(274)蟹田獅子舞ストーリー その7 |
2004年 7月11日(日) |
昨日のつづきです。
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後継者を育成するといっても、大人で過去に全く経験の無い方にお願いしても、参加していただけるわけがありません。
そこで、かつて私たちが教えていただいたように、小さい小学校のうちから教えるのが、遠まわりではあっても、後々、効果が上がるのではないかということになり、様々な紆余曲折を経て、関係各団体からのご理解、ご協力をいただくこともできまして、獅子舞伝承教室を開くことになりました。
獅子舞の伝承教室は、今年が3年目ですが、1年に1度、2ヶ月間ほど、週に1回、土曜日に1時間半の時間を取り、中央公民館で行われ、2月の町民芸能発表会で成果を発表することになっています。
今回は、地元紙「東奥日報」に練習風景が大きく報じられ、それを見た周りの方々から励ましの言葉をいただくやら、引っ越しで指導に来られなくなっていた私の同級生が手伝いに駆けつけてくれるやらで、とても嬉しい事もありました。
応募してくれた子供たちは、小学校1年生から5年生まで、合計14名。 今年は3年目ということで、教える側の苦労も多少減りましたが、3年前の初年度の、はじめの正直な思いは、「こんなおちびちゃん達に出来るかな?」といったところでした。なかなか上達してくれないのです。
小学生といえば、まだやんちゃ盛り、公民館の2階、広いのが嬉しいのか、鬼ごっこを始める子供達、プロレスごっこに興じる男の子二人、座布団戦争、獅子頭にキック、パンチをくらわす男の子、しまいには、せっかく習った獅子舞の鈴の舞を、面白おかしく馬鹿にしたように、滑稽に、踊りだす女の子。
幸いにして、今年は2年生の時から始めた3年目の子供たちが多かったせいもあり、練習の初日から2、3週目位までは大分てこずったものの、中盤、終盤と子供たちの上達は目を見張るものがありました。
そして2月22日の町民芸能発表会の日を迎えました。
(つづく)
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(275)蟹田獅子舞ストーリー その8
| 2004年 7月12日(月) |
蟹田町の獅子舞保存会の若手代表の方よりいただいた手記の最終回
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実は、平成14年度の発表は、出場の準備は整っていたものの、指導する側の中心的な役割を担っていた蟹田町獅子舞保存会の会長が、発表会直前に急逝され、出場を辞退した経緯があり、1年経って、子供たちの獅子舞を披露できることは指導する私たちにとって、実に感慨深いものがありました。
3年前の初めての発表会は、子供たちと大人の混成による発表でしたが、平成15年度の発表は、笛を除くすべてが子供たちです。
町民芸能祭の発表順は、午前中の遅い方でしたから、集合の後、最後の練習をする時間がありました。
着物、袴をつけて舞うのが初めての子供達もいます。
晴れがましく、ちょっと照れくさそうな表情です。
そのうち発表する子供達より、教えている私達の方に、緊張が高まってきました。そして、ついに発表の時間が来ました。
ところが、発表する皆がステージのソデまで来た時、2年生の女の子と4年生の男の子の喧嘩が始まってしまいました。
些細な事から始まった喧嘩ですが、2年生の女の子が大泣きして、なかなか泣き止みません。
それでも、女の子の同級生や私たち大人の励ましで、ようやく機嫌が直り、獅子舞がスタートしました。
扇の舞(翁の舞)、鈴の舞(サルタヒコの舞)、そして獅子舞と続きました。
舞、大太鼓、小太鼓、じゃがら(手振り鉦)と呼ばれる金属製の打楽器、すべて子供達。やっと覚えたばかりの低学年の子供も、年上の子供の動作に合わせて、スムーズに舞は進みました。
大太鼓、小太鼓、じゃがらといった楽器の演奏の方も、時おり調子が外れながらも、最後まで止まることなく、無事終了しました。
しめくくりには、小学校4年生の男の子が舞手を務める獅子頭が登場し、力強く、ステージ狭しと舞いました。
会場からは「まあ、可愛い」といった声や、ため息が聞こえ、お花もたくさん頂き、教えた側としては、実に嬉しいひと時でした。
やがて発表は終わり、ご褒美の昼食のカレーライスやヤキソバを、子供達は嬉しそうに美味しそうにほおばって、そして帰っていきました。
