青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年9月(1)>

(319)わらべ唄 青森風土記 その17
(320)わらべ唄 青森風土記 その18
(321)わらべ唄 青森風土記 その19
(322)わらべ唄 青森風土記 その20
(323)わらべ唄 青森風土記 その21
(324)わらべ唄 青森風土記 その22
(325)わらべ唄 青森風土記 その23
(326)わらべ唄 青森風土記 その24
 
(319)わらべ唄 青森風土記 その17 2004年 9月 1日(水)
 昨日、バックナンバーの更新をおこなった当協会ホームページの管理者より、事務局日記が通算318回になりました、との連絡を受けました。
 バックナンバーには通算回数がふられているのですが、こちらにおいても通算番号を付記してみては、とのアドバイスを受け、本日より、タイトル横に通算回数を入れていくことにしました。「ちりも積もれば山となる」の精神で今後もコツコツと、青森県の音楽資料に関係した価値ある情報の発信に努めていく所存です。


・・・・・・・・・・・・・・


 【第2集(昭和36年3月刊行)より】

  ★編集を終えて★

   工藤健一


 わらべ唄の第2集の編集を終えてホッとした反面に、なんだか不安な感じが残っています。
 ちょうど音楽演奏会の後のような感じになっています。

 第1集を発刊してみてわかったのは、「わらべ唄の入口に立っただけで、いまだ足を一歩も踏み入れていない」ということでした。入口から、その世界を少し見ることができただけです。わらべ唄の世界はあまりに広く、深いことに驚きました。
 郷土史、民俗学、日本の芸能史、そのいずれもが、私の弱いものばかりです。
 第2集を今、発刊するのは気が進まなかったのですが、斎藤正先生の熱意で発刊せざるをえなかったのです。私としてはもっと調べてみたかったのです。
 研究不充分でできた本をお見せすることは恥ずかしいのですが、考えてみると、このような仕事は皆のご協力を得てこそできるものであります。また、わらべ唄が消えようとしている現在ですから、一つの素材として、提供することにしました。皆様の御批正と御協力を心からお願いします。

 斎藤正先生は長い闘病生活から今度、第二大成小学校へ復職されました。まだ、しっかりご健康が回復されていないようですが本当に熱意を持って仕事をして下さいました。煩雑な仕事はみんなやって下さいました。この本は斎藤先生の熱意によって生まれた本です。

 予約申込みの時の内容と変えたことをおわびします。
 はじめは各分野から曲を拾って、一集のようなものにしようと思ったのですが、分類別にした方が整理がしやすく、今後の補正や研究によいと思って、このようにしました。

 第2集は「動物の唄」「植物の唄」「郷土行事に関した唄」「子どもをあやす唄」の四分類のものだけにしました。

 第3集は他の分類項目で編集の予定です。

 前にも記しましたが、わらべ唄の背景になっているのは郷土史、民俗学、そして日本の芸能史であります。これが遊びの型で表れ、わらべ唄の型で表されてきます。
 したがって、わらべ唄の背景となるものは非常に深いと思います。
 本集では、その背景をもう少しうかがえるように用意しました。

 曲の後の解説の名前の書いていないものは、すべて斎藤先生にお願いしました。
 津軽方言も解説を少し加えました。また、松木明先生著の「弘前語彙」からも転載しています。その他は私が書きました。私の採譜した曲は次の両氏によりました。
 ・斎藤正氏 (明治41年生まれ)
 ・工藤つね氏(明治26年生まれ)


