(357)わらべ唄 青森風土記 その55 |
2004年10月 9日(土) |
【第5集(昭和40年8月刊行)より】
★ 懐かしいふれ声の響き
その5
★
●ごかん きょうふう かんの 妙薬(みょうやく) 奥州、仙台、斉川(さいのかわ)の名物 孫太郎虫(まごたろうむし)
孫太郎虫売りのふれ声である。
赤い旗を背中にさし、薬箱を背負って売り歩く。
このふれ声は、一種独特な調子をもっていた。
子どもらはその姿を見かけると「孫太郎虫ぁ来た・・・」と言って、後をついて歩いた。
●もじょぐ もじょぐ もしょぐ えごすなー
「もじょぐ」とは、「もずく」のこと。 深浦あたりからとれた「もじょぐ」を、よく売りに来た。
●りんご と なしコ よごしがぁ・・・
●盆花 買えへんなー 荒ごも よごすなー
お盆近くなると、仏様に供えるものを上のようにふれて、いろいろと売りに来たものである。 もう、こういった声が聞かれることもなくなった。
●みがき砂 よごすがー
お盆になると、仏具をみがく、みがき砂を売り歩くふれ声が聞かれたものである。
●雑魚(ざご) 買えへんなー
べんけいに柳の枝をさし、その節にフナが焼かれて数匹付いている。 それを担いで売りに来た。
●酒(さが)がす 買えへんがぁ・・・
漬物用の酒がす売りのふれ声。 秋、漬物の時期になると、漬物用の「酒がす売り」が来る。
ノッソド(のっそりと)背の高い男が、カマスを背負って無愛想な声を張り上げる。
それでいて、ゴンボほる(だだをこねる)子供を見ると、「泣ぐワラシごへんがぁ」とからかうので、子供たちは「カマスオド」と呼んで恐れたものだ。 親たちは、子供がゴンボほると「そらまだ、カマスオドくるはで、泣ぐな」となだめるのである。
きっと、このカマスオドは、子供好きの善人であったのだろう・・。
(つづく)
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(358)わらべ唄 青森風土記 その56
| 2004年10月10日(日) |
【第5集(昭和40年8月刊行)より】
★ 懐かしいふれ声の響き
その6
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●おしがす よごすが・・・ おしがーす
秋になると、漬物がどこの家庭でも蓄えられた。 こうした「おしがす」が需要を増す時期であった。
●ハダハダっ ハダハダ ハダハダーっ ばんばず ハダハダ
魚屋の「ハタハタ」を売るふれ声である。 11月頃になると、ハタハタ売りが町に出まわる。 その時のふれ声である。 「ばんばず」とは、「いきがよくってピンピンしている」の意。
●鼻緒コ どんです・・
鼻緒売りのふれ声。 下駄や足駄の鼻緒はよく切れる。 こうしてやって来る売り子から、昔はどこの家でも鼻緒を求め、すげかえたものである。 今では、すぐ履物屋に持っていくが、当時はそうしなかったので、鼻緒売りは、女性のよい内職となっていたのである。
●下駄(げだ)の 歯ーいー。
下駄の歯入れ屋のふれ声。
歯入れ屋は、犬小屋をちょっと大きくしたような小屋に、車をつけたものをひいて歩く。 どういうわけか「歯入れ」と言わず、「歯ーいー」と言う。
注文をとると、空地や路地の片隅に屋台車をよせ、そこで仕事をする。
雨の日などは、小屋の中にもぐって、まるで、ヤドカリかカタツムリと同じような格好で仕事をするのであった。
●しみどはーい なっと なっと・・・ 油(あぶら)げド
雪虫が飛ぶようになり、初雪が降りる。 こうして、雪国津軽は、長い冬籠りに入るのである。
シバレの厳しい朝、小さな女の子が手かごに、凍豆腐・油揚げ・納豆を入れて売りに来た。
いかにも寒々として、いたいたしい姿が印象的だった。 貧しい家庭の子に相違ないが、利発で、かわいらしい顔立ちの子もいて、その子が来るのを、わざわざ待って買ったりする人もいた。
