青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年3月(2)>

(160)はしかみからの便り その8
(161)はしかみからの便り その9
(162)はしかみからの便り その10
(163)はしかみからの便り その11
(164)はしかみからの便り その12
(165)はしかみからの便り その13
(166)はしかみからの便り その14
 
(160)はしかみからの便り その8 2004年 3月 9日(火)
 【赤保内小学校編@】

 階上町は、八戸市のベッドタウン化が進んでいます。
 中でも赤保内地区は、交通の利便性が高いため、団地を抱える新しい住宅街となっているそうです。
 こうした新参者の多い地域では、えてして地域の連帯感が薄くなりがちだといわれています。しかし、赤保内小学校では、「保護者はよそから来て、ふるさとは別であっても、子どもたちのふるさとはここ赤保内」。
 ふるさと意識を子供たちに深めさせるエネルギーを、地域の伝統芸能である「赤保内子ども駒踊り」からもらおうとの熱心な活動を長いこと続けています。


 県南地方は古くから馬産地として栄えました。春に若駒を野に放し、秋に多くの人が野に出て取り押さえたといいます。
 この所作を踊りにしたものが「駒踊り」だと伝えられています。


 「赤保内駒踊り」は今から230年ぐらい前、この地域に伝わったものだそうです。
 南部の殿様の前でも踊り、赤保内駒として、丸に三つ引きの御紋を賜ったとされる長い伝統を持つもので、昭和36年、青森県無形民俗文化財に指定されました。

 赤保内小学校では、昭和54年ごろより、地域一丸となっての保存活動が続けられてきています。「一人でも多くの後継者が育ってくれれば」という期待と願いが、ここには込められていると聞きます。

 全児童329人が踊り、お囃子に参加するそうで、他地域出身の保護者も、移り住んだ新しい地域で、子どもが郷土芸能を舞う姿に大きな感慨を持ち、誇らしげに眺めているとのことです。
 赤保内駒踊りは、新興住宅地域の連帯意識を根付かせる、確かな「核」となっているようです。

 以前より、地域の人たちは「駒踊り」を名誉なものとして感じていました。あるとき、青森県の特別活動の研究発表会で遠来のお客さんにこれを披露したところ、非常に好評を得て、子供たちも踊ってみたいという希望がたくさん出たのだそうです。
 そこで子供たちに踊らせてみたところ、非常に体力を使う踊りであり、敏捷性も非常に培われる。こうした良さから、学校でも取り上げられるようになったのだそうです。
 将来、今の子どもたちが大人になって各地に散っていったとき、その地で音楽を聴いたり、踊りを見たりした際、このふるさとの駒踊りを思い出し、それが支えとなって心身ともに健康な生活を送ってもらいたい・・。また、何十年かたって、地元へ帰ってきて駒踊りを見ることによって、「ふるさと」というものを意識し、ふるさとを愛する人に育っていって欲しい。
 学校で取り上げられている背景には、地域住民のこうした願いも込められていると聞きます。赤保内地区では「駒踊り」が「ふるさと」の象徴ともなっているのです。

 赤保内小学校の運動会では、全校児童による駒踊りが話題を集めます。
 踊りやお囃子の指導には、赤保内駒踊り保存会の方々が当たり、駒の制作には、PTAの父兄があたるなど、昭和54年ごろより、伝統芸能の伝承活動として学校に取り入れられてからというもの、地域一丸となった支援態勢により、現在も、この活動が継続されています。平成10年にはPTA会員による奉仕作業で、駒踊りの用具入れ小屋の復元作業も、無事完了したとのことです。

 ところで現在、赤保内小学校の子どもたちが使用している駒の顔は、本物のように丸みがなく、角ばった形をしているのが特徴となっております。
 「この方が子供らしく、素朴で良い」と好評とのこと。確かに、とってもかわいらしい姿をしています。
 以前の駒は、軽く作ろうとするため、複雑な補強や骨が必要であり、組み立てが面倒だったのだそうです。しかし昭和57年、PTA会員伊藤武男氏による改良が進み、補強の必要のない、組み立て簡単な現在のスタイルになったとのことです。伊藤氏は、これまでに250頭以上の駒を制作してきたベテランだということです。
 こうした地域の方々の真心こもった手作りの駒を身にまとい、全校児童が輪になり、一斉に跳びはねます。
 その姿は見事で頼もしく、この子供たちの姿は赤保内小学校の誇りであると同時に、「地域の宝」だと、多くの人が感じていると伺っています。

