青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年3月(3)>

(167)はしかみからの便り その15
(168)はしかみからの便り その16
(169)はしかみからの便り その17
(170)はしかみからの便り その18
(171)はしかみからの便り その19
(172)はしかみからの便り その20
(173)はしかみ 雑感
 
(167)はしかみからの便り その15 2004年 3月16日(火)
 【階上小学校編B】

 階上小学校の取り組み詳細は次のとおりです。
 (資料提供 階上町教育委員会)

●貴校児童と地域伝統芸能との関わりについてお答えください。


【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)

【質問2】取り組んでいる場合
 ◆芸能の名称( えんぶり  )
 ◆参加人数( 45人 )
   
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)

【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、とりくみ始めた年、形態(授業・正課クラブの別など)、目的、活動時間、発表機会などを記して下さい。

 ◆平成元年(階上小子どもえんぶり結成)
 ◆伝統芸能に取り組み、活動や発表を通し豊かな心を培うことを目的
 ◆活動は、総合的な学習の時間
 ◆運動会、学芸会、老人福祉施設訪問、八戸第二養護学校との交流会、
  八戸えんぶり参加などで発表


【質問5】学校の教育課程に位置付けられていなくても、活動や発表の機会があれば、どんな場合なのかを記して下さい。

◆鳥屋部えんぶり組に所属している児童はその所属の活動

【質問6】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。

◆自分たちの発表を見てくれた人が喜んでいる様子を見るとうれしく、えんぶりをやっていてよかったなと思う。

◆伝統芸能への取り組みが、豊かな心を培う上で、大きな役割を担っている。



・・・・・・・・・・・・

 えんぶりの横笛・和太鼓・てびらがね等の演奏は、指導者がいなくては練習が難しいそうです。

 しかし、階上小では指導を受けて10年たった時点で「そろそろ児童で自主的にやってみようか」との声が学校内で高まっていきました。


 その背景として、仕事を休んでまで、指導を続けてもらうのは心苦しい。代わりに教職員がえんぶりを覚えて児童と一緒に練習すれば教職員も習得できる。
 また、児童に主体性を持たせ、先輩から後輩に教えあう体制を充実したいなどの考えからだったとのことです。

 こうして、春先、えんぶり組に指導を仰ぐのはこれまで通りですが、10月の発表会へ向けた練習は、児童らが主体的に実施していったそうです。


 伝統芸能を受け継ぐ部分と、アレンジする面もあってもいいのかな。
 そのままというより、現代っ子なりの受け継ぎ方もあるのでは・・・と、学校側も地域の伝統芸能「えんぶり」の継承活動を推進し、ふるさとへの愛着と誇りを育てることを指導方針に、『新しい継承の仕方』を探っているところだということです。

 (明日に続く)
 
(168)はしかみからの便り その16 2004年 3月17日(水)
 【道仏小学校編@】
 
 足が痛い。
 どうして肝心なときに骨折なんかしてしまったんだろう。
 次の日が学習発表会だというのに、ぼくは前の日に台からジャンプし、バランスをくずして足をくじき、骨折してしまった。
 4年男子は神楽があった。ぼくは骨折してしまったので、出られなくなった。
 ぼくは3年生のときから、早く神楽に出たかったので、がんばって練習してきた。それなのに出られなくなってしまい、とてもくやしくなった。せっかくうまくおどれるようになったのに・・・と、何度も何度もくやしくて考えた。
 骨折だと知ったとき、自分が悪いとわかっていても、なんのために神楽をやってきたのだろう。練習の時に流した汗は何だったのだろうと、くやしさで一杯になった。
 それに神楽に出ることは何よりも楽しみにしていたので、ふざけて台から飛びおりたことをとても後悔した。これからはよく考え、落ち着いて生活を送れるようにしたい。そして、来年こそは、大好きな神楽を上手におどりたいと思う。
(資料提供 階上町教育委員会)
・・・・・・・・・

 これは地域の伝統芸能である神楽に熱意を燃やす、道仏小学校の4年男子児童の作文です。まず、その道仏小学校の取り組みを見てみることにいたしましょう。

●貴校児童と地域伝統芸能との関わりについてお答えください。


【質問1】児童生徒が地域の伝統芸能に取り組んで(いる・・・)

