青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年8月(3)>

(311)わらべ唄 青森風土記 その9
(312)わらべ唄 青森風土記 その10
(313)わらべ唄 青森風土記 その11
(314)わらべ唄 青森風土記 その12
(315)わらべ唄 青森風土記 その13
(316)わらべ唄 青森風土記 その14
(317)わらべ唄 青森風土記 その15
(318)わらべ唄 青森風土記 その16
 
(311)わらべ唄 青森風土記 その9 2004年 8月24日(火)
 【第2集(昭和36年3月)より】


 ★津軽の子守唄について★
            
  工藤健一


 津軽のわらべ唄の代表的なものと思われる「もっこ」は、私が採集したものだけでも16曲(歌詞だけのものも含む)もあり、同種類のものが、これほどあるのは、わらべ唄の中でも子守唄だけである。
 津軽の母の子どもを愛する情の深さがわかるような気持ちがする。

 私の集めた中で一番古い歌詞は次のものである。


 寝にや ねえにや
 寝んねこせ
 寝ねっば 山から
 もっこが 来らね
 寝ろでや 寝ろでや (弘前) 

※この唄は多少の変化を伴って津軽に広く伝わるもの。
 子どもが、ずるけるときに唐から「もっこ」が来ると言っておどかしたそうだ。
 米沢付近では「もう」または「もうもう」と言い、ときには「もうー」と長く引き伸ばして、急に「かっ」と言ったりしておどかしたという。


 ここで「もっこ」のことについて、さらに述べたい。
 私自身も「もっこ」は「蒙古」のことであると聞かされていた。すなわち、蒙古襲来がその頃の日本人にとって非常に恐ろしかったことから、「また蒙古が来るよ」と、こわいもの、おそろしいものの意味になったと。

※「もっこ」はお化け、怪物の意のモツケ(物怪)の転意したもので、蒙古襲来は後人の作為との説もある。


 私の集めた子守唄では短い歌詞のものが多い。
 古い子守唄は素朴で、本来は歌詞の短いものでなかったかと思われる。それが、子どもがなかなか寝なかったり、また、文学的才能のある人が作って、しだいに長い曲になっていったと考えられる。
 それが今度は、長い曲の一部だけが歌われることになり、もともとの短いものから長く、また長い曲から短いものに変わっていき、現在、唄い継がれているものになったと思われる。
 したがって、子守唄の完全な形を求めることは、無理な感じがしている。


 それにしても、口から口へと唄い継がれて残った現在の姿は、やはり津軽の人の気持ちにぴったりと合っている。
 
 津軽の唄なのであろう。

 口承で伝わるわらべ唄はなんでもそのようであるのだが、自分の気持ち、自分の郷土、環境によって自由に、旋律も変えていく。松木明氏採詞の中で、中郡大浦村(一野田)の子守唄は次のように唄われている。

 おれのおぼこァ ねんながよー
 ねんねば やまがら もこァ くるじゃ
 ながねで ねんながよー よー よー

 おれのあだこァ どごさ えたァ
 やまを こえで さどさ えたァ
 さどの みらげね なにもらたァ

「ねんずと ごんぼね よりだえご」・・※
 おぼこね もだへる ねねよしこ
 ねんながよーよ

 この唄では、もともとの「でんでんたいこに笙の笛」が、※の部分で「にんじん、ごぼう、大根」と農産物に変わっている。
 私が、北郡小泊村下前で採譜した時も、浜の産物に変わっていた。


 このように風土を取り込んで、その土地、その土地に合わせて自由に変わっていくのが、わらべ唄の本当の姿ではなかろうかと思っている。


(つづく)
 
(312)わらべ唄 青森風土記 その10 2004年 8月25日(水)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】


 ★おれのおぼこ★

 おれのおぼこ ねんたこへ
 おぼの おどさは どごさ いったあ
 おどさ とりこまちさ とりかねたー
 おがさ かれこまちさ かれこかねたー
 あにのばかもの しばこかねたー
 しばに はづかれで ななころびー 
 もひとげり ころべば やころびー
 ねろじゃ ねーろじゃ やい やい やい

 これは文久元年弘前育ちの私の祖母に唄ってもらい採譜したものである。
 曾祖母(天保10年生まれ)の唄ってくれたのは少し異なるような気がするが、私が12歳のときに亡くなったので確かな記憶は残っていない。
 上の歌詞の中に「あねこ かくじにいで はなコ つんでら」というのが入っているのも耳にしたことがある。
 曲も歌詞も、少しずつ唄っている人によって違うらしい。皆様の力によって最も美しいもの、最も純粋なものが見出され、郷土の血の中に今も流れている感じ方、風土性といったものと結びついて、何かの役に立ちますよう願いたい。

