(303)わらべ唄 青森風土記 その1 |
2004年 8月16日(月) |
あのー、ちょっとお伺いしたいんですけど・・・・
神奈川のある女性の方から先日お電話をいただきました。
伺うと、「津軽の十三湖のあたりで昔、耳にした子守唄を忘れられず、探しているのだが、どうしても見つからない。こちらに聞けば、わかるかと思って・・・」 そんなお話でした。
断片的に記憶されている歌詞は「山がら、もっこ・・・」
津軽の方ならおなじみの「もっこ」でした。
ただ、「もっこ」といっても、地域によって微妙に歌詞や旋律が違います。どの「もっこ」が目指すものなのかわかりません。
そこで事務局の中を調べたところ、先日到着したばかりの資料が目につきました。
「津軽のわらべ唄」です。
鉄筆を使い、一文字一文字丹念に書かれたガリ版印刷の本で、昭和30年代から刊行され続け、全六巻、各限定数百部の私家本に近いもので、わら半紙印刷のため、すでに紙も黄ばんで変色していました。
編者は、工藤健一、斎藤正とあります。
この本より、数種類の「もっこ」を参考資料として、先ほどの方にお送りしたところ木造で伝承されていた「もっこ」がそれだということが判明。大変喜ばれ、電話口で、切々と、その「もっこ」を歌ってくださいました。
その歌声は、大変感動的なものでありました。
さて、全6巻ある「津軽のわらべ唄」ですが、わらべ唄に関係する様々な周辺情報も多数含まれており、青森県の風土記といった趣を呈していました。
そこで、編者に連絡を取ってみたのですが、だいぶ前に、工藤、斎藤両氏ともお亡くなりになっていました。 しかし、ご遺族の方のご理解をいただき、内容について、こちらで転載させていただくことが可能となりましたので明日より、主に編者の肉声ともいえる表記部分、そしてわらべ唄を通した昔懐かしい青森県の風土の部分を順にご紹介していくこととしたいと思います。
青森県の昔懐かしい風俗の数々、そして編者たちのわらべ唄へ寄せる熱い思いを感じ取っていただければ幸いです。
(つづく)
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(304)わらべ唄 青森風土記 その2
| 2004年 8月17日(火) |
【第1集より】
★こどもの遊びとわらべ唄★
斎藤 正
がらんちょ(竹馬)、つめくなんじょ、こば打じ、「おらサあだればジカモカ刺さる」
晩、古い家から聞こえてくる「さんさんジャエ」・・・、こんな言葉や、こんな遊び歌も今はもう聞けなくなりました。まったくさびしい気持ちがします。 こんな言葉、そしてこんな唄、遊びは消えてなくなろうとしています。 これらにかわるラジオやテレビなどが世に出てきたせいだと思われますが、考えてみると、わらべ唄を歌う人、歌って知らせる人、覚えている人もたいへん少なくなってきました。 これは、こんなわらべ唄があって、こんなふうに歌うのであると、誰でも簡単に知りえる採譜がなかったためです。
郷土を親しく身に感じたり、血の通った郷土の人という自覚は、こんなわらべ唄を聞いたり、歌ったりする時、最も強く感じられるようです。
昔、この津軽に住んでいた人たちは自然をどう感じて歌詞に託したでしょうか。また、禽獣・虫・魚・草木土石などを、どう親しく想って口から叫んだでしょう。 ここにとても素朴であるが、非常に親しみのある、わらべ唄が生まれました。そして今までは立派な文化遺産として伝承してきたのです。
月を眺め、だぶり(とんぼ)や蛍を見つけ、秋の空を列をなして飛ぶ雁や、夕焼け空にねぐらに帰る、からすに呼びかけました。そこにすてきな響きを漂わせていました。
晩の一家だんらんの遊びにしても、「からかいご」とか「さんさんジャエ」とか、外では子どもの遊ぶ歌声の「中の地蔵様」や「下駄がくし」が行われ、真夏にはネプタ囃子が勇壮に季節を流れ、お山参詣に人々は行列をつくり、「さいぎ さいぎ」を高らかに唱え、冬が来ると、幼児は雪の唄や、春には凧上げに精一杯、郷土のわらべ唄を歌ったものでした。 これが、郷土津軽地方のわらべ唄から眺めた一年の行事、季節歴でありました。