【質問2】取り組んでいる場合

 ◆芸能の名称( 神楽 )
 ◆参加人数( 80人 )
   
【質問3】そのとりくみは、学校の教育課程に位置づけられて(いる・・・)

【質問4】伝統芸能のとりくみに対し、とりくみ始めた年、形態(授業・正課クラブの別など)、目的、活動時間、発表機会などを記して下さい。

◆平成2年・・郷土芸能の神楽の伝承指導を受け発表
◆今年度から総合学習として実施
◆目的・・地域に伝わる伝統芸能を体験し、発表することによって、郷土を愛し、受け継いでいく大切さを気づかせる。
◆学習発表会で発表するため、9月から地域の「神楽組」の方々に指導をしてもらう。
◆授業としては8時間、放課後の活動としても8時間位おこなっている。


【質問5】学校の教育課程に位置付けられていなくても、活動や発表の機会があれば、どんな場合なのかを記して下さい。

◆正月の門付けとして、10名位の生徒が参加している。


【質問6】芸能に参加している児童生徒の感想や、父母・地域の人々の反応、その他のエピソードがありましたら記して下さい。

◆学習発表会において、40分間の発表をするが、地域のお年寄りは神楽を楽しみにしているようである。


【質問7】取り組んでみてよかったと思われる点、その他、今後の方向性として考えていること等がありましたら記してください。

◆地域の神楽組の方々は、中学生にも伝承活動をおこなっており、熱心である。今後も、地域のためにも神楽の伝承活動を教育課程に位置付けて、続けていきたいと思っている。

◆今後は踊りの伝承を、6年生から下の学年へ伝えたり、歴史を調べる等、総合的な学習としての内容を充実させたいと考えている。

・・・・・・・・・・

 神楽の響きには人の心をとらえる不思議な力があるといいます。
 だからこそ長い年月を経て人から人へと伝承され続けているのでしょう。
 道仏地区の人たちに、300年の長きにわたって支えられ、受け継がれているこの地域の神楽のリズムは5拍子。明日は「5拍子神楽」とも呼ばれる地域の神楽の伝承活動に力を入れている道仏小学校の、より詳しい活動内容をご報告させていただきます。
(つづく)
 
(169)はしかみからの便り その17 2004年 3月18日(木)
 【道仏小学校編A】

 地域の神楽の摩訶不思議なリズムにとまどいながらも、一生懸命、誇りを持って練習に取り組んでいる道仏小学校の子どもたちの様子が伺われる4年児童の作文をいただきました。
 (資料提供 階上町教育委員会)

  ご紹介いたします。

・・・・・・・・

 ぼくたちの学校で一番自慢できること、それは神楽です。
 道仏小学校では4年生から神楽をやることになっています。
 ぼくは三番叟(さんばそう)をやることになりました。
 6年生の人が「三番叟が一番むずかしいぞ」と言っていました。


 ぼくが大丈夫かなあと不安になっていると、「大丈夫、できる」とみんなが励ましてくれました。そうだ、前の4年生だってできたのだから、自分にもできると思いながら練習に入りました。

 まず全体のリズムを覚えました。「ダンツコ・ダンツコダンのダンツコ・・・」

 初めは、何だこれ、変なリズムだなあと思っていたけれど、聞いているうちにわかってきました。でも先生に「三日で覚えるように」と言われたので、先が真っ暗になりました。

 家に帰ってさっそく練習しました。
 自分の部屋で一人でやりました。2回繰り返すところなど細かいところに気をつけながら、夜10時すぎまでがんばりました。
 三日後、覚えたところを発表することになりました。

 ぼくは自信がありました。
「ダンツコ・ダンツコダンの・・・。デンドン・デンスコデン」ぼくは一つも間違えずにできました。
 いよいよ本格的におどりの練習です。
 5・6年生の人に見せてもらいました。けっこう長い時間おどっていたので、自分にできるかどうか不安になってきました。ぼくたちの番です。
 「ダンツコ・ダンツコダンの・・・」心の中でリズムを思い出し、5・6年生の人のまねをしながらやってみました。
 何か所か間違えてしまったけど、感覚がつかめてきました。
 はやく6年生のように上手になりたいと思い、一緒に練習しました。
 6年生の人に負けないようにとがんばりました。
 先生に「よし。オーケー」と言われたときはホッとしました。

