青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年2月(1)>

(123)あやこの世界 その5
(124)あやこの世界 その6
(125)カパカパ調査 その1
(126)カパカパ調査 その2
 
(123)あやこの世界 その5 2004年 2月 1日(日)
 昨日からの続きです。
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◆11時35分【休憩】

◆11時40分【模範演技】
・片手2個 右・左
・片手2個 手の平返し
・両手3個 ジャグリング、シャワー、下ゆり
・片手3個
・両手4個

◆11時45分【コミュニケーション】
◎それぞれ2個のお手玉を持って2人が向かい合う
・あんたがたどこさ
・右手を2人同時に投げ、相手の玉を受け取る。
・左手も同じようにする。
・呼吸が合ってきたら、右、左、連続でする。
・次に相手から来る玉を、一度手の甲で跳ね上げてから取る。
 (左も右も)
・2人で4個の玉を廻す。(模範してみせる)

◎輪になって(8〜10人)お手玉廻し
・右手にお手玉をのせ、あんたがたどこさの「さ」の箇所で、
 右隣の人に玉を渡す。
 そのとき、右足も一緒に一歩、右へ寄る。

◆12時【お手玉演舞】

◆12時15分【今日のチャンピオン】
・片手2個 両手3個

◆12時20分【終了】

 以上、愛媛医療福祉専門学校で実際に使用されたものです。

 さて、「無気力や暴力的衝動を招くゲーム脳をお手玉が治す」という興味深い研究結果を出されている方がいらっしゃいます。日本大学の森昭雄教授(脳神経科学)です。
 森教授によると、「ゲーム脳」とはテレビゲームなどのやりすぎで、創造性や理性をつかさどる脳の前頭前野(脳の前部)の活動が低下し、無気力な状態になったり、暴力的な衝動が自制できなくなり、「キレやすく」なること。
 前頭前野の活動レベルの指標となるベータ波が、ゲームを始めるとゼロ近くまで低下してしまいますが、お手玉をしているときには、活発になるのだそうです。

 また、老人専門の病院がお手玉を治療法として取り入れたところ、多くの成果が上がったともいいます。お手玉は、すばやく両手の指を動かす必要があり、脳を刺激するので、痴呆症の予防になり、脳が活性化されるので笑顔が出て、やる気、集中力、食欲も増すのだそうです。

 こうして、子どもとお年寄りにとって有効なお手玉、そのお手玉遊びを支えるわらべうたを歌いながら子どもとお年寄りが一緒に交流し合うことで、さらなる教育的・医療的相乗効果が期待されます。

 ところで「日本のお手玉の会」で子供たちの学習の際、大切にしているのは、遊び道具を自分で作ることだといいます。子供たちに縫い方を教えると、危なっかしい手つきながら、なんとか縫い上げていく。こうして苦労して自分で作った遊び道具は決して粗末にしないといいます。
 昨日の授業指導内容の【導入】に、「作り方や遊び方、歌、さらには行儀作法や社会とのかかわり方、昔話など」という項目がありました。

 確かに、わらべ歌とともにお手玉を使って隔世伝承・世代間交流をすることによって、生活一般への方面も含めた、いろいろな分野への波及効果が期待されそうです。

 さて明日は、その【導入】で詳しく述べることが出来なかった、お手玉の歴史について触れてみたいと存じます。
 
(124)あやこの世界 その6 2004年 2月 2日(月)
 現在使われている袋製のお手玉は、1700年代に日本で作り出されたものだそうです。このお手玉は扱いやすいので遊び方が多様化し、お手玉唄も数多く作られていきました。
 ところで、「袋お手玉」以前の遊びは小石でおこなわれ「石なご」あるいは「石などり」と呼ばれていたそうです。

 「石なご」という名称は平安時代のいくつかの和歌の中にも登場しているので、平安時代に、かなり一般化した遊びではないかとみられています。
 西行法師も「石なごの玉の落ちくるほどなさに過る月日はかはりやはする」と、うたっています。

 さて、この「石お手玉」に注目すると、それが日本だけではなく、アジア各地にあることが、藤本浩之輔氏の調査でわかっています。

 また、大英博物館のギリシア、ローマ室にも、同様の遊び(アストラガリ)の展示があり、これは羊のかかと部分にある、小石状の骨を使ったゲームで、日本の石なごとよく似ているそうです。
 この「骨お手玉」ともいえる遊びについては、ギリシア時代の歴史家ヘドトスが、リディア(紀元前730〜536)で作り出されたと書いています。