 採譜はできるだけ忠実にしたつもりです。12音にない音がたびたび出てきまして、わらべ唄の複雑さ、神秘さを感じました。

 原稿ができてから、「ことば」は松木明先生に、曲は木村弦三先生に見ていただきました。
 ここまで、まがりなりにも仕事ができたのは両先生の御指導があったからです。
 松木先生からは単に弘前語彙の御指導だけではなく、科学的な考え方、進め方を学びました。
 採集上のいろいろな注意をもらったのですが、私の公務が忙しいため、なにも実現できずにいます。
 木村先生にはNHKを通してお逢いする機会が多いのですが、先生からは津軽芸能について知ることが多かったのです。ただ、私がその方面の知識がないために、そしゃくできないことは残念です。
 また、本刊行会から別冊で木村先生の「津軽民謡のふるさと」をNHKから連続放送していますが、津軽民謡の原形を採譜し、解説してもらうものも発刊する予定ですからご期待ください。

 第2部編の「新しい時代へ」はプリントする人が非常にご苦労するとのことで、第2集から除こうと思いましたが、ピアノ伴奏の曲をぜひ載せてくれとの要望が多く、木村先生に、またお願いしました。
 第1部編の曲と関連ある曲をできるだけ多く載せました。クラブ活動、学芸会などにご利用くだされば幸いです。

 本集には、津軽わらべ唄研究の先駆者、故 中村勝雄先生、故 工藤得一先生の曲も載せられています。両先生を次に紹介し、また、故人のご冥福を祈りたいと思います。

 (つづく)
 
(320)わらべ唄 青森風土記 その18 2004年 9月 2日(木)
 【第2集(昭和36年3月刊行)より】

  編集を終えて・・(昨日の続き)

   工藤健一


 津軽わらべ唄研究の先駆者として、故 中村勝雄先生、故 工藤得一先生を忘れるわけにはまいりません。


●中村勝雄先生
 元 黒石市立黒石小学校教諭をしておられ、わらべ唄に興味を持ち、津軽地方独特の、たくさんの作曲をこの世に残した。氏は惜しくも若くしてこの世を去った。
 「あしの葉」はその代表的な作曲だといわれている。
 今度の「津軽のわらべ唄集」を発刊するにあたり、ご遺族が発表をご承諾くだされた。それで掲載できるようになった。


●工藤得一先生
 元 岩木村立鳥井野小学校教頭、昭和30年6月26日、お若くしてこの世を去った。
 中郡教職員組合文化部にあって「私たちの音楽」小学校上巻・下巻、中学校一巻を友人とともに作る。わらべ唄採集・採譜に努力された。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 わらべ唄の種類も、その後多くなりましたので、第二次試案を次に書きます。
 「※」は、新たに加えたものですが、もっともっとあると思います。皆様からも資料やら、御批判をお送りいただければ幸いです。
 大分類にも疑点が多く出てきております。第三次、第四次と皆様とともに考え、よいものにしたいと思います。


(1)遊びの唄
 @まりつき唄
 Aあやこ唄
 Bきりこ遊びの唄
 C手指の唄 ※
 D羽根つき唄 ※
 E縄跳び唄 ※
 F鬼きめの唄 ※
 G友集めの唄 ※
 H手うじ遊び ※
 I手合わせ唄 ※
 J指遊びの唄 ※


(2)動物の唄
@鳥・・・・(A)からす 
      (B)とんび
      (C)すずめ 
      (D)がん

A虫・・・・(A)ほたる
      (B)かたつむり 
      (C)とんぼ ※
      (D)くも ※
      (E)あり ※ 
      (F)けら ※
      (G)かまきり ※
      (H)みずすまし ※
      (I)あめんぼう ※

Bけもの・・(A)うさぎ ※
 
 
(3)植物の唄
 @ほずき
 A松 ※
 Bほうせんか ※
 Cみそはぎ ※
 Dつくし ※
 Eひるがお ※
 Fゆり


(4)自然現象に関した唄
 @風
 A月
 B雲
 C雪
 D火 ※


(5)郷土行事に関した唄
 @七夕祭
 Aお祭(よみや)
 B正月
 Cお山参詣 ※
 D節分 ※
 E七草 ※
 F鳥追い ※
 Gかぱかぱ ※
 H虫送り ※