 次の日、神楽組の人が来て最後の調整をしました。体を低くしたり、動作を大きくしたりしました。

 本番の日がやってきました。
 場所は広いハートフルプラザ。

 何枚も何枚も衣装を着ました。最後に烏帽子をつけました。
 「ぎゅっ」と縛られ気絶しそうでした。ただ立っているだけでもクラクラするのに、これから20分もおどるなんて信じられませんでした。

 「さいわい、さいわい、めでたさよ」ついに始まりました。

 ぼくは最後まで精一杯がんばることと、今までで一番うまかったと自信を持っていえる神楽にすることを目当てにおどりました。

 体を低くして、堂々とやりました。

 太鼓のリズムをよく聞き、動作を大きくはっきりとするように、一生懸命がんばりました。

 「ダン!」最後の太鼓が鳴り、終わりました。


 なんだかとてもホッとしました。
 ゆっくりと、丁寧にお辞儀をして、初舞台を終えました。

 控え室に戻ると、大きなため息が出ました。

 大成功でした。

 先生が、「今までで一番よかった」と言ってくれたので、とてもうれしかったです。
 終わったあと、もう一度おどりたいと思いました。

 何年も前から、この道仏に、こんな素晴らしいおどりがあったなんて初めて知りました。
 ぼくはこの神楽をなくすことなく、いつまでも大切にしていきたいと思います。
 来年はぼくたちが下級生に伝えていきたいです。

 伝統を受け継いで。


・・・・・・・・・・

 道仏小学校の児童と道仏神楽組とは阿吽の呼吸。パートごとに教室に分かれて練習に入るといいます。

 剣舞の教室では扇子や刀を使い、笛、太鼓のリズムに合わせて所作を確認しながら反復練習。体育館では、汗びっしょりになりながら児童が獅子頭を動かしています。
 児童はもの覚えがよく、先輩が後輩の面倒をよく見るので教えやすいとは神楽組の声。

 4年生は所作の順序を覚えるので精一杯だが、5年生からは踊りにうまさがでてくるといいます。その取り組みの様子については、やはり取り組んでみた児童ご本人に語ってもらうのが一番です。

 明日も、子どもたちの生の声に耳を傾けながら、道仏神楽を理解していきたいと存じます。(つづく)
 
(170)はしかみからの便り その18 2004年 3月19日(金)
 【道仏小学校編B】


 「神楽ってなに?」
 4年生の二学期、横浜から転校してきたぼくは、神楽のことを全然知りません。道仏小学校の4・5・6年生の男子は毎年学習発表会で神楽をおどるのです。ぼくは、剣舞をおどることになりました。
 最初ぼくは、5・6年生のお兄さんに、扇子のまわし方を教えてもらいました。
 丸を書くようにしてまわしながら戻すということでした。ぼくは、まわし方を見てそれから扇子をまわしましたが全然できません。
 それで先生に簡単なやり方を教えてもらいました。ぼくの他にもできない人はいました。
 次は、足や手の動作をつけることでした。足の動作をつけるという意味は、まわる時などでした。けれど3日ぐらいでおぼえました。
 神楽の練習で一週間たって、先生が「ステージの練習を始めるぞ」と言ったのを聞いてぼくは心配になりました。

 一つは扇子をまわせるのだろうか。
 二つは足の動き。
 三つは楽器に合わせておどれるだろうか、と、ぼくは思いました。

 最初、剣舞からでした。
 「剣はじめておがむには」と剣舞の班長が言いました。
 そのあとみんなで「若葉の松こそめでたさいよ」と言って始まりました。
 ぼくは扇子をまわさず、先生から習ったやり方でやりました。そして後半部分は足に気をつけて、慎重にやりました。それで剣舞が終わりました。
 次に友達の三番叟、権現舞を見ておわりました。そして終わりのあいさつをして帰るとき、先生が「よくがんばったなあ」と声をかけてくれました。
 ぼくは心の中で「やった、できたあ」と思いました。
 二週間、ぼくたちは毎日6時まで、練習を一生懸命やってきました。
 学習発表会の前日、神楽の衣装の着付けをしたとき、ぼくは、「剣を持って、袴をはくなんて、昔の侍みたい」と思いました。
 ついに学習発表会。
 ぼくはとても緊張していたけど、最初のうちだけでした。ぼくは早く神楽の番が来ないかなあと、わくわくしていました。
 神楽の番が来ました。ぼくは一生懸命、夢中でおどりました。大成功しました。
 家に帰ったら、お父さんとお母さんが「神楽は全然わからないものだったけど、見ていて、とっても感動した」と言ってくれました。
 また、5年生になったら、がんばろうと思いました。
(道仏小学校4年男子児童)

