青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年2月(3)>

(135)お手玉とわらべうた その1
(136)お手玉とわらべうた その2
(137)お手玉とわらべうた その3
(138)お手玉とわらべうた その4
(139)お手玉とわらべうた その5
(140)お手玉とわらべうた その6
(141)お手玉とわらべうた その7
(142)お手玉とわらべうた その8
(143)お手玉とわらべうた あとがき
 
(135)お手玉とわらべうた その1 2004年 2月13日(金)
 昨日触れましたように楽譜や録音物として保存作業が進んでいるものは現代創作音楽であり、民俗音楽のジャンルは、もともと楽譜や録音物が希少であるという事情も手伝って、ほとんど保存作業が進んでおりません。そんな中にあって「わらべうた」だけは、少しばかり事情が異なっています。
 工藤健一氏、村林平二氏など先人の努力の甲斐あって、わらべうたの採譜が進んでおり、それらが出版され楽譜がそろっています。

 また、録音物も多数残っており、たとえば弘前市民図書館に行くと、その貴重な録音物を耳にすることができます。当協会が進めるまでもなく、すでにそういった出版物、そして録音物は青森県内の図書館に入っています。

 また、村林氏のわらべうたの著書は青森県内のほとんどの学校に入っているはずです。

 昨年、村林氏(大正8年青森市生まれ)のご自宅に伺い、著書は現在でも手に入るのかと伺ったところ、はにかむように笑いながら、実は、出版元は音楽之友社なのですが、実際のところは、自費出版なのですよ。作って、青森県の学校や図書館に寄贈してそれでおしまいです。書店にならぶことはないと思いますよ、とのこと。それを聞き、えっと一瞬絶句してしまいました。

 人生最後のライフワークとして、多くのお金や時間が投入された成果物をふるさと青森に還元し、それでひっそりと自身の仕事をおしまいにされようとしている方が目の前にいらっしゃいました。
 
 その村林氏がおっしゃったことで印象深かったのは、やっぱり、わらべうたは、青森のわらはんど(童)たちに歌い継がれていってほしい、ということでした。

 紙の上の文献資料だけで終わらせたくない。その紙の上の楽譜に青森の子どもたちが命を吹き込んで魂を与えていって欲しい。お願いしますよ。そういった願いというものを、ひしと感じた次第です。

 ご年配の方は忘れようにも忘れられない青森の大空襲。当時、村林氏は青森市立新町小学校の教諭として学校を守っていたそうです。
 しかし、燃え上がる炎、真っ赤に燃える学校を、もはやバケツの水で消火することは不可能と判断。自身の命もあぶなくなってきたため、泣く泣く学校から脱出されます。
 どう逃げたのかは記憶にないが、翌日戻って見ると、学校はもとより、自宅もすべて灰になっていたといいます。すべての財産を失ったか。そう思ってふと見ると、首からぶらさがっている小さなカバンに気がついたそうです。
 あっ、大事なものはここに入れていたんだ・・と中を開けてみたところ、そこに入っていたのが、採譜してあったわらべうたの楽譜だったそうです。こうして貴重な楽譜が戦火を逃れました。

 その後、村林氏は東京に居を構え、最後は町田の小学校長で退職。時間ができたので、調べものをしようということで本棚を整理したところ、あの戦火をともに生き延びた楽譜が出てきたのだそうです。
 あっ、おまえはこんなところにいたのか・・・。村林氏はその存在をすっかり忘れていたのでした。

 (明日に続く)
 
(136)お手玉とわらべうた その2 2004年 2月14日(土)
 さて、こうして、わらべうたの楽譜と何十年かぶりに対面した村林氏は国立国会図書館や都立中央図書館に通って資料補足をおこない、色あせた手書きの楽譜、そこにある「わらべうた」の数々を青森に還元しようとの出版作業が始まったということです。
 その第1巻「青森わらべ歌」のあとがきに、次のような文面があります。

