青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年6月(2)>

(239)ブルービーバーズ その16
(240)ブルービーバーズ その17
(241)ブルービーバーズ その18
(242)ブルービーバーズ その19
(243)ブルービーバーズ あとがき
 
(239)ブルービーバーズ その16 2004年 6月 6日(日)
 劇団「雪の会」のベテラン俳優でもあり、だびよん劇場の主宰としても有名であった、故 牧良介(本名・原 豪)氏と、ブルービーバーズがはじめて係わったのは、牧氏がまだ国家公務員として、野辺地町へ通勤していた頃だそうです。


 牧氏は、第3回から最終回まで出演してもらい、県外にもブルービーバーズと一緒に出かけ、津軽弁のナレーションを聞かせたそうです。
 不思議なことに、牧氏の津軽弁ナレーションは、どこの県でも実によく理解され、青森県の風情が、的確に聴衆に伝えられていったそうです。


 初期の頃は、音楽ナレーションのほかに、牧氏による漫談コーナーも設けられ、自由に語ってもらっていたそうです。


 傑作は「桃太郎」と「面接」だといわれています。

【桃太郎】
 昔々、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へシバ刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行ったど・・・。お婆さん  川で屁ッコふったら、風に乗って山の方へ、匂いが流れでいったど。

 お爺さん・・・ シバ刈らないで、くさかったど・・・。


【面接】

「君の趣味は何だね?」
「えっ? 趣味ってなんですか 」
「そら、君の一番好きなものだよ」
「はいっ、熱いご飯に納豆です」

面接委員が笑ったので、
もう少し高価なものにしようと

「いや、あの、熱いママさ、スジコだら、もっと好きです」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 牧氏の絶妙な間合いの取り方、声の色合いは大変好評で、ブルービーバーズの歌より、牧氏の語りが楽しみだという方も多数おられたようです。


 さて、第4回リサイタルのとき、プログラムの裏表紙への全面広告を獲得したものの、裏表紙「岩木ちり紙」の広告が大きく目立ちすぎ、どちらが裏か表かわからないような誠に妙な体裁のプログラムになってしまったそうです。

 そのとき、牧氏が機転をきかせ、次のように語ったそうです。


 (つづく)
 
(240)ブルービーバーズ その17 2004年 6月 7日(月)
 (昨日のつづき)

 お晩です。牧良介ですじゃあ。

 皆様、今日のプログラム、受付でもらったと思いますが、あれは「岩木ちり紙」がブルービーバーズのために作ってくれたプログラムではありません。
 
 あれは印刷屋の手違いだったのか、原稿を出す方が間違ったのか、とにかく「岩木ちり紙」のリサイタルみたいだプログラムで、どうもスミマセン・・・

 (客席爆笑)

 なんか楽屋の話によれば、経費以上に広告料を余計にもらったそうで、しかだなく「岩木ちり紙」が大きくなったんだそうです。
 
 最近は、ちり紙もハイカラになってアメリカさんから技術が入ってきて、技術提携って言うんですか。ティッシュペーパーなんたりして。
 あれは日本にある「ちり紙」「はな紙」のたぐいと同じです。

 多少、質が良いだけです。私あだり、そんなぜいたくなものは使っていませんけれども。

 (客席長い笑い声)


 まあ、できるだげ、ティッシュペーパーもいいけれども、「岩木ちり紙」をひとつご愛用していただければ、広告の効果も一層あがると思います。

 (爆笑)

・・・・・・・・・・

 こうして、即興的に、ユーモアあふれる津軽弁の語りで会場を笑わせ、アンバランスな広告を見事、大成功に変身させたといいます。

 ブルービーバーズの歌と、牧良介氏の語りはセットになっていたので、福島県にも、東京にも、水戸市にも、日立市にも一緒に演奏旅行したそうです。

 どこへ行っても牧氏の津軽弁は感動的で、よく理解されていたということです。

 その牧氏も亡くなられました。青森県にとってたいへんな損失、命の泉ともいえる笑いが少なくなってしまう。知らせを聞いたブルービーバーズのメンバーたちは、一様に肩を落としたといいます。

 (つづく)
 
(241)ブルービーバーズ その18 2004年 6月 8日(火)
 ブルービーバーズのリサイタルの足どりは下記のとおりです。

●第1回リサイタル 1965年5月8日 青森市民会館
 賛助出演・・・パイデミーピアノ三重奏団
 ◇曲目・・・さくら カリンカ 津軽の旋律 他


●第2回リサイタル 1966年5月7日 青森市民会館
 賛助出演
・パイデミーピアノ三重奏団
・青森少年合唱団 天内珪子バレエ研究所 第1部伴奏 高橋幸男
 ◇曲目・・・ドナドナ おぼろ月夜 キンキラキンのキン 他