(6)子どもをあやす唄
 @ねかせ唄
 Aあやし唄


(7)悪口唄


(8)ことば遊びの唄
 @語り
 A早口唄
 B尻とり唄 ※
 C物を数える唄 ※
 D作業に関した唄 ※


(9)俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄
 @物かくし
 A子もらい遊び
 Bまじない言葉 ※


 第2集も発刊できるようになりました。このように運ぶことができたのは、先輩・同僚の諸先生方のあたたかいご指導とご支援があったからです。第2集は、前納による予約申込みとしましたが、申込み冊数が少なくて発刊できないのではないかと心配したのですが、斎藤先生奉職校の弘前市第二大成小学校、私の弘前市第一大成小学校の職員一同が心配してくれ、多数予約してくださいました。一大、二大校分で予約全数の半数になっております。両校のご支援がなかったら、この本は発刊できなかったでしょう。両校の先生からは、その他、あらゆる面でご支援をいただきました。本当にありがとうございます。
 また、カットをお寄せくださいました黒滝先生、むずかしいプリントを引き受けてくださいました八木沢さん、本当にありがとうございます。
 最後に各校の先生方にお願いします。わらべ唄は消えようとしています。
 各地で採集してくだされば幸いです。録音テープをお送りくださってもよいです。
 また、わかっているおばあさんを紹介してくださってもよいです。皆の力で後世に残したいものと思います。

 昭和36年1月28日 夜
 木村弦三先生作曲「津軽の子ども」5部作を市役所ホールで発表した記念の日に。


 ※津軽のわらべ唄 第2集※
   昭和36年3月10日発刊

  編集 津軽のわらべ唄刊行会
 弘前市第二大成小学校 斎藤 正
 弘前市第一大成小学校 工藤 健一

  印刷 八木沢 健蔵
  限定 200部

  (つづく)
 
(321)わらべ唄 青森風土記 その19 2004年 9月 3日(金)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】
  
 ★まえがき★

  斎藤 正

 むかしコ(民話)を採集し続けているうちに、傍系の仕事が次第に育っていった。
 すなわち、この仕事にからんでくるいろいろな分野、例えば古語、わらべ唄および童戯、意味のわからなくなりかけた古代の言葉などがそれであり、まったくこれらは、いまだに手をつけられざる未開拓の世界であった。

 興味がわくし、ひとりでに精が出て、今日ここまで進んできてしまった。

 古代の生活が、はしなくも童戯の世界にその一片が残り、わらべ唄やわらべことばに、その折の社会情緒が凝縮された形で残っていたりした。
 私は、これらの、かもし出している世界に魅せられたように探訪を続けた。

 興味は一言では表現できない。くめども尽きぬといっても過言ではない。
 この世界は、相手が世の垢に染まぬ、きれいな子どもたちが対象であるためもあろう。 子どもたちはその瞬間においては、すべての者が純真であり、自分の本性からの叫びを発するものである。

 わらべ唄の採集は、ほとんど無尽蔵、無限の世界であった。この世界に踏み入るは男子の本懐というべきである。これらに対し、どうして今まで、その時代の文化遺産を手がけ、記録に残し、伝承をくわだてようとした人が少なかったのであろうか。
 我々の時代に、なんとか蓄えていって再び、豊かにしたいものと思う。


 今やわらべ唄も、童戯も、ありし日の姿を失って昔をしのぶべくもない。

 その正しい姿をとらえ、これを知り、将来に伝えていきたいものである。
 知っていて教えてくれる人が稀になったこの頃はさびしい。


 正しい姿のもの、唄い方、遊びの所作を思い出していただき、これを次々と記録にしていきたい。また、これと並行して、我々の手で「童戯の古典」の企画も進んでいる。
 津軽のわらべ唄を出版するにあたり、同じ憂いを抱く同志のご支援はまことに力強いものがあり、これに力を得て仕事が具体化していっている。

 感激にたえないところである。


 わらべ唄は幼い我がまなざし
 おん身の心の片隅に眠る 思い出の唄
 懐かしい古鐸の音・・・  

 (つづく)
 