私たちにとっては、実に嬉しく楽しく、又ほっとしたひと時でした。
そして、32年前に私達に教えて下さった先生方も、発表会の後は、きっと同じ気持ちでいたのだろうなと思ったりしました。
子供の数が減って、かつては男の子だけの、しかも選抜された子供達しか、教えていただけなかった蟹田八幡宮の獅子舞も、今では女の子を含めてもわずか。しかも、ほとんど低学年の子供しか集まりません。
340年間という、気の遠くなるほど長い間、伝承され続けたこの郷土芸能を絶やさないためにも、また、現在失われつつある地域の絆を深めるという意味においても、このような獅子舞伝承の試みは、是が非でも継続を願いたいと思います。
そのために、町の教育委員会や小学校の継続したご理解とご協力を切に願うとともに、微力ながら指導者として、惜しみない協力を捧げたいと思う今日この頃です。
(つづく)
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(276)蟹田獅子舞ストーリー その9
| 2004年 7月13日(火) |
何、つらいって、発表会で、音出ねえのに、吹いでるふりしねばまいね子供だぢはつらいべ・・・。 だったら無理しねで、今年は笛あぎらめで、おら一人で吹くはんで、子供だぢには、自信もってでぎる、舞、太鼓だのやらへるべし。 笛は、もすこし学年大きくなってから教えでも、おべるはんで・・・・。
現在、蟹田獅子舞の継承対象となっているのは小学生(中学生は呼びかけても集まらない)だそうです。しかも、小学生も低学年児童がほとんどとあって、指導には大変なご苦労があるようです。
横笛については、まず音を出すだけで、かなりの練習が必要であり、音が出てからは、節(獅子舞のメロディ)を覚える必要があり、習得には時間がかかります。
当然、子どもたちに笛を与えても、現状では、音がしっかり出ないので、吹いているふりをして発表会に出なければならず、それは子どもたちにとってかわいそうだからということで、今回、舞以外の子どもたちには太鼓を担当させることにしたのだそうです。
ところが、獅子舞保存会には、大太鼓、小太鼓がそれぞれ各1個しかありません。
しかし、教える子どもたちは大勢です。 当然交代で叩くことになりますが、集中力の途切れがちな低学年の子どもたちのことです。 「ほがの人がやってる時も、よぐ見でろ。自分もただいでるつもりで見るんだど」と言っても、他の子供が叩いているときは、ほとんど知らんぷり。なかなか練習が進みません。
なんとかしなくてはと、最終的には太鼓を借りてきて、全員が太鼓を叩いて練習することになったそうです。
さて、太鼓と舞を支えているのは笛です。この笛を現在担当されているのは30代の方。その方より、こんな声が寄せられています。
蟹田の獅子舞は、なんとか細々と活動しているのが現状です。 でも、私個人としては、この規模の活動を、いかに長く継続していくかに重きをおいています。 私は蟹田町の古きを伝える語り部的な存在でありたいと考えています。 子どもたちに獅子舞を指導することにより、学校教育では教えきれない部分を補っていきたいと思います。 良い意味で、肩の力を抜いた活動を展開できたらと考えます。
(つづく)
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(277)蟹田獅子舞ストーリー その10
| 2004年 7月14日(水) |
蟹田獅子舞の笛はたいへん独特なのです。「ふつうの囃子とは違う」とよく言われます。どうも、お山参詣の系列に近いような気がしています。 でも、お山参詣のようにおさえて吹かないんですよ。大声でカラオケを歌っている感じなのです。こうした笛は類例があまりないみたいです。
このように語るのは蟹田獅子舞の笛の継承者のお一人。現在、現役で笛を担当される方は二名おられます。 一名は昨日触れた方で、蟹田の子どもたちとかかわりあい、獅子舞指導をされておられます。
もうお一人は、蟹田町のご出身なのですが、青森市内に仕事の関係で出てこられているため、獅子舞活動には直接タッチできないでおられますが、蟹田獅子舞の笛の最後の継承者として、町の芸能の行く末をたいへん案じておられます。
