(327)わらべ唄 青森風土記 その25 |
2004年 9月 9日(木) |
【第3集(昭和38年1月刊行)より】
★悪口唄について★ 工藤健一
わらべ唄を集めてみて、旋律のあるものは、例えば遊び唄をとってみても、女の子どもの唄うものが多く、男の子どもの唄うものが少ないようです。 旋律だけを考えなくても、わらべ唄は女の子どもに唄われるものが多いのではないかと思います。 ただ、男の子どもの唄うものの特色というと「悪口唄」ではないかと思います。 悪口唄を除くと、男の世界がなくなる・・・と言うと極言でしょうか。
悪口唄を文化遺産として残すには問題があるかもしれません。岩波文庫ではこれを取り上げていない意味も、ここにあるのではないかと思います。にもかかわらず、悪口唄を取り上げたのは前記の考えがあったからです。
また、その頃の子どもの赤裸々な心理(今にも通じるかもしれませんが)と、その表現の仕方、そして津軽の方言・・・を参考として、残したいと思ったからです。
これはそっと置いて、公表やPRするものではないと思いますが、歌詞を読んでみて、よくも機智がまわるものだと、つくづく感じられます。 今にして思うと他愛もないとおかしくもなりますが、私もこのように唄われて真剣に怒ったことを思い出します。
例えば
●(長男を揶揄して) あんちょこ ちょこ ちょこ するめの 尾っぱコで 祝言した
●(次男を揶揄して) おんちゃま 大鰐(おわに)の遠方(えんぽ)の手 雪隠(へんつ)サ からまる 南瓜(となす)の手
●(長女を揶揄して) あねこ ねこ ねこ かながしら 猫(ねご)に とらえで 泣えでかがた
●(相手のお母さんを揶揄して) ◇◇の かっちゃ ええ かっちゃ 便所さ 落ぢれば くせえ かっちゃ
●(着飾った女の人を揶揄して) 今 行(え)った あねさま あんまりだ おがわさ湯 くんで 顔(つら)洗った その手でお釈迦さ 団子あげだ お釈迦 臭せえと 鼻 ねじたぁ もどりに 誓願寺(せえがじ)の団子盗んで 隠坊(おんぼ)にふまれて 尻(けつ)だくら
●(顔に飯粒のついている子に) あの飯(まま) えづ 食(く)んだべなぁ 正月餅っで 食んだべが
●(仲のよい男女の子どもを冷やかして) 男(おどご)と女(おなご)ど ちょうめんコ 鉦コ ただえで なんまえだ
●(泣きやんだ子に) 泣えだ 坊主(ぼんず) 笑った 袴 はえで 屁 ふた 箒(はぎ) 持って おどた
●(頭の大きい子どもをからかって) 一つ(ふとつ) 人(ふと)より 大(お)き頭(あだま) 二つ 二つと なえ頭 三つ 見れば 見るほど 大き頭 四つ よっぽど 大き頭 五(えづ)つ えず見でも 大き頭 六つ むやみね 大き頭 七つ なるほど 大き頭 八つ やっぱり 大き頭 九つ この世にないよな 大き頭 十(とお) とほもなぐ 大き頭
●(相手をけなすとき) からすぁ ガ ねずみぁ ギ 合わせで ガーギ
などなど・・・
(つづく)
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(328)わらべ唄 青森風土記 その26
| 2004年 9月10日(金) |
【第3集(昭和38年1月刊行)より】
★ことば遊びの唄★ 工藤健一
悪口唄104編(内、採譜したものは34曲)に続き、本集では「ことば遊びの唄」を49編(内、採譜したもの14曲)載せました。
その内訳は以下のとおりです。
◆一般・雑・・・・4編
◆語り・・・・・・9編
◆早口唄・・・・・11編
◆尻とり唄・・・・4編
◆物を数える唄・・17編
◆物を選ぶ唄・・・4編
子どもたちは何でも唄にします。 着物を数えるにも、泥面子、イチョウを数えるにも・・・ 本当におもしろいと思います。 「語り」はどのようにして発生したかわかりませんが、私も小さい時、祖母の膝に抱かれ、聞いたことを思い出します。
本集もたくさんの人たちの温かい思いやりによって発刊に至りました。 弘前市教育委員会で、この研究を取り上げてくれたことを何と言ってお礼を申し述べてよいかわかりません。笹森貞二教育長、小林研究所長のご理解によって生まれ、日の目を見ることができたと言っても過言ではありません。 深く感謝しております。 また、陰に陽に、御激励、御指導くださいました私達の同僚、時敏小学校、弘前教育研究所の先生方、お忙しい中に再び巻頭のお言葉をお寄せくださいました笹森先生、玉稿を送ってくださいました松木先生、木村先生、ありがとうございました。