(322)わらべ唄 青森風土記 その20 2004年 9月 4日(土)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】

  ★子守唄「モコ」のこと★

   斎藤 正


 @寝ねば山コがら、モコ来るァね
  泣げば里がら 鬼 来るァね
  おれの◆◆ちゃんは ねェたこせー
  寝ーろーじゃ ヤエ ヤエ ヤエ


 Aねんねこ ねんねこ 寝えたこへ
  ねんねば 山がら モコくらね
  それでも泣げば 山サ捨てでくる
  寝ろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ


 Bねんねこ ねんねこ 寝えたこへ
  寝んねば 山がら モコぁ 来らね
  姉さま育でだ 唐猫コ
  抱エだり おぼたり ママ かへで 
  それでも泣げば 山サ捨てでくる
  寝ーろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ


 Cねんねん小山の白犬コ
  山を越えで 里さ行ぐ
  里のみやげに 何もらた
  ピイピイ がらがら 豆太鼓
  でんでん太鼓ネ 笙の笛
  寝ーろじゃ ヤエ ヤエ ヤエ


 Dおらァの子守(あだこ)は どこさ行(え)た
  あの山を越えで 里へ行た
  里のみやげに 何もらた
  ニンジン、ゴボウ、針包


 E守は楽なよで つらいもの
  お母さんに叱られ 子に泣かれ
  近所の子どもに いじめられ
  早ぐ 正月ァ来ればよい
  フロシキ包みで 里へ行ぐ
  お母さん さよなら もう来ない 
  そんなこと言わねで またおいで
  ねんねろ ねんねろ ねんねろやい
  フロシキ包みに 下駄そろえ
  おどさん さよなら もう来ない 
  おがさん さよなら もう来ない


 Fとうさま 鳥コ町さ 鳥コ買ネ行た
  かあさま 鰈(かれ)コ町さ 鰈コ買ネ行た
  家(え)にえだ あねさま ママたえでら
  兄の若者 芝 切ネ行た
  芝ネ はじがれで 七転び もひとげりころべば
  八っころびーィよーおーお ヤエ ヤエ ヤエ


 津軽の子守唄は、「モコ」をはじめとしてたくさん採集されているが、その移り変わりをよくみると大変興味がある。

 上記7編のわらべ唄から、長い間歌われている間の変化の様子がわかるような気がするのである。われわれ庶民の経済生活の波が、この唄の中にも、ヒシヒシと及んできていることが伺われる。
 津軽の各地方の人たちの手によって、その地方にふさわしく表現しなおし、類歌や替歌となって変化していったのか。

 「モコ」から、「姉さま育てた唐猫」、「子守制度の古い因習」、「母さまの市場買い」、「父さまの狩猟」、「兄の野仕事・芝刈労働」などにいたるまでの、前近代的な生活ぶりが、これらのわらべ唄にしのばれ、身にしみいるように感じられる。

 
(つづく)
 
(323)わらべ唄 青森風土記 その21 2004年 9月 5日(日)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】


  ★田螺(たにし)の唄★


 @つぶ つぶ つぶたん 川原のゴミかぶり


 Aつぶや つぶや 豆つぶや 
  醤油に煮づげて あがらんせ つぶ しょっぱいね


 Bつぶや つぶや 豆つぶや
  醤油で煮づげて あがらんせ
  つぶ しょっぱいね 
  カラスというクロ鳥に つっぽり かっぽりさーれだ


 Cつぶや つぶや 豆つぶや
  去年の春に いったれば
  カラスというクロ鳥に 頭のまきめのとんがりを
  もっくと つつかれて
  雨さえ降れば その傷が
  ずっくもっくと 痛み申す