※おぼこ・・・赤ちゃん
 かくじ・・・家の後の空き地などで、普通は、畠にしている。
 もひとげり・・・もう一回



 ★てんぐるま★

 てんぐるま てんぐるま
 誰乗った てんぐるま
 太郎ちゃん乗った てんぐるま
 だいじの嫁コに けるも惜しし
 投げるのも 惜しし
 豆、豆ぽっちといれで
 砂糖食ってが 飲みてが
 砂糖やさ まげでやれ

 「てんぐるま」は手車である。
 この唄は「からかいご」とともに津軽地方で広く唄われている幼児のあやし唄である。子ども3人のうち、1人は東手、あとの2人が両手で井桁をくんで、その上に1人を乗せる。
 2人でこの唄をうたいながら調子をとり、揺り動かすのである。
 「砂糖食ってが」から大きく揺り動かし、「まげでやれ」で一番高いところまで動かす。これをやると幼児はことのほか喜ぶ。


 ★十ぽ八ぽ★

 十ぽ 八ぽ はやまのはやしこ
 ちょんずは てんぐるま もちょこちの花コ
 咲えだが 咲がねば まだ秋来ねじゃ
 おとりやご とりやご 侍ピロロ

 十ぽ(十方) 八ぽ(八方) はやま(早馬) はやしこ(早廊こ) ちょんず(長十) てんぐるま(手押車) もちょこち(盲者愚者) おとりやご(お到来こ) とりやご(取合こ) ピロロ(嫌ろ「キロロ」)と解くようです。


 昔、津軽藩の御用人に足羽長十郎(乳井貢の家来)という人があって、年貢をひどく取り立て、その威をふるったそうです。

 人々はそのひどい仕打ちに憤りを感じ、彼を揶揄する唄がいつしか生まれて流行していったそうです。


 幼児の両手をひいて歩かせたり、足の甲に乗せて歩かせたりするときに唄われますが、十ぽ(十方)、八ぽ(八方)を「十歩八歩」と意味を取って、歩かせる唄に転化していったのかもしれません。



 ★花折りの唄★

 友達なあ 友達な
 花折るね 行がねな
 何の花折るねシ
 牡丹 しゃくやく 芥子の花折るねシ
 一本折って 腰にさし
 二本折って 腰にさし
 三本目に 日暮れを
 ぬる湯さ 泊まったけァ
 朝(あさま)ネ もっぐど起きで
 西の方じ 見んだれば 
 雪のよな姉さま
 銀の銚子 手に持って
 銀の盃 手に持って
 父(てで)こね 父こね
 母(あば)こね 母こね
 何し(なし)に 飲めへんば
 魚コなくて 飲めへんじゃ
 おらほじの山コに
 高げえ所に 竹の子
 低い(ふぐい)所に ふぎの子
 鰊(にし)コ いわしコ
 たんさんだ たんさんだ
 ふぐろになあれ 
 ふくろこになれ
 かめこになれ

 幼児を「いすこ(いずこ)」に入れて寝かせる唄。
 前の方に、はたきや風車を立て、ゆっくり揺さぶりながら、この唄をうたう。
 幼児は揺らぐ はたきなどに注意をひかれ、母の唄を聞きながら眠りに入る・・。


(つづく)
 
(313)わらべ唄 青森風土記 その11 2004年 8月26日(木)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】


 ★ねぷたの唄(弘前地方)★

 ねぷたコ 流れろ
 豆の葉さ 止まれ

 トヘロレコ レコレ
 トヘロレコ レコレ
 ヤレ ヤレ ヤレヤ
 ヤァ ヤド 


 「ねぷたについて」武田忠一郎氏の解説

 旧7月1日より7日まで、津軽地方でおこなわれる七夕行事で、枝をつくして作った高さ数丈の紙人形や燈籠を、川や海に流す行事である。その流すものを「ネプタ」と称する。
 これは秋田の「ねぶり流し」、花輪の「七夕」、その他各地の七夕祭りと同一の型であり、祇園の神の古い信仰が、この祭りの中心の意味をなすもので、ねぷた燈籠は流される祓いの形式であり、けがれや禍罪や、わざわいを負わせて流した祓いの人形にほかならない。
 「ねぷた(ねぶた)」ということばは、秋田の「ネブリ」と同様で、「ねむり」を流すということも、古代の人たちは真闇の夜も神秘なものと考え、同時に黄泉の国を連想することから、すなわち眠ることは死であり、不吉なことのわざわいなり、けがれなりと、祓うことでもあった。