●松(まづ)、竹(たげ) よごすが・・・・ 葉松(はまづ)、しぎみの花コ よごすがぁ・・・
このふれ声が聞こえてくると、「つめ」も近い。 いよいよ正月を迎える支度にとりかかる。
●なんばの塩辛(しおがら)コ よごえしがぁ・・・
塩辛売りのふれ声である。
年の瀬もおしつまり、いよいよ正月が近づくと、しめ飾り、ユズリハなどを売りに来たものである。 そして小正月前後には、婆さまたちが塩辛を売りに来る。 これは、婆さまたちのホタ(小遣銭)稼ぎ。
婆さまたちは、小さな桶に入れた塩辛が売切れるまで、日がな一日、一生懸命、町中をシワガレ声で叫んで歩くのだった。
(つづく)
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(359)わらべ唄 青森風土記 その57
| 2004年10月11日(月) |
【第5集(昭和40年8月刊行)より】
★ 懐かしいふれ声の響き
その7
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●御酒(ごしゅ)・・・・え しょうじゅう らっし
お酒のはかり売りは、天秤棒を担ぎ、「さします」で一合、二合とはかって売り歩いた。「らっし」は「安い」が訛ったものである。
●油 買えへんな・・・
当時はランプをつけるのに、油売りが毎日ふれてきた。 油とは、石油のことである。
●そば・・・・ そばきり・・・ 鍋焼きうどん・・・
晩、長いすに腰掛けて、あんさま、あねさまがフウフウ冷ましながら、そば、うどんを食べたものである。
鍋焼きうどん売りの「なべやきうどん・・・」のふれ声の夜更けに叫ぶ声が、みんなには、「なべやきうだ・・・・」と尾を引いて長く聞こえたという。
●そばーえー そばー
夜たかそば売りのふれ声。 夜が更けると、夜たかそば屋がふれてくる。 長い冬の夜、いいかげん空腹を覚える時期に、このふれ声を聞くと、どうしても我慢ができなくなる。
「うって熱ぐして、シタジこ(つゆ) たっぷド 入れで けへじゃ」などと言って、舌が焼けるほど熱いのを、フーフー吹きながら食べるうまさは、これまた格別。
カツドウ(映画)がはねて、家に帰る途中、道ばたで食べるのも楽しみだった。
渋ウチワをバタバタさせ、ドウコの火をあおぎたてる背にノソノソと大きな雪が降りつもる。
二重まわしのあん様と角巻を着たあね様が並んでそばを食べていると、通りすがりの若い衆が「えふれれぇー なんボ あつば。 わぇー キモ焼げるじゃ」と、ひやかして通ったものである。
●淡路島 通う 千鳥の 恋(こえ)の辻うら
「つじうら」とは、小さい紙片に吉凶を占う(主として恋の占い)文句を書いて、袋に入れ、お客に選び取らせるものである。
昔は町かどに、辻うらが売りに来た。
冬など、ひなびた音のする手木(拍子木)をパンパンとたたいてふれた。 夜がしんしんとふけてからは、その声がさみしかった。
辻うら売りは、たいてい子供をおんぶした女の人で角巻を着て、ちょうちんをさげていた。 凍った雪道にキチキチと下駄をきしませ、ものさびしい声が長い余韻を引いて、いかにもあわれな感じがした。
コタツを囲んで退屈した人が、「辻うら買ってこいじゃ」と子供らを買いにやる。 そのちっぽけな紙切れに、どんなことが書いてあるのか、子供たちは好奇心を持つのだが、大人たちはあまり教えてくれない。
(つづく)
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(360)わらべ唄 青森風土記 その58
| 2004年10月12日(火) |
【第5集(昭和40年8月刊行)より】
★編集後記★
工藤 健一
「津軽のわらべ唄」も、第6集で一応、完結の見通しがつきましたので、第5・6集を同時に編集しました。