 D向こう えのきネ カラスが一羽 
  田螺 めがけて そろそろおりる
  そこで田螺は食われちゃならぬ
  カラスさまとは お前のことか さてもよい鳥
  きりょうのよい鳥よ
  すねにビロードの さやはんをはいて
  コカンコカンと 鳴く声聞けば
  昔 お釈迦の鉦鼓(しょうご)の音よ
  そこでカラスも 涙にくれて
  もとの えのきへ そろそろ帰る
  そこで田螺は 身を三尺覚悟いたし
  カラスどのとは そなたのことか
  さても汚い 見たくない鳥だ
  コカンコカンと 鳴く声聞けば
  かわら やかんを引きずるごとく
  そこでカラスは 腹立つけれど
  我も 鷺のよに 嘴(はし)長いならば
  つつき殺して もとの恨みを晴らす



 上記の五編によって、カラスと田螺(タニシ)のけんかの、長い間にわたるその経過とその歌詞の時代的な移り変わりを、うかがい知ることができるように思う。
 最後の語り物になったカラスと田螺のけんかは、ここでけんかの全貌を描き、因縁的な経過を述べている。この物語は、こうして人々によって、わらべ唄に創作され、人々の口にのぼり、末代まで語り継がれてきたのであった。


 現在では、田螺の生存は危うくなり、昔のように優勢をほこりえない。田の面に田螺が落ちていること自体、きわめて珍しくなってしまった。

 カラスもけんか相手を失ってさびしいことであろう。


 津軽の童戯の中に「がろう遊び」というのがある。
 早春、田の面上におびただしく落ちている田螺をカラスが長いくちばしで一つずつ、ついばみ、ほおばるさまを遊戯化したものであった。
 カラスが田螺を拾うそのたびに声を上げる。その擬声音が「がろう がろう」と聞こえるのであった。
 我々は小さいとき、部屋の中で「がろう がろう」と言いながら、イチョウの実などを、両手で拾った記憶が懐かしく忘れられない。
 田螺は今、どうしていることであろうか。

(つづく)
 
(324)わらべ唄 青森風土記 その22 2004年 9月 6日(月)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】

  ★編集後記★
  
   工藤健一


 第1集を発行したのは昭和35年3月3日でした。ついで第2集は昭和36年3月10日。2年目で第3集が日の目を見ることになりました。この2年間にはいろいろな変化がありました。
 まず、社会では「わらべ唄」への関心が非常に高まってきたことです。
 文部省の改訂小学校指導要領(音楽科)では、郷土の「わらべ唄」を音楽教育の中に取り入れることを強調されたようです。

 また、全国的な出版物も次々に出ました。藪田義雄氏の「わらべ唄考」、町田嘉章氏・浅野健二氏共編の「わらべ唄」(岩波書店)は、全国的にわらべ唄を文学的に、学究的に取り上げてくれました。
 お恥ずかしい次第ですが、私は、はじめてこの種の本を、この二つの著書で見たのですが、本当にむさぼるように読まさせてもらいました。
 そして参考文献目録で今までの研究経過も知ることができました。

 また、「佐渡のわらべ唄」(音楽之友社 昭和35年12月)を入手して、地方で私たちと同じようにやっている同志がいることを知り励みとなりました。

 「津軽のわらべ唄」の資料も、その後、少しずつ見つけましたが、特に「東北の童謡」(仙台中央放送局 昭和12年)を見つけたときは本当にうれしかったです。
 津軽のわらべ唄が228編、ずらりと並んでいたのを見たうれしさは今でも忘れません。
 それが私のいつも行っているNHK弘前放送局の書庫にあったのですから、本当に「灯台下暗し」であったわけです。


 なぜこのような資料集めをするかということですが、先輩の集めた資料によって、その時代のわらべ唄を知ることはもちろんですが、それによって、さらに新しく採詞・採譜ができるからです。
 おじいさん、おばあさんがたに聞いても、なかなか記憶を呼び起こしてくれないのです。
 「こんな唄がありませんでしたか?」と例を挙げると「私はこのように唄った・・・そうすると、こんな唄もあった・・」と、一つの唄が二つ、三つとふくらんでいくのです。
 公務の忙しさから、資料のあることを知りながら、いまだ見ていないものもずいぶんあります。