 「ねぷた祭り」の起源については、その昔、坂上田村麿が津軽の蝦夷大丈丸の反撃に、たびたび苦戦におちいり、一策を案じ大燈籠をかざりたて、囃子面白く練って大丈丸をつり出して、これを討った故事にならったものといわれている。が、実はずっと降りておよそ、三百六十余年前、豊臣秀吉が朝鮮遠征の際、留守役をして京都にいた津軽秀信が祇園人形にならって「人形ねぷた」を創作したのがはじまりで、その後、享保の頃、津軽地方の豊年祝いと威武を宣伝するために国元において出させたのが、今に伝わっているのである。



  ★大円寺の宵宮★

    ◇その1◇

 大円寺の宵宮(よみや)は おおにわが
 石燈籠(いしどろ) 金燈籠(かなどろ)
 まんどろで
 辻では 花火コ しゅー しゅー


    ◇その2◇


 6月13日 大円寺の宵宮
 えぱだに 賑か(にわか)で
 石燈籠 金燈籠 まんどろで
 両方側(りょほわぎ)
 花火コ しゅー しゅ



※おおにわが(大にぎわい)
 まんどろ(非常に輝かしく明るい)
 えぱただ(妙な 変な)


 国宝の五重塔のある八坂神社に以前、大円寺という寺もあった。
 それで、今でも大円寺という。
 この神社の宵宮の情景を唄ったものである。



  ★夜神楽★

 トレヘコテンテコ様
 腹コ 病んだ
 病んだきゃ 病んだきゃ
 へちょコ ぬげだ
 そのへちょ にがわで
 ぴーたど ねぱらがした
 あんまり とろろ飯
 よぐ食たきゃ 
 その へちょ
 まだ ぬげた


※へちょ(ヘソ)
 ねぱらかし(くっつける)


 津軽の祭礼の夜に奏される旋律に、このような言葉をつけてうたわれた。
 祭礼が近づくと流行歌のようにうたわれたという。

 (つづく)
 
(314)わらべ唄 青森風土記 その12 2004年 8月27日(金)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】


 ★つのだえし★

 つのだえし つのだえし
 つんのコ だっせじゃ
 つのだえし つのだえし
 つんのコださねば しからえる


 「つのだえし」というのはカタツムリのことである。
 5〜6月の頃の雨上がり、あじさいの大きな葉の上に、2匹、3匹といるカタツムリはかわいらしい。子どもらが、その引っ込んだ角を出させたいと、カタツムリにせがんでいる姿なのであろう。


  ★だぶり★

 だぶり だぶり 
 くっつがねば へびからめァ


 夏のカンカン照りつけている日盛りに、子どもたちは、トンボ(だぶり)取りに夢中である。何かにトンボがくっついたとき、子どもの二本の指が丸く輪を描いてトンボに近づく。


 ★うさぎ★

 うさぎ うさぎ
 なぜ耳 ながえ
 ささで もちゃぐちゃの 
 もちゃぐちゃの ささのは


 うさぎは目が赤くて、耳が笹の葉を二本立ててつけたようで、かわいいものである。
 子どもが、ガサガサと風にそよぐ笹から、うさぎの耳を連想したのであろう。


  ★くもさま★

 くもさま くもさま
 今日 なんも ね はで
 明日 ご へや

 くもが夜、灯を慕ってか家の中に入ってくることがある。
 すると、みんな、くもに呼びかける。
 「くもさん今晩は。よくいらっしゃったが、ごちそうがないから明日おいでなさい」と。



 松木明先生は津軽語彙研究から、「中郡津軽における動物語彙」を採集してたくさんのわらべ唄を得ている。

 「わらべ唄」というよりも「語り」に近いものもあるようだが、「語り」こそ、わらべ唄の基底となるものだということを考えると、まことにこれは貴重なものである。
 子守唄のところでも述べたが、わらべ唄は、その時の感情や環境によって変わっていく。
 「えぼさし」「いだこ」「けらむし」の同一種のものが、地域によって変化するのがわかり、本当におもしろい。