 「青森わらべ歌」は郷土特有の情緒を持って、私の心を育て上げてくれたものである。これを故郷青森にお返しして、昭和初期の子どもたちはこんな「わらべ歌」で遊んだそうだと、郷土の資料にしていただけるならば、これ以上の喜びはない。それは「青森わらべ歌」は青森の子ども達のものだからである。
 この本の出版に当たって、まず感謝したいのは、この遠い祖先からの貴重な文化遺産の一つである「青森わらべ歌」を代々伝承してくれた子ども達にである。
 そして、私に直接伝えてくれた、良き遊び仲間達や私の父母である。


 あの戦火の中を自分とともに生き延びたわらべうた。それを、ふるさと青森県に還元したいと学校へ寄贈され、県内のほとんどの学校に村林氏の著書が入っているはずですが、とんと活用されていないようです。

 作曲家の多くが口にすることは、音楽は楽譜だけの保存では意味がない。少なくとも、音になって残って欲しい。最良なのは、いつまでも多くの人から人へと世代を越えて歌い継がれていくこと。

 昨日も触れたように、村林氏も同じような願いを持っていました。

 現在、県内各地の教育委員会を通じて、伝統芸能に取り組む県内の学校の実態を調査中ですが、わらべうたに取り組んでいるという情報をまだ耳にしていません。
 本当はあるのかもしれませんが、大きな声となって聞こえてこないところを見ると、わらべうたを教材としてどのように扱っていったらよいか、よくわからないというところなのかもしれません。

 その一つの取り組みのヒントとして、1月28日より「あやこ(お手玉)」の連載をおこないました。

 お手玉には必ず、わらべうたが付随します。わらべ歌のほとんどが2拍子なので、ほとんどのわらべうたがお手玉遊びに利用できるといいます。
 お手玉の教育的、医療的効用が見直されているときだけに、県内各地に青森の「あやことり」の伝統が復活定着することで、わらべうたの継承、生きた保存にもつながるのではないか。期待したい、と、ここで連載は終わりました。

 しかし、そうはいっても、たくさんの魅力的な遊び道具に囲まれている現代の子供達です。
 古臭いお手玉などに興味を示すのでしょうか。

 そこで、先の連載でも登場してもらった「日本のお手玉の会」にお願いしてみました。すぐに宅急便でドサッと資料が送られてきました。
 それは「日本のお手玉の会」が学校で指導した際に寄せられた子供達一人一人の感想文でした。総数は200近くはあったのではないでしょうか。
 外国からの文面もあります。

 その一人一人の子ども達の手書きによる生の声を一枚一枚、目で追っていきました。
 それに対する結論は私がくだすより、皆様方に考えてもらえればと存じます。
 明日より、参考資料として提示させていただきます。
 
(137)お手玉とわらべうた その3 2004年 2月15日(日)
 お手玉の遊び方について、あおいちゃんや、くるみちゃんや、かなこちゃんや、よしえちゃんや、さきえちゃんたちがお手玉の会に行って、いろいろ調べてくれたんですけど、わたしはてんこうせいなのでおれいの手紙をかきました。


 こういった形で、お手玉の会が学校に指導に行くと、感想や礼状がたくさん届けられるそうです。

 たとえばこういったものがありました。

■ぼくはお手玉の遊び方をあまり知らなく、つまらないと思っていました。今回は初めてお手玉も作り、そして遊び方を教えてもらい、本当に楽しくできました。これからも家でやってみたいです。ありがとうございました。(2年児童)

■お元気ですか? ぼくはすごく元気。前にお手玉のことをすごく教えてもらって、とても驚いたこともあったけど、お手玉のすばらしさや、いいところを知ってお手玉をしています。こんなことがなければ、こんなにおもしろいお手玉ができないと思います。本当に心からありがとうございます。(3年児童)

■お手玉のことをいっぱい教えてくれてありがとうございました。前より上手になりました。これからも暇なときや遊びたいときにやりたいと思っています。今、私ができるのはだいたい2つゆりですが、今度は3つゆりに挑戦します。(3年児童)

■あんまりお手玉のことを知らなかったけど、とてもよく知ることができました。教えていただいてからよく遊んでいます。またときどき行くかもしれないのでよろしくお願いします。(3年児童)