・・・・・・・・・・・・・・

 10月14日は学習発表会でした。
 ぼくが一番緊張したのは神楽でした。
 なぜかというと今年初めておどったからです。
 どうしよう、まちがえたらどうしようかなと不安になりました。
 ぼくたちの出番になり、ならんで舞台に上がりました。
 笛や太鼓の音をよく聞いておどり始めました。
 ぼくは同じおどりが何回も続くのでわからなくなりそうでした。
 頭には、ぎゅっとしぼった烏帽子をつけているので、おどっているときも、頭がくらくらしてきて、立っていられなくなるほどいたく感じました。
 でもみんなと合わせておどらなくてはいけないので、ぼくは、痛いのをがまんして、一生懸命がんばりました。ぼくの前では6年生がおどっています。
 やっぱり上手です。
 たまに客席を見ると、おかあさんとおばあさんが、ぼくの方をじっと見ていました。
 ぼくは恥ずかしくて、ドキドキしてきました。
 それに間違えてはいけないと思ったので、客席を見ないようにしました。
 どんどん進み、拍子の音も終わりの方へ近づいてきました。もうちょっとで終わりだ。もうちょっとで終わりだ。と、心の中で何回も言いました。 
 ついにぼくたちのおどりが終わりました。
 やっと安心できました。

 これまでのことを振り返ってみると、練習のときにつらいなあと思ったり、やりたくないなあと、考えたりしながら、やったこともありました。
 でも、そんな気持ちをがまんし一生懸命がんばったので、成功できたと思います。
 5・6年生に教えてもらったように、ぼくが5年生になると、4年生に教えることがあるかもしれません。そのときは6年生に教えてもらったように、ていねいに教えてあげたいです。
 そして、来年も、神楽を上手におどりたいと思います。
 (道仏小学校4年男子児童)

 資料提供 階上町教育委員会

・・・・・・・・・・・・
 昨日の男子児童に引き続いて文面ににじみ出ている、真剣さ、そしてこの達成感と充実感、本当に素晴らしいなあと感じてしまいます。
 また、こういった体験ができる子どもたちは本当に羨ましいと正直感じます。ゲームをクリアしたのとは別種のズシンと魂に響く感動は、生涯消えることなく、各自の心の中で、光を放ちながら生き続けていくのかもしれません。

 (明日に続く)
 
(171)はしかみからの便り その19 2004年 3月20日(土)
 【道仏小学校編C】

6年男子児童の作文より (資料提供 階上町教育委員会)

 道仏神楽。それはおよそ300年ほど前から、道仏に伝わっている郷土芸能だ。そして、平成2年から道仏小学校でも毎年おこなわれている。
 4年生のとき、ぼくは横笛を選んだ。
 横笛は大変難しく、誰も横笛をやろうとしなかった。誰もやらないから、「よし、ぼくが挑戦するぞ。やってやろうじゃないか」と心の中で決めたのだ。
 学習発表会に向けての練習が始まった。6年生の人から音の出し方などいろいろ教えてもらい、2〜3日で音を出すことができた。
「なんだ簡単じゃないか。指づかいだって、すぐに覚えられるぞ」と思い、練習をしっかりやらず、さぼってしまった。そのうち、音が出せなくなってしまった。
「横笛なんて選ばなきゃよかった。いやだな。練習もやりたくないな」と思うようになっていった。
 そんなある日、地域の人が指導に来た。神楽組の人たちだ。ときには厳しく、ときにはわかるまで熱心に教えてくれる。
 神楽組の人たちの「学習発表会では成功させてあげたい。そして、いつまでも神楽を伝えてほしい」という気持ちがぼくには伝わってきた。
 それに大人の人たちの拍子や踊りは、ほれぼれするほど上手なのだった。自分もいつか、あんなふうに横笛をふいてみたいという気持ちがとても強くわいてきた。
 それからというもの、毎日毎日、必死になって練習をした。
 くちびるがはれて痛くなった。やっと音が出たのだ。やがて指づかいも上手くなった。
 学習発表会では上手に横笛をふくことができ、先輩からも「よくやったな」と言われ、最高の気分だった。