私はなんとかして、この原形を採集し、採譜して残し、みんなにうたわれ、大人が子どもに歌って知らせるもとになるものがあればよいと思っていました。「津軽のわらべ唄」はその念願の一つの具体化でした。
春夏秋冬のものや、行事のものや、禽獣・虫・魚・草木土石についてのもの、遊びのもの等、いろいろ歌われていると思います。私はこの他に、土の唄、子どもの唄、遊びの唄をまとめてみたら大変興味のある出版ができるのではないかと思っているのです。
今までの分は「津軽のわらべ唄」に採集された他、こんなのが考にのぼっています。
上方で「藤ぎちょ」といわれているものがあります。この地方では「藤入れ」と呼んで、藤の葉を取った茎で遊ぶ遊びごとで、何人か藤を出し合って藤をまくとき、「大きな穴 つーくれ」と言ってまき、その穴に藤を入れて、相手からそれだけ藤を取ります。
次は天気占いです。下駄を片一方、天に向かって蹴って投げつけます。そのとき、子どもたちは「あした天気 えーが」と叫びます。緒の付いた方が出たときは天気。裏返しになるときは雨。半分に片側をついて立つときは曇といったぐあいです。 天気のときには「あした天気だ。カクダ(格段?)の天気だ。アダマハゲ上る」と、お互いに揶揄して遊びます。
下駄かくしも子どもの遊び唄がつきます。また、みんなで手をつないで輪をつくり、鍋大きくなーれ、大きな鍋つぶれろー」などと言って遊び、誰かの頭にゴミくずや紙くずがチョコンと上がったときなどは「誰かさんの頭サ 天から虫上がってら」と言ってからかいます。
二つのうち、一つを選ぶ場合には「どれ とたらよがべナ 隣のおばさネ きでみでがら とーる」と言います。
また、一つを選び、十(とお)まで勘定は次のようになります。「いっつぐ、にっつぐ、にでの おど がんぎり 頭サ 銭コ 三文 かっきり と」これで十(とお)勘定したことになります。
すべてわらべ唄や子どもの遊びは素朴で単純で、のんびりしていました。まだまだ皆さん、お知り合いのお年寄りの方々は知っているのではないでしょうか。 わらべ唄を聞くとき、わらべ唄を口ずさむとき、私は自分の年齢(トス)を忘れて、ひしひしと郷土津軽を深く感じさせられるのです。
昭和35年2月 病床にて
(つづく)
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(305)わらべ唄 青森風土記 その3
| 2004年 8月18日(水) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
★この本の生まれるまで、そしてこれからのこと・・・
工藤健一
確か、昭和32年12月18日だったと思います。
放送局から電話があって、「来年、1月3日にNHKに新年特集番組で、『わらべ唄で綴る正月』というのがあるが、弘前放送局から5分位の津軽のわらべ唄を放送するように東京から電話があった」というのです。
全国の放送局から10局位提出され、各局5分間リレー方式に、北から南へと放送されるとのこと。しかも、録音テープを遅くとも12月25日頃、東京の中央放送局へ送らねばならぬというのです。 小さい時に、わらべ唄を唄って育ってきたのですが、断片的にわかっているだけです。 正月の放送なので「雪」とか「正月の祝い唄」とか「冬の遊び唄」となるので、さらに限定されてしまいます。 しかも全国放送なのです。・・・・私は困ってしまいました。 いろいろ手を尽くして探したが見あたりません。日がなくなる。
困っていた時に、NHKの岡田プロデューサーのお話で、木村弦三先生から楽譜をいただき、3日間の練習で録音。テープを送り、かろうじて間に合わせました。 私が、津軽のわらべ唄に関心を持ったのは、これが機会であったと思います。
NHK放送児童合唱団の定期放送は月1回ですが、はじめ、文部省唱歌とか、検定教科書の歌曲、童謡などを放送していました。しかし、何だか、それにあきたらなくなりました。
東京からの放送も弘前からの放送も、同じものなら意味がないのではないか。弘前からの放送は、弘前だけでできるものを放送したい、と考えるようになりました。 (昭和34年度は、ほとんどこのような放送をしたのですが、ご批判をいただきたい)