お話を伺ったところ、笛はやはり難しいもので、その方の師匠も同様に感じておられたのか、当時の子どもたち3人に同じように教えず、別パートを3分の1ずつ、指導していったそうです。 この方は、後に、師匠について残りの部分を全部マスターしたそうでしたが、実はこの方の師匠も、元の旋律を完全にマスターしていたのではなく、伝承していたのは元旋律の90%だったといいます。 自分はその師匠の持っていたものを全部習得しているが、このままの状況では、蟹田独自の笛のスタイルが薄まって、他とは性格を少しばかり異にする旋律が、やがて姿を消すことも考えられる。
また、その方は、こうもおっしゃっておられました。
音楽というのは、発祥の系譜をたどるのに大変都合がよいものかもしれない。今、蟹田獅子舞の音を保存しておくことで、他地域との囃子の類例照合により、歴史的な蟹田と他地域との交流を解き明かす一つの大きな証拠になるかもしれません。 蟹田獅子舞の笛をなるべくオリジナルに近い形で保存しておくことは、将来的に意義があるようにも思います。
こう語っておられましたが、まさにそのとおりではないかと思われます。
しかし、こうした作業ができるのは、まさに今だけ。
どこかスタジオに入り、音だけを録音し、さらに、映像として、笛の指使いを様々な角度から記録しておけば、仮にもしものことがあって、継承が途絶える事態となっても、それを端緒に後世、笛が復元できるかもしれない、というお話でした。
さて、蟹田獅子舞の子どもたちへの指導事業は3年計画。 これも今年の春で終了となりました。
さらに、10月14・15日と二日にわけての恒例の獅子舞全戸まわりも、今年はどうやら中止の模様。蟹田八幡宮での舞いだけはやることに決定しているとのことですが、それ以外は、子どもたちの次年度以降の指導も合わせ、すべて白紙の状態だといいます。
このまま蟹田の獅子舞は、消えるのでしょうか。
(つづく)
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(278)蟹田獅子舞ストーリー その11
| 2004年 7月15日(木) |
獅子舞に参加した子どもたちの声。
◆小1男子児童
去年もおにいちゃんがやっているのを知っていて、1年生になったらおにいちゃんと一緒に練習できるのを楽しみにしていた。 だけど、いざ今晩が初練習となると、やっぱりやめようかなと思った。 でも、練習場に行くと、同級生や他の子がたくさんいるので楽しくなった。 大太鼓を希望したのに小太鼓にまわされ、がっかりしたけど、すぐ気に入って、練習に熱中した。 家に帰っても、練習したら、お母さんから「うるさい!テーブルただくな!」としかられた。
◆小4男子児童
1年目と2年目は「扇の舞」をやりました。今年は「鈴の舞」にチャレンジしました。3回目の練習頃までには、ほとんどマスターできたので、来年こそは大太鼓を叩きたいです。
この児童は2年生の時から、すでに太鼓を希望していたそうですが、そんな彼に「来年は笛だ! 笛だっきゃ、一番むずがしいはんで、これまでやってきて、一番、おめ、じょんずだがら、来年笛だ!」と言うと、ご満悦の表情。 現在、笛の有力な後継者の候補に上がっているそうです。
指導にあたって今、汗を流している若い方々は少年時代に蟹田獅子舞に触れ、そのときの記憶に残る熱い思い、なにより、生まれ育った地元の「心」の結晶した芸能をなんとか守っていきたい。こうした思いにつき動かされ、現在も活動を続けられています。
万一、長い休止を迎える事態になろうとも、当協会で音資料などを保存しておけば、将来、現在学習されている子どもたちが大人になったとき、地域の伝統を復活させることができるかもしれません。そういったことのお役に立ちたいとの希望はもちろんのこと、ぜひとも、こうした熱意ある若い方々の思いを消してしまわないよう、当協会事務局では、可能な限りバックアップしていきたいと願っているところです。
なかなか、こうした保存会の内情を知る機会はありません。 はじめて知ったという方も多いと思います。 多くの人がこうした問題を共有し、共に問題を考えることで、なんらかの現状打開への糸口が得られるかもしれません。こうした情報交換の広場の役割も果たしていきたいものです。
今後も蟹田獅子舞保存会の方々と情報交換を続けていきます。その後の情報が入りましたら、こちらでご報告してまいります。 これは蟹田町だけの問題ではなく、青森県の伝統芸能一般の共通してかかえる、具体的な問題ではないかと理解しています。
(完)
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