それで、今までに集めました資料を整理する仕事にかかったのですが、これに意外なほど時間がかかりました。
第5集は「5 仕事に関した唄」「6 子どもをあやす唄」「Y 津軽のふれ声」の三分類によって編集されています。
第3・4集と同じように、手もとに集めた採詞の代表的なものは、すべて載せ、それに固有番号をつけました。そしてその中で採譜したものについては印を付けて明示しました。 そのため、第1・2集で発表したものも、再び第5集に発表しています。これで、採譜したものも、その分類の中で、どんな位置にあるのかがわかると思います。
〔1〕採詞するにあたっては、斎藤正氏、工藤つね氏の口述を中心にして、前集にも述べた参考資料、それからさらに次の文献を参考にしました。
◆わがふるさと第1編〜5編 船水 清 著 陸奥新報社 昭和35〜38年10月
◆中里町誌 成田 末五郎 編 中里町役場 昭和40年1月
歌詞は前集と同じく、できるだけ漢字にし、それにカナをふるようにしました。 促音、拗音はカタカナにしました。これは今までの文献を見ると、活字の間違いから同じ大きさの字となったりして判別のつかないことから、このようにしました。
〔2〕郷土行事については簡単な解説をしましたが、もちろん不充分です。くわしいことは参考文献が多く出ていますので、参照してください。
「津軽のふれ声」の解説は、船水清氏著の「わがふるさと」のものを転載させていただきました。船水氏以上の解説は私には書けませんので、船水氏のお許しを得て転載したものです。厚くお礼申し上げます。
〔3〕採譜について、唄った人と採譜者を明示しました。
斎藤正氏(明治41年生)、工藤つね氏(明治26年生)のものが中心です。
前にもたびたび書いたように、12音にない音が出て困りました。
特に「津軽のふれ声」には問題が多いようです。 しかし、この中にこそ、津軽独特の旋律があると思って、あえて発表することにしました。ご批正くだされば幸いです。 皆さんの力で正しい標準的なものを後世に残したいと思います。
どうしても拍子にまとめられず困っていたとき、FM放送で「グレゴリア唱法では拍子記号がないのが、かえって意味あることだ」と聞き、わが意を得たりと、拍子記号をつけないものもありますが、どうでしょうか。
不満足なものばかりですが、これをもとにして、ご批正してよいものにしてくださるよう、お願いします。
最後に玉稿をお寄せくださいました森山泰太郎先生、松木明先生に厚くお礼申し上げます。
昭和40年7月7日 郭公の声を聞きながら 弘前市民会館にて。
・・・・・・・・・・・・
【津軽のわらべ唄 第5集】
昭和40年8月31日発行 編集 津軽のわらべ唄刊行会
◆斎藤 正
◆弘前市市民会館・公民館館長 工藤 健一
◆印刷 八木沢 孔房
(つづく)
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(361)わらべ唄 青森風土記 その59
| 2004年10月13日(水) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
●東西(とうざい) とりの尾(けつ) ありがたえ 蟻の尾
弘前地方のお礼の唱言である。
子どもたちは、思いがけないときに何かもらったりすると、いささか照れ、ふざけながらこれをやるのである。 わざと最敬礼などしたものだ。
●かに にか ばば
※かに・・・堪忍 にか・・・堪忍の反対 ばば・・・「糞」から捨て台詞の意
不本意ながらあやまらなければならないとき、節をつけ、このように言ったものだ。
●浜の 犬(いん)コさ けで 食(か)せる
おせんべいの火のもどったジナジナしたものを、再び火箸でつまんで「網わたし」に上げ、焼きなおし、ホイッと熱いのを畳の上に投げる。こうして、おせんべいが、ほどよく冷めたころ、そろって食べさせるのである。
