(152)伝統芸能うんちく その8(終) |
2004年 3月 1日(月) |
大正14年に明治神宮外苑に日本青年館ができました。この記念行事として、地方に散在する芸能を集めた大会が開かれたそうです。 最初の大会が「郷土舞踊と民謡」となっていたことで、しばらくこの呼称が定着。その後、これに影響を受ける形で「郷土芸能」という言葉が昭和32年ごろまで普及。しかし、昭和33年大会より「全国民俗芸能大会」の名称が冠せられると、学問的にも、行政的にも、「民俗芸能」が一般化。 それが、平成4年「地域伝統芸能を活用した行事の実施及び特定地域商工業の振興に関する法律」が施行されたことを受け、今度は「地域伝統芸能」という言葉が普及するようになり、「郷土芸能」「民俗芸能」「伝統芸能」の表記が、様々に入り乱れる事態となっています。(事務局日記では文脈に応じて選択) このように、しっかりした呼称が長い歴史の中で生まれなかったというのは、それらが「村の生活そのもの」であり、特に「芸能」という意識を、人々がもたなかったという点が大きいのかもしれません。
ところで、先日、蟹田町の獅子舞保存に取り組む方々より、今年の2月22日におこなわれた発表会の模様を収録したビデオを送っていただきました。 ビデオと同時にいろいろな資料もいただいておりますので、事務局日記で、近日、その内容についてはご報告する予定ですが、ざっと説明いたしますと、演者は5年生を筆頭とする蟹田町の小学生。笛だけは大人ですが、あとは囃子も含め、全部子どもたちがやっています。中学生の参加希望者がなかったということで、獅子舞の取り組みは、小学校の低学年児童10数名によります。小学1〜3年生が主体の演奏ですので、確かにバチもそろいません。 また、演舞にしても、まだまだこれからという感じで、およそプロフェッショナルなものとは呼べないものがあります。これを稚拙だと言う人もいますが、一方では、民俗芸能の鑑賞の視点は、別のところに置くべきだと考える研究者もいるようです。
日本の民俗芸能は、根底には豊作祈願、疫病や災害駆除といった人々の願いがあり、ここに各集落の自然環境や集落の成立条件等の歴史が加わって培われてきたものです。こうしたところから、郷土の芸能を「先人の暮らしの中から生まれた心と生命の表現」だととらえる人も少なくありません。
役を決めるにあたっても、誰がどの役割を受け持ち、芸能を通して共同体にどのようにつながっていくかという点が重要であり、村落に継承されている「心」が、どのように分担され受け継がれているか。 芸能の背景にある、こうした人々の熱い思い、そこに表出されている「村の心」を鑑賞すること。これが民俗芸能の一つの大きな醍醐味であるともいわれています。
一年の四季折々の生活の中から、必然的な目的を持って生まれた各芸能。この芸能を知ることで、その土地の風土・信仰・政治・経済・各地との相互交流の歴史など、その地域そのものを知ることにもつながっていくといわれています。
地域の古くからの全生活が反映・結晶したものがその土地に残る芸能だといわれており、ゆえに、こうした芸能を「時代に合わない。古臭い」と言って切り捨ててしまうのは、その地域の特色と歴史の一部、なにより一番大切な「村の心」を放棄してしまうことにつながるのではないか・・と心配する人も多いのです。
蟹田町の子どもたちの獅子舞発表会ビデオを見ていて印象的だったシーンがあります。発表も終盤にさしかかったころ、一人のおばあさんが、ゆっくりと舞台に歩み寄りました。そして、子供たちの獅子舞に手を合わせ、丁寧におじぎをしました。
このおばあさんは、子供たちの獅子舞の姿に何を見たのでしょうか・・。昔から伝わる「村の心」を感じ、そこに敬意を表したのでしょうか。
お世辞にもうまい演奏・演舞とはいえない子供たちの獅子舞でしたが、それを見た瞬間、子どもたちの芸がとても神々しいものに変貌していくのを感じました。 その蟹田町の獅子舞も笛を継承される方が最後のお一人。その方がいなくなったら、獅子舞を支える囃子はそこで途絶え、結果、村人の心を乗せてきた獅子舞も消えてなくなるということでした。
|
(153)はしかみからの便り その1
| 2004年 3月 2日(火) |
