(373)わらべ唄 青森風土記 その71 |
2004年10月25日(月) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★津軽の消えゆく「ピピの音」
その6★
斎藤 正
☆ ピピを作るヨシの話 ☆
笛の音の良し悪しは、口先をあてる最尖端部につける「ヨシ」で作った吹き口によって決まるのである。
これがよくでき、胴に息を吹き込むと実にりっぱな音色を生ずる。
ところが、これがまずくできれば完全に失敗するのである。 ただ1cmぐらいのヨシが、楽器の命ともいえる、「音色」を左右する!!
こんなわけだから、飴売りたちは、吹き口の製作に心血を注ぐ。 見ていると、本当に真剣そのものである。
材料として「かたヨシ」「キビガラ」「アシガヤ」などは、ダメである。
川岸に生える「モチヨシ」でなければ、絶対にカラミ飴のピピの吹き口は作れない。
試みに鈴木正雄先生著「あかそ随想」をひもとくと、次のように書かれている。
(方言名)
(和名) (科名) よし よし ほもの よし きたよし
ほもの
上記のように2種類出ている。 さらにこのほかにも方言で、「モチヨシ」と呼ぶヨシの類があるそうで、いったい、いずれが「モチヨシ」であるのか、私にはよくわからない。
さて、「吹き口」作りであるが、青々と茂っているヨシを取ってきて作るのではなく、秋(11月以降)になって枯れたようになり、しなべたようなモチヨシが、ピピの吹き口には最上である。このことは、ほとんどの人が知っていない。
これを数本持ってきて、よくしなべているのを選び、まずはハサミで2〜3cmの長さに切る。
そして、中のダブ皮(あま皮)を取り除く。
その後、マッチ棒を通して、下部を木綿糸でグルグルとゆわえ、長さ2cmぐらいにつめる。そして、これを吹き口の先(真鋳の細い口先)にはめて、試しに吹いてみるのである。
ときどきなめながら音色を確かめ、少しハサミで切っては調節し、また吹いては確かめる。これの繰り返しである。
調整は「高音部」に合わせておこなわれるのだが、微妙なもので、どうしても、快心の音が出ないときがある。
そういったときは、切りざし(小刀)で、ヨシの先を軽くこすり、表皮を薄くし、極めて微妙な音の狂いや調子を徐々に時間をかけて修正していく。
こうして自分の欲する音色を、このモチヨシから「創って」いくのである。
このような話は、今まで誰にも未公開で、知らせたことのない秘伝であったのだが、T氏はその秘法を、私たちの前に公開し残してくれた。
まことにこれは貴重なことで、有り難いことだと思う。
私も、もう少し年が若ければ、ピピを習っておきたいほどである。 仙台の石橋さんは、三日もかかって彼から伝授を受け、どうやら吹けるようになって帰っていかれた。
世に尽くした人に、いろいろな褒章があるが、誰からもかえりみられないが、埋もれていて大事な伝承をかかえているトリコ飴、そしてカラミ飴の笛のメロディーの伝承に一生を捧げているような人たちにも、何らかの沙汰があってもよいのではないか。
滅んでゆくもののため、世の中は、もっとあたたかい目でこれを惜しみ、この残存を、何らかの形で求め、この世に留めたいものである。
(つづく)
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(374)わらべ唄 青森風土記 その72
| 2004年10月26日(火) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★編集を終えて その1★
工藤 健一
私が津軽のわらべ唄に関心を持ちながら困っていたときに、当時、堀越小学校長をしていた斎藤正先生にお逢いしました。
斎藤先生も違う立場ではありますが、私と同じように関心を持ちながら仕事の進め方で困っておられました。
昭和33年の盛夏、第一大成小学校の校長室で、汗をふきふき、斎藤先生の唄の録音をとり、話し合ったことが、今でも懐かしく思い出されます。
この本の基底になっているものは、参考資料にも載せてあります斎藤正先生の4冊の著書の採詞されたものと、斎藤先生自身の唄です。
それから、私のいつものクセで資料集めにかかりました。 津軽のわらべ唄が一つでも載っている本を探したのです。
この資料探しにはずいぶん苦しみました。そんなとき、「東北の童謡(仙台中央放送局 昭和12年)」を見つけたときのうれしさは忘れられません。 津軽のわらべ唄が、228編、ずらりと並んでいたのです。
採詞はこの本からのものが中心になったようです。 これには東北六県のものが載せられているので、比較するのにも便利でした。 そのほか、参考にした資料は最後に記しましたが、なぜ、このように資料集めをしたかということです。
それは、採詞・採譜のために古老の方々と会うのですが、記憶を呼び起こすのに苦労するのです。 そんなとき、「こんな唄をうたいませんでしたか?」と尋ねると、「わたしはこう歌った」と、次々と記憶を呼び起こしてくれるのです。 ですから資料は、採譜のための「種本」なのです。