■お手玉は、わたしは最初はつまんないなと思いました。でも、みんなといっしょにして、どんどん楽しくなって次々にいろんな遊びができるようになりました。(3年児童)

■これからもお手玉のことを忘れません。本当にありがとうございました。(3年児童)

■お手玉に興味がなかったけど、やりだしたら興味が出てきてやっています。脳にいいなんて知りませんでした。まだ、2つしかできないけどがんばっています。(3年児童)

■ぼくはその日からお手玉をはじめました。毎日15分しています。やっていると、楽しくて20分することもありました。教えてくれてどうもありがとうございました。(3年児童)

■ぼくは野球のボールでやってます。今度、おばあちゃんにお手玉を作ってもらってやろうと思っています。お手玉を教えてもらって、お手玉ってこんなに楽しいんだなと思いました。(3年児童)

■前まではできなかったけど、教えてもらったときできるようになったからうれしかったです。本当に感謝しています。ありがとうございました。三つはできないけど、二つはできています。(3年児童)

◆学校の先生からの感想です。
 生徒達はあっという間にお手玉のとりこになり、時間を忘れてお手玉をする楽しさにひたっていました。特に輪になって遊ぶ「あんたがたどこさ」、全員がおなかを抱えて大笑いしたのが印象に残っています。みんなが、あの遊びに集中して、同じ気持ちで仲良く楽しんでいた。あんなにみんなで大笑いしたのは久しぶりです。


 さて、上記はただ単にお手玉を楽しんだという報告文ですが、総合学習の一環としてお手玉を学習教材として利用している学校もたくさんあるようです。
 明日はそういった学校の子供たちの声に耳を傾けてみたいと存じます。
 
(138)お手玉とわらべうた その4 2004年 2月16日(月)
■わたしたちは四ヶ月間、お手玉を詳しく調べさせてもらいました。お手玉の発表では、とてもうまく発表できたと思います。四ヶ月間調べて、いろいろお手玉のことがわかりました。これからもお手玉遊びをしたいです。

 これは新居浜市立金子小学校の3年児童の声ですが、ここにあるように金子小学校では1学期の四ヶ月の間、子供たちは、お手玉について本やインターネットなど、様々な方法で調べたり、直接、お手玉の会に行って質問するなど、楽しくお手玉の学習をしていったそうで、最後に調べたことを、それぞれのグループでまとめて発表し、さらに実りあるものにしていったそうです。

 他の子どもたちの声もひろってみることにいたします。

■お手玉のことを教えてくれたり、お手玉をつくらせてもらってありがとうございました。おかげでいっぱいわからないことがわかりました。この間教えてもらってありがとうございました。

■来てくれてありがとうございました。あの日から、ぼくらはお手玉調べをしました。調べに行ったり、お手玉を作らせてもらったりありがとうございました。それからまとめて発表しました。遊び方と歴史と作り方の三つのどれかに書きました。みんなうまく書けていました。

■この間は何回も見学させてくれてありがとうございました。お手玉を作らせてくれたり、質問にこたえてくださってありがとうございました。いろいろなことがわかりました。

■お手玉の勉強を四ヶ月も教えてくださってありがとうございました。お手玉の先生のおかげでお手玉の種類が130種類とかよくわかりました。教えてもらった遊びをやったりしたいです。

■体育館で教えていっぱいお手玉のことがわかりました。ぼくはインターネットでも調べています。インターネットと体育館では体育館の方がよくわかりました。またお手玉のことで教えてください。

■ぼくはお手玉のことについて全然しらなかったけど、お手玉の先生達が体育館に来て、そしてお手玉のことについて調べて、そして最後にみんなが発表しました。ありがとうございました。

■質問やお手玉遊びを教えてくれてありがとうございました。お手玉作りは誰でもできて楽しみながら作って、遊びは作るときより、もっと楽しめることがわかりました。

■お手玉の会の人たちが体育館に来ていただいて、あの後、私たちはお手玉新聞を作りました。グループごとにわかれ、できあがったら、みんなの前で発表しました。みんなすばらしい新聞ができあがっていました。私たちも上手に作れていました。ありがとうございます。