私が津軽のわらべ唄に関心を持ちながらも、困っていた時に、堀越小学校長の斎藤正先生にお逢いできました。先生も私と同じ立場にあったようで、斎藤先生のお力添えを得ることにより、この仕事もレールに乗ることができました。
昭和33年、盛夏、第一大成小学校の校長室で、汗をふきふき、斎藤先生の唄の録音をとり、また話し合ったことが、今でも楽しく思い出されます。
斎藤先生と一緒に仕事をしてから、あしかけ三年目で、ようやく出版の運びになりましたが、これは私の仕事の遅いこと、また、この方面の音楽知識がきわめて浅いこと、この点、斎藤先生に本当に相済まなく思っています。
私としては斎藤先生の録音したものの採譜と共に、他の人はどう唄うかをも調べたい。また、曲の数もできるだけ多く集めたい。そして、全体の見通しのもとで第1集を発刊したいと思っていました。
他都市の二、三の会合で、津軽の各地のわらべ唄を採譜してもらうことをお願いしたこともありました。が、3曲より集まりませんでした。
これは、お願いされた先生方が協力してくれなかったのではなく、掘り出すのに非常に困難だったからです。この曲集の中でも、三、四人のおばあさんが集まって、記憶をお互いに呼び起こし、ようやく1曲となったものもあります。
わらべ唄は消え失せようとしています。わらべ唄は私達祖先の残した尊い文化遺産です。
これを今採譜しておかねば永久になくなってしまうでしょう。
わらべ唄採譜のことで忘れてはならない私達の大先輩がいます。木村弦三先生、木村繁先生、伊藤秀俊先生、NHK仙台放送局の武田忠一郎氏。まだまだ何人もおられることと思います。 木村弦三先生と伊藤秀俊先生には、特に今回お世話になりました。お二人の先生がおられなかったら、この本も発刊できなかったでしょう。
採譜の仕事と共に、わらべ唄の分類をしていきました。 現在、私の手もとだけで約120曲(同種類のものを加えると200曲)位ありますが、数が多くなると、どうしても分類し、整理していかなければなりません。
ところが不勉強な私には「わらべ唄の分類」を他に見つけることができませんでした。それで私なりに、次のようにしました。
(つづく)
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(306)わらべ唄 青森風土記 その4
| 2004年 8月19日(木) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
★わらべ唄の分類
工藤健一
この分類法には私自身すっきりしません。第一試案ですので、みんなで批正して、よいものにしていただきたいと思います。十進分類法をとりましたが、今後、各地で採譜し発掘していくのに、あるいは参考になるのではないかと思って書きます。
【わらべ唄の分類(第一試案)】
〔T〕音楽的要素からみて
(1)旋律のあるもの・・雪坂つくり。うぐいすや等 (2)リズムが中心で旋律があっても単純なもの・・蟹と烏。音部の松吉
等
※この分類もなんだかはっきりしません。津軽には「語り」がずいぶん残っています。言葉にリズムをつけ語るのですが「物語りもの」もあります。比較的長いものが多いです。 それから「早口歌」が残っています。子どもらが、できるだけはやく言って競うらしいのですが、これらのものは、いつのまにか自然にリズムができております。
〔U〕発生的立場からみて
(1)子どもの主として唄うもの・・うぐいすや、肌よしとよし
等 (2)大人が子どもをあやすときに唄うもの・・おれのおんぼこ、からかいご 等 (3)大人から子どもへと唄われたもの・・ねぷた流し、おかぐらの旋律
等 (4)子どもから大人へ唄われたもの
※「わらべ唄」の定義をどう考えるかが、まず問題となります。 子守唄は、大人が唄うのだから、わらべ唄かどうかなどの問題もあります。この際、子どもの唄うもの、子どもをあやすもの、子どもに聞かせて楽しませるもの、など「子どもに関係した唄」をわらべ唄としました。民謡、小唄などの子どもを対象としないものと比較していただきたいと思います。 昔、娯楽が少なかったので、大人が主としてやるお祭りのときの笛の旋律が子どもたちに唄われてわらべ唄となったり、大人の信仰と関連した呪符、呪厭が子どもの遊びやわらべ唄になったことは、木村弦三先生がご指摘されています。 と、すると、この分類もなんだかあやしくなってきます。 これから問題を掘り下げ、民俗学的立場から究明する足がかりにと思って、あえて提供します。