 5年生になっての正月のこと、1月の2日と3日、ぼくは初めての門付けを行った。
 門付けは、新年を祝い、この一年、家族がみんな幸せに暮らすことを願って、神楽を舞う。まだ、薄暗い朝早くから、夜、真っ暗になるまで、一軒一軒の家をまわり、神楽を披露するのだ。
 はじめは、笛をふいて歩いての繰り返しで疲れてしまった。
 何度もやめたいと思った。しかし、それぞれの家の人たちが神楽を見て喜んでくれる。「ご苦労様、よく来てくれたなあ」と笑顔で声をかけてくれる。
 その喜んでくれる笑顔を見ると疲れも吹き飛ぶ。
 こんなにも神楽を大切に、そして、楽しみにしてくれる地域の人たちに出会って、「神楽ってすごい力があるんだなあ。今まで横笛をやってきてよかったなあ」とうれしい気持ちでいっぱいになった。

 今年も学習発表会へ向けての練習が始まった。
 ぼくは地域の人たちの願いや思いがたくさん込められた道仏神楽を伝えるために、今日も、精一杯、がんばっている。


◇ ◇ ◇ 


 道仏神楽は300年ほど前より伝えられ、それ以来、地域の人たちの生活に結びついた信仰のよりどころとなってきたものです。
 山伏神楽の系統とされる道仏神楽は、地区の人たちに支えられ、今も受け継がれています。
 舞は12幕あるそうですが、道仏小学校では剣舞、三番叟、権現舞の三幕を主に練習しているそうです。この取り組みの様子は、児童の作文からおわかりいただけたのではないかと存じます。この伝統のある道仏神楽も、後継者難などで、一時衰退の憂き目にあっています。これを昭和51年、神楽組が二十数年ぶりに復活させ、現在に至っているそうです。
 神楽を知っている人が少なくなって、絶やしてはいけないという気持ちで青年団の仲間と練習したのが始まりだといいます。
 道仏小では平成2年から学校に導入。
 地域の人材活用が叫ばれている中で、神楽組の方々の協力はまさにうってつけだったそうです。
 こうして地域の伝統、そして誇りが、神楽を通し、子どもたちに受け継がれているのです。それが数々の子どもたちの作文から、にじみ出ているような気がいたします。
 それではいよいよ明日、道仏小学校の報告を終えまして、階上町の取り組みレポートをまとめてみることにいたします。
 (明日へ)
 
(172)はしかみからの便り その20 2004年 3月21日(日)
【道仏小学校編D】

 5年男子児童の作文より (資料提供 階上町教育委員会)

 ぼくは去年、神楽の「手びらがね」をやっていました。神楽の練習がはじまり、かねを持って練習していたら、突然、友達と先生がやって来て「三番叟(さんばそう)やれ」と言われました。ぼくはびっくりしたのと同時に、ドキドキしました。
 やばい、三番叟は知らない。初めから覚えなければならないぞ。
 どうしよう、と思いながらも、その日は、一通り教えてもらい、一回通して終わりました。先生に「三番叟うまいなあ」と言われ、まずは、ひと安心。
 次の日、剣舞、三番叟、権現舞とそれぞれの所でわかれて練習しました。
 最後に一回通して練習し、終わったときに、先生が「もっと練習すればうまくなるぞ」と言ってくれたので、がんばろうと思いました。ぼくの目当ては、練習して練習して、友達みたいに、うまくなることでした。
 また、次の日、何回も通しをやりました。
 ラスト一回、そんなに間違いもなくできました。少し上手くなったんだなあと感じました。
 練習を始めてから4日目、各グループでわからない所を教えあったり、相談したりしていたら、地域の神楽組の人がやって来ました。ぼくが真っ先に「こんにちは」と言ったら、みんなも「こんにちは」と言いました。
 そうしたら、神楽組の人もあいさつを返してくれました。とても気持ちがよかったです。