■私がこの前、お手玉の会に行ったとき、インタビューさせてもらってありがとうございました。ふつうのお手玉の重さなど、わからなかったことがわかりました。その後、わたしたちは新聞を作って発表しました。上手に作れていました。どうもありがとうございます。

■おかげでお手玉のことがよくわかったよ。ぼくのグループは外国のお手玉の遊び方について発表したよ。あのとき教えてくれたのが、とても参考になったよ。どうもありがとう。

■おかげでいろいろなことや種類がわかりました。それからお手玉で遊ぶようになりました。教えてもらってうれしかったです。

■このあいだはいろいろ教えてくれてありがとうございました。お手玉が好きになって、学校でお手玉遊びをしています。発表のときも上手にできました。いい勉強になってよかったと思います。

■お手玉のいろいろな遊び方や昔からしていた歴史がわかりました。それにお手玉がいろいろな国から伝わってきたこともわかりました。

■私は外国のお手玉をいろいろつくりました。調べて思ったことはこんな国にこんなお手玉があったのかということです。

■大きな紙に作り方をまとめることができました。私もできなかったお手玉ができるようになりました。

■前にお手玉のことを教えてくれてありがとうございました。また、いつか用事があるときは行くのでよろしくお願いします。やさしく教えてくれたので、お手玉のことが発表できました。本当にありがとうございました。

■お手玉の作り方をじょうずに教えてくださいましてありがとうございます。自分で作ったお手玉は宝物にしています。

(明日に続く)
 
(139)お手玉とわらべうた その5 2004年 2月17日(火)
 愛媛県西条市立神拝小学校の三年担当の先生の声です。

◆子どもたちはとても楽しい時間だったと喜んでいます。また、ねらいとしていた昔の遊びとしての「お手玉遊び」だけではなく、人とのふれあいや世界の人々との結びつきなど、たくさんのことを学べたことに感謝しております。

その子どもたちの声は次のとおりです。

■はじめはお手玉がそんなにできなかったけど、先生が教えてくれてやってみたら上手にできるようになって先生に見てもらったら上手上手と言ってくれました。音楽を聞きながら、お手玉をしたり、お手玉を投げあいっこしてお手玉を取ったりして楽しかったです。またお手玉がやりたいな。

■わたしはあまりうまくないので、ほとんどお手玉が落ちていました。けれどお手玉は好きなので、何回も練習しているうちに長くできるようになりました。お手玉っていろいろな遊びがあるんだなあと思いました。そして、お手玉でおどりもしてもらいました。わたしはすごいなあと思いました。

■はじめ、わたしはお手玉があまりできなかったけど、お手本をよく見てすると、少しできるようになったのでうれしかったです。昔のお手玉のことを教えてくれて昔のことがよくわかりました。一日に10分から15分ぐらいお手玉をすると脳がよくなると聞いたので、毎日家でやるようにしています。とても楽しかったです。

■わたしは最初、片手で2つ回すのができなかったけど、みんなと練習しているうちにできるようになりました。まだ、三つや四つはできないけど、自分の得意な技をうまくできるように練習したいです。

■お手玉を教えてもらってとてもうれしかったです。ぼくはお手玉がとてもとても古いものだとは思いませんでした。教えてもらったお手玉を毎日しようと思っています。

■利き手で投げるのや頭から落とすのなど知らなかったけど、教えてもらって上手になりました。学校でできなかったやり方も家に帰って練習するようになってできるようになりました。

■お手玉を教えてくれてありがとうございました。わたしは総合学習で、昔の遊びを調べています。発表をするときにみんなの前でお手玉をしようと思います。また神拝小学校に来て下さい。待ってます。

■この前はお手玉のやり方を教えてくれてありがとうございます。私はお手玉が好きになりました。そして妹に教えました。妹もお手玉が好きだと言っていました。ありがとうございました。また来てください。

■お手玉のことを教えてくれてありがとうございました。とてもうれしかったです。片手でする技や2人でする技があってびっくりしました。学校でできなかった技も家へ帰ってたくさん練習すると全部の技ができるようになりました。楽しかったです。