●第3回リサイタル 1967年5月6日 青森市民会館
 このときよりブルービーバーズと命名される。
 賛助出演
・パイデミーピアノ三重奏団
・牧良介 青森少年合唱団 AN女声合唱団 第1部伴奏 坂本雄二
 ◇曲目・・・十和田の底に うばすて 小僧っこまだだが 他


●第4回リサイタル 1968年5月11日 青森市民会館
 賛助出演
・萩野昭三 古村義尚 田崎潤 牧良介 高谷妙子
 ◇曲目・・津軽ことばによるコンポジション ねぶたの灯を胸に 他


●第5回リサイタル 1969年5月10日 青森市民会館
 賛助出演
・萩野昭三 古村義尚 春日井バレエ研究所 AN女声合唱団 牧良介
 ◇曲目・・たんぽぽひとつ 八甲田除雪隊の歌 奴踊り由来 他


●第6回リサイタル 1970年5月9日 青森市民会館
 賛助出演
・古村義尚 牧良介
 ◇曲目・・・城ヶ島の雨 イダコに託す大鰐の悲話 ほらくらべ 他


●第7回リサイタル 1971年5月8日 青森市民会館
 賛助出演
・古村義尚 AN女声合唱団 牧良介
 ◇曲目・・・雪が降る 陽こあだね村 寒い二つのはなし 他  


●第8回リサイタル 1972年5月27日 青森市民会館
 賛助出演
・高橋竹山 AN女声合唱団 牧良介 楽団極楽浄土
 ◇曲目・・・若者たち 冬の月 津軽の糸 他


●第9回リサイタル 1973年5月8日 青森市民会館
 賛助出演
・天内珪子バレエ研究所 牧良介 フィードバックイン
 ◇曲目・・・しがまの嫁こ マイウェイ りんご物語 他 


●第10回リサイタル 1974年5月25日 青森市民会館
 賛助出演
・石田光男 AN女声合唱団 沢田美恵子 牧良介 
 ◇曲目・・・りんご音頭 約束 砂子瀬風土記 他


●第11回リサイタル 1975年5月10日 青森市民会館
 賛助出演
・石田光男 上村覚重 AN女声合唱団 牧良介
 ◇曲目・・・少年の頃 夜宮のワルツ むつ湾に生きる 他


●第12回リサイタル 1976年5月8日 青森市民会館
 賛助出演
・沢田美恵子 牧良介 
 ◇曲目・・・バックミラーに映る顔 志功ひとすじ道 他

 
●第13回リサイタル 1977年5月30日 青森市民会館
 賛助出演
・沢田美恵子 牧良介
 ◇曲目・・・東京弁ポルカ 屁ふり嫁この話 弘前城物語


●第14回リサイタル 1978年2月4日 青森市民会館
 賛助出演
・沢田美恵子 牧良介 
 ◇曲目・・・地獄から帰ってきた男達の話 弘前城物語 他

 
●第15回リサイタル 1979年7月20日 青森市民会館
 賛助出演
・牧良介 
 ◇曲目・・・ビーバーズの「今昔青森十六景(全16曲)」


●第16回(最後)リサイタル 1981年6月22日 青森市民会館
 賛助出演
・牧良介
 ◇曲目・・・「津軽・沖縄千里を越えて(全15曲)」

・・・・・・・・・・・

 さて、好評であったリサイタルも第16回で最後となりました。

 その理由、そして若い世代へのブルービーバーズからのメッセージを、明日、お届けします。

 (明日で完)
 
(242)ブルービーバーズ その19 2004年 6月 9日(水)
 大好評であったブルービーバーズのリサイタルも第16回で終了となりました。毎年春の恒例行事が消え、がっかりしたファンも多いと思います。

 さて、そのリサイタル終了(実質的な解散)の理由を、メンバーは次のように語っていました。

@新作品創作の壁
 津軽の風物、人物、自然、街などを歌ってきて、次は何?・・と考えると、はたと止まってしまった。誰かすぐれた人物を歌おうと思っても、高橋竹山氏や棟方志功氏の二番煎じになってしまう。
 風景にしても、社会事象にしても、産業にしても、すでに歌い済みで、何を選んでも、新鮮味を出すことが不可能に見えた。
 作者を変えたらできたかもしれないが、その当時は、それも考えつかなかったことであった・・・。


Aそろそろ管理職
 メンバーがそろそろ教頭や校長になって、他管内に栄転となった。遠い地域にメンバーが散ってしまったことにより、練習ができなくなった。
 これまでの一回のリサイタルのための練習量は、膨大なものであり、その確保が困難になった。


B記憶力・音程保持力の減退
 合唱と違って、1人1パートにつき、歌詞や音の間違いは許されない。
 脳は正確に記憶力減退への道を歩んでいた。しかも、音が、きれいさを失いかけ、音程が定まらなくなってきた。