 神楽組の前で少し緊張しながら踊っていると、「少しおくれている」と言われてしまいました。だから、5日目の練習のときは速くやりました。だけどまた、「もう少し速く」と言われてしまいました。
 いろいろアドバイスしてもらい、毎日毎日、たくさん練習をしているうちに、とうとう最後の練習日がやってきました。この日は、衣装を着てやることになりました。
 衣装が立派なので、ぼくにはもったいないなあと思いました。
 ふだんのときと違って、やっぱり上手くおどれなかったので、本番が不安になってきました。でも、なんとか三番叟のおどりがわかってきました。
 いよいよ学習発表会がやってきました。

 ぼくは朝起きて、学校に行きたくないなあと思いました。
 それは神楽を間違うと嫌だからです。
 みんなうまいのに、ぼくだけ、へたくそだと思っていました。でも、ぼくは気を持ち直して、学校へ行きました。

 どんどん歌や劇が終わり、とうとう神楽の出番です。
 初めの剣舞は、先生に「大成功」と言われていたのを聞いて、ぼくは、ますます緊張してきました。放送委員の「次は三番叟です」と言う声を聞いて、ぼくは、どうしよう、どうしようという気持ちになりました。

 でも、練習したことを思い出しながら、がんばって踊りました。

 三番叟が終わりました。ぼくは、フーッとため息をつきました。三か所間違ったけれど、百点満点です。
 ぼくはとてもうれしかったです。

 お母さんにも「うまいねえ」とほめられ、ますますうれしくなりました。
 
 ぼくは、神楽はいいなあと思いました。道仏神楽の伝統を受け継ぎ、これからも、ずっとがんばっていきたいなと思いました。

・・・・・・・・・・・・

 道仏小学校で一生懸命、神楽に取り組んだ子どもたちも、中学校に入ると、神楽から遠ざかってしまうといいます。
 これは中学生になることで興味の対象がぐんと広がること、そして、多くの地域から生徒が集まる中学校では、道仏神楽のような一地域の芸能だけを学校活動で取り入れることが難しいからだとみられています。

 しかし、道仏小学校の卒業生を中心に広がりを見せ、最近では神楽に取り組んでいる中学生の姿も、見かけるようになってきたということです。
 上記作文にあるように、小学校時代に、ドキドキ、ハラハラしながら体験学習した神楽の響きというものは、いつまでも子どもたちの心の中に残っていくのではないでしょうか。
 階上という、ふるさとの思い出とともに。 (完)
 
(173)はしかみ 雑感 2004年 3月22日(月)
 本日は、少し長めの記事となります。お時間がございましたら、どうぞ、お付き合いください。データ容量の都合上、二つにデータを分割提示しております。

・・・・・・・・

 音楽を含む数々の芸能は「人間の身体」、またはその延長として、「楽器」を通し表現されます。が、その表現の根元は「心」、その振幅にあるように感じられます。

 日々の生活の中から感じた喜び、そして恐れ、さらにそこから派生した数々の願いや祈り・・・、こういった「心の動き」が現象世界に形を取って表れ出たものが、音楽を含む数々の「芸能」のようにも思われます。
 ですので、その芸能を発生させた人間の「心」を中心に、芸能をとらえていくことが、何よりも必要な態度ではないかと感じられます。

 そうした意味で、現代創作音楽の場合は、作曲家や作詞家の人物像、そしてその作品を生み出した時代の心(人々の集合的無意識)を、できるだけ作品と一緒に記録保存しておきたいと、作業を進めております。

 一方、郷土芸能の場合は、現代創作音楽のように特定の才能ある作者によって制作されたものではありません。
 長い年月をかけ、世代を継いで、それぞれの土地の方々が磨き上げ、作り上げていったものです。そうした意味で、郷土芸能の場合、作り手は「地域に暮らしてきた多くの人」、これをもっと抽象的に、芸能は「地域の心」が生み出したものだとみることができます。