 赤保内小学校の取り組み詳細は、明日に続きます。 (つづく)
 
(161)はしかみからの便り その9 2004年 3月10日(水)
 【赤保内小学校編A】 

 赤保内小学校の取り組み詳細です。
 
 (資料提供 階上町教育委員会)


●貴校の児童生徒と地域の伝統芸能(民謡を含む)との関わりについてお答え下さい。


【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)

【質問2】取り組んでいる場合
◆芸能の名称( 駒踊り  )
◆参加人数 ( 全校 329人  )
   
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)

【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、開始年、形態(授業・正課クラブの別など)、目的、活動時間、発表機会、これまでの簡単な活動史などを記して下さい。

◆昭和54年度より全校児童を対象に運動会で発表することを目的として始められた。
 当初は人数も少ないので、教師による一斉指導であった。
 その後、総合的な学習の時間に国際理解教育の一環として、教育課程に位置付けた。

 1・2年は運動会で踊ること。
 3・4年は衣装や駒をつけて踊り、しっかり覚えること。
 5・6年は伝統継承と文化の理解という視点で取り組んでいる。

 特に6年生は縦割班の班長になり、下級生に伝えることと、
 対外行事への参加などでの活動をおこなっている。
  

【質問5】芸能に参加している児童生徒の感想や、父母・地域の人々の反応、
     その他のエピソードがありましたら記して下さい。

◆地域では、学校での伝承活動に協力的であり、夜の駒踊り教室で講師をしてくれたり、学校行事に参加してくれたりしている。

【質問6】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。

◆伝統文化に取り組むことによって、地域の思いや日本の文化への理解が深まり、他の国や地域の文化も理解できるようになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


 さて、赤保内小学校と同様に、学校における地域の伝統芸能の取り組みを国際理解の土台にしようとしている学校があります。
 登切小学校です。

 地域の文化を大切にできない人は、異なる文化を大切にできないのではないか。地元の文化を大切に守ることで、国際理解につながっていくのではと、小さな学校から素晴らしい伝統芸能の情報を全国に発信しています。

 明日はその階上町立登切小学校を取り上げてみることにしたいと存じます。

(つづく)
 
(162)はしかみからの便り その10 2004年 3月11日(木)
 【登切小学校編@】

 登切小学校3年女子児童の作文です。資料提供は階上町教育委員会。

 わたしたちの学校では、鶏舞という伝統芸能をやっています。
 いつものは全校のみんなだけで練習するけど、時々、鶏舞組の人が来て教えてくれます。
 来てくれる人は6人くらいで、笛や太鼓、てびら鐘をやる人と、おどりを教えてくれる人です。そして、この中に一人、とてもおどりの上手なおじいさんがいます。

 そのおじいさんがおどっているのを見ると、本当に、にわとりがおどっているように見えます。
 足や手の動かし方がとても鳥のようなのです。

 鶏舞はとてもむずかしいおどりです。
 足に集中すると手を忘れます。手に集中すると足が合わなくなります。リズムもむずかしいのでなかなか上手におどれません。わたしは1年生から練習をしていますが、まだまだ上手ではありません。

 鶏舞組さんが来てくれるときはいつもより長い時間練習をします。
 
 あいさつをすると、まずは「もみいれ」という棒を持っておどるものからです。1年生からやります。
 1回音に合わせておどってから、少しずつ直されます。
 おどりの上手なおじいさんが、いつもみんなの前でやってみせてくれます。
 ゆっくり何度もやって見せてくれるので、動きがよくわかります。