■お手玉のことをぜんぜん知りませんでした。お手玉が歌でできるなんてはじめて知りました。

■あれからたくさん練習しました。片手でお手玉2つでやるのはできないけど、両手でやるのはだいぶできるようになりました。これからも一日に15分ぐらいは練習してじょうずになるようにがんばります。

■お手玉はあんまりやったことがなかったけど、けっこういろんな物でできるようになりました。

■わたしは世界にお手玉があるのをはじめて聞きました。とても楽しい思い出です。

■わたしは海外にもお手玉をしている人がいるなんて不思議に思いました。また教えに来てください。

■この前の練習で、前できなかったお手玉ができたのでうれしかったです。家でもみかんでやって、片手でできるようになったけど、まだ取れないからもっともっと練習して、じょうずになり、うまくできない人に教えてあげたいです。それに大人になってもお手玉を続けていきたいです。

 さて、小学校だけではありません。愛媛県でも有数の進学校として知られる新居浜西高等学校の総合的な学習の時間の事例もありますが、それは明日続けたいと存じます。
 
(140)お手玉とわらべうた その6 2004年 2月18日(水)
 新居浜西高等学校では平成15年5月16日の7時限に、お手玉学習会が開かれました。対象は1年生です。まず、NHKで取り上げられたお手玉の会のビデオを見てもらったそうです。
 その感想は以下のとおりです。

■お手玉で世代を越えて心を通わせることができるなんてあたたかく、とてもいいなあと思いました。

■お手玉は人を光らせてくれる。

■年齢に関係なく楽しめるもんだなあと思った。

■老人ホームのおばあさんの笑顔が心に残った。

■今の子供たちはおもちゃを自分で作ることができないから、お手玉を自分で作ることはいい体験になると思う。

■お手玉など、日本の文化をこれからも世代を越えて伝えていってもらいたい。

■お手玉が家族の絆を深めたり、人と人とを結びつける素晴らしい力のあることがわかった。

■泣いている赤ちゃんを笑顔にできる不思議なパワーに感心。

■ちっぽけなお手玉を通してたくさんの笑顔が広がっていく。魔法の玉だと思った。

■お手玉を通して涙を流せるなんて、お手玉はすごい存在だと思いました。

■どんなことでも自分が楽しめて生き生きできるものを持つことはよいと感じた。自分もそのようなものを見つけたい。

■自分の好きなことを通して、たくさんの人と触れ合うことの大切さを学んだ。

■一人一人が輝けるお手玉をこれから後の代にも伝えていきたいと思った。


 次に学校の先生によるお手玉の実演を見ての感想です。

■先生のお手玉は衝撃でした!

■先生の笑顔がまぶしかった。

■お手玉実演を見て、自分の血が沸騰しているのがわかるくらい騒いできてお手玉をしたくなった。

■見ていてもきれい。かっこよかった。

■何かをするにも疲れた、おもしろくないといった理由で中途半端にやめず、やれるところまで貫き通す気持ちの大切さを学んだ。

■短期間(半年)であれだけうまくなれるんだと思った。先生、天才じゃないですか。

■このような先生が学校にいることを誇りに思う。

■見たことがない技の連続に驚いた。

■何にでも真剣に取り組めば上手になれるんだと思った。自分もがんばりたい。スゴイと思った。

■お手玉に対する考えが変わった。スゴイものだと思った。自分もお手玉が上手になりたい。

■夢を与えられたという感じです。


 さて、これが前学習であり、お手玉の会のメンバーを講師に、次のような内容で第2回目の学習がおこなわれました。


◆実施日時・・・平成15年6月6日 14時25分〜15時15分(50分)

◆場所・・・・・体育館・武道場

◆対象生徒
1年普通科・・約320名(介護体験希望者約160名 保育体験希望者約160名)   