 また、「津軽のわらべ唄」とうたっていますが、他郡市まで足をのばせず、弘前市のものが中心となっておわっています。
 それでも採詞数は1300編を超える数になりました。採譜済みのものも400曲近くになっています。
 ほぼ代表的なものは集めたのではないかと思っています。

 第1、第2集の編集後記のようなものをまた書かされるのですが、このように仕事を進めていると、本当に気が進まないのです。
 もっと、もっと増えることはわかっているのですから。

 第3集も未完のままで発表することになりましたが、今回も斎藤正先生の熱意でこの本が生まれました。2年の間には編者の私たち二人にも大きな変化がありました。
 斎藤先生には、病後まだ健康を取り戻さない昭和36年4月、第二大成小学校から三省小学校へご転任になられました。
 歩行自由を欠いた斎藤先生には、バス通勤が本当に身にこたえることと拝察いたしました。それが、市教育委員会の温情あるお取計らいで、昭和37年4月から、自宅より最も近い時敏小学校へご転任になられました。

 私も昭和36年4月に十年間いた第一大成小学校から朝陽小学校へ転任になりました。
 私の能力に合わぬ教頭になったので、他の人の倍の時間をかけても、仕事を充分にできない自分ですので、なかなか暇を見つけることができませんでした。
 昭和37年4月、再び教育研究所に入り、さらに忙しさを増しました。第3集の発刊が遅れたことにもこんな事情があったのです。


 (つづく)
 
(325)わらべ唄 青森風土記 その23 2004年 9月 7日(火)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】

  ★編集後記・・昨日よりの続き★
  
   工藤健一


 第3集も第2集と同じ編集方針を取り、第2集に引き続き、分類別に従い第3集では「自然現象に関した唄」「悪口唄」「ことば遊びの唄」の三分類で構成しました。
 第4集は「遊びの唄」「俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄」になると思います。

 今回から伴奏譜のある編曲したものを載せないことにしました。それに代わって歌詞のみのものを、できるだけ多く挙げることにしました。これは編集上、中心を上記三分類にし、そこに比重を強くかけたからです。これで三項目については、ほとんど代表的なものはわかるのではないかと思います。
 伴奏譜のある編曲したものは、要望があれば別冊で発刊したいと思います。


 採詞については後記の文献を参考とし、さらにたくさんの古老に尋ねて、その話も参考にして採詞し、さらに松木明先生に監修していただきました。

 注書きは斎藤先生と私が書きました。が、方言については松木先生に訂正してもらい、また松木先生の著書「弘前語彙」を参考にさせてもらいました。


 採譜は全部、わたくし工藤の採譜したものです。

 第1集、第2集にあげたものとは重複を避けるようにしました。斎藤正先生、私の母 工藤つね、また、母の友人4人(60〜70歳)から採譜したものです。
 もっと多くの人から採譜し、客観性を強めたかったのですが、時間がなくできませんでした。

 その後、10人位の古老に唄ってもらい比較しましたが、その人によって個性の出るところもありますが、だいたい、これでよいのではないかと思っています。しかし、これについては、皆様の御批正を特にお願いします。


 採譜してみて、同じような旋律ばかり出るのですが、それも挙げました。私自身唄えないのですから、後世になると、もっとわからなくなると思ったからです。

 リズムだけのものが数曲ありますが、これにもやや旋律があります。しかし12音にはなく、旋律化できませんでした。
 「津軽のことば」特有のものから出るので、これにこそ、特色があると思うのですが、どうしてよいかわからず、リズム譜だけにしました。
 教育の普及、マスコミの発達から、津軽弁の発音やアクセント、イントネーションが変化しつつありますので、後世ではリズム譜だけでは唄えなくなるのではないかと考えて、録音テープに収め、残すことにしています。


