子」とは芸態が異なり、「一人立ちで8〜12頭が1組となって踊るもの」が多いそうです。

 これらがさらに、胸に太鼓をつけて踊る「太鼓踊り系(岩手県南部)」と、身にまとった幕を両手でゆすりながら踊る「幕踊り系(岩手県中北部)」に大別されていくそうです。
 宮城県以北では「シシ」とは野獣の鹿の意だそうで、そのため「獅子舞」は、「シシ舞」、「シシ踊り」、「鹿踊り」と、様々に表現されています。

 太鼓踊り系のものは背中に3m近くのササラ、シナイと呼ばれる竹ざお(神を招くしるし)を立て、太鼓を叩きながら頭を下げて、ササラの竹で地面を激しく打ち、跳躍したりもするということです。

 これは、秋に野生の鹿が村人のところに豊作の祝福に来た姿を表しているのだといいます。ちなみに青森県の「津軽の獅子踊り」はほとんどが一人立ちの三匹獅子です。

  (明日に続く)
 
(115)岩手と青森の芸能 その3 2004年 1月24日(土)
◆剣舞
 これは盆の供養に踊られる風流念仏踊りの一種で「ケンバイ」または「ケンベイ」と発音されています。
 地域によって下記のように芸態に差異が見られるそうです。

【大念仏剣舞】
・阿弥陀を表す大笠(直径2m)を頭の上に乗せ笠振りをおこない、その大笠のまわりで踊り手が踊る。

【雛子剣舞】
・女児が華やかに円舞、太鼓の曲打ちが付随する。

【鬼剣舞】
・鬼面をつけ、刀を抜いて激しく踊る。

 その他、鎧をつけて踊る「鎧剣舞」、「稚児剣舞」、「高館剣舞」など芸態は多数。
 ちなみに念仏踊り系として青森県で有名なのが「平内鶏舞」です。
 雌雄の鶏のついた烏帽子をかぶって舞うところからこの名が出ています。       「鶏舞」では非常に躍動感あふれる所作が特徴。ツユギと呼ばれる六角灯籠を中心に立て、手に棒や刀を持ち円陣を作って踊ります。

◆田植踊り
 新年に訪れる年神の「お正月様」に、農民が田植えのまねをして見せ、豊作を年神に祈る神事です。特に寒冷地であった東北には年の初めに田植え踊りをするのが熱心だったそうです。豊作を願う気持ちが切実であったからだといいます。
 岩手県の田植踊りは、座敷で踊る「座敷田植」と庭や戸外で踊る「庭田植」に大別されます。

  青森県の「八戸えんぶり」もこの系統の民俗芸能です。
 「えんぶり」とは田の面を摺りならす「ゑぶりすり・えぶり」に由来するとされており、そのため「えんぶり」を舞うことは「摺る」と呼ばれているのは周知のとおりです。
 「八戸えんぶり」は他県のきらびやかになっていった田植踊りとは異なり、古式にのっとった神事的要素を残しているのが特徴とされています。

 その他にも岩手県では、「駒踊り、奴踊り、虎舞、盆踊り、人形芝居、狐踊り、七福神、太鼓、打囃子」など多種多様。
 地域別には北上川流域に分布密度が濃く、全体の三分の二、ついで沿岸南部に多いそうです。

 青森県での関連では、「駒踊り」は十和田市を中心とした「南部駒踊り」。
「奴踊り」は金木町の「嘉瀬の奴踊り」。
「虎舞」は「八戸三社大祭」。
「盆踊り」は全国有数の盆踊りとして知られる黒石市の「黒石よされ」、また弘前地方の「ドダレバチ」、さらには南部地方の「ナニャドヤラ」。
 人形芝居は津軽伝統の人形劇「金多豆蔵」などがあります。

 なお人形芝居は人形を神として扱った信仰から始まったとされていますが、その古い時代の名残は、イタコの使う「おしらさま」人形に見られています。

 「駒踊り」についての由来は定かではありませんが、古くからの馬産地として有名な南部地方で、放牧していた野馬を選ばれた若者が取り押さえる様を舞踏化したものが有力な説だといわれています。木製の馬を腰につけ笛・太鼓・鉦の囃子に合わせて勇壮に踊られます。

 ここで「駒踊り」の盛んな階上町の赤保内小学校のホームページURLを最後に記し、まとめたいと思います。とってもほほえましい内容です。ぜひご覧下さい。


http://www.hi-net.ne.jp/~hischk01/

 
(116)デジタル化の問題点 その1 2004年 1月25日(日)
 昨年、レコード会社が、自社管理している過去のアナログ録音テープのデジタル化を急いでいるというニュースが、新聞で取り上げられていました。