 ※「えぼさし」・・・・カマキリ
      
  「いだこ」・・・・・ミズスマシ
      
  「けらむし」・・・・ケラ
      
  「ちょちょじ」・・・ヨシキリ
      
  「だぶり」・・・・・トンボ
      
 余談であるが、松木先生の説明によると「京都地方におこなわれた蟷螂の最も古い方言はイボムシリであるが、おそらくこれにもとづくものであろう」と言っておられる。
 一つの虫の方言にも、津軽の歴史がひそまれているかと思うと感無量のものがある。

(つづく)
 
(315)わらべ唄 青森風土記 その13 2004年 8月28日(土)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】

 ★松葉あそび★

 おらさ あだれば
 ずっかもっか ささる


 松葉遊びにはいろいろあるが、正月のゆずり葉と松葉のすもうがある。
 このほかに大勢で遊ぶのが「松のずがもか遊び」である。一人が松の葉を針のように持ってみんなを追いかけるのである。


 ★こうせんこ★

 おれの かくじ(裏地)の ほうせんこ(鳳仙花)
 花コ さえでも 実こァ ならね
 今年はじめて 実こァ なった
 あっじから けんぶつ こっじから けんぶつ
 みな けんぶつ  
 みな けんぶつ


 これは津軽地方のあやこ(お手玉)唄のひとつである。女子が好んで唄ったものである。


 ★ふぐろコになぁれ★

 ふぐろコに なれ
 かめのコに なれ


 私たちは、ゆりの花びらを一枚とって、それを両手の間にはさみ、この唄をうたってやわらかにし、上の方を口にあててふくらませ、袋コにして遊んだものです。



 ★動物の鳴き声★

 わらべ唄を調べているうちに、いろいろなことにあう。
 動物の鳴き声の聞き取り方は日本人と外国人は異なっていることはすでにわかっているが、同じ青森県でも地方によって異なることが松木明先生の研究でわかった。
 津軽のわらべ唄の旋律、リズムにも関連があると思われるが、今後の研究としたい。

 
(1)馬のいななき声

@イイイイ
・裾野(鬼沢、楢木、十腰内)

Aイインハハハ
・掘越、清水(悪戸、下湯口)藤代、高杉(独狐)

Bインシッシ
・弘前

Cインハハハ
・千年(松木平)、豊田(新里、福田子)
 和徳(撫牛子、向外瀬、清野袋)
 藤代(町田、中崎、三世寺、大川)
 駒越(一町田)、高杉(糠坪)、船沢(富栄)
 相馬、西目屋

Dエーハハハハ
・駒越(兼平)、東目屋

Eエーヘヘヘ
・新和、裾野(十面沢)

Fエエンハハ
・清水(小沢)、千年(大和沢、狼ノ森)、豊田(福村)
 和徳(百田、都賀野)、大浦    
 駒越(鳥井野、如来瀬)、岩木(奥新法師)、船沢(中別所)


(2)カエルの鳴き声
@ゲエク ゲエク・・・・弘前、駒越
Aゲエコ ゲエコ・・・・高杉(独狐)
Bケック ケック・・・・西目屋(田代)
Cゴドゴド ゴドゴド・・西目屋(田代)
Dハッカラ ハッカラ・・西目屋(田代)

(3)カッコの鳴き声
カッコ モッコ・・・弘前

(4)キツネの鳴き声
グワケン・・・駒越(一町田)
(つづく)
 
(316)わらべ唄 青森風土記 その14 2004年 8月29日(日)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】


  ★動物の鳴き声・・つづき★


(5)トビの鳴き声

〔1〕イイーンハハ
・清水(下湯口)

〔2〕イイントロトロトロ
・西目屋(川原平)

〔3〕インハハ
・相馬(五所、水木在家)

〔4〕エーハハハハ
・駒越(兼平)

〔5〕エエンハハハハ
・千年(大和沢、狼ノ森)、和穂(津賀野)
 船沢(中別所)、岩木(葛原)、大浦(鼻和、植田)

〔6〕キーキー
・裾野(鬼沢、楢木) 

〔7〕キーフフフフ
・船沢(富栄)

〔8〕キーンカラカラ
・駒越(一町田、鳥井野、如来瀬)

〔9〕キーンキ
・岩木

〔10〕キーンギョロ
・清水(悪戸)

〔11〕キーンゴロゴロゴロゴロ
・高杉(独狐)

〔12〕キロロ
・弘前

〔13〕キーンカラカラトーン
・豊田(福村)、清水(小沢)

〔14〕キンコロコロコロコロ
・和徳(百田)

