青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年7月(4)>

(279)より素朴に より率直に
(280)津軽の横笛 その1
(281)津軽の横笛 その2
(282)津軽の横笛 その3
(283)津軽の横笛 その4
 
(279)より素朴に より率直に 2004年 7月16日(金)
 本日、当協会に津軽の横笛についての考察文が寄せられました。

 と、いいますか、無理にお願いして寄せてもらったといった方が正しいのかもしれません。

 先月の半ば、ひょんなことから津軽の横笛についての研究文を発見しました。昭和56年制作のものです。
 実は、危うく破棄されるところだったのですが、当事務局に管理を依頼されましたので、手もとに来た文面を拝見しましたところ、たいへん貴重な情報が散りばめられておりました。

 しかも外部に発表された文面ではないので、内容を知る人はほとんどいません。

 こういった価値ある情報を眠らせておくのはもったいない話です。
 ぜひ、青森県民の知的共有財産として有効活用させていくことができないものか、作者の秋村しおり氏にコンタクトをとってみました。

 最初は専門家でもない自分のような者の、それも昔の文面、恥ずかしくて・・・とおっしゃっておられました。

 このような声、民俗芸能関係の取材をしていると少なからず耳にします。

「学がない・・」
「立派な先生方にお見せするようなものでは・・」

 こうした、専門家ではないので、といったニュアンスの意見をよく耳にします。

 しかし、民俗芸能の専門家と呼ばれている方々は、こうした一般の方々からの飾りのない、素朴な第一次資料をたくさん得ることで、いわゆる「先生」と呼ばれているのであって、第一次資料の提供者が、そのような「先生」方より、格が低いなどということは絶対にないように感じられます。

 逆に、素朴な生情報をお持ちのそういった方々こそ、偉大な先生であり、敬意を払うべき対象ではないかとも考えております。

 ところが、素朴な生情報、これが最も民俗芸能の分野では価値が高いのにもかかわらず、あまり外部に情報が出てきません。

 これは秘匿しているからというよりは、学のない自分が、大先生をさしおいて、こんなことを書いたり発表したりしていいのかという、変な遠慮があるからだというのを最近、取材を繰り返しながら感じてきたところです。

 そのような方たちに、なんでもないようなつまらないと思っていることが、実はたいへん価値ある情報だったりもする。どんなことでも結構なのでお話を聞かせてくださいとお願いしています。

 こうして得られた、飾りのない「生の声」を、こちらで、なるべくそのままの形でお伝えするように心がけております。その媒体として、インターネットのホームページは最適だというのがわかってまいりました。

 新聞・テレビ・ラジオなど、情報の伝達媒体にはそれぞれの個性があるといわれています。
 インターネットのホームページはそういったものの中で、もっとも親密な特性を持っているようです。
 情報の発信者と受け手が、同じ目線で気張らずに、一対一で語り合っている感じなのです。

 例えば、昨日まで連載していた蟹田の獅子舞ですが、あのような表現で伝達できるのもホームページならではです。

 書籍や新聞に書くとなると、もう少し、カッチリさせなければなりませんが、ホームページだと、ネクタイをはずしてラフな格好で雑談しているような親密な調子が許されてくるから不思議です。

 より素朴で、より率直な、飾りのない第一次情報の発信は、ホームページが最も適しているように思われます。特に民俗芸能の生情報の発信には最適の媒体のような気がしております。

 こうした生の声が、当協会のホームページ内のバックナンバーなどに蓄積されておりますが、実はこのような気取りのない生情報が、研究者にとって、後々貴重な研究材料になっていくように思われます。

 そのような観点より、いわゆる「専門家」ではない方々の率直な生情報こそが、最も価値ある情報になるかもしれないということで、ふつうの方々の気取りのない意見を広く集めております。

 その点をご説明したところ、研究論文というよりは、エッセイに近いものですが、それでよければということで、文面掲載の承諾を、秋村氏ご本人より受けました。
 若干、文面に手を入れたいということでしたので、作業をお願いしておりましたが、完成文が本日寄せられましたので、まずは、津軽の横笛について明日から連載していくことにしたいと存じます。

 内容については「へえー、知らなかった」、「そうだったの?」という方も多いと存じます。

 事務局では、こうした情報の発掘にも今年は力を入れております。

 (それでは詳細は明日より)
 
(280)津軽の横笛 その1 2004年 7月17日(土)
 昨日触れた、秋村しおり氏の文面です。

 【第1節 津軽の笛とその系統】

 津軽の横笛は、ほとんどが七孔の篠笛である。

 日本古来の笛は六孔の横笛と推測されており、七孔の形は7世紀ごろ、日本に渡来した唐楽の竜笛の影響と考えられている。

 笛が演奏されたと推測されている記録には、江戸時代の初期に集中している。
 寛永7年(1630年)、2代津軽藩主の信牧が能の上演を命じている(「封内事実秘苑」)。
 獅子踊りについても、17世紀の終わりごろには、各地に広がり始めたとされ、笛の要素の多い津軽神楽が形成されたのも、18世紀の初め、正徳年間であろうといわれている。