大喝采の中、アンコールの声が飛び交う場内の感激・感動の様相は、今もはっきりと覚えています・・・。 大成功に終わった99名の全校児童は、目を輝かせて会場を後にしました。子供たちに、よくがんばった、心からありがとうと言いたい気持ちで胸が熱くなったことが、思い出されます。
青森県階上町(はしかみちょう)の8校の小学校すべてが芸能を通し、ふるさと意識の高揚に取り組んでいるのはよく知られています。
特筆すべきことは、一地区一伝統芸能主義のもと、学区内に伝統芸能がこれまで存在していなかったところは、地域の風土に合わせて芸能を創作し、取り組みを進めていったという点です。 冒頭の様子は、階上町立小舟渡(こみなと)小学校の「沖揚げ音頭」の完成披露時の様子を綴ったものですが、地域の芸能創作にあたって大変なご苦労と地域の方々の熱いご協力があったといいます。
現在、新学習指導要領の影響で地域の伝統芸能に取り組む学校が増えてきました。 伝統芸能がある学校はよいのですが、うちには取り組むべき芸能がないと嘆いている学校も少なくないと耳にしております。 そういった学校への一つの示唆とよべるべきものが、小舟渡小学校をはじめとする階上町の学校の取り組み、その歩みの中に存在しているのかもしれません。
階上町教育委員会より多数の資料をいただき、承諾を得ましたので、本日より、階上町の興味深い取り組みを追っていきたいと存じます。
まずは、冒頭の小舟渡小学校について続けてみることにいたします。
岩手県境に近い小舟渡地区は、現在は潜水業に従事する人が多いことで知られていますが、昭和20〜30年代まではイワシ漁でたいへんなにぎわいを見せていました。
そんなかつての漁師町の姿を、子どもたちに末永く伝え残していきたい。
「沖揚げ音頭」創作の背景には、こうした地域の方々の熱い思いがあったそうです。 ちょうど小舟渡小学校の創立90周年を前にし、小舟渡にも「これだ!!」という地域の誇りとなる何かが欲しい。そういった気運が盛りあがってきていたのだそうです。
階上町の道仏には神楽、登切には鶏舞、赤保内の駒踊りに、階上のえんぶり・・、こうした芸能をそれぞれの地域の方々が誇りを持って子どもたちに伝承している姿を目にし、小舟渡にもやはり何かが欲しい・・・。同じように感じていたのが、第8代小舟渡小学校PTA会長の佐京忠史氏です。
ある日、その思いを古老に話してみたところ、「あるべさ、沖揚げ音頭が」と言われたそうです。 小舟渡小学校から海手に歩けば漁港が広がります。 そうだ! イワシ漁の作業唄だ。
その唄をとおして、子どもたちへ小舟渡の漁師町としての歴史、先人の思いを伝えていくことができないか。こうして、地域の多くの人を巻き込んでの「沖揚げ音頭」創作の物語が始まることになるのです。 (明日に続く)
|
(154)はしかみからの便り その2
| 2004年 3月 3日(水) |
【小舟渡小学校編A】 さて、地区の方々に支援を呼びかけたところ、地域の有志による「小舟渡を語る会」をはじめ、多くの方の賛助を得ることができたといいます。こうして地域ぐるみで「沖揚げ音頭」の創作がはじまることとなりました。
まず小舟渡小学校の教諭が、地区の古老7〜8人を訪ね歩き、記憶に残る歌詞、曲調を採譜することから作業が始まったそうです。また、八戸市白銀地区に伝わる沖揚げ唄の伝承者に事情を説明し、協力を得ることもできました。こうして小舟渡版漁労唄の「沖揚げ音頭」が完成へと向かいます。しかし、これで終わりではありません。これからが本当のスタートなのです。 児童への指導、そして小道具や衣装などをそろえなければなりません。 ここで、地域の人たちが「よしっ!」と一肌脱ぎました。
沖揚げ音頭の小道具である、本物の魚網、あんばい棒など一式、地域の方々の手作りで一つひとつに真心を込めて、揃えられていったということです。さらに地元の船主の方には大漁旗を寄付してもらいました。 また小舟渡漁業部会からは、はんてん、紅白の鉢巻、白たすきを、なんと全児童数分用意していただいたそうです。
こうして子どもたちは本格的な衣装に身をつつみ、地域の方々が丹精込めて作り上げた数々の小道具を手に、平成4年、創立90周年の祝賀会の舞台に立つことになりました。 体育館には児童の父母に加え、地域住民もたくさん集まっていました。そこで、99名の全児童が「沖揚げ音頭」初披露に臨んだのだそうです。