〔15〕テーカラカラ
・東目屋

〔16〕テーシャラシャラシャラメ
・西目屋(藤川)

〔17〕テーヘロヘロ
・西目屋(砂子瀬)

〔18〕テーンカラカラ
・掘越(川合)、豊田(福村)
 西目屋(田代、畳平、大秋、白沢)

〔19〕ピーゴロゴロ
・裾野(鬼沢)

〔20〕ピーヒョロ
・相馬(沢田)

〔21〕ピーヒョロヒョロ
・新和

〔22〕ピーヒョロロ
・裾野(十腰内)

〔23〕ピーヨロ
・岩木(奥新法師)  

〔24〕ピーロロ
・弘前、和徳(向外瀬、清野袋)
 藤代(町田)、相馬(藍内)

〔25〕ピロロロ
・大浦(賀田)

〔26〕ピョーロ
・相馬(相馬)

〔27〕ピンカララ
・千年(松木平)

〔28〕メェンオロホロ
・藤代(町田)

〔29〕メェーンゴロ
・裾野(十面沢)


(6)ハトの鳴き声

@ゴゴッ ゴゴッ
・藤代(町田)

Aテデッコッケ
・駒越(兼平)、相馬(沢田、藍内)
 西目屋(畳平、藤川、大秋、白沢、砂子瀬、川原平)

Bテデッコッコ
・駒越(一町田、鳥井野、如来瀬)、清水(小沢)、千年、
 堀越(掘越、川合)、豊田(新里、福田子)、和穂(撫牛子)
 船沢(中別所)、高杉(高杉、糠平)、岩木、東目屋、
 相馬(五所、水木在家、相馬、大助)、西目屋(田代)
 新和、裾野(十腰内)

Cデデッゴッゴ
・西目屋(田代)、裾野(十面沢)

Dテデッポッポ
・弘前、清水(悪戸、下湯口)、掘越(門外)、
 豊田(福村、境関)
 和徳(大久保、撫牛子、百田、清野袋、向外瀬)
 藤代(三世寺、中崎、大川)、船沢(富栄)
 高杉(独狐)、裾野(鬼沢、楢木)

Eドドッドドッ
・藤代(町田)


(7)ホトトギスの鳴き声

@アッツァトテエタ コッツァトテエタ
・西目屋(砂子瀬)

Aケッキョカゲダガ ケキョケキョ
・弘前

Bメッケトテエタ アッチャトテエタ コッチャトテエタ
・駒越(一町田)


(8)フクロウの鳴き声

モロスケモホ ノリッケホーヘ・・・駒越(一町田)


 今の子どもに「ハトは何て鳴く?」と聞くと「ポッポポ」と答えるでしょう。
 トンビは「ピーヒロロ」、スズメは「チュン チュン」。

 学校教育の普及とマスコミの影響は動物の鳴き声まで統一しようとしています。
 「テデッポッポ」・・・本当に素朴で、味深いものがあります。
 
 また、我々の祖先はその鳴き声から物語を作って聞かせました。


 (例・ホトトギス)

 ◆鳴き声・・・メッケトッテタ
 ◆物語・・・子をめっけに奪われたれば、常にそれを尋ねあるくなり。

 ※「めっけ」は人名か?


 子どもはその鳥を見、鳴き声を聞いた時に、いいしれぬ親しさを感じたことでしょう。その鳴き声も物語りも、今、消え失せようとしています。


   (つづく)
 
(317)わらべ唄 青森風土記 その15 2004年 8月30日(月)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】

 ★こどもの遊びとわらべ唄 その2★
 
  斎藤 正


 わらべ唄のおこりは古事記や日本書記の頃からだという人もあります。
 また、今からおよそ700年前、室町時代の頃からだとも考えられています。

 この、子どもの遊びとわらべ唄について昭和34年頃、保育事業に携わっている方々が、古い民俗の遺産であるわらべ唄や遊戯を保育に利用しようと「保育材創作運動」をはじめ、幼児や小学校の低学年その他に、古い形でそれを残し、今日に生かして、それにまた新しい形のものを添える創作運動を展開しました。

 これは私にはたいへん楽しい好ましい運動に思われました。


 例えば、「鬼定め」「じゃんけん」の仕方にしても、津軽地方には、この地方で長く行われてきた独特な呼び名があり、拳の呼び名として、「ろうそく」「あめだま」「ふるしぎ」と言ったり、「にっこ(にぎり)」「へら」「やり」と言ったりしたそうです。