〔V〕内容的立場からみて
(1)遊びの唄 @まりつき唄・・正月は Aあやこ唄・・・うぐいすや Bきりこ遊びの唄
(2)動物の唄 @鳥・・・(A)からす・・・からす (B)とんび (C)すずめ (D)がん・・・・がんがんごがご
A虫・・・(A)ほたる・・・ほたる、ほたるホイホイ
(B)かたつむり
B植物の唄 ほずき
C自然現象に関した唄 (A)風・・風うわうわよ (B)月・・ののさま (C)雲 (D)雪・・かた雪渡れ、肌よしとよし かたゆきかんこ、上見れば虫コ
D郷土行事に関した唄 (A)七夕祭・・ねぷた流し (B)よみや (C)正月・・・松コおどれば、正月ァ
E子どもをあやす唄 (A)ねかせ唄・・・・おれのおんぼこ、ねにゃもにゃ、泣けば山から (B)あやし唄・・・・からかいご
F悪口唄・・・・あがべてこさま、おぢっぺ
G語り、早口唄 (A)語り・・・蟹と烏 (B)早口唄・・音部の松吉
H俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄 (A)物かくし (B)子もらい遊び・・・地蔵様
※わらべ唄はすべて「遊びの唄」と考えてもよいと思います。 特別に「遊びの唄」を一分類することはどうかとも思いますが、小分類のような種類を一つにまとめました。 上記の第9分類「俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄」と他と、どのようにわけたらよいものか迷うものもずいぶんありました。 例えば「松コおどれば」は正月の部に入れたが、その年の吉凶を占う呪厭であることから考えれば第9の分類になります。色の強い方、発生的より、現実的な場を考えましたが、ここにも問題があると思われます。しかし、実際に整理するには、この分類によってしました。前にも述べましたが、試案なので、皆様の御批正によってよいものにしていきたいと思います。
採語の仕事は次の順序で進められました。
(つづく)
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(307)わらべ唄 青森風土記 その5
| 2004年 8月20日(金) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
工藤健一
採語の仕事は次の順序で進められました。
(1)まず歌詞を明確にする。
斎藤正先生はこの歌詞をよくまとめておられましたので、容易でした。 家の母から採語する時は、一部分よりわからないところがあり、記憶を呼び起こすのにずいぶん困難しました。母の友達2〜3人集まってまとめたりしました。木村先生、斎藤先生を知る前は、息子の苦しんでいるのを見てよくこのようにやってくれました。 これから採譜する際は、まず歌詞を明確にしたらよいのではないかと考えています。歌詞の中には、言葉がなまり、意味のわからなくなっているものもあります。
また、本当に素朴なよい詩もありました。
(2)録音テープにとり、その後、採譜する。
12音にない音がよく出てきますが、それは無理に12音の中におさめず、矢印を音符に付記し、その音より高いか低いを示しました。 わらべ唄はこういったところからも、素朴なことがよくわかり、また、むずかしいものだと思いました。
(3)音域を子どもの声域に上げたり、テンポを考える。
大人の男の声ですと、どうしても上げなければならぬようです。そのときに子どもが歌ったらどうなるかを考えて移調しました。 テンポにはずいぶん困りました。その遊びが、どのようにやったかわからないからです。私の採譜した分は伊藤秀俊先生に修正をお願いしまとめました。
この方法も、皆様からもっとよい方法を教えていただくために書きましたので、御批正願います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この本は2部稿としましたが、木村弦三先生、千葉寿夫先生のお考えをいれたものです。 すなわち、「古いわらべ唄」については、今まで述べたように、祖先の残した文化遺産として、大きい意味があると思います。古いわらべ唄の中には、津軽の土の匂いがしみこんでいます。将来、民俗学的立場、また、音楽の立場から究明されることが大切と思います。