 見ているとすごくかんたんそうなのに、自分でやってみると、うまくはできません。
 すると、できるまで隣について教えてくれます。

 去年までは、あまり鶏舞が好きではなく、いくら教えてもらっても、よく見て練習しようという気持ちになれなかったので、ちょっとイヤでした。

 でも今年になって、お客さんに見てもらうことが多くなり、拍手をたくさんもらっているうちに、だんだん「もっと鶏舞を上手におどりたい」という気持ちが強くなってきました。

 わたしが苦手なのは扇を使っておじぎをするところです。

 扇を使った踊りは2年生の終わりごろからだし、最後に二つの扇を合わせて持つのがむずかしいのです。

 笛や太鼓に合わせておじぎするのもタイミングがよくわからずに合いません。
 困って泣きそうになっていると、やっぱりおどりの上手なおじいさんがわたしのところに来てくれました。何回も何回も、ゆっくりやってみせてくれました。

 それで、やってみると、なんとかみんなに合わせることができました。


 みんなでのおどりの練習が終わると、丈夫の練習になります。その間、わたしたちは休けいですが、おじいさんたちは休みません。
 ずっと体を動かしっぱなしです。見ると汗をかきながら教えています。
 つかれないのかなあといつも思います。


 わたしは上手におどれないけど鶏舞が大好きです。
 手や足を動かして踊っていると、楽しくなってきます。みんなの前で衣装や烏帽子をつけておどって、たくさんの拍手をもらうと、本当にいい気分です。
 これからも鶏舞組さんおじいさんたちの教えてくれることを聞いて練習し、上手になりたいです。

 そして6年生になったら、丈夫としておどってみたいです。


・・・・・・・・・・・・・・・
 登切小学校の玄関には、階上岳を背景に鶏舞を舞う児童の姿が生き生きと描かれた一枚の油絵が飾ってあるそうです。

 これは「平内鶏舞」の継承活動が、(財)博報児童教育振興会・博報賞受賞を記念した際に、寄贈されたものだということです。
 小さな学校で続けている地域の伝統芸能を受け継ぐ活動が、実は全国的に見ても素晴らしいものであったということを、名誉ある賞を受けたことで子どもたちも実感したようだということでした。

 登切小学校の取り組み詳細については明日、ご紹介いたします。
 
 (つづく)
 
(163)はしかみからの便り その11 2004年 3月12日(金)
 【登切小学校編A】

 登切小学校は、明治7年に開学した晴山沢小学校が前身であり、階上町内では最も歴史のある学校です。この登切小学校に課外活動として「鶏舞」が取り入れられたのは昭和42年にさかのぼります。

 その「鶏舞」は、もともとは悪霊退散の神様としての鶏信仰と鎮魂の技法である「ヘンバイ」が結びついた念仏踊り(事務局日記の2月バックナンバー『伝統芸能うんちく』をご参照下さい)の一つだということです。
 「平内鶏舞」の伝承演目は、墓念仏、仏壇念仏、庭踊りの3種。
 その特徴は「花和讃」「浄土和讃」などの念仏の歌詞が失われず、9種目の庭踊りが型を崩さずに伝承されている点にあるそうで、昭和34年に青森県無形民俗文化財、昭和52年に文化庁の無形民俗文化財に選択されました。


 さて、登切小学校は平成9・10年度の2ヵ年、文部省の伝統文化教育推進事業指定を階上・道仏・赤保内の三小学校と同時に受けることとなります。
 図工では烏帽子作り、鶏舞を題材にした版画・絵画、そして国語の時間は作文や詩や俳句に、さらにまた鶏舞の歴史や文化についても学習を深めているそうです。

 登切小学校では「庭踊り」のもみ入れ、四番の太刀、二本扇の三つの演目を学びます。指導にあたっているのは、平内えんぶり鶏舞組。学期に数回、指導を受けるそうです。
 保存会の方も児童の技量向上に合わせ、少しずつ新しい演技を取り入れるなど、幅を広げる努力をしているそうです。
 その詳しい様子は昨日の児童作文にてご紹介いたしましたが、これ以外にも「最初はキライだったけど、鶏舞組のおじさんたちが親切で好きになってきた」「難しくて意味がわからなかったが今は違う」と子どもたちの意欲的な声も聞かれています。