また、困難な謄写の仕事をお引き受けくださいました八木沢さん、毎度ながら本当にありがとうございます。地方の人だけで発刊したいという私の願いも、謄写でいつも困るのですが、これで完きを得ました。
最後に各校の先生方に重ねてお願いします。類似のものでもありましたら、お知らせください。 採譜したものがよいのですが、歌詞のみでも結構です。そのときに採詞者名、年齢、そして簡単な説明をつけてくだされば幸いです。
【参考文献】
◆津軽口碑集 内田邦彦著 郷土研究社 昭4・12 ◆津軽むがしこ集 斎藤正著 津軽むがしこ集刊行会 昭26・10 ◆続 津軽むがしこ集 斎藤正著 津軽むがしこ集刊行会 昭30・7 ◆津軽の民話 斎藤正著 未来社 1958・5 ◆東北のわらべ唄 武田忠一郎編 日本放送出版協会 昭29・3 ◆東北民謡集(青森県) 武田忠一郎編 日本放送出版協会 昭31・6 ◆津軽のわらべ唄 工藤健一編 自筆稿本 昭30・10 ◆日本支那童謡集 松本竹一編 近代社 昭5・5 ◆わらべ唄 110曲集 藪田義雄・安部盛 共編 全音楽譜出版社 ◆東北の童謡 仙台中央放送局編 日本放送出版協会 昭12・5 ◆津軽の旋律 木村繁編 音楽之友社 昭33・10 ◆続々 津軽のむがしこ集 斎藤正著 弘前教職員組合文化部 昭37年・2 ◆西北のむがしこ 佐々木達司著 青森民友新聞社 1960・8 ◆わらべ唄考 藪田義雄著 カワイ楽譜 昭37・7 ◆弘前語彙補遺(津軽語彙9編) 松木明著 昭37・6 ◆津軽のわらべ唄 第1集 斎藤正・工藤健一編 津軽のわらべ唄刊行会 昭和35・3 ◆津軽のわらべ唄 第2集 斎藤正・工藤健一編 津軽のわらべ唄刊行会 昭和36・3 ◆わらべ唄 町田嘉章・浅野健二 編 岩波書店 昭和37・1
【津軽のわらべ唄 第3集】
昭和38年1月31日 編集 津軽のわらべ唄刊行会 弘前市立 時敏小学校 斎藤 正 弘前市教育研究所 工藤 健一 印刷 八木沢 健蔵
(つづく)
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(329)わらべ唄 青森風土記 その27
| 2004年 9月11日(土) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
● かぐれおっこさ かだれ かぐれおっこさ かだれ
「かくれんぼ遊び」をする時、この唄を声高らかに歌い、友を集める。 友集めの唄である。
※「かぐれおっこ」とは、カクレオイコ(隠れ追子)、かくれんぼの意。 「かだれ」は「参加しなさい」の意。
● なべ 大きぐ なーれ おっきい なべァ ぶっかれろ
子どもたちが十数人でこの唄をうたいながら、両手を握って輪を描く。 あんまり力を入れすぎて切れる。 すなわち「ぶっかれる(こわれる)」のである。
● ふじ入れこ やらねな
藤の葉の複葉を、葉柄から全部もぎとり、長い葉柄ばかりを集めて握る。 そして、この唄をうたって友を集めるのである。 友が集まったところで、「何本出しヨ」と出す数を決める。 その後、葉柄をいっしょにして地面、または床上に、右手でつまんでばらまく。 まく時に「大きだ穴 作れ 作れ」と言う。
まかれた藤の葉柄が、いろいろな形を作る。 その形の中にどこもかけていない正方形、長方形、台形、ひし形のいろいろな四辺形ができると、そこに自分の持っている藤の葉柄をまとめ(1本以上何本でも)、四辺形のへりにふれさせないようにして入れ、相手に確かめ、その数だけ、まいた藤の数をとる。 これを、お互いにやって、数を争う遊びがあったのである。
上方ではこれを「フジぎっちょ」と言っている。
(つづく)
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(330)わらべ唄 青森風土記 その28
| 2004年 9月12日(日) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