上のような唄が、子どもたちを待たせておく間に唄われた。
●外、ぷうぷて 出られねど
むがし あったじん 陣笠 かぷたじん 槍コ 持ったじん ぺろっと のべたじん
したけぁ
むがしぁ むじり着て はなしぁ はんちゃ着て 松前さ 飛んでえったど
とっちぱれ。
吹雪の夜、子どもが祖母に「むがしこ(昔話)」をねだる。 祖母は毎度のことなので、本当の昔話を語らず、上のようにリズムと節をつけて語る。
「とっちぱれ」と言うと、子どもは「まいね、まいね、ほんとのむがしこサ」とねだる。
※むじり・・・筒袖の丈の短い着物
※「〜ど」・・「〜とさ、〜そうな」 一般に他人の事柄を相手に話すときに多く用いられる。 したがって津軽のむがしこの文句の終わりに必ず使用され、一般に強く「ドォ」のように発音される。
長い長い「むがしこ(昔話)」は、幼い子どもを寝かせるための子守唄と同じ役割を果たした。
同じ文句を、際限なく繰り返しているうちに、幼児は眠くなり、小さなあくびを連発する。そしていつのまにか、安らかな夢路をたどるのであった・・・。
(つづく)
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(362)わらべ唄 青森風土記 その60
| 2004年10月14日(木) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★ 動物の唄
★
森山泰太郎先生とお話ししたときに、「津軽特有のわらべ唄を研究してみなさい」と言われたことがある。 お手玉唄や、まりつき唄は上方から流れてきて津軽地方に落ち着き、津軽の方言やアクセントによって津軽化したものが多い。 しかし、動物唄には、津軽独特のものが多いのではないかと思っている。
動物を見ての瞬間的な叫びが、定型化されたものが多いような気がする。 これは他地方と比較してみなければ明確には言えないが、今後の研究課題である。
●飛んだ 飛んだ からすが飛んだ
弘前地方の鳥まね遊びの唄である。 一人が鳥になり、上のように唄いながら、両手をあげ、翼のマネをしてバオバオと羽ばたき、歩くのである。
●からす からす 勘三郎 んが家(え)コ どごだば 小沢(こざわ)の松原 んが家(え)さ 寄って 小豆飯(あずきまま) 三杯(さんべ) 白え飯(まま) 三杯 がおがおド かぽげ
小沢は、弘前の南にあり、有名な久等寺がある。 その途中、松並木があるが、夕方、松並木の巣に帰るカラスに唄ったもの。
※「んが」・・・お前 「かぽげ」・・・急いで食べろ
●からす からす んが家(え)コぁ 焼げるね 早ぐ 行(え)って 水かげろ 水かげろ
西のお山は夕焼けで真っ赤。 カラスの家が火事だと知らせて、早く水をかけろと叫ぶ子供たちの口元が愛らしい。
私らの小さいときは、夕焼けが赤く空を染めると、何百、何千というカラスが新寺町や茂森町の巣に帰るのを見たものである。
4、5歳のころ、姉と一緒に、群れから後れていくカラスを見ると、「あどネなったカラス、蛇にかって くわれる」と唄って、町角についた電気の光を見て家に急いだ。 そのカラスも戦後は見えなくなってしまった。
トンボ、トンビ、カマキリ、カエル、それは、みんな子供達のお友達なのである。
子供達は唄で呼びかける・・。
(つづく)
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(363)わらべ唄 青森風土記 その61
| 2004年10月15日(金) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★ 動物の唄
その2 ★
●びっき げろ 雨触れ 雨触れ
雨が降りそうになってカエルが鳴き出すと、すかさず、子どもたちがこのように唄った。
「びっき」とはヒキガエルの類。 また、かつて、村落では赤ん坊のことを「びっき」とも言った。