また、それのみではなく、それを素材として作曲者の考え方によって発展させることが大切だと思います。
そんなことから「新しい時代のために」という第2部を作りました。
第2部では、だいたい次の三つの類型から曲を選ばせてもらいました。
(つづく)
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(308)わらべ唄 青森風土記 その6
| 2004年 8月21日(土) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
工藤健一
「新しい時代のために」という第2部には、だいたい次の三つの類型から曲を選ばせてもらいました。
(1)古いわらべ唄の旋律やリズムなどを尊重して二部、三部輪唱などに編曲したもの。 ※木村弦三先生作曲の「ねぶた流し」「雪」など
(2)古いわらべ唄の歌詞から自由に作曲したもの ※伊藤秀俊先生作曲の「音部の松吉」「蟹と烏」など
ただし、自由といっても、伊藤先生は、リズムを古いわらべ唄から取り入れて作曲されたとのこと。
(3)古いものにとらわれず、青森県の郷土の子どもを見て、新しい人が作詞、作曲されたもの
※小島正雄先生の「りんごの花咲く頃」など
私は今後、このようなものがどんどん作曲され、子ども達に歌われるようになったら、本当によいのではないかと思います。そのようなことを期待して第二部稿としました。
木村弦三先生、千葉寿夫先生、伊藤秀俊先生のお考えを書きましたが、先生方のお考えを充分述べていないかもしれません。そのときは私の聞き取り方が不充分か、文章表現の拙劣なためで、私のせいであります。
古いわらべ唄はできるだけ多人数の人の採譜したものをあげることにしました。これは、これから諸先生方にも採譜していただき、津軽の先生全員のお力添えで、第2、3、4集と進めていきたいと思ったからです。
今回は4人の採譜者の楽譜ですが、第2集に何十人という人の採譜曲の載ることを期待します。
また、新しいわらべ唄も、先生方の土地の文学を愛好している人の作詞で、それに作曲されたものを今後、どしどしお送り願います。その楽譜も第2集に載せたいと思います。 また、その中からNHKにお願いして、放送もするようにしたいと思っています。
各地方の先生方に重ねてお願いします。 困難な仕事ですが、各地方のわらべ唄を採譜して送っていただきたいのです。
(1)第2集は9月発刊の予定なので、7月31日までに曲を送ってください。 (2)歌詞を別に書いてください。 (3)歌についての解説も、できたら書いてください。 (4)録音テープを送ってもらってもよいのです。再録して、すぐ返送します。
また、「新しい青森県のわらべ唄」も随時送ってください。伴奏のあった方がよいのですが、旋律だけでもよいです。
この本のできるまでずいぶん多くの人のお世話になりました。 作曲の木村弦三先生、伊藤秀俊先生、小島正雄先生、弘前市教育委員会の笹森教育長、三上学校教育課長、カットを受け持ってくれた城西小学校の千葉健一郎先生。困難な謄写の仕事を引き受けてくださった八木沢健蔵氏、みんなの力によってこの本は生まれたのです。本当に心温まる感じがします。
最後にこの本の成長のため厳しい、温かみのある御批判を下さるようお願いします。
昭和33年2月4日 節分の日 弘前市第一大成小学校、当直室にて
(つづく)
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(309)わらべ唄 青森風土記 その7
| 2004年 8月22日(日) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
※昔懐かしい、わらべ唄の歌詞とその解説です。青森県内でも、ほとんど風化し、忘れられてしまっている情報です。
★からかいご★