@じょうりき じょうりき じょばんの亭主(てえしゅ) おっこの実 さしの実 さらば さらば 先になって じゅんじゅと ぬけろんじょ
A上見ろ 下見ろ 奥の隅(しま)コ ちゃっと見ろ
(どうしても見つからないと周囲の子どもたちが)
B鉈一丁(なだ えっちょ)かれれば 今(えま)でも出すぞ
(と何回も唄ってはやす)
(降参 どうしても見つからないと探す子が)
C鉈一丁 鎌一丁 かれだ
これは、「草履隠し遊び」の唄である。
草履の他のものでもよいが、どこかに隠して探させるとき、このように@〜Cを交替で唄うのである。 このとき、隠しているものがどうしても見つからぬときは、隠した人がBを唄う。 そして、見つからないと降参する子はCを唄う。
@は独立しても唄われる。
●つめこ なんじょ やらねが
「つめんこ なんじょ遊び」の友集めの唄。
相手の甲の上を、右手の人差指と親指とでつねって、交互に左手・右手と繰り返す。座った膝の上のあたりから、だんだんに立てひざ、そのまま立った格好で上へ上へと二人が「つめコ(手指でつねる)」を繰り返す。痛さをがまんしながら、笑いさざめく遊び。
●鯉(こーえ)の 滝のぼり 鯉の 滝のぼり
男の子ども、十数人が二列になり、両手を下から組んで、その並んだ両腕の上を一人の子どもがコイになって、この唄にはやされながら、左下から右上に、はね上げられ、上っていく。子どもらが、代わりがわりコイになって続く。
●おもれんしゅう てんからぽん 天がら落ぢで 鼻欠えだ 梨コなれば とて かへら 泣くなじゃえー こんじょこえ
悪口唄に分類していたが、この唄で「鬼ぎめ」もする。 これを唄いつつ、片一方ずつ並べたゾウリやゲタを指で数え、唄が止まった最後のゾウリを抜く。これを繰り返し、最後のゾウリの持ち主を鬼と決めるのである。 これは古代の「一きめ」の名残であろうといわれている。類唄が五つほど確認されている。
(つづく)
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(331)わらべ唄 青森風土記 その29
| 2004年 9月13日(月) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
●たぽーこ たぽこ きじなえ たぱこ 鳥サ かへねで おだまサ かへる さっさど くぐーれ くぐれ
女の子が向き合って幾組みも両手をあげて手を組み、この唄をうたいながら行進する。 「さっさど くぐーれ」のところで、お互いに背中を向けて、くるっと向きをかえる。そして、また手をつないで丸くなって行進する。
●あれよ あれよ おらだきゃ しらね おら しらね
誰かが何か大人に叱られるような悪いことをした時に、一緒に遊んでいる子どもたちがこのようにはやす。責任を転嫁する時にも使う。
●おっけが おっと こご 切って 禁制(きんせえ)
まる 書えで 禁制
何人かでイチョウ遊びの時、まず何枚出しかを決め、その数だけをお互いに出し、まとめて置く。 右手の五本で上手にまく。 このとき、ひとつずつのイチョウは取ってもよいことになっている。 2個くっついているのは動かさないで取り得るが、少しでも動くと取られない決まりである。ここで前文句が唱えられる。 「おっつけ おっと こご 切って 禁制」 こう言って、少し離れて並んでいる二つのイチョウの実の間を1個、右手の人差指か親指ではじいて、他のイチョウの実にあたらぬように注意して通過させる。 失敗すると交互に代わる。 最後に一つになると、目をつむって「まる 書えで 禁制」と唄いながら、三度、丸を書いて、人差指と親指で山形にし、指に触れさせないようにしてくぐらせる。
★手まり唄について★
季節に関係ないが、主として外に出られなくなったときにやる。
@あげまり・・・わらべ唄や古謡がうたわれる。 Aつきまり・・・わらべ唄をつけ、床上でやる。
明治以前ならば、小さい子どもは髪を、ちごまげ(おちご)に結ったり、ハマグリに結ったりした。結い目に丈長(たけなが)というものをつけ、きれいなカンザシを差し、長袖のたもとを左手でおさえて、座ったまま、きれいなマリで、仲良しの子ども何人もと室内で遊んだものだ。 まりつき唄には、地方的にすぐれて優雅なものが幾編かまだ残っている。採集されて完全なものもある。