 教育は学校だけではできにくい部分があるので、「家庭や地域社会の教育力」を積極的に活用していく。地域の教育的活動との連携による具体的体験活動の指導を心がけ、地域の文化や伝統の継承活動を進めている、とのことです。

 その登切小学校の活動内容詳細は下記のとおりです。
  (資料提供・階上町教育委員会)

●貴校児童と地域伝統芸能との関わりについてお答えください。

【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)

【質問2】取り組んでいる場合

◆芸能の名称(階上子ども鶏舞・ナニャドヤラ・えんぶり)
◆参加人数(鶏舞・ナニャドヤラ・・全校21人 えんぶり・・7人)
   
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)

【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、開始年、形態(授業・正課クラブの別など)、目的、活動時間、発表機会などを記して下さい。

◆開始年・・昭和42年5月

◆目的
地域を知り、地域に対する愛情を育み、他地域とのつながりを学ぶことで社会性の育成にもつなげること。

◆形態
・初期は特活。現在は総合的な学習の時間。
・運動会、学芸会での発表の時期に集中的に8時間程度ずつ練習する。
・日常の練習は週1回おこなっている。

【質問5】芸能に参加している児童生徒の感想や、父母・地域の人々の反応、その他のエピソードがありましたら記して下さい。

◆児童の感想
学校外からの要請での発表もあり、楽しいという感想が多い。

◆地域住民
児童数の減少で継続が難しいかもしれないが、がんばってほしいという声が多い

【質問6】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、今後の方向性として
     考えていること等がありましたら記してください。

◆練習において、高学年の児童が低学年の児童の世話をしてあげたり、教えてあげたりする場面が多く、教育的な効果が大きい。

◆地域とのつながりが強くなり、学校への支援態勢の強化にもつながっていて有意義だと感じている。   

・・・・・・・・・

 平内地区の伝統芸能を全校で練習することにより、郷土の伝統を守り、郷土を愛する心と態度を養う。こういった目標を持って、練習班にわかれ、高学年を中心にして、下級生に舞い方を教えるのだそうです。

 班練習のあと、お囃子(テープを放送委員会が流す)に合わせて、全校で鶏舞を舞います。
 この「こども鶏舞」に加え、運動会では「ナニャドヤラ」も踊られるそうです。

 これについてのほほえましい作文もいただいております。明日ご紹介いたします。
  (つづく)
 
(164)はしかみからの便り その12 2004年 3月13日(土)
 【登切小学校編B】

 「おばあちゃん、ナニャドヤラ教えてよ。だってね、運動会でおどるんだよ」
私が言いました。
「いいよ。でも、ナニャドヤラは難しいよ。ほら、こうやっておどるんだよ」
と、おばあさんがおどってくれました。
 わたしは、そうか、そうやっておどるんだと思いながらまねっこしておどりました。おばあさんは、左の指先をぴいんと伸ばして、右腕は小さく折っていました。それがとてもかっこよく見えました。

「わあ、上手だねえ」と、わたしは手をたたきながら言いました。
 すると、おばあさんは、ちょっと照れながら
「ありがとう」と、こしょこしょ話のときのような声で言いました。
「ねえ、おばあちゃん、次はどうやるの」と私が言うと、おばあさんは次をおどってくれました。わたしは急いでおばあさんの背中の方へ行って、手とか足とかまねっこして動かしました。
 それから10分ぐらい練習しました。
 自分の背中を触ってみると、ちょっとだけ冷たかったです。でも、それがとても気持ちよく感じました。時計を見ると、もう9時でした。
 わたしが「じょうずになったかなあ」ときくと、おばあさんは汗をタオルでふきながら「うまくなったよ。うまくなった」と言いました。
 わたしはおばあさんにほめられ、運動会でもしっかりおどれそうだと思ってうれしくなりました。
 (1年児童作文 資料提供・階上町教育委員会)