 また、日本海沿岸では、「あわび」「岩」「蟹」と言うところもあったといわれています。


 「石けり」や、現在幼稚園で行われている「おせんべ焼けたかな」なども、津軽地方では古くから次のように唄われていたといいます。

 鰈(かれ)コ 焼えで
 とっくらげして
 また 焼えで
 お味噌つけで また 焼えで
 お皿さ とって
 むしゃ むしゃ むしゃ


 秋から冬にかけては室内の生活が多くなってきます。冬の晩御飯の後のだんらんに、明るいランプの下で始められるのに「鼻、鼻遊び」があります。

 皆が集まって、男の子も女の子も仲良く2人ずつ向き合って始めます。

 鼻や口や耳や頭や目のある場所を間違わせて遊ぶもので、まず一人が「鼻、鼻・・・口。」と、鼻の真上を指先でつつき、たとえば口のある場所でないところに右手の指先を持っていって、急に「口」と指差します。

 相手が自分の口に手を持っていけばよいのですが、つられて頭の真上に手を持っていったりします。
 こうして、変なところに口があることになり、たいへんおかしなことになるのです。

 「鼻 鼻・・・耳」
 「鼻 鼻・・・目(まなぐ)」など、しばらく笑いこけて、暗く、おそくなってゆく時間も、忘れるほどでした。


 (つづく)
 
(318)わらべ唄 青森風土記 その16 2004年 8月31日(火)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】

 ★こどもの遊びとわらべ唄 その2・・つづき★
 
  斎藤 正

 
 また、「着物数え遊び」は次のようなものでした。

 女の子同士がおとなしく座って向かい合います。

 相手の女の子が冬になったので着ぶくれた着物を数えたりします。
 着物を何枚着ているかは、袖元とか、袖口に着重ねられている枚数で勘定されます。
 シャツ、下着やジュバン、あわせ、わた入れなど、合計何枚になるか、その数え方は次のようです。


 @福(ふく)
 A徳(とく)
 B果報(かほう)
 C貧乏
 D金持ち
 E蔵持ち


 ここまで勘定された人は6枚も着ているわけです。

 また、次のように勘定されることもあります。


 @大福(おおふく)
 A小福(こふく)
 B幸い
 C貧乏
 D金持ち
 E蔵持ち


 4枚着ている人は貧乏で、5枚着ていると数えられた人は金持ちということになります。


 男の子は、盛り場にいる易者のマネをしたりしました。
 古い時代から、子どものマネゴトに残された「民間のならわし」は、たいへん多いそうです。大人のマネを好んでする子どもたちの唄やしぐさの中に、「生活の古典」がひそんでいて、古い古い昔を今にしのび、考えることができるわけです。
 さて、易者遊びですが、子どもたちはみんな集まって、家中の人のお箸を集めてやりだすのです。


 ケン ケン ゴーリ  
 ケン ケン ゴーリ
 大いなるかな 天なるかな
 天のコーリテンの とし
 ◆◆歳ネなる男子(女子)の運命
 ケン ケン ゴーリ  
 ケン ケン ゴーリ

 このように唱え、お箸を両手でもんで何度も空にかざし、あるいは拝み、または捧げ、鳴らして、こうして占いにかかるのです。

 そして・・

 おめだぢの便所(へんつ)の南の方ネ
 でっただ木 ねェーが?

 と尋ねると、相手が「ある」とか「ない」とか答えます。
 すると、すかさず、

 「あって幸い」または「なくて幸い」、あるいは「なければわざわいがある(ない)」とか、「幸せがある」、とか言って占ってあげるのです。


・・・・・・

 今日もノンノンと音もなく、雪が降っています。
 昔、秋深い頃、老人が「川原の宵宮(よみや)近ぐなってきた。寒い風コ 吹(た)ってくるぞ。お岩木様サ、三度、雪(ゆぎ)コ降れば、里さも雪コ降ってくるんでせ・・・」と言っていたのも、昨日のような気がします。

 早足でおそい来たった冬でした。
 目に見える限りの静寂の世界から、無数の雪コだけが生あるもののように、舞い降りてきています。
 昔の人も、この空を、こうした感慨で眺めたのでありましょうか。

 厳冬も間近になってきました。


 これらの感情は静かに考えてみると、今も、なお、私の生活と記憶につらなって生きております。こんなのを津軽的感覚というのでしょうか。

 1月 再起 拙宅にて


 (つづく)


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