わらべ唄や所作をすっかり覚えている人が少なくなったことは、この種の遊びや、わらべ唄を伝承するのに、さびしく残念なことである。
(つづく)
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(332)わらべ唄 青森風土記 その30
| 2004年 9月14日(火) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
★きり遊びの唄★
秋の終わりから冬、室内で男女ともが遊ぶ。 「竹きり」とか「竹おごし」とも言う。 長さ18cm位の細長い竹、4本以上、偶数本を使う。 竹は皮の方を「黒」、裏の方を「白」と呼ぶ。 二人以上で向かい合って座って遊ぶ。 先攻はじゃんけんその他で決め、白黒、自分の持分を決める。 遊び方は次のようなものである。
@おごし 右手の上に偶数本の竹をあげ、手からそろって(白黒)おろす。 あるいは、手の平をおこしかえす。 別の方法としては右手に一本の竹を持ち、その上に他の三本をあげて握り落として白黒 自分の「持ち」があり、次のやり方に進むことができる。
Aたで
Bなげ
Cねじり
Dかえし
Eわげ
Fきり
この7種類のコースを繰り返す。
最後の「きり」で、この1ゲームが終わりをつげる。
Eの「わげ」だけは左右両手を使う。
これをおこなうのに次のようなわらべ唄を使う。
ひとかえし ふたかえし みかえし よかえし えずかえし むかえし ななかえし やかえし ここのかえし とかえし 大阪見物 みっつがよ
★羽根つき唄★
ひとごに ふたご みわたす よめこ よめこの はらこ ねぶとこ でたけぁ いでとも いわず かえとも いわず ただなく ばかり ここのえの えっちょら
正月、羽子板と羽根を買ってもらう。 歌舞伎役者の押し絵のある羽子板を持って、二人で遊ぶ。 わらべ唄とともに羽根の音がカンカン鳴って、正月気分が部屋いっぱいに満ちあふれる。 羽根が5本ずつ、クシに通されて売られているのは大変美しいものであった。 正月、みんなきれいな着物を着て、この羽子板で楽しく遊ぶ。
★お手玉唄について★
お手玉を作る布を「あやこ布(ちん)コ」と呼んでいる。 着物や羽織や帯などの余りの小布が子どもたちによってたくわえられる。 明治初年ごろ、メリヤスがまだ日本に渡ってこない時代には、黒色に赤い桜などの模様が付けられていた木綿のものが「あやこ布コ」といわれ使われていた。
まず、布を二つに裁断して舟形のものを2つ作り、それを縫い合わせてお手玉を作る。
お手玉の中にはアズキなどを入れる。 または、1文銭を入れてカラカラ鳴るようにしたものもあった。
やり方は二人で向かい合ってやる。 一人で壁や、からかみに投げ上げて落ちてくるのを拾ってやる遊びもある。 一人で三つ四つ五つも、まるで軽業師のように上手にもてあそんで行う遊びもある。ここにわらべ唄がつく。女子にとってはまことに楽しい遊びであった。
おふとつ おふとつ おふとつ おふたつ おふたつ おふたつ おふたつ おんみつ・・・
(つづく)
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(333)わらべ唄 青森風土記 その31
| 2004年 9月15日(水) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
★手指の唄★
「手指の遊び」には大きく分けて3種類あるようだ。
まず代表的な「シュッ シュッ シュ」の手合わせ唄である。これは全国各地に残っている。 津軽では「シュッ シュッ シュ パッタ パタ」の前唄からはじまって、手の打ち方の変化(両手を上中下で合わせたり、片手をかわるがわる打ち合う)をわらべ唄をうたいながら楽しむものと、それに簡単な手振りや身振りをつけるものがある。 女子によって多く遊ばれ、二人で向き合い、両手を顔の前にあげて、手の平と手の平を打ち合わせていく。
次は「指遊び」である。 私らの小さい時、何ということなく、こんなことをやって楽しんだものだ。
●火(し)たもれ 火たもれ あっこに 火コ ごえへん あの山越えで あの沢越えで あの谷越えで こごに 火コ ぼっかぼか こごに 火コ ぽっかぽか
