(244)その後の十和田の歌 その1 |
2004年 6月11日(金) |
実は入院してしまいまして・・・
十和田湖畔、「乙女の像」の建立を記念し、式典で初披露された「湖畔の乙女」と「奥入瀬大滝の歌」を、50年ぶりに像の前で歌い、いつまでも2つの歌を、歌い継いでいこうとの催しが先月、5月22日に開かれました。
その詳細については、すでにこちらでご紹介(5月バックナンバーをご参照)させていただきましたが、その集いの発起人となった方から、冒頭のような連絡を、歌う会直前にいただいておりました。
東京にお住まいの方ですが、道路を横断中に車にぶつけられ、膝を骨折されてしまったのでした。 当日は、十和田湖に行って、昔の仲間と一緒に歌うことにしていたのに残念です、とのこと。
この件について、十和田にお住まいの世話役のお一人も「えーっ、頼りにしてたのに・・・」という声。世話役の方以上に、ご本人は、さぞ残念だったに違いありません。
当協会にお送りいただいた一通のお手紙、それへの事務局からの返答に奮起され、昔のお仲間に声をかけて、「やろう!」というところまで盛り立てていった肝心の方が現場に行けず東京の病院より、当日の成功を願うという結果になってしまいました。
一方、十和田の世話役の方のところには、趣旨に賛同する方々より、青森県内はもちろん、青森県外からもいろいろな連絡が入っていました。
参加したいという連絡だけではなく、参加できない方々からも激励の声が寄せられるなど、反響の大きさに、十和田の方々は嬉しい悲鳴を上げていました。
新聞やテレビで報道されたこともあって、参加者も膨らみ、当初、20〜30名集まればいいかなと思っていた参加者も、なんと120名近くとなり、対応に大忙しの状態となります。
本番間近に、十和田の世話役の方に様子を伺ったところ、問題は天気なんです。 ヴァイオリンなどの弦楽器の生演奏を伴奏に歌うことになっているので、雨に降られたら大変!とのこと。
さて、そんなとき、気象庁の予報では台風2号の発生を伝えており、日本列島を北上していく可能性を伝えていました。
台風は、5月22日前後に青森県付近を通過する・・・
5月22日といえば、歌う会の当日です。
不安がよぎります。
(つづく)
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(245)その後の十和田の歌 その2
| 2004年 6月12日(土) |
さて、各地に雨を降らせ、勢いを弱めながらも、問題の台風は青森県に向かいました。
青森県の通過予定日は歌う会の前日との予報。
歌う会は午前なので、台風通過の余波による天候の乱れが心配されました。
発起人となった方が事故により参加できない事態となったものの、たくさんの方々のご賛同と激励の言葉を得て、十和田の世話役の方々は準備万端、たいへんなご苦労の末、いよいよ会を迎えるだけというところまで、こぎつけていました。
しかし、その当日の早朝、やはり、十和田は小雨の降る、あいにくの天気だったそうです。
歌う会の当日、午前9時30分頃、私のところに発起人の方より電話がありました。もちろん病院からです。 「今頃は、バスの中で歌を練習しながら渓流を上っているのでは? 天気が回復し、会がうまくいくとよいのですが・・」などと心配そうに話されていました。
一方、十和田の方々は、もっと気が気ではなかったようで、ハラハラしながら空を眺めていたそうです。 その雨も、次第に勢いが弱くなってきました。そして、ついに間際となってスッと降り止んだのだそうです。 これならやれる!
こうして外で歌うことを決断。
120名の参加者が、乙女の像の前に集まり、十和田湖畔に、歌声を響かせることになったのだそうです。
その結果は・・・
それは、十和田の世話役の方に、直接語ってもらうことといたしましょう。
先日、お手紙をいただき、こちらへの掲載承諾を得ましたので、明日、ご報告させていただきます。
(つづく)
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(246)その後の十和田の歌 その3
| 2004年 6月13日(日) |
(昨日の続き) ・・・・・・・・・・
拝啓
新緑が目にまぶしく、その中を渓流に沿って走る車の中で、歌をほとんど知らなかった方も、うろ覚えだった人、歌詞をちょっと忘れた人、さまざまな方々が一緒になって大きな声でテープに合わせて練習していった風景をご想像ください。
台風2号のせいで、前日まで荒れて風、雨と、はらはらして、天気予報とにらめっこしておりました。
温帯低気圧になった後、小降りになり、雨が上がってくれればと祈っておりました。
当日もちょっとパラつきましたが、湖畔に着いたら雨も上がりました。
風もなく、寒かったですけど、それはそれでホッと安心しました。
乙女の像さわやかフェスティバルの係の方々も、湖畔の方々も、大変喜んで歓待してくださいました。
作曲した長谷川芳美先生の奥様も出席してくださり、先生の同僚だった91歳の女性の方も息子さん共々、お車で参加してくださり、花束を長谷川先生の奥様にわたしてくださったり、まるで、同窓会みたいに皆でなつかしんでいる様子も見られました。
歌にゆかりの三本木高校の卒業生だけではなく、そうでない方々、十和田市以外の参加も半数以上ありました。
30〜40人を想定してバスを一台、十和田湖町で無料送迎していただくことにしておりましたが、総勢120名位になるので、さらに湖畔の方々から二台追加していただき、三台のバスとなりました。
その盛り上がった歌声をテープでお聴きくださいませ。
終了後、百十数人、一堂に会して昼食をとりました。
帰りは、銚子大滝のところで下車し、奥入瀬大滝の歌を刻んだ石碑を見て、皆で滝の流れ落ちる、ごうごうという音を伴奏に、また、心ゆくまで、奥入瀬大滝の歌を歌いました。
「楽しかった」「来てよかった」「一回だけで終わらないでしょう」「またあったら教えてね」・・・と、いく人にも言われ、世話人の一人として、とてもうれしく思いました。
とりとめもなく書きましたけれどお許しください。今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
事務局には当日の映像なども寄せられ、これは当協会で、大切な資料として保存していくこととしております。
さて、今後のことですが・・・
(明日につづく)
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(247)その後の十和田の歌 その4
| 2004年 6月14日(月) |
「歌い継いでこそ本当の保存」ということで、多くの関係者がかかわった歌う集いも無事終了し、十和田の二つの歌への思いを、多くの方が新たにしたそうです。
参加者は「歌う集い」の終了後、一堂に会して昼食をとり、その後バスで銚子大滝に向かい、その場所で再び大合唱となったそうで、当日は、文字通り、歌に始まり、歌に終わることになったそうです。
娘や孫に歌い継がなくっちゃ、と語るご婦人たちの声が聞かれるなど、「乙女の像」建立に関係した貴重な背景を持つ歌を絶やしてはいけない。
そんな気運が高まっているようです。
「問題は次のステップです。」と、病院から元気に語るのは発起人の方。
CDを作りたいですねえ・・・などなど、すでに頭の中ではいろいろと次の構想が膨らんでいるようです。
こういった方々がいる限り、十和田の歌は絶えることがないように思われます。
新緑の中、弦楽器の伴奏で十和田湖畔に再び、歌声が響き渡りました。「乙女の像」除幕式で歌われた方も参加されていたということで、50年という歳月が一瞬、消滅。当時の人々の思いと今に生きる方々の思いが歌を通して、ひとつにとけ合った瞬間でありました。
十和田湖畔に立ち続けるであろう乙女の像は、こうした各時代、各時代の、人々の歌声をこれからも聴いていくことになるのでしょう。
このような歌声が絶えることのないよう、願っております。
(完)
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