 さて、私が中里町の笛吹きの名手といわれている伏見勇次郎氏宅を訪ねた時に伺った話である。

 笛には、六つ笛と七つ笛があるという事だった。


 実際演奏していただいた何曲かについて運指方法にはあるパターンがあった。

 六つ笛とは指で押える孔を、吹口側の方から第一穴、第二孔・・・と数えた場合に、第一孔と第四孔は閉じたままの場合が多く見られる。
 実際の孔は七個あるのだが、第七孔はビニールテープでふさいで演奏されていた。


 七つ笛の方は、第三孔と第六孔を閉じて、第七孔は開けたままの形が多かった。
 伏見氏は、六つ笛はどんなジャンルのメロディーでも吹くことができるが、七つ笛は津軽独特のもので、指使いがむずかしい、と語っていた。


 ここで伏見氏の言う「六つ笛」「七つ笛」と、笛の押え方のパターンについて述べてみたい。


 基本的には、伏見氏の言ったように二つに分けられ、それから派生するいくつかの型に分けられている。


 一つは、第三孔と第六孔を、左右の薬指で押えて固定し、主に人差し指と中指の操作で奏する型で、通称「前指(まえゆび)」と言っている。伏見氏の言う「七つ笛」とは、この型のことである。
 前指の奏法の特徴として演奏する際、第七孔は解放したままであるということがあげられる。
 この型の代表的なものには、青森ねぶたの行進曲や、登山囃子があり、また、その派生として弘前ねぷたの休止の曲があげられる。
 この前提の運指法によって、陽旋律が得られる。


 笛の押え方のもう一方のパターンは、第一孔と第四孔を左右の人差し指で固定し、主に中指と薬指の操作で演奏するもので、「後指(あとゆび)」と言われている。
 この場合の第七孔は、右小指で押えるか、テープをはるかして閉じたままである。
 この型の代表的なものは、弘前ねぷたの行進の曲があり、派生したものとして、弘前ねぷたの戻りの曲と下山囃子があげられるが、この場合は中間で転調して右の人差し指が使われ、終わりにまた元の調に戻る。
 この後指の運指法によって、陰旋律が得られる。


 伏見氏の言う「六つ笛」は、後指奏法であるから、第七孔は閉じたままで、つまり、六孔の笛と同じことになるため、そう言われていたのであろう。

 ところで、なぜ、七孔の笛を用いながら、一孔を封じて六孔にしているのであろう。

(つづく)
 
(281)津軽の横笛 その2 2004年 7月18日(日)
 秋村しおり氏の文面、「なぜ、七孔の笛を用いながら、一孔を封じ、六孔にしているのか?」のつづきです。

・・・・・・・・・・・・・

 【第1節 津軽の笛とその系統  その2】


 登山囃子と下山囃子では、別々の笛を用いる。

 前にも述べたように、下山囃子は後指で奏されるため、七孔を一孔封じて六孔にしているが、これを六孔の笛の代理として使うだけなら、登山囃子の笛を使ってもよいことになる。

 伏見氏によると「ネズミ(音色)」が違うからだということであったが、笛の発生の主体者が山伏であるという事に起因するという一説もある。


 笛は山伏にとって、魂を吹き込み奏する楽器であり「呪器」として扱われていた。

 笛には信仰心がこめられている。
 六孔は忌み、七孔は陰陽道的思考から肯定され、採用されるようになったのではないだろうか。そのため、下山囃子や弘前ねぷた囃子は、音楽的には一孔封じた六孔の笛。信仰的には七孔の笛として扱われてきた。
 楽器を信仰の対象として見ていた時代から、時を経て、演奏者の音楽的思考が取り入れられ、今に至っているのではないだろうか。

 笛の信仰的要素として登山囃子をひとつ例にあげると、奏する時の笛は、全長60cm以上にもなるが、伏見氏曰く、このような長い笛でなければ登山囃子のよい音が出ないとの事である。
 お山参詣のムードに感じられるように、吹きこみ(息の使い方)の難しい長い笛を、時間をかけて、しかも登山をしながら吹くことによって、笛の奏者が一人前になるための儀式としての、信仰的・修業的要素があったのではないだろうか。

 さて、篠笛は、音がきわめて柔らかいので、メリ(音を低める)や、カリ(音を高める)が多く行われ、その上、孔を半開、四半開、全開するなどの手法が使われるので、音の変化が自由になり、旋律が繊細に表現できる。
 また、津軽の囃子の中での笛は、個人によって、その時々によって即興的に様々な変奏、いわゆる「替え玉」が用いられている。
 しかし、そのほとんどの曲が、前指と後指のいずれかの系統に分類されるという法則性があるのは興味深いことである。


 いろいろな囃子の採譜を試みて、笛の旋律を五線譜にのせるのは、たいへん難しく無理のある事がわかった。

 平均律では表せない微妙な高さの音や、高さが同じでも響きの違う音があり、笛だけの旋律ではリズムもわかりにくいし、装飾音も多く、一定のリズムも見つけにくかった。
 譜面は書き取れる基本的なメロディーだけに留まってしまったが、実際に演奏される笛の音は、心の赴くままの生きた魂の音色なのである。


 (つづく)
 