◆教授内容および派遣講師人数
幼児対象向け講座・高齢者対象向け講座・・・各2名 計4名


 介護体験希望者と保育体験希望者に分かれての学習であったそうです。生徒達はどんな感想を持ったのでしょう。

 それは明日、触れたいと存じます。
 
(141)お手玉とわらべうた その7 2004年 2月19日(木)
(昨日の続きとなります)
 まず、お手玉についての講演を聞いて感じたり考えさせられた意見です。

■世界中にいろんな形のお手玉があることに驚いた。■英語があまり話せなくても、お手玉で世界の人と心と心が通じ合えるという事を知り、お手玉は本当にすばらしいものだと改めて実感しました。■国境や性別、年齢を越えて人と人をつなぐ、いろんな人とお手玉を通して言葉はわからなくとも友達になれる。■大人から子どもまで、幅広い層で輪が作れることに感銘を受けました。■お手玉で世界中の人とコミュニケーションを取れることがすばらしいと思いました。■世界共通なのはすごいと思う。■隔世伝承について以前にも増してよく理解でき、よかったと思いました。■お手玉という身近な存在で、自分を輝かせることができることに驚きました。

 次に、2班に分かれてのお手玉講習会に参加して感じたり、考えさせられたことです。

 【介護体験希望者班】
■お手玉をしている人をただ見ているだけなら、そんなに難しそうには見えなかったが、いざ自分でしてみるととても大変だった。何度も何度もお手玉を落とし、1分間続けることも無理だった。これをお年寄りの方がするというのだから、びっくりだ。■介護センターでのお年寄りに対して指導するお手玉の技を教えてもらった。途中で難しくなってわからなくなったこともあったが、とてもおもしろかった。「おじいさん、おばあさんが笑いながらお手玉を楽しんでいる。その時、ああ、お手玉をしていてよかったなと思います」という言葉が印象的だった。介護センターを訪れるまで、私達もお年寄りに少しでも感動してもらうため努力していきたいと思う。■お年寄りの人と目の高さを合わせてやってあげるとよいと教えられた。■お年寄りの方たちとお手玉を通して、笑顔になりたいと思った。■もっと日本の文化に触れるべきだと思った。■お手玉を相手と同じ目線の高さでしなければいけないことの意味を理解することができました。■他にも介護に必要なことを学んでいきたいです。■これからの学習でお手玉と介護の二者を結びつけていこうと思いました。そして介護の必要性を感じたいと思います。■高齢社会である日本で活躍するためにも、一生懸命学習したいです。■お手玉は左手を使うことで脳が活性化されたりして、楽しくリハビリできるんだなあ。■お手玉を通して、お年寄りとコミュニケーションを取れると聞いてうれしい。
 
 【保育体験希望者班】
■お手玉を実際に体験し、とても楽しく、奥が深いということがよくわかった。一見簡単そうに見えるのだが、実はとても難しく、3個をまわすときなど、何度も何度もお手玉を落としてしまった。■小さい子と遊ぶためには目の高さを同じにすることが大切だと学んだが、実際に今日は私達がお手玉を使っていろいろな遊びを教えてもらいました。成功しても失敗しても、お手玉をやっているとみんなには笑顔が満ちあふれていました。■こんなにもお手玉がすばらしいものだとは思ってもみませんでした。今日学習した事を胸に、保育体験学習では子どもたちとともに、お手玉という素晴らしい玉で、一緒に笑顔をふりまきたいと思います。■お手玉をするとみんな自然と笑顔になるんだと思った。■友達と一緒に体験することで、以前よりも深い友情を感じることができた。■たくさんの技ができるようになるのもいいけど、楽しむことが一番だと思った。■今度の研修で小さい子とお手玉を通して、心を通わせたい。■小さな子でも気軽に楽しめるので、すごく良いと思いました。■ぼくたちでも難しいのに、小さな子でもできるか少し不安です。■お手玉は幅広い年齢層で楽しまれていることがわかりました。■自分もはまって楽しむことができる、良い遊びだと思いました。■少子化が進む中、子どもと接する機会を大切にしていきたいと思います。■お手玉を通して子どもたちと仲良くなりたい。■お手玉は小さい子どもとコミュニケーションを取るきっかけにもなるんだなあ。