 ご承知のように、アナログ録音テープは音質が劣化していき、最終的には音が消滅します。
 ただ、調査のため、私も30年前のカセットテープをまだ普通に聞いたりしているので、これをごらんになって、あわてられる必要はないとは思いますが、レコード会社の場合、音は資産です。
 音質が悪くなるということは、資産が目減りするということですから、音質劣化の心配の少ないデジタル化への移行を急ぐのは、よくわかります。
 しかし一般にとっては、確かに日々音質が悪くなってはいるものの、特に気にしないというのであるなら、すぐに音が消滅するわけでもありませんので、それほど心配することはないかと存じます。
 が、強い磁気による消去はもとより、カビなどによっても再生不能となる場合があるので、保存状態はしっかりさせておく必要があります。

 さて、当協会もカセットテープなどで貴重な資料が送られてきており、いずれこれらをデジタル処理して永久保存の態勢に持っていきたいと考えているところです。
 しかし、いくつか問題点があり、現在、作業を見合わせています。
 最大のものは著作権です。

 秋田県の「たざわこ芸術村」の民族芸術研究所では、秋田県教育委員会と協力して、過去に文化庁の助成を受けて実施した「民謡緊急調査」の録音カセットテープ全64巻をデジタル処理し、一枚のCDにまとめ上げました。

 これを発行した最大の目的は、民謡緊急調査で収録されていた秋田県民謡を文字どおり「秋田県民の共有財産にしたかったから」だといいます。

 これまで64本のカセットテープは、秋田市の生涯学習センターに行かないと聴けず、またその存在も、ごく一部の人にしか知られていなかったのだそうです。
 ところが、このCD−ROMの発行により、誰でも手元におき、自由に聴けるようになりました。
 民謡に興味のある人はもちろんのこと、秋田県内の学校の先生たちも教材として、ずいぶん活用しているそうです。

 デジタル化の利点は、保存が長期にわたって可能となるのはもちろんのこと、頭出しの容易さにあります。

 民謡はほとんどが1曲、1〜2分。あれが聞きたいと思っても、カセットテープを巻き戻したり、早送りしたりしなければならず、目指す曲に辿り着くのは本当に大変です。
 ましてこれが1055曲もあるとあっては気が遠くなります。

 しかし、デジタル処理すると、ボタン一つで瞬時に再生が可能となり、たいへん使い勝手が良くなります。
 しかも、千曲以上が一枚のCDに入ってしまい、携帯にも便利です。

 学校の授業でも活用しやすいというのは、このような利点があるからです。

 しかし・・・、こういった便利なCD制作の陰には、著作件問題にかかわる大変な苦労があったというお話を耳にしています。

 (明日に続く)
 
(117)デジタル化の問題点 その2 2004年 1月26日(月)
 文化庁は今、著作権に大変うるさくなってきていると、各方面から聞かされています。
 おそらく、インターネットの普及で、誰もが容易に情報発信できる時代になっているからなのでしょう。

 さて、昨日の続きとなりますが、たざわこ芸術村のケースですが、デジタル化を進めるにあたり、この著作権問題をクリアーするために、四百数十人の演唱者に手紙を送り、諾否の返信の確認を取ることから作業が始まりました。
 各人(物故されている場合は家族の方)の連絡先を調べ上げることが、まず最初の難関だったそうです。電話でのやりとりも相当やったそうです。
 また、許可をしぶっていた何人かの方には直接お訪ねして理解を得たケースもあったとのことです。
 その方たちが懸念していたのは、許可したら、何がしかのお金を支払わなければいけないのではないか(以前、そういう商法を経験していたようです)とのこと。

 こうして、だいたいは演唱者の快諾を得た(多くが喜ばれたといいます)そうですが、中には「唄好きの父親にさんざん悩まされたので、もうかかわりたくない」と断られるケースもあったり、行方不明のため承諾が取れず、全曲のデジタル化は無理だったそうです。

 秋田県の教育委員会が収録した録音物だから、教育委員会の許可があれば、デジタル化は問題ないのではと考えてしまいます。
 しかし違うのだそうです。

 録音者としての権利は確かに秋田県教育委員会が保有しているものの、一方では演奏者の権利も存在し、演奏者(この場合は演唱者)の承諾なしに迂闊にデジタル作業を進めると
たいへんな問題が起きるおそれがあるのだそうです。
 そのため一人ひとりの演奏者を探し出して、承諾を取る必要があったとのこと。