 さて、登切小学校では鶏舞のほか、上記作文にあるナニャドヤラ、そして総合的な学習の時間に、登切に伝わるもう一つの伝統芸能である「平内えんぶり」も勉強しています。どういった取り組みをしているのでしょうか。

 以下、その取り組みを見てみることにいたします。


 総合的な学習の時間 対象3・4年生(平成13年度学校経営要覧より)

@単元名「登切に伝わる伝統芸能 平内えんぶり」

A本時の指導
(1)活動名「えんぶり小屋に行って話を聞いてみよう」
(2)本時のねらい
   えんぶりに使われる衣装や道具、えんぶりにかかわる人にふれることで、
   新たな課題意識を持つことができる。
(3)展開 (学習活動は◆マーク、指導の留意点を◎マークで以下に表記)

【1、学習内容の確認】

「えんぶり小屋に話を聞きに行こう」
◆目的確認 ◆主に調べたいことを確認する。
◎役割については前時に確認しておく。デジカメ、ビデオカメラを準備

【2、移動】
◆平内えんぶり組の小屋へ移動する ◎ジャンボタクシー使用

【3、お話を聞く】
◆えんぶりの歴史についての話を聞く。
◎メモ用紙を持たせるが、話を聞いたり、見学したりするほうを優先させる。
◎話を聞く時間と小屋の中を見る時間を設定しておく。

【4、小屋の中のものを見せてもらう】
◆えんぶりに使う道具 ◆えんぶりの衣装 ◆烏帽子
◆おはやしに使う楽器 ◆表彰状 
◎見ながら随時質問したりする。

【5、わかったこと、気づいたことを発表する】
◎一般的なことだけではなく、歴史の古さなどに目を向けた気づきを期待したい。

【6、次時の予告をする】
◎次時の活動の方向性をはっきりさせる。

【7、ふりかえりカードに記入する】
◎観点に応じた自己評価をする。

(成果)
実物を見たり、地域の方から話を聞いたりすることによって児童の課題意識が高まった。ゴール(パンフレット作り、ホームページ掲載)をしっかり設定することで、目的意識を持って進めることができる。また、学習意欲も継続されることがわかった。

(課題)・・・評価の観点に沿った単元の目標の設定


 地域の文化を大切にできる人を育てようとの熱心な活動が伝わってきます。

 明日は、同じ「えんぶり」に精力的に取り組む、階上小学校について触れてみたいと存じます。
 (つづきます)
 
(165)はしかみからの便り その13 2004年 3月14日(日)
 【階上小学校編@】

 上手な子ばかりではない。でもどこか一つはよいところがある。そこをよくできたと、ほめることにしている。低学年には、同じことを何度もやって見せ教えている。

 このように語るのは、階上小学校で指導にあたられている鳥屋部えんぶり組の代表の方です。

 ここで5年児童の作文(資料提供 階上町教育委員会)を見てみることにいたしましょう。

・・・・・・・・・

 私達の学校と地域ではえんぶりに取り組んでいます。学校でえんぶりをやる前には、えんぶり組の大人の人が来て教えてくれます。
 私は学校のほかにも、えんぶり組に入って、練習しています。学校でのえんぶりの練習は6時間目にやります。

 だから、えんぶり組の人は仕事を休んで、学校にえんぶりを教えに来てくれます。

 私はえんぶりのお囃子の太鼓をやっています。私もみんなも練習をしているときに「わははは、おもしろい」とおしゃべりをしていました。
 でもえんぶり組の人は、いっしょうけんめい太夫の人におどりをやってみせました。
「もうちょっと笑いながらやって」とか「頭をふって」とか「ひざまげて」とか、アドバイスしてくれます。
 真剣に話を聞いている人もいました。
 でも、私が気になったのは、えんぶり組の人が言っているのに対して返事をしていない人がいたことです。
 えんぶり組の人は「ハイの返事は」と言っていました。
 みんないそいで「ハイ」と言っていました。