この唄を何度もうたいながら、両手の指と指を組んで山形にし、はじめ両方の人差指から、離して触れさせ、つづいて中指と中指、薬指と薬指と順番に動かしていく。 火がポカポカ燃える所作なのだろう。
第三は雑遊び。
まず、指を組んで、お湯屋の遊びをするものがあった。
@へんとこ(お湯屋の意) 今日わがしたはで お湯コさ 入るね来へんが
Aお湯コさ 入るに来した
Bあつかんコに へすが ぬるかんコに へすが
@のような挨拶をしながら、左手を上向き、右手を反対にして組む。
Aお湯に入るときの子の挨拶で、こう唄いながら自分の人差指を入れる。
B「あつかん」と言えば、指をきつく痛いようにしめ、「ぬるかんこ好きだ」と言えば指をゆるめ、そのお湯の加減を指で調節する。
また、次のような唄をうたいながら、子どもをあやす所作になったり、顔全体を指差す遊びになったりするものもあった。
●眉毛の殿様 (眉をなでる) めがげをつれて (目の縁をまわす) 花見に行(え)ったけぁ (鼻をつまむ) お池のほとりで (口をまわして) 白石(えし)コ 拾って (前歯を数えて) お土産忘れ (奥歯を数え) おのどこ こちょ こちょ(のどをくすぐる)
室内でみんな集って、座りながら向かい合う。 相手の顔に右手の人差指を軽くあてながら、わらべ唄をうたって上記のような所作をするのである。 遊び道具がなくとも、子どもたちはいろいろ工夫し、こんなことをやって楽しんだ。
(つづく)
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(334)わらべ唄 青森風土記 その32
| 2004年 9月16日(木) |
【第4集(昭和39年1月刊行)より】
★拳(けん)遊び★
春夏秋冬、男女とも先攻後攻を決めたり、鬼を決めたり、二つの組を決めたり、いろいろなときに使う。 二人で握手した格好から、津軽では口で「しゅっ しゅっ しゅっ」と拳の前に唱える。こうして「津軽拳」の勝負が始まるのである。ここにわらべ唄が伴う。
@ろうそく、あめだま、ふるしぎ(ふろしき)
ろうそく(やり)・・・人差指を伸ばす あめだま(にぎり)・・こぶし ふるしぎ(へら)・・・全部の指をのばした手の平。
また、この拳に、足歩(そくほ)を伴うものがある。
Aにっこ、へら、やり
にっこ(にぎり)は一歩前進できる。やりは三歩を許し、へらは五歩である。
B「かぼちゃ、芽出した、花コ咲いで開いた」と唄って拳をする。
・かぼちゃ・・・にぎり ・芽出した・・・やり ・花コ咲いで開いた・・・へら
また、上方方面のように「じゃんけんポン、あいこでしょ」「おあいこ じゃん」という「輸入拳」もこのごろ、子ども同士でやっている。昔ながらの「津軽拳」の規定も「上方拳」の勝負規定へと、だんだん改められてきた。
C「けんけんけなり、おぼしな稲荷(いなり) 尾っぽ ごそば よら」
上記のように唄ってやる拳もある。 この唄が終わった瞬間、にぎり・へら・やりを即座に出さなければならない。
Eぐ ぱ ぴ
女の子どもは、もっぱら「ぐ」「ぱ」「ぴ」をおこなった。
ぐ・・・にぎり ぱ・・・ひらき ぴ・・・親指と人差指
D大名拳
子ども数人が、二列に並ぶ。 そのうちの一人は二列にならないで、上の座に一人デンと構えて位置している。下位の二人から、じゃんけんをして、勝ったら順に上位の人と拳をしてのぼっていく。 勝ったらその人と位置をかえてのぼっていく。負けた人は下に一段下がる。 こうしてだんだん拳をして、大名に近づいていく。 ついに大名の前へ出た者は、一礼し、大名と拳を争うことになる。 そのとき、あとのみんなが、「大名(だえめょう)落ぢだら 手たたけ」と叫んではやす。 大名が拳に負けると、一番下の座にさがって、また拳をしながら、上に上にとのぼっていく。 こうして再び、拳遊びを繰り返すのである。 大名がおろされるときは、みんなで拍手して喜ぶ。 この遊びは封建的大名制度の恨みの名残りであろうか。
子どもの遊びに今も残っているというのは、たいへん興味あることである。
(つづく)
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