(282)津軽の横笛 その3 2004年 7月19日(月)
 連載文について、早速、次のようなご意見が到着しました。


 むつ市の大湊ねぶた、大湊まつりでも横笛を吹きますが、こちらでもやはり、吹き口から第3孔は左薬指で閉じたまま、第7孔はテープを貼って閉じたままです。興味深いですね、ということでした。


 さて、秋村氏の文面ですが、第2節に入ります。


 【第2節 通り拍子としての囃子】

 通り拍子というのは、道を歩きながら奏するもので、獅子踊りの「街道渡り」や登山囃子、下山囃子、ねぶた囃子、虫送りなども、もちろん通り拍子と考えられる。

 この通り拍子は、各郷土芸能が互いに最も影響を及ぼしているところの、音楽的な触れ合う面が多いものである。
 道を吹き鳴らすということは、かつては神の通る道を払い清めるという、精神的にも重要なことがあるばかりでなく、人々に最も多く触れ、広まり、再生力の大きいものだと思われる。

 岩木山のお山参詣の囃子は、登山と下山の二つの通り拍子がある。
 この二つは、旋律、指の押え方のパターンが違う。

 登山囃子の方は、登る人々を元気づけるような大らかな旋律であるのに対して、下山囃子の方は、山の頂上を拝んだ後の、ほっとした気持ちをうかがうことができる。

 そしてこの二つの拍子は、実は表裏の関係としてみることができる。

 山であるから、登山と下山があるのは当然のことだが、平地でも、たとえば、神のお通りとお還りがあるのではないだろうか。
 本質的に同じ神ではあっても、行きの神と帰りの神は人々にとっては違うものであり、そのため、旋律が違うということをたてまえとしなければならない。
 このことは、登山の方が七孔の笛を使用するのに対して、下山の方は一孔封じて、六孔にしているという点にも関連づけて考えられる。


 同じように、ねぷた(ねぶた)にも弘前の出陣と、青森の凱旋があり、行きと帰りを示している。
 この場合も、旋律、指の押え方のパターンが違い、笛の使い方も後指と前指となっていて、表裏の関係としてみることができる。

 通り拍子に、通りと還りがあるらしいことはわかるが、それとは多少違った意味で、陰と陽もあるのではないか。

 陰音階、陽音階とは別に、横笛独特の運指法をみてみると、前指奏法を用いた場合は、真中より、比較的吹口に近い、第一孔から第二孔の開閉が多く運指され、一方、後指奏法を用いた場合は、吹口から遠い第四孔、第五孔の開閉が多い。
 こうした運指から奏でられる音色は当然違ってくるし、後指、前指の奏法の違いとかみ合って、微妙な陰と陽の使い分けがみられるのではないだろうか。


 (つづく)
 
(283)津軽の横笛 その4 2004年 7月20日(火)
 秋村しおり氏の文面、第3節です。


 【第3節 消え行く笛の音色に向けて】

 横笛の運指法を調べるきっかけとなったのは、笛吹き奏者の伏見勇次郎氏との出会いがあったからである。

 伏見氏は、北津軽郡中里町に住む笛吹きの名手で、かつて笛の大会で優勝したこともあった。
 現在(昭和56年時点)、78歳という年齢にもかかわらず、その笛の音色には、こよなく笛を愛する心が表れている。

 私の突然の訪問にもかかわらず、インタビューを快く引き受けてくださった。
 伏見氏の言葉である。

 笛のネズミ(音色)は一番大事なものだ。ネズミはやわらかくなければいけない。短い笛は、音が高くなり、太鼓の音量にも負けないが、太鼓と競争しようと(インパクトの)強い高い音の笛を使っても、それではいいネズミが出ない。だから吹く曲によって、自分は笛をかえる。
 その曲に一番あったネズミの出る笛は、自分で研究して決める。どの曲にはどの笛というふうにこだわりがあるから、笛がかわるとうまく吹けない。昔はどうすればいいネズミが出るのか、毎日毎日吹いて研究した。
 入れ歯にしてから、歯の噛み合わせが前と違い、どうしても出ない音があって、昔、自分の十八番だった曲は、絶対に人前では吹きたくない。

 こうおっしゃっていた。
 
 愛すべき津軽のじょっぱりなのである。


 今は悠々自適の隠居生活だとの事だが、時折、各地でおこなわれる芸能大会に出かけたり、小学生に笛を教えたりもしている。

 中里の獅子踊りの笛を吹ける人間は、自分をおいて他にはおらず、この笛の伝統も伏見氏の代で、とぎれることとなりそうだと話されていた。消え行く芸能の一面を見たような気がして、残念な思いである。

 伏見氏は、津軽の笛の音を心の底から愛し、大切に抱き続け、こだわり続けてきた方である。想いも音色も、ストレートにこちらの心に飛び込んで来た。

 この出会いに感謝しうれしく思う。

 (完)

・・・・・・・・・
※秋村氏の文面はネブタ囃子の考察にも及んでいますが、現在、ご本人による内容の確認調整中です。完成文面が到着しましたら連載を開始いたします。ネブタの時期にふさわしいテーマになるものと存じます。


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