 こうして、どんなことにも始まりと終わりがある。その終わりが、自分達にもきたと感じた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 こうしてブルービーバーズの歴史に、終止符が打たれることになったのです。


 最後にビーバーズのメンバーより、メッセージが届いております。

 これを掲載し、ブルービーバーズの連載を終わりたいと存じます。

・・・・・・・・・ 

 昭和39年頃から、約20年間、私たちは、男声四重唱団ブルービーバーズとして、一生懸命創り、歌い、演技して参りました。
 
 それは膨大な時間を要しましたが、楽しくて潤いがあり、できるならば、もう一度同じ道を歩みたい気持ちでいっぱいです。

 しかし、人生はやり直しができません。


 後のことは、これからの人たちに託します。

 どうぞすばらしい音楽の道を歩んでください。


 長い間のご援助、ご協力、誠にありがとうございました。



        ブルービーバーズ
 ★トップテナー・小倉尚継 ★リードテナー・野呂馨
 ★バリトン・・・山口道廣 ★バス・・・・・奈良武則
 ★ピアノ・・・・西谷安正
      
                      (完)
(243)ブルービーバーズ あとがき 2004年 6月10日(木)
 ブルービーバーズはなくなりましたが、ブルービーバーズのレパートリーは、今も青森県内の合唱団で歌い継がれているようです。

 多いのは「津軽の糸」「志功ひとすじ道」「弘前城物語」の組曲。その他組曲「津軽・沖縄千里を越えて」「むつ湾に生きる」も抜粋された形で取り上げられています。

 さて、ブルービーバーズのレパートリーですが、実は青森県外でもよく演奏されています。

 東京家政大学フラウェンコール(鈴木朋次郎・指揮)が1979年の定期演奏会で「志功ひとすじ道(全曲)」を、1980年の定演では「津軽の糸」を演奏しました。
 いずれも、青森から語りに牧良介氏、三味線には中野孝憲氏が招かれ、レコードまで作られたそうです。

 また、1994年、宮城県の石巻メンネルコールが団創立10周年を記念して「志功ひとすじ道」を演奏。

 さらに、福島西女子高校合唱団が「津軽の糸」「志功ひとすじ道」「砂子瀬風土記」「イダコに託す大鰐の悲話」や、昔話などを演奏しています。

 最近では、「津軽の糸」を3分50秒に圧縮した「三味線師匠のひとりごと」を歌い、NHK合唱コンクール小学校の部全国大会に2校出場しているそうです。
 一つは平成11年、近畿地方代表・兵庫県宝塚市立すみれが丘小学校。
 もう一つは、平成15年、中国地方代表・広島県広島市立福木小学校でした。


 この歌を一番最初に演奏したのは青森市立浪打小学校(淡谷郁子・指揮)だったそうですが、その後、これは福島県の二本松南小学校で歌われるなど、全国的に広がっていったそうです。

 さらにブルービーバーズに関係した楽曲として「あいや節幻想曲」がありますが、こちらも、全国で歌われています。


 昨年、平成15年度こども音楽コンクール全国大会合唱の部で「あいや節幻想曲」を歌った西日本B地区代表の長崎市南山小学校が、日本一である文部科学大臣奨励賞に輝いています。平成16年3月には東京オペラシティで受賞記念演奏をしており、関東地方でTBSテレビ放送されたということです。

 さて、「あいや節幻想曲」を歌って日本一になった学校は、下記のように、これ以外にもあります。
・昭和63年 NHK全国学校音楽コンクール 八戸市 根城中学校
・平成5年 全日本合唱コンクール     佐賀県 呼子中学校
・平成10年 こども音楽コンクール     神戸市 港島小学校
・平成15年 こども音楽コンクール     長崎市 南山小学校
 日本一になった学校がこれだけあるということから、日本全国で、たくさんの学校によって、この曲が歌われているということが予想されています。


 北国の歌と思われる楽曲が不思議なことに南、特に九州地方で熱心に歌われているようです。


 こうして、ブルービーバーズのレパートリー、また、関係した楽曲は、青森県だけではなく、今では日本全国で歌われるようになってきています。

 しかし、そのブルービーバーズの音楽資料は、まとまっていない状況。しかも、多くの生情報が散逸・消失の危機にありました。

 そこで、県外でブルービーバーズ関連の楽曲に取り組まれている方から、「ブルービーバーズとは?」との照会があった場合に回答できるよう、ブルービーバーズ情報をまとめることにいたしました。


 事務局日記を通してデジタルアーカイブ化された貴重な情報が、青森県内の方だけではなく、今後、ブルービーバーズの歌に取り組まれる県外の方、そして海外の方への参考資料となれば幸いと思っております。


←6月(1)     バックナンバートップ     ホームへ     6月(3)→