 わらべ唄の分類については、今から7年前に何らかの参考文献を見出すことができないまま、私の案でやってみました。このたび、岩波文庫として発刊になった「わらべ唄」の中の浅野健二氏のお調べになったもの、そのご意見を知り、本当に参考になりました。

 私の分類「俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄」については、第1集、第2集の編集後記にも書きましたが、私自身も迷っておりました。私の第八分類の「ことば遊びの唄」は浅野氏にはありません。
 この後の続刊は第5、6、7集で一応、所期の仕事が終わることになるので、そのときには再分類を考えたいと思っています。それまでに民俗学的な立場や発生のこと、文学のこと、遊びの心理的立場などをもう少し勉強したいと思っています。

 その後、項目は増えておりますので、さらに以下挙げることにします。

 (つづく)
 
(326)わらべ唄 青森風土記 その24 2004年 9月 8日(水)
 【第3集(昭和38年1月刊行)より】

  ★わらべ唄の分類について★
  
   工藤健一

「※」は第2集よりさらに追加したもの


(0)どの分類にも属さないもの


(1)遊びの唄
 @まりつき唄
 Aあやこ唄
 Bきりこ遊びの唄
 C手指の唄 
 D羽根つき唄 
 E縄跳び唄 
 F鬼きめの唄 
 G友集めの唄 
 H手うじ遊び 
 I手合わせ唄 
 J指遊びの唄 
 K人あて遊び ※
 

(2)動物の唄
@鳥・・・・(A)からす 
      (B)とんび
      (C)すずめ 
      (D)がん
      (E)ふくろ ※

A虫・・・・(A)ほたる
      (B)かたつむり 
      (C)とんぼ 
      (D)くも 
      (E)あり  
      (F)けら 
      (G)かまきり 
      (H)みずすまし 
      (I)あめんぼう 

Bけもの・・(A)うさぎ 
      (B)さる ※
      (C)ねこ ※
      (D)馬 ※
      (E)牛 ※

C魚 ※

 
(3)植物の唄
 @ほずき
 A松 
 Bほうせんか 
 Cみそはぎ 
 Dつくし 
 Eひるがお 
 Fゆり
 Gあけびの花 ※
 Hうり ※
 Iふきのとう ※
 Jごぼう ※


(4)自然現象に関した唄
 @風
 A月
 B雲
 C雪
 D火 
 E星 ※


(5)郷土行事に関した唄
 @七夕祭
 Aお祭(よみや)
 B正月
 Cお山参詣 
 D節分 
 E七草 
 F節句 ※ 
 Gお盆 ※


(6)子どもをあやす唄
 @ねかせ唄
 Aあやし唄
 B一般 ※


(7)悪口唄


(8)ことば遊びの唄
 @語り
 A早口唄
 B尻とり唄 
 C物を数える唄 
 D物選びの唄 ※


(9)俗神信仰と呪符・呪厭に関した唄
 @物かくし
 A子もらい遊び
 Bまじない言葉 
 C神仏妖怪を唄ったもの 

 自然現象の唄について第3集では歌詞(採譜曲は7曲)を23編のせました。その内訳は下記のとおりです。
 ◆一般・・・1編
 ◆風・・・・2編
 ◆月・・・・6編
 ◆雪・・・・11編
 ◆雨・・・・2編
 ◆火・・・・1編
 これを東北6県と比べると、次の曲が津軽にはないことになっています。皆さんに発見していただきたいのです。

 ●日射しの唄
 ●星
 ●夕焼け
 ●しがま
 ●雷
 ●天気雨
 ●あられ
 ●堅氷
 ●太陽

 自然現象の唄は、津軽のわらべ唄の代表的なものだと思います。
 子どもたちは自然の変化を敏感に感じ取り、すぐに唄にしてとけこみます。
 この情緒は、今の都市の子どもたちには感じ取られないのではないかと思い、さびしく思います。



 (つづく)


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