  次はお手玉学習会で出された主な質問です。
◆上手なお手玉のまわし方◆上達のコツ◆お手玉の歴史◆お手玉の歌にはどのようなものがあるのか◆お手玉を使った遊びはどのようなものがあるのか◆お手玉をする上で一番大事なことは?
・上記の質問の回答は以前の1月28日の連載の中で触れていたので繰り返しませんが、次の重要な質問には当日生徒に対して与えられた回答を添付いたします。

◆お手玉は世界のどのような国で親しまれているか・・・38か国
◆お手玉をしていてよかったなと思うことは?・・・感動すること。それによって人は変わり、成長します。
◆お手玉を通じて、他の人たちに何を伝えたいか・・・達成感とチャレンジ精神。そして手から心へのぬくもりを伝えたい。

 明日は外国からの声を聞いてみたいと存じます。
 
(142)お手玉とわらべうた その8 2004年 2月20日(金)
 以下はアメリカのサンディエゴにあるヒルトップ高校の授業のあと送られてきた感想文です。
 もちろん原文は英語ですが、翻訳しています。

■わたしたちのクラスに来てくれてありがとう。また、日本の文化について話してくれてありがとう。日本の文化がよくわかりました。■日本についても学びました。いつかまた来て見せてください。アメリカも好きになってください。15歳になったら私は日本に行ってみなさんにお会いします。ありがとうございました。■わたしたちのクラスに来て、豆の袋(ビーンバッグ)でお手玉のやり方を教えてくれてありがとう。お手玉のやり方がわかった。昨日は一日中、家で練習していました。■ビーンバッグのやり方を見せてくれてありがとう。バッグもくださってありがとう。皆さんと一緒にお手玉ができたら楽しいでしょうね。■お手玉を見て楽しかった。やさしそうに見えるけどしてみると本当に難しい。全然できませんでした。でもいい体験でした。ありがとう。■昨日はわたしたちのクラスに来てくれてありがとうございます。すごい技です。新しい技を教えてください。■歌いながらお手玉をするのは素晴らしい。みなさんはすばらしい技の持ち主です。本当にありがとう。■お手玉をいろいろやってくれてありがとう。ヒルトップ高校生活での思い出の一つとなります。

 さて、ここに青森県のある方の声を加えたいと存じます。

◆ふるさとの音楽の継承で私に何か出来ることなんてあるんだろうか?と、いつも考えていたところ、間近にあったんです。というより、いました。昭和4年生まれの母です。
 先日、久しぶりに実家に帰ったときに聞いてみました。
 子供の頃、祖母に教わった「あやことりをしながら歌ったうたを知ってる?」
 そうしたら、嬉しそうに、最近老人クラブで 昔の遊びをやっているからと、作りたての「あやこ」をもってきて、3個もあやつるんです。
 すご〜いです。
 ♪おひとつ・おふたつ〜〜、と歌いながら。
 そして、たけの棒(箸の長さくらい)を束にして飛ばしたり、にぎったりと、あざやかな手さばきをみていて思いました。
 これは、お年寄りの為にある遊びではないか!
 指先を使い声を出して歌う。仲間と笑う。そんな環境にいる母はしあわせだな。
 ・・・幸せなひと時でした。お正月に、家にやってきた獅子舞、お祭りでみた駒踊り、やはり、受け継がれず、無くなりかけているそうです・・・

 廃れかけているのは、青森に継承されてきた「あやこ(お手玉)」も同様です。
 今のお年寄りが小さい頃、普通に遊んでいた「あやことり」。それが青森では、なぜか継承されずに消えようとしているようです。
 ご紹介してきたように他県では、それを「総合的な学習」の指導などで、子どもたちに継承していこうとの熱心な取り組みをおこなっているところもあります。
 今回の連載の情報発信に興味をもたれた方が、青森でも少しずつお手玉に取り組み、かつての「あやこ」の伝統を復活させてほしいものだと願っております。
 それと同時に、あやこのテーマソングともいえる地域のわらべうたにも目が向けられ、紙の上だけの文献資料という無味乾燥なものではなく、子どもたち、そして昔を思い出したお年寄りたちによる血の通った歌として、青森の音楽文化が絶えることなく継承されていくことも願っております。
 これこそ、村林平二氏ら、わらべうたの採譜者が一番望んだことではないかと感じているところです。
 事務局に集積しているわらべうた関連の資料は、必要とされる方に喜んでご提供したいと考えております。なお参考まで、「日本のお手玉の会」に直接照会したいという方のためにURLを示します。
 こちらの事務局日記をご覧の方より、連絡がいくかもしれませんので、よろしくと、お願いしてありますので、お手玉の技術的な面に関しては直接尋ねられるのがよいと思います。新居浜のお母さん達で作っている大変純朴な会です。丁寧な回答が得られると思われます。