「ドットコセーノ、コリャー」で唄がはじまります。威勢のよい「ヨイヤサァー」の合いの手も入りました。 こうして出漁、網引き、そして大漁旗をなびかせて寄港する姿、かつての古きよき小舟渡の漁師町の様子が歌い込まれていきました。
お年寄りは、この様子を見て涙ぐんでいたそうです。
そして初披露が終わりました。会場は大喝采・アンコールの声が飛び交う感激の場となったといいます。
・・・・・・・・・・・・・・ いろいろな方の尽力がありました。指導にあたり、たくさんの苦労がありました。 一時はどうなることかと思ったこともありました。しかし地域の指導者と先生方の大きな熱意の結果、大成功に終わり、当時の校長先生をはじめ、諸先生方、そして地区の指導者の方々と共に、手を取り喜び合いました。
99名の全校児童も目を輝かせて会場を後にしました。 子供たちに、よくがんばった、心からありがとうと言いたい気持ちで、胸が熱くなったことが思い出されます。
冒頭でもご紹介した第8代小舟渡小学校PTA会長の佐京忠史氏の言葉です。
小舟渡小学校の卒業生(資料提供 階上町教育委員会)は、次のように書いています。
行事のときにはいつも地域の方々が協力してくださいました。中学・高校と進んできて出会う人の数はとても増えました。しかしその分、個々の関係が薄くなっていくような気がしています。 今、昔を思い出し、地域の方々が小学校を通して協力し合い、一つになれたということは、とても素晴らしいことだとあらためて感じています。私を成長させ、たくさんの思い出をくれた小舟渡小学校に心より感謝しています。
この方は当時の小学校の担任の先生に相談に乗ってもらうこともあり、今でもお世話になっているそうです。
小舟渡小学校の「沖揚げ音頭」は、ふるさと教育の中核になって、ふるさとを誇りにし、愛する人間教育の基盤になっていると聞きます。 (明日に続く)
|
(155)はしかみからの便り その3
| 2004年 3月 4日(木) |
【小舟渡小学校編B】 ところで、現在の小舟渡小学校の取り組みの様子ですが、次のようになっております。
・・・・・・・・・
貴校の児童生徒と地域の伝統芸能との関わりについてお答え下さい。
【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)
【質問2】取り組んでいる場合
◆芸能の名称(沖揚げ音頭)
◆参加人数(全校児童)
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)
【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、開始年、形態(授業・
正課クラブの別など)、活動時間、発表機会などを記して下さい。
◆取り組み始めた年・・・平成4年
◆形態・・・・・・・・・授業(総合学習の時間)
◆活動時間・・・・・・・年間約10時間程度
◆発表機会・・〔校内〕学芸会、1年生を迎える会、6年生を送る会
〔校外〕階上いちご煮まつり
【質問5】取り組んでよかったと思われる点、その他、今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。
◆沖揚げ音頭が誕生してから10年目を迎えました。 まだまだ浅い創作芸能の音頭ですが、これを通して、希薄になってきているといわれる地域への愛情を深め、連帯感を強め、さらには愛校精神が育まれていくことを願っています。 1年生から6年生まで全員参加の小舟渡版「沖揚げ音頭」の完成は、地区の皆様は勿論のこと、指導者と学校の先生方並びに子供たちの宝です。
・・・・・・・・・・ さて、舞台で披露する際は、この沖揚げ音頭に加え、ソーラン節の歌詞を小舟渡浜にして織り込まれていくそうです。平成11年には「沖揚げ音頭」の太鼓を三つ購入。ますますその取り組みに熱が入っています。
その小舟渡小学校も先ごろ、創立百周年を迎えることとなりました。もちろん、そこに華を添えたのは「沖揚げ音頭」です。児童はその様子を次のように書いていました。