からかいご からかいご 誰乗った からかいご アコちゃん乗った からかいご おじの嫁コに けるも惜しいし 投げるも 惜しいし 豆、豆 ぱっちど いれど 江戸見てが 唐見てが 大阪まで まげでやれー
津軽地方の子守歌には「あやし歌」と「ねかし歌」があるという。 「からかいご」はあやし歌の一つである。 からかいごは「唐籠」と書くのか。「古の天じく、唐のえもいわれぬ見事な乗り籠」であったのか。 「おじ」は「おんじ(二男の称)」である。 はじめ両手を組み、幼児を乗せて軽く揺り動かし、最後の「大阪までまげでやれ」で大揺れに動かし、幼児をあやす。
★風うわうわよ★
風うわうわよ 強い風 たのむ 弱い風 たのまね
長い冬に耐えて生活している津軽地方の人々は、春をこよなく待ちあぐんでいる。 春風が吹きはじめると子どもらは凧上げに夢中になる。 子どもが凧上げに必要な強い風を呼ぶいじらしい願望が素朴に叫ばれている。
★あがべてこさま★
あがべてこさま 凧あげだ 知らねで おけたきゃ 凧 にげだ 父さん 母さん 取ってくれ はしごが ないがら 取られません
上記同様、凧上げの歌で、お互いに相手を揶揄しながらの歌である。 子どもたちは、春は春風に羽織(はんちゃ)を着て外に出て、指に凧糸で傷のついた手で、寒さに負けず凧上げをしたものである。
相手の凧がグリする(空中でさかまわりすること)とか、糸が切れて逃がすようなときには、間髪をいれず、口からこの歌が出てお互いにからかいあった。
昔は、凧上げが、春の男の子どもの遊びの大部分をしめていた。 津軽地方一帯では、だいたい、このような歌詞によっているが、その他の地方では、以下に示すよう、凧上げする人の呼び名を異にしているのが興味あることである。
◆あがべてこさま・・・弘前地方
◆赤目てしろ・・・・・十三地方
◆赤目伝次郎・・・・・石川地方、鯵ヶ沢地方
◆赤目コ 白目コ・・・岩崎地方
◆赤目でこちゃん・・・五所川原地方
◆おかべ金次郎さん・・深浦地方
◆赤目 こん太・・・・西郡稲垣舘岡方面
(つづく)
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(310)わらべ唄 青森風土記 その8
| 2004年 8月23日(月) |
【第1集(昭和35年3月発行)より】
斎藤 正
津軽地方の昔話を採集していた私であった。 その間、地方の古老と面談する機会に幾度も接しているので、わらべ唄を聞くこともかなりあった。私は懸命にノートして蓄えた。 元来、私の家は津軽士族で祖母や母がわらべ唄をだいぶ知っていた。 私の幼い頃は、わらべ唄であやされ、それを聞いて成長したといってもよいぐらいである。
私は、このわらべ唄に触れたときぐらい、郷土人らしく思われたことがない。 そして歌詞と採譜を後世に残したいという願望もその頃から持った。
でも、音楽に力のない私には採譜する力がないのでどうしようもなかった。
私は、わらべ唄の素朴なそのままの節まわし、うたい方を残したかったのである。 だれでも楽器一つさえあれば、うたえるようにと。
たまたま、工藤健一先生にお近づきになる機会を得て、この願望がにわかに具体化された。
ある日、私が知っている限りのものを録音テープにおさめていただき、御多忙中を移調やら、いろいろご面倒なお仕事を経て、採譜が完成されるところとなった。
この企画は手持ちのわらべ唄、百数十編を第4集までに分けて出版し、広く同好の方に頒布しようと思うのである。
私たちの、このささやかな一つの仕事から、後世、これに関係した地方の音楽文化が将来誕生し、この単純なありのままのわらべ唄が消滅をまぬがれ残ってくれれば、たいへんうれしいのである。 なお、この挙に対して、弘前教育委員会が援助の手をさしのべてくれ、調査研究させて下さったことは何と言ってもありがたいことであった。
第1集からの出版に対し、貴重な作曲を私たちのために提供してくれた木村弦三氏、伊藤秀俊氏、小島正雄氏、黒石のあしの葉作曲者 故 中村勝雄氏、その他ご協力を賜った各位に心から感謝を捧げる次第である。
※津軽のわらべ唄 第1集 昭和35年3月3日発行 限定380部 150円
(つづく)
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