 また、エジプト文明にさかのぼる四千年も前の記録にもあるなど、羊飼いの子供たちが、捨てられた羊の骨を拾い集めて遊んだのが、起源とみられています。

 ちなみに「骨お手玉」は英語ではナックルボーンズと呼ばれ、ヨーロッパはもとより、中近東やアフリカなどでも、小石や貝殻で、このパターンのゲームがおこなわれているそうです。
 これが、シルクロードを経由し、アジアへそして世界へ広がっていったのではないかと考えられています。

 日本には中国から伝わってきたといわれていますが、布製のものは日本だけのようです。そしてこの布製お手玉が、やわらかさや美しい柄などの理由で世界で人気と注目を浴びているのだそうです。

 現代人は台所仕事、せんたく、掃除、本を読むなど、うつむいておこなう作業が多くなってきました。ところがお手玉は違うようです。
 上を向き、胸を張って、両手をずいぶん活発に動かさなければなりません。さらに大きな声で1つ、2つ・・と数えたり、歌も加わります。現代人に不足しているいろいろな要素の運動が少しの時間でおこなえるという利点がここにはあるようです。ほんの少しやるだけで不思議なくらい肩がラクになって、気分がさわやかになるそうで、古くて新しい癒しの器具として脚光を浴びてきているようです。
 教育・医療・世代をこえた地域コミュニティーの造成など、様々な方面での活用が、お手玉には期待されています。

 そのお手玉遊びには、わらべうたが必ず付随しますので、お手玉遊びが各方面で定着することにより、地域に昔から伝承されてきた、わらべうたの「生きた保存」にもつながるのではないかと事務局では期待しているところです。

 今後も「日本のお手玉の会」より、ご厚意によって、さまざまな資料をいただけることになっておりますので、有用なものは、随時こちらでご報告していく予定です。
 
 どうぞご期待ください。
 
(125)カパカパ調査 その1 2004年 2月 3日(火)
 以前の事務局日記でも触れましたが、青森県内には、かつて「カパカパ」という風習がありました。
 旧暦1月15日の小正月の夜、子どもたちは、カパカパ人形を作り、「あじ(明け)の方がら、カパカパねきした」と大声を張り上げながら各家々をまわるというもので、子どもたちがやって来ると、どこの家も「よぐきた、よぐきた」と言って、餅やカント豆、ミカンなどを与えたそうです。白一面の雪道を一列になりながら、カパカパ人形を持ち、「カパカパに来した〜」と、声をかぎりに叫び歩いた子どもたちの姿は、想像するだけでも、何ともいえない雪国ならではの風情を感じるところでございます。

 昨年お亡くなりになった当協会の副会長の北彰介氏も、子どもの頃カパカパをやっていた。あのなんともいえない楽しい思い出は今も忘れられませんと語っておられました。

 こうしたカパカパですが、例えば下北地方では「カセドリ」と呼ばれていたなど、青森県内各地域に、それぞれの特色・差異があって広く分布していたそうです。

 しかし、物もらいの風習だとして、禁止するよう指導する学校が大正時代の頃から出てくるようになり、カパカパは次第に衰微、消滅していきます。

 現在はもう絶滅してしまったかと思っていました。
 そんなとき「祭礼行事 青森県 (桜楓社)」の中に、田舎館村や黒石市などでは復活しているとの一文を発見!

 早速、調査を開始することにいたしました。

 まず、当協会で今進めている青森県内学校での伝統芸能の取り組みの最新調査でお世話になっている黒石市教育委員会の担当者に伺ってみることにいたしました。
 が、「うーん、わかりません」とのこと。担当者も若い世代なのです。
 そこで、この人ならわかるかも、ということで、黒石市の文化課の文化財担当の方をご紹介していただきました。早速、その方に電話を入れ、尋ねてみることにいたしました。
 が、「うーん・・・ちょっと、わかりませんね」の返答。

 やはりダメか、もうカパカパは残っていないのかなと、あきらめかけたところ、「あっ、ちょっと待ってください。非常勤でこちらに来ている先生がいます。その方に聞いてみます」ということで、電話を回してもらいました。
 火・水・木のみ来られているという方で、たまたまその場にその方がおられました。そこで、その方に伺ってみることにいたしました。
 
 すると、驚いたことに「カパカパですか、私もやってましたよ」とのご返答。

 「えー!」と小躍りしてしまいました。

 そこで詳しくお話を伺うことになったのですが、「昔は私もやったものですが、現在では廃れています。はたして現在でもおこなわれている地域があるのかどうか・・・。ちょっと調べてみます。お時間をいただけませんか」ということでした。そこでその方に調査をお願いすることにいたしました。

 しばらくして返答が来ました。「この方に聞いてみて下さい。何かわかるかもしれません」とのメッセージの書かれた一枚のファックスが送られてきました。
 (明日に続く)
 