夏休みに小舟渡小学校の百周年記念の火祭りがありました。 昨日も、その前もずっと雨でしたが、今日だけこんなに晴れました。 先生の放送でみんな準備を始めました。沖揚げ音頭の衣装に教室で着がえました。校庭に集まると、「みなさん元気でしたか。みんながおどりをいろいろがんばったので、今日はこんなに晴れました」と先生がおっしゃいました。 全員で火のまわりを囲んで沖揚げ音頭をやりました。 夜おそくなってからの沖揚げ音頭は初めてでしたが、わたしはこれが一番と思えるほどの声を出しました。 いつもと違って緊張したけど成功しました。 おどりが終わると先生が「みんなしゃがんで」とおっしゃいました。みんながしゃがんで待っていると、校庭のはじに用意された数字の百という文字が浮かんでいました。いっせいにみんなから「すごい」、「燃えている。燃えている」と声が上がりました。 わたしは口を開けたまま「わああ」という一言だけでしたが、すごいすごいと、ずっと心の中で思っていました。その後、すぐ真上で花火が打ち上がりました。・・・心に残る火祭りでした。(資料提供 階上町教育委員会)
(明日に続く)
|
(156)はしかみからの便り その4
| 2004年 3月 5日(金) |
【石鉢小学校編@】 ここは岩手県のフェスティバル会場。 曲名は「臥牛山の四季」 今、私の合図で演奏が始まりました。 太鼓を叩いているときの私は、とても幸せな気分になります。いつの間にか私は太鼓のとりこになってしまいました。太鼓の何がこんなにまで私をひきつけたのでしょう。 今から3年前、私は太鼓部にあこがれていました。全身に伝わる力強い響きや、きらびやかな衣装。 「あの大きな太鼓が叩きたいな」そう思った私は、さっそく太鼓部に入部したのです。 しかし入部後の練習は生やさしいものではなく、手は豆だらけになるし、親指の皮がむけるし、バチは血だらけ。 あまりの痛さに我慢できなくて、何度もやめようかと思いました。 ところが、そんな思いを吹き飛ばすような出来事に恵まれたのです・・・。 (階上町立石鉢小学校6年女子の作文より 資料提供 階上町教育委員会)
平成8年度、石鉢小学校に和太鼓部が創設されました。その名も「臥牛(がぎゅう)太鼓」。この「臥牛」は、階上町のシンボルともいえる階上岳からとられたものだそうです。
標高720mの階上岳は、110〜150mの丘陵が広がり、牛が寝そべっているような姿から、町民に「臥牛山」と親しみを込めて呼ばれています。 この名前が、石鉢小学校の芸能の名称に採用されました。
実は、この「臥牛太鼓」も小舟渡小学校の「沖揚げ音頭」と同様、地域の方々による手作り創作芸能です。
平成に入ると、地区から郷土芸能を伝えていきたいという声が次第に高まりをみせはじめることになったのだそうです。 そして、この構想が長い期間あたためられ、平成7年の夏ごろ「太鼓にしよう」ということで具体的な形を取り始めました。
「臥牛山のように大きくたくましい心を持つ人間に育ってほしい」との地区の人たちの願いが太鼓に込められ、こうして芸能創作活動がスタートしたのだそうです。
まず、学校教諭を中心とした関係者が、いろいろな太鼓演奏、また陸上自衛隊の演技などを参考に多数のデータが集められたそうです。そしてそれをもとに、地元の風土に根ざした、独自の「臥牛太鼓」へと仕上げられていったそうです。しかし、曲ができたとはいえ、肝心の「太鼓」がありません。 ここで支援活動に乗り出した人たちがいました。学校後援会のみなさんでした。
石鉢は戦後入植した人々により開けていった新しい地区であり、伝統芸能と呼べるものが、長いことありませんでした。 このような地区に、ぜひとも臥牛太鼓を根付かせたい。 5年、10年と続いて、これが地区の誇りある伝統となってもらいたい。このような地域住民の願いが形となり、ついに太鼓購入の実現にこぎつけていったということです。
臥牛太鼓には、大きな長胴太鼓から締め太鼓まで18あまりの太鼓が使われます。 曲は、新入部員中心の「竜灯」、石鉢地区の過去・現在・未来をうたいあげた「ニューフロンティア蒼前」、春の訪れから始まるふるさとの素晴らしさを太鼓に託した「臥牛山の四季」の3曲で構成。勇壮な演奏が好評で、地域の行事や交流校の行事、学習発表会などでの演奏は、とても楽しみにされ喜ばれているそうです。 また、老人福祉施設での演奏など、いろいろなところから毎年声をかけられるほど期待されているといいます。
こうして、子どもたちは太鼓を通し、いろいろな人とふれあいながら、たくさんのことを感じ取っているといいます。
それでは、明日、冒頭の女子児童の作文を続けまして、具体的に子供たちが何を見つけ、それによってどのように意識が変わっていったのか。それを見ていくことにしたいと存じます。 (つづく)