 でも、その後、まだ話を聞いていない人がいました。練習しているときにちゃんと話を聞いていない人はうまくできません。
 えんぶり組の人は、何回も何回もみんながうまくなるまで、手本を見せてくれたり、親切に教えてくれたりしました。
 私も時々、お囃子の人と遊んでしまいました。
 私が遊んでいたから、すぐ前にいてステラ(えんこえんこ)をやっている1・2・3年生も遊んでしまいました。

 私はどうしてみんな真剣に練習しないのだろうと考えました。
 みんな「できる」という自信があるからだと思います。私も自信があるから遊んでしまいました。
 でも、本当はえんぶりのおどりとおどりの間にやる「けん」という部分がおぼえられないのです。だから、もっと練習しなければいけなかったのです・・・。

・・・・・・・・・・・・

 集中力の途切れがちになる低学年の児童の指導は、たいへんだろうと察します。しかも、このたいへんな指導を、地域の伝統継承のために、仕事を休んでまで学校に通われている方がいらっしゃる。
 こうした指導にあたられる方々の熱意は、確かに子どもたちにも届いているようです。最後に、この児童は次のように文をまとめています。

・・・・・・・・・・・・

 えんぶりは私たちが受け継いでいかなければならない伝統です。

 だから、もっとまじめにえんぶりの練習をやらなくてはいけないと思います。
 えんぶり組の人にあまりお世話をかけず、一人一人が「いっしょうけんめいがんばる」ということを心の中に入れて、えんぶりに取り組んで行きたいと思います。

 みんなで元気なえんぶりをやっていきたいです。
 
 私たちなら、それができるはずです。


 ・・・・・・・・・・・・・

 さて、この熱心な取り組みを見せる鳥屋部えんぶり組も一時は後継者難で途絶えたことがあったそうです。その復活から、階上小学校とのかかわりなど明日に続けます。

 (つづく)
 
(166)はしかみからの便り その14 2004年 3月15日(月)
 【階上小学校編A】

 広く農耕地帯に伝承されている、豊年祈願の「田遊び」「田植え踊り」系の芸能の一つに、「えんぶり」は位置付けられています。

 その昔、田をならすエブリという農具を手に持って舞ったことが名前の由来になったともいわれており、2月、県南地方へ春を呼ぶ行事として、今や全国的にも有名です。


 さて、「えんぶり」には、唄やしぐさがゆったりとした「ながえんぶり」と、テンポが速く活発な「どうさいえんぶり」の二系統があるそうですが、階上小で練習する鳥屋部えんぶりは、旧大館村の細越えんぶりを師匠として伝承される「どうさいえんぶり」です。


 平成に入り、階上小学校で鳥屋部子どもえんぶりが指導されるようになりましたが、この鳥屋部えんぶりは昭和51年に21年ぶりに復活。今の形となったもので、それまでは後継者難で、長いこと途絶えていたそうです。

 この鳥屋部えんぶりの歴史は古く、大正初期に百年以上経過の古い烏帽子が保存されていた(戦後の混乱期に紛失)という記録が残されています。
 
 戦前は演芸会もあり活発に活動していたものの、人不足のため、八戸市のえんぶり行事に参加できなくなるなど、苦境に立たされることとなります。 
 こうして活動が休止に追い込まれてしまいますが、昭和51年、えんぶり組保存会のメンバーが中心となって、40〜50代の仲間とともについに復活。

 その後、鳥屋部地区の十数戸が中心となり、鳥屋部えんぶり組が現在も維持され続けているそうです。
 以来、八戸市のえんぶり行事にも、欠かさず出演しているとのことです。


 長い歴史を誇る郷土の芸能を簡単に失わせるわけにはいかない。
 人数は確かに少ない。しかし何としても、子どもたちに受け継いでもらい、後世に伝え残していきたい。
 これがこの地に住む私らの役目です。

 こう語るのは鳥屋部えんぶり組の代表。
 この言葉にもあるように、後継者育成は、保存会をはじめとする地域の方々にとっての切実な願いでもあります。

 こうした地域の思い・願いに応えようと平成元年、階上小学校でえんぶりの取り組みが始まったそうです。
 (その詳細は明日へ)


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