 そこで、郷土芸能の分野の場合は、「地域の心」というものを、なるべく記録・保存しようと心がけております。「地域の心」とは、より具体的に書くと、地域の歴史や風土であり、そこから生まれた芸能に取り組む人々の「喜びや苦しみ」などの感情です。
 階上町の芸能で何度も触れましたが、芸能は何度も衰退の危機に直面。実際に消えてしまった所もありました。


 昔からの歴史ある芸能を知るお年寄りたちはこうした状況を悲しみ、また新しい世代も、衣食住は完備されても心になんともいえぬ空白を感じる。心の中を、何かむなしい風が吹き抜ける。このような精神的飢餓感を感じるようになっていきました。
 これが平成に入りだんだんと強まり、階上町のいくつかの地区では、新たな郷土の芸能を、皆で創出しようという動きにつながっていきました。
 また、昔からの長い伝統を誇る、神楽やえんぶりなど、ご紹介したように階上町では一時途絶え、それを有志が復活させていったものです。やはり、そこにあるのは、物質的充足だけでは物足りない。精神的に満ち足りる何かが欲しい。こういった心の渇望感が背景にあったのかもしれません。
 それは、地域に生きる者としての「誇り」であろうし、芸能を通して得られる「心のつながり」、そこから得られる「一体感」、そして、なにより芸能を通して魂にズシンと響いてくる「感動」だったと思われます。

 こうして、芸能を通した魂に響く感動体験をした児童は、必ず、これを下の児童に伝えたいという感想になります。

 大人になって、仕事を休んでまで、学校で芸能をボランティア指導している方々のエピソードも出てきましたが、その背景にはこうした感動体験があるからだと思われます。

 こうした「感動」は、世代間の感性の違いを超越したもので、昔も今もあまり変わらない普遍性を感じます。
 もしかしたら人間としての根本に迫る何かが、ここにはあるのかもしれません。芸能という器に乗って、地域の人の感じた「感動」が世代を越えて受け継がれていく。
 こうした感動が、実は「芸能推進の原動力」になっているようにも感じます。

 伝統芸能が衰退の危機にあるというのは、実は、こうした芸能推進の原動力である「心」の部分を無視したところによるところが多いといえるのかもしれません。

 私がはじめて階上町の資料(平成11年の古いもの)を手にしたときも、

〔道仏小学校〕
◎道仏神楽・・・〔参加人数 37人〕
・校内学習発表会、町文化祭、町芸能発表会、老人ホームの訪問で披露

と、たったこれだけのデータしかありませんでした。

 外に表れた現象のみで、ここには、その芸能を生み出した「心の振幅」すなわち「感動」の記録が欠如しています。
 すでに階上町の連載で触れたように、そこには様々な歴史、多くの喜び、ときには苦しさに直面しながら芸能に打ち込む多くの人々の心があります。
 こうした部分が往々にして切り捨てられ、単なる表層のみが文献データとして郷土芸能の資料として保存されているケースが多いように感じられます。

 「階上町のとりくみ情報、ありがとうございました。特に子どもたちの作文が生き生きしていて感動しました」との感想がいくつか事務局に寄せられておりますが、このように、ふるさとの芸能に打ち込む姿に大きな感動を覚えるという方は多いようです。
 地元の関係者ならば、それもひとしおだと思われます。
 実はその「感動」、その「心の動き」こそが、芸能存続のエネルギーになっているのだということを忘れてはならないと思うのです。

 たとえ、芸能が一時廃れることになろうとも、先人がこうして芸能に取り組んでいたのだという心打たれる記録が残されていれば、必ずや、それに心動かされた人たちが芸能を復活させるのではないかと思われるのです。

 感動こそが芸能復活の原動力になるように思われます。

 ですから、「地域の心」をできるだけ記録としてとどめておくことが必要ではないかと感じられるのです。

 こうした記録は、地域住民だけではなく、他の地域の方々にも、感動の共有体験を与えます。それがその方々の地域の芸能保存を考えるエネルギーを供給するようにも感じられます。
 そうした貴重な「心の記録」を今回、階上町教育委員会のお力添えをいただき、得ることができました。誠に幸いだったと感じております。
 ご協力いただいた多くの方々に深く御礼申し上げます。

 どうもありがとうございました。


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