|
(157)はしかみからの便り その5
| 2004年 3月 6日(土) |
【石鉢小学校編A】
昨日の女子児童による作文を続けます。
・・・・・・・・・・
ここ2〜3年、太鼓部の出演依頼が増え、私たちの演奏を聴いてもらえる機会が多くなってきました。 階上町だけでなく、八戸市や岩手県でおこなわれるフェスティバルにも私たちは出演しています。 真剣に聴いてもらうために、はずかしくない演奏をしようと私は集中力を高めます。間違えないように細心の注意をしながら叩いています。それでも自分自身で満足のいく演奏はなかなかできません。お客さんからの拍手はとてもあたたかく、ありがたいのですが、自分の中では不満足な分、かえって申し訳なく思えてきます。 しかし、そんな私の考え方を大きく変える素敵な人たちとの出会いがありました。 それは老人ホームへ行ったときのことです。なんと、驚いたことに、お年寄りの人たちが涙を流して聞いてくれていたのです。 演奏の後、私たちは、お年寄りのそばへ行ってジャンケンをしたり、肩をたたいてあげたりしました。少しドキドキしながら私は「太鼓どうでしたか」と聞いてみました。そのおじいさんは口がきけないようでしたが、よかったよと、ゆっくり、はっきり言ってくれました。そのとき、私はいつもと違う何かを感じました。 フェスティバルの時は、何かがたりなかった。 そう、ただ、お客さんの前で演奏するだけという感じで・・・。 でも、そのときは違った。そこにいる人たちに心が近づいた気がした。 あの涙は、心で私たちの演奏を受け止めてくれた証なのだと思います。 私が感じたもの、それは、心と心のふれあいだったのかもしれません。 今までの私は、演奏のうまい、へた、成功や失敗にばかり気をとられ、お客さんに心を贈るという姿勢が不足していました。 大切なのはまず、聞いてくださいという気持ち。 そして、最後まで真剣に演奏する態度なのだと思います。 これなくして、いくら立派な演奏技術を持っていても、何の感動も起こりえないでしょう。和太鼓を通して、聞く人は、演奏している私たちの気持ちを心で感じ取ってくれるんだということがわかりました。 これは小さな気づきかもしれませんが、ここから始まるのだと思います。 これからも、私は和太鼓を力いっぱい叩いていきます。私の知らない感動と出会えることを祈って。
石鉢小学校の取り組みは次のようになっております。 (階上町教育委員会提供資料より)
【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)
【質問2】取り組んでいる場合 ◆芸能の名称( 臥牛太鼓 ) ◆参加人数(
24
)人 【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)
【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、とりくみ始めた年、形態(授業・正課クラブの別など)、活動時間、発表機会、これまでの簡単な活動史などを記して下さい。
◆平成7年・・太鼓部活動開始 ◆平成8年 ・臥牛太鼓部として活動を開始(月・木の放課後 1時間半位練習) ◆平成15年 ・太鼓クラブとして教育課程の中のクラブ活動として位置づけ (週1時間クラブ活動の時間と、月・木の放課後、クラブ外の時間も練習)
◆発表機会 ・町の行事、老人福祉施設の夏祭り、交流校(八戸第一養護学校)の夏祭り、 学習発表会(学習発表会のみ教育課程内)
【質問5】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、 今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。
◆古くからの伝統芸能ではなく、本校は創作太鼓であるが、創設以来、石鉢小の新しい伝統として地域に発信できるようになった。 総合的な学習の時間や、音楽の和楽器指導との関連で、クラブ活動以外の場でも触れる機会を持つ学年もある。 発表の機会が多くあることで、いろいろな人達とふれ合う機会が増え、その中から学ぶことも多い。
明日も地域に新しい芸能を創造した素敵な学校の話題をお伝えいたします。 (つづく)
|
(158)はしかみからの便り その6
| 2004年 3月 7日(日) |