 芸術村の担当者の大変な苦労話を昨年、耳にすることができました。

 これが市販のSPやLPなどのレコードとなると、ますます問題がやっかいになるようです。

 例えば、現代創作音楽作品の中にはレコードで発売されたものの、再発の見込みのない廃盤となって、現在、貴重な音が自由に聞けない状態にある作品もあります。特に「現代音楽作品」の場合はこのケースが多いようです。

 レコードも傷がついたり、カビがはえたりして音質が劣化していきます。SPレコードなどは、横積みした重みで簡単に割れてしまいます。
 そうなったら、もうおしまいです。

 しかし市販のレコードの場合、作詞・作曲者・演奏者はもちろんのこと、ここにレコード会社の権利がからんできて、デジタル化の話がややこしくなってしまいます。
 自分の資産を勝手に流用されることに対して、たとえそれが保存という公共的な名目でも、レコード会社は許可するかどうか、どうも可能性は薄いような気がします。

 保存が急務だからということで無断で強行すると、法廷闘争となる可能性もあり、本当にこれは「触らぬ神にたたりなし」の世界となっているようです。
 困った問題なのです。

 図書館内の資料のコピーが条件付で認められているように、録音物も販売はしない、純粋な保存の目的が明確なときには条件付でデジタル化などの便宜が図れるよう法律が改正されないかぎり、録音物のデジタル化がなかなか進めにくい状況となっています。
 本当に事務局としては、どうしようか・・という感じです。
 さらにまだ問題もあるのですが、それは明日に続けることにいたします。
 
(118)デジタル化の問題点 その3 2004年 1月27日(火)
 さて、各方面の承諾が得られたとして、無事デジタル化が進められるとしても、どの媒体にどの方式で記録していくかという点が次に大きな問題となります。

 最近5年の変遷を見ても、記録の媒体はフロッピーディスクだったのが、MOとなり、
現在主流のCDが早DVDへ移行しようとしています。最近のパソコンには、もはやフロッピーを入れる機能が常備されなくなっています。

 このように記録媒体の流通寿命が加速度的に短命化している上、記録の形式も統一されずに、複数の方式が乱立している状態です。
 いったんデジタル化してしまえば、変換は簡単だから大丈夫という意見も耳にしていますが、一度処理したものを頻繁に変換している金銭的、時間的余裕がないのが現状です。

 カセットテープは30年たっても普通にまだ聞けていますが、デジタル化し、ある媒体に、いずれかの方式で記録したとして、それが30年後に普通に聴けるかどうか不安です。
 数年前フロッピーディスクに入れたばかりの情報が、別売りのフロッピー専用端末を買ってこないと取り出せないという現在の状況から考えると、ますますその思いが強くなるところです。

 さて、こうした問題、昨日触れた著作権、そして本日述べた記録の媒体や形式の不安定な要因のため、協会に寄せられたアナログ音源のデジタル化は、足踏み状態となっています。
 また、デジタル化は音だけではなく、楽譜などの情報についても求められるところです。
 これについての事例もいろいろと集めているところですが、意外なことに、いまだマイクロフィルムが根強い人気のようなのです。
 
 それは上記の各デジタル媒体と違い、すでに百年以上の実績があり、法的証拠としても通用する信頼性が第一点。

 また、最悪の場合でも、虫眼鏡などで拡大すれば内容が読み取れるという、情報解析の容易さが第二点。

 上記の理由から、山田耕筰以降の日本の現代創作音楽作品を専門に収集保存している日本近代音楽館では、寄せられた楽譜のマイクロフィルムを2部作り、万一に備え、それぞれ別々の場所に管理、長期保存の態勢を整えているという状況を見てきました。

 ただマイクロフィルムは経費がかかります。これがネックとなるところです。

 楽譜をデジタル処理していくのか。あるいは従来のマイクロフィルム化を進めるのか。検討が必要です。

 まずは、あちこちに散っている資料が消失しないうちに集め、保存の手筈を整えることが先決であり、こちらに全力を注いでおりますが、ある程度集まったら、アナログ録音物や楽譜資料の長期保存へ向けての処理作業を考える必要が出てまいります。
 こちらも今のうちから、いろいろな問題点を検討しております。
 それをいろいろ並べてみることにいたしました。
 
 ところで、保存に関わる、青森県内のある公共施設の担当官からこんなお話を伺いました。

 長期保存は、和紙に墨。これが一番ですよ。
 これは数々の古文書が証明しているところです。
 虫さえつかなければ、場所もとらないし、これに勝るものはありません。
とのこと。

 最後の手段は、楽譜を和紙に墨で書き写すしかないか・・。これを古文書を管理する特殊庫に入れたら千年以上は持つかも・・と、一瞬考えてしまいました。


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