(126)カパカパ調査 その2 2004年 2月 4日(水)
 さて、一枚のファックス。ここにカパカパは、田舎館村の一部地域でおこなわれている可能性があるということで、ある方の連絡先が記されていました。
 そこで、今度はその方に尋ねてみることにいたしました。
 いきなりお電話しては驚かれるかと思い、まずはファックスで用件を文章化して送り、翌日、お電話でお話を伺う手筈を整えました。これでダメなら、手がかりはここですべて消えます。祈るような気持ちで電話してみることにしました。

 まず、用件を説明し、「どうでしょう・・?カパカパやってますでしょうか?」
 おそるおそる切り出してみました。
 そうしたところ、間髪いれずに「ええ、やってますよ」とのお返事。 
 おおーと思ってしまいました。

 詳しいお話を伺ったところ、田舎館村の大根子地区でおこなわれているとのこと。
 ただ、これも一度消滅の憂き目にあっていた。それを、昭和52年に当時の子ども会の会長さんが復活させたのだということがわかりました。
 ただ、この貴重な伝承も文書になっていない状態なのだそうで、古老の話が聞ける今のうちに、記録にとっておきたいということでした。
 今年の3月に子ども会の役員改正がおこなわれ、新しい会長になられる予定の方が、ちょうどカパカパを復活させた方のお子さんにあたる方。そこで、この機に、文書としてまとめてみたいということでした。

 ところで、日本全国ハロウィーンの行事が流行っています。時期になると茶色の大きなかばちゃ提灯が玄関先に登場。子どもたちが変装し、各家々を回り、お菓子をもらって歩いています。
 そこで、カパカパは青森版のハロウィーンですねと言うと、カパカパの伝承にあたっておられるその方も笑われ、実は私たちの地元でもハロウィーン行事、やっている人もいるんですよ、とのこと。

 そこで、外国の風習をわざわざ移入しなくても、青森には同種の風情ある伝統行事があるのだから、それを掘り起こし、地元の伝統として子どもたちに伝えていったらよいのではと感想を述べたところ、「そうですね」と、その方も、おっしゃっていました。

 割り箸を十字に組ませ、ダイコンやニンジンなどで頭をつけ、紙の衣服を着せたそれぞれお手製のカパカパ人形を子どもたちが手に持ち、「カパカパに来た」と言って各家々をまわりますが、田舎館村ではそのカパカパ人形を使う風習も復活させているとのことでした。
 これからいろいろ情報交換させていただくことになっておりますので、カパカパについての情報も随時お知らせできるかと存じます。

 事務局として期待しているのは、こうして地元の伝統、古いものに目を向ける気運が県内あちこちで起こってくるにつれ、これまで廃れてきた風習などが復活。それに伴い、そこに付随していた様々な音楽も命を吹き返し、復活していくことです。カパカパがその一つの突破口にならないものかと期待しているところです。

 日本でも定着しつつあるハロウィーン行事、実は青森県には、古くから伝わっている同種の風情ある行事があるのだということで、これは全国的にもアピールできる素材になるかもしれません。結果、地域の新しい観光の目玉、地域の活性化に貢献するかもしれません。「カパカパ」というネーミングも良いように思われます。

 こういった点はもとより、カパカパの効果が一番期待されるのは、希薄になってきた地域の結びつきの強化です。
 北海道の熊石町の事例ですが、中学校で保存会を中心とした地域の方々の協力のもと、伝統芸能の取り組みを始めたところ、学校に苦情の電話が、よくかかってくるようになったといいます。
「自転車の二人乗りをしている」「数人の生徒が無灯火の自転車下校した」など、学校に対し、生徒への注意を促してほしいという内容のものがほとんどだそうです。
 相手は、伝統芸能の指導にかかわった地域の人からでした。

 今まで見て見ぬふりをしてきたが、相手が自分のかかわった中学生であれば、もはや自分の孫や子と同じ。放っておけない。こうした人間関係から生じた愛情から発した苦言ではないかと学校側も受けとめているそうです。
 ここでは伝統を通し、地域の人同士が関わりあうことで「地域の教育力」が上がり、子どもたちをあたたかい目で見守るという状況作りができ始めてきているとのことです。
 近所付き合いが、ますます希薄になっている昨今、カパカパは地域の人たちの心と心をつなぐ格好の素材となるようにも感じております。
 今のところ田舎館村が県内唯一つの伝承地のようですが、昔ながらの素朴で風情あるお正月の風習として復活し、子どもたちが各家々を訪問、それによって地域の希薄になってきた結びつきが、県内のあちこちで強められていくことを願っているところです。


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