【大蛇小学校編】
太平洋岸の大蛇漁港の近くに大蛇小学校があります。 平成8年度に階上町教育長より、町内8校の小学校で伝統芸能に力を入れてほしいとの要請を受けたものの、大蛇小学校学区には、これまで伝統芸能が存在していませんでした。そこで、大蛇地区の伝統を生かした新しい芸能の創作を検討することになったそうです。これに呼応するように、地域住民からも新しい芸能の創作を求める声が上がりはじめます。
こうして「昔、生活用具に欠かせなかった樽を使い、海に親しみ、海と厳しく対面してきた人々に元気を呼びかけたい」との構想のもと、漁師町に似合う勇壮な創作太鼓が誕生していくことになりました。
その創作は、大蛇小学校教職員が尽力。 ビデオや雑誌など様々な参考資料をもとに研究を進め、海と暮らす生活をイメージした太鼓音楽に仕上げていったといいます。
こうして平成8年、大蛇小学校の子どもたる太鼓「Viva!大蛇の海」が創作され、子どもたちは練習を重ね、平成9年4月の新入学児歓迎式典で華々しく初披露されました。
第1部は「いよっー、よおっ」との掛け声で始まる太鼓中心の「元気を呼ぶ」。 第2部は大黒舞と八木節に笛の「豊漁を喜ぶ」。 そして最後が「希望に輝く」の3部構成になっているそうです。
「大蛇子どもたる太鼓」は発表する規模・内容により、太鼓や踊りを7人から40人まで自由に編成できるのだそうで、県南地方の祝福芸「南部大黒舞」と「八木節」などを交えているのもユニークな点となっています。
現在は、施設慰問、発表会、階上町の行事など学校外への出演依頼も増えており、多くの人々との交流により異文化体験ができ、子どもたちは貴重な体験をしている。創作芸能により子どもの視野が広がってきた、ということです。 お年寄りがだんだん笑顔になるのがよかった。お年寄りが目に涙をためて喜んだのがうれしい。これら子どもたちの感想からも、充実感がうかがわれます。
大蛇小学校の取り組みです。(資料提供は階上町教育委員会)
●貴校の児童生徒と地域の伝統芸能(民謡を含む)との関わりについてお答え下さい。
【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)
【質問2】芸能の名称(大蛇子どもたる太鼓) 参加人数(全校91人) 【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)
【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、とりくみ始めた年、形態(授業・正課クラブの別など)、活動時間、発表機会などを記して下さい。
◆伝統芸能が存在しなかった本校では、地域の風土に合わせ、子どもたる太鼓を平成8年に創作した。 これまでクラブ活動として取り組んできたが、今年度からは総合的な学習の時間の中に位置づけ、全校で取り組んでいる。
◆発表は「1年生を迎える会」「学習発表会」「特別養護老人ホーム見心園訪問」「蛇沼小との交流会」などでおこなっている。
【質問5】学校の教育課程に位置付けられていなくても、活動や発表の機会があれば、どんな場合なのかを記して下さい。
◆町内で毎年行われているサマーフェスティバルでは、毎年発表している。また、依頼があれば可能な限り発表させていただいている。 これまでにあった依頼は「本校出身力士 十文字関の激励会」「ロータリークラブの20周年記念パーティー」「老人ホームの夏祭り」など
【質問6】芸能に参加している児童生徒の感想や、父母・地域の人々の反応、その他のエピソードがありましたら記して下さい。 ◆まだ、できて日が浅いが、卒業していく子どもたちからは、これからも続けてほしいという願い、学習発表会では、もっとたくさんの人に見て欲しいほど立派だったという言葉を頂く。
【質問7】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。
◆地域の風土に合わせた創作ということもあり、大蛇地区の特色が生かされている。 ◆子供たちも伝統芸能としての誇りを持って取り組んでいる。 ◆今後は学校のみならず、地域に根ざした伝統芸能をめざし、保護者、PTA及び、地域の方々の参加を啓蒙しながら、保存会の立ち上げが望まれる。 ◆卒業生を含めた地域伝統芸能になることが望ましい。
・・・・・・・・・・・・