・・・・・・・・
津軽方言に言う。 形大にして腹大なるは、ヒキガエル。 色黒くしてイボ多く臭気あるは、ガマ。 形小にして水中に棲み、聒く鳴くは蛙(かわず)なり。 また、アマガエル、ヤマガエルあり。
案に「蟾蜍」をヒキガエル、「蝦蟇」をイボガエルともいえれば、「カエル」とは、蟇蛙の総名にて「ヒキ」はその中の一種の名なり。 方言で「ビッキ」というは、舌重ければ、「ヒ」を濁りて「ッ」の仮名を生せるなり。
「一種の名なるヒキ」を、蟇蛙の総称として赤ビッキ・青ビッキなど、すべてのカエルを「ビッキ」と言うは思いあやまりなり。
・・・・・・・・
●とんび とんび 舞えまわれ 舞えまわれ
●とんび とんび まわれ ニシンの頭(あだま) けるはで まわれ
とんびが青空に舞うと、大きい声で、子どもたちは、とんびに呼びかける。
●もほ鳥 もうほう しいぎの ねっぱ かーもの あーし もほ鳥 もうほう
「もほ鳥」とはフクロウ。 「モホ」は、ぼやっとしているの意。
フクロウのかっこうは、ぼやっとしていて、気の利かないような様子だから、このように唄ったのである。
●いだこ おどれば たよがも きまる いだこ まやまや たよ しんじ きまれ
※いだこ・・ツヅミムシ たよ・・・ミズスマシ
「いだこ」は巫女、「たよ」は神官の称でもある。
水面や水中を舞うようにして泳いでいる水生昆虫を見た往時の子どもたちが、神に仕え舞っていると連想して、唄ったものである。
(つづく)
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(364)わらべ唄 青森風土記 その62
| 2004年10月16日(土) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★植物の唄★
遊び道具が少なかった時代、子どもたちは自分達の周囲からそれを探し求めた。 春になるとフキノトウを、夏になるとユリやホウセンカを。 それらのものは生命の通っている友達なのである。
あるいは大きな声で、あるいは口の中で唄をブツブツつぶやきながら、植物を自分の思うとおりにしようとする。
その中には、大人に対する比喩があったり、大人たちの生活を真似たりもする。 このようなことは、おそらく太古の時代からの子ども達の姿であったろう。
科学の発達、とりわけマスコミと教育の進歩は、これを大きく変化させた。 採詞されたもので、もうその遊びの内容のわからぬものも多い。
●爺(まま)と婆(ばば)と起ぎで 火(し)コ 燃うせ 燃うせ 父(だだ)と母(あっぱ)と 起ぎで 火コ 燃うせ
あけびの花を使い、津軽地方ではこのように唄われた。
●ほずき ほずき 明日は 盆だ 隣の おぼこぁ 赤(あげ)え ぽぽ 着てら おめえさも 買てけら ねぶ さぶ 出ろ 出ろ 出ねば おがんの川さ 手 切って 足 切って 投げろ 投げろ
ホウズキの中の実を取るときに、この唄をうたう。
子どもたちは中の実を取ると、口の中に入れてプープー鳴らす。
●松コ 踊れば ゆずり葉も 踊る
お正月、松とゆずり葉が、子どもの遊びに使われる。 松とゆずり葉を畳の上に立てて、すもうをとらせたりして遊ぶのだ。
●あぐぁー くま
ヒルガオの花を取って上のように唱えると、不思議と、中から小さい虫が出てくるのである。
●ふぐろこ ねも なぁれ かもしこ ねも なぁれ
ユリの花弁を取って、この唄をうたいながら、軽く両手でもむ。 口で息を入れると袋になる。
●ほろても 落ぢねえ ごんぼの実
ゴボウの実は着物などにつくと、なかなかとれない。 それを取りながら、上のように唄うのである。
そして、今度は、それを相手の子どもにくっつけようとする。
(つづく)
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