(174)古川昭男氏 随想 その1 |
2004年 3月23日(火) |
◆宝物(阿保健先生との思い出)◆
いつの頃からか、現代音楽に興味を覚えるようになった。 きっかけは県作曲家協会会長の阿保健先生との出会いである。 弘前に行くと、必ず蔵主町の先生の家に寄った。 自室の壁には、いつも、大きな紙に書かれた自作の「図形楽譜」が掲げられていた。 作曲のイメージを訊くと「宇宙観だよ。宇宙観。」と笑って答えられた姿が、今でも頭の中に残っている。
ある時、「現代音楽のことを勉強したいのですが・・・」と言ったら、古びた一冊の本を渡してくれた。 外国版のピアノ曲のシリーズである。
表紙に、シェーンベルク、ベルグ、ウェーベルン、ヒンデミットの4人の作曲家の名前があった。
その阿保先生も、数年前亡くなられた。 今では、その本が、私の大事な宝物になっている。
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これは青森市在住の作曲家 古川昭男氏より寄せられたエッセイです。 古川氏は当協会の理事ですが、合唱分野で傑出した数多くの作品を残されており、古川氏の作品を歌われたという方も多いのではないかと思われます。
ところで、古川氏に限らず、往々にして作曲家は自身の音楽観をあまり語りたがりません。
すべては作品の中に表れているので、そちらを参照して下さいという態度の方が少なくないように思います。しかし、これは演奏者や研究者にとっては、はなはだ都合が悪いのです。 歌い手さんの多くは、感情移入させて作品を歌い込むために、本当に地道な文献研究をされています。その際、比重を置くのが作者の人物像です。何を考え、どんな生活を送っていたのか。そして、それが作品にどのように反映しているのか。これを詳しく調べるのだそうです。 中には作家の生地に飛ぶ人もいるそうです。はるばる外国まで、その作家が暮らしていた同じ土地の雰囲気を感じ取ろうと出かける方も少なくないということです。 そして、こうした作業の後に、はじめて楽譜にあたる人もいるようで、より良い演奏をするためには、このような周辺情報は最高の「肥やし」となり、これが演奏をより豊穣たるものにしていく材料になるのだといいます。
このような「周辺情報」なのですが、青森県出身の作詞家・作曲家の場合、これまで活字になる機会があまり多くはなかったようで、評伝など、ほとんど存在していません。 そこで、なるべく、こうした情報を残しておこうとの活動もおこなっております。
古川氏には半年前より何度も繰り返しお願いし、ようやく無理を押していただき、エッセイを4編寄せていただきました。ほとんど、自身の音楽観を外に出さない古川氏のエッセイだけに、まさにこれは、ある意味「玉稿」とも呼べる貴重な資料かもしれません。 合唱関係者は必見です。
その他のエッセイは、明日以降の掲載です。
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(175)古川昭男氏 随想 その2
| 2004年 3月24日(水) |
古川氏のエッセイの続きです。
◆全集物◆
私の書棚の中に、全120巻の「世界大音楽全集」が眠っている。 眠っているというのは、数冊を除いて、 殆んど見ていないということだ。 文学全集、美術全集、世界歴史大事典なども然り・・・・。 往々にして 「全集物」というのは、ただ飾っておくために置かれてあるらしい。
美術全集の中に「美術の中の裸婦」というのが12巻ある。
これは、ページをただぺらぺらとめくるだけなので、 殆んど見た。 その後も、折にふれて見ていたのだが、 子どもができてから、 いつの間にか、 ダンボール入りになってしまった。
青森県音楽資料保存協会に寄せられる作品は、そういう運命をたどらず、 なるべく多くの閲覧者の目に触れて欲しいものだ。
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◆レクイエム◆
20代の頃、混声合唱団の「グリーン・コール」の指揮者 鹿内芳正氏と出会い、それ以来、私は、混声合唱曲を数多く書くようになった。
何ということはない。作品の発表の場が、すぐそこにあったからである。
これまで発表した混声合唱組曲の中に「レクイエム」が4曲程ある。 その4曲目が、はからずも、一昨年亡くなった、かけがえのない友人、鹿内先生への「レクイエム」になってしまった。
その時、もう「レクイエム」は書きたくないと思いながら、最後には、モーツァルトさながらの自分のレクイエムで収めようかと心静かに考えているこの頃である。
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明日、最後のエッセイを掲載いたしますが、なぜ古川氏に素晴らしいフルート曲の作品が多いのか、その秘密が伺われる内容となっております。
(詳細は明日へ)
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(176)古川昭男氏 随想 その3
| 2004年 3月25日(木) |
◆フルーティスト石田光男氏のこと◆
私にはフルートの曲が多い。それは竹馬の友であったフルート奏者の石田光男氏と大いに関係している。
作品の殆んどは現代音楽だが、フルート曲を作る時は、よく彼と飲み歩いたものだ。
酒席だけではなく、魚釣り、山菜取りの日常的な交流も作曲上のかくれた「肥やし」になっている。
その彼も、数年前他界した。 それ以来、フルートの曲は、一曲も書いていない。
作品の中で一番印象に残っている「SAMANA」(恐山の幽玄の世界を表現した曲)を、彼は今でも天上の片隅で、ひそかに吹いていることだろう。
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古川昭男氏から伺ったところ、石田光男氏とはフルートについて徹底的に議論、研究していったとのことです。
古川氏は、フルートの楽器としての限界ギリギリの曲を提示し、石田氏はそれに闘志を燃やして受けて立つという感じで、音楽を通しての、文字通りの「真剣」による勝負であったとのことです。
こうした切磋琢磨があったからこそ、「SAMANA」に代表される素晴らしいフルート作品が生まれたのだというのを感じます。
作品は、作曲家のインスピレーションだけで生まれるものではなく、そこには演奏家の存在が大きく横たわっている場合があります。
古川氏の場合は、器楽曲はフルーティストの石田氏であり、合唱曲は鹿内芳正氏でした。 今度、古川氏にこういった周辺情報を再び詳しく伺う予定ですので、整理し、承諾が得られるようならば、こちらで内容をご報告したいと存じます。
今年はこういった形で、青森県に関係ある音楽家についての人物評伝に力を入れてみたいと考えております。
現在、その第一弾として、世界を舞台に旺盛な作曲活動を展開されておられる青森県出身の作曲家のお一人、下山一二三(ひふみ)氏の連載文を準備中でございます。
すでに原稿は完成しており、現在、下山氏の最終チェックを受けているところです。
承諾を受け次第、こちらで発表することにしたいと存じます。たいへんに興味深い内容となっております。 さらにその後には、川崎祥悦氏の内容も控えております。いずれも活字になるのは初めてという情報が多く、青森県の音楽史にとって、誠に貴重な情報提供になるものと考えられます。
どうぞご期待下さい。
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