さて、地区の「伝説」を題材にした芸能創作に打ち込む学校もあります。詳細は明日へ (つづく)
|
(159)はしかみからの便り その7
| 2004年 3月 8日(月) |
【金山沢小学校編】
昔、昔、そのまた昔、ここ金山沢にはこんな伝説が語り伝えられています。 あるとき偶然、砂金が発見され、それに目がくらんだ村人たちは汗を流して働くことを忘れてしまいました。龍神は怒り、金山沢川の清流を濁流に変えてしまいます。そして洪水で田畑、家屋が流されてしまいました。後悔した村人は龍退治に乗り出し、力を合わせる大切さに目覚め、結束を強めました。それから豊かな里になりました。
こんなナレーションで始まるのが金山沢小学校の「龍神こだま太鼓」です。
金山沢小学校の南約1qに石灰洞があります。洞口の幅、高さとも約2m、長さ約26mの規模で、峡谷を流れる屈曲部に突き出た山脚を切り抜けできたものであろうとみられています。この蛇抜け穴の主である龍神伝説がモチーフとなって、新しい創作芸能が生まれました。
その金山沢地区には、もともとえんぶりがあったのですが、後継者が少なく、とうとう伝承する人がいなくなってしまいます。平成に入り、そんな金山沢地区に独自の郷土芸能がほしいとの声が高まってきました。こうして、金山沢地区に伝わる龍神伝説が題材に選ばれることとなり、これをモチーフに太鼓による郷土芸能を創作し地域に残していこう、薄れていく地域の連帯を強めていこう、という気運が盛り上がってきたのだといいます。
この作業に金山沢小学校の教職員らが奔走し、ついに平成6年度、児童が学芸会で「龍神こだま太鼓」を初披露する運びになったのだそうです。 太鼓は当初は借り物でした。 しかし、平成7年に、学校・PTA・子ども会など、地区の代表者による郷土芸能推進会議が発足したそうです。さらにこれが平成8年4月に拡充強化し、金山沢郷土芸能推進協議会が誕生。 念願の桶胴太鼓、平太鼓、締め太鼓、てびらがね、宝来ゴングなど一式を購入することができ、地域ぐるみで新しい芸能を支援していく態勢が整ったとのことです。 また、郷土芸能として「龍神こだま太鼓」を次代へ継承していく目的から、協議会内には技術推進委員会が設けられ、大人も練習を続けているそうです。
児童の演奏は一時休止状態になったこともあったそうですが、現在は復活。 大人と子どもが一緒に地域の新しい伝統を受け継ぎ、伝説そのままに、地域の一体感を強めているということです。
その金山沢小学校の取り組みは下記のとおりです。 (資料提供 階上町教育委員会)
●貴校の児童生徒と地域の伝統芸能(民謡を含む)との関わりについてお答え下さい。
【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)
【質問2】取り組んでいる場合 ◆芸能の名称(龍神こだま太鼓)◆参加人数(全校児童
20名)
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)
【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、とりくみ始めた年、形態(授業・正課クラブの別など)、目的、活動時間、発表機会などを記して下さい。
◆取り組み年度・・平成12年度より
町制施行20周年記念伝統芸能発表会に「龍神こだま太鼓」を発表
(町民に全児童が初披露)
◆目的
・総合的な学習の時間のテーマ学習として郷土芸能の保存を目的に実施
◆形態・・・・授業で全校対象
◆発表機会・・地域行事、学芸会、各太鼓フェスティバル他
【質問5】芸能に参加している児童生徒の感想や、父母・地域の人々の反応、 その他のエピソードがありましたら記して下さい。
◆地域の龍神伝説をもとにした太鼓であり、父母や地域の人々と協力し合いながら実践している。大人のこだま太鼓には保護者も入っており、親子の共通の話題になることも多い。
・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここまでは地域に新しく芸能を創出してきた学校を取り上げてきました。
明日より、いよいよ階上町に古くから伝わる郷土芸能に取り組んでいる学校について、触れてみることにいたします。 これまた地域一丸となった取り組みとなっております。(詳細は明日へ)
|