http://www.shikoku.ne.jp/otedama/new/top.htm

 
(143)お手玉とわらべうた あとがき 2004年 2月21日(土)
 わらべうたの重要性と、教育・老人ケア医療の分野での効用については、以前より各方面で話題になっていました。しかし、わらべうたの保存伝承の取り組みは必ずしも進んでいないようです。
 その原因はわらべうたを文字通りの「歌」としてとらえているからではないかと考えられます。

 全国の取り組みを調べているのですが、楽譜を配って、わらべうたを皆で斉唱するというスタイルが一般的のようです。
 確かに1日限りのイベントとしては成功するようですが、わらべうたが子どもたちの口から自然にもれるという、日常的な継続性・定着性にまでは、つながっていかないようです。

 村林平二氏から伺ったところ、小さい当時、わらべうたを「歌」だと思ったことはなかったということ。それは話し言葉の延長であり、そこには何らかの遊びが必ず付随していたということです。
 そういった遊びの部分を切り離し、歌として「わらべうた」を取り扱っていくというのは、やはり無理があるのかもしれません。

 わらべうたは「歌」だけで完結するものではなく、その歌が盛り立てる「楽しい遊び」があってこそ、はじめて命を持つものだといえるのかもしれません。

 さて、その遊びですが、現代の子どもたちにも充分アピールし、世代を越えた普遍性を持つなど、こういった条件を検討していくと、最後に行きつくのが、どうも「お手玉」であるような気がしています。

 そのお手玉は、現代の子どもたちにも新鮮な驚きと感動を持って充分アピールするということは、連載した子どもたちの生の声から伝わってくるようです。

 お手玉は古代エジプトの時代からすでにおこなわれており、日本でも平安時代に流行し、その伝統が現代まで伝えられているというところから考えても、時代を越えた普遍性を兼ね備えていることがよくわかります。

 そういった普遍性を持った素材に「わらべうた」を乗せて伝えていくことが、わらべうたの有効な保存継承につながっていくようにも思われます。

 今回のお手玉の連載が、教育現場、そして老人ケアを含めた様々な医療の現場におられる方の参考資料となり、結果、「わらべうた」の生きた保存にも光があてられるようになれば望外の幸せです。

 そのわらべうたについて、「事務局日記」ではすっかりおなじみの、お隣、秋田県、たざわこ芸術村の民族芸術研究所の研究員の方よりこんなメッセージが届きました。


◆ ◆ ◆ ◆

 わらべうたの記事、興味深く読ませていただきました。実は盛岡在住のある先生も、岩手県の緊急民謡調査の中のわらべうたを収録したCDを自費で作り、広めようと書店や楽器店に扱いをお願いできないか頼んだのだそうです。
 しかし軒並み断られ、全部それらを知人や図書館等に寄贈していったそうです。
 この寄贈に関しても、聴く装置がないからという理由で寄贈を断る図書館もあったとのこと。このように、わらべうたは必ずしも重要視されているとはいえない状況にありますが、わらべうたの持つ力というのは見直してみる価値は充分にあると思います。
 秋田県仙北地方で教師時代、わらべうたを集めながら子どもたちに教えていたある方が、こんなことをおっしゃっていました。

「柳葉敏郎(俳優・歌手)は小学校の時の教え子だが、久しぶりに会ったとき、”自分の歌の原点は、先生から教えてもらったわらべうただ”、と言われた」と・・・


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