こうして集めたのが、採詞だけで3000編を超えました。
採譜者の中心は斎藤正先生(明治41年生まれ)と私の母 工藤つね(明治20年生まれ)でした。その後、坪田繁樹先生を通して、奈良常吉先生(明治20年生まれ)から、珍しい数編を採譜することができました。
三氏は弘前市在住者ですので、弘前のわらべ唄とも考えられますが、弘前は津軽の政治・文化の中心地であり、その中心性も現在より相当な強さをもっておったことから「津軽のわらべ唄」の言葉を使ってよいのではないかと思います。
旋律については、木村弦三先生、歌詞については松木明先生の御指導を受けました。 そのほか、木村先生からは民俗学的な立場から、松木先生からは科学的な見方、処理の仕方についての御指導を受けました。
また、私の今までの職場の先生方からご助力を受けました。 この本が出たのは、このような人々の温かい応援と御指導があったからです。
私たちの貧しい原稿を補ってくれ、また、各々の専門的立場から御指導くださいました方々に厚くお礼申し上げます。 木村弦三先生、松木明先生、浅野建二先生、森山泰太郎先生、お忙しい中、玉稿をお寄せくださいました。ほんとうにありがとうございます。
◆採詞・採譜について◆
@採詞にあたって、できるだけ方言の発音をそのまま文字にするように注意しました。それでは意味がわからぬと思い、できるだけ漢字にしてフリガナをつけました。
A促音、拗音はカタカナにしました。今までの資料を見ますと、大字か小字か不明なものが多く、判定に苦しんだからです。
B他県の人の理解できないと思われる方言には、できるだけ解説しました。これは松木明先生の「津軽の語彙」を参考にしました。
C遊びの内容、行事の意味、内容も、できるだけ書いたつもりですが、まことに不充分です。
D第3集以後は、代表的な歌詞はできるだけ多く書き、次の分類によって固定番号をつけました。この分類番号はさらに整理するつもりです。
E採譜は録音機によって作業を進めました。移調して子どもの声域にし、調号もできるだけ簡単にしました。12音にないものがたびたび出てきましたが「↑」「↓」の矢印で示しました。
F採詞の固定番号も採譜にも記入し、その分類群の中の位置・関連がわかるようにしました。
(つづく)
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(375)わらべ唄 青森風土記 その73
| 2004年10月27日(水) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★編集を終えて その2★
工藤 健一
◆
分類について
◆
数が多くなると、どうしても整理しなければなりません。それで分類することを考えました。 当時、どんな本が出ているかわからず、自分なりの考えでやりましたが、図書館の「十進分類法」を参考にしました。 これは整理だけでなく、他県との比較をするにも、採詞・採譜するにも非常に助かりました。
その後、岩波文庫の「わらべ唄」の発刊を知り、分類の考え方を知りましたが、なにせ、数が多いため、再分類することが不可能になりました。
それでそのまま、私なりの分類で進みましたが、1分類の「遊びの唄」と他分類との関連、9分類の「俗神、信仰と呪符呪厭に関した唄」は最後までひっかかりました。 後日、再分類したいと思っております。
第1集から第6集までのもので発表したものは次のとおりです。
大分類 中分類 小分類 採詞数 採譜数
0 32 23
1遊びの唄 10遊び一般 27 14
11あやこ唄 46 16
12まりつき唄 37 16
13きり遊びの唄 3 1
14手指遊びの唄 13 8
15羽根つき唄 5 3
16縄跳びの唄 0 0
17けん遊び 9 3
18人あて遊び 9 4
2動物の唄 20雑 4 2
21鳥 211からす 16 6
212とんび 8 1
213すずめ 3 1
214がん 4 1
215ふくろう 2 0
220 3 0
22虫 221ほたる 8 5
222かたつむり 3 1
223とんぼ 6 1
224くも 1 1
225あり 4 0
226けら 6 0
227かまきり 6 0
228みずすまし 10 0
23けもの 231うさぎ 2 1
232さる 2 0
233ねこ 2 0
234馬 1 0
235牛 1 0
24魚 2 0
3植物の唄 30雑 2 0
31ほうずき 9 2
32松 3 1
33ほうせんか 2 1
34みそはぎ 4 0
35つくし 3 0
36ひるがお 4 0
37ゆり 3 1
38ふきのとう 2 0
39ごぼう 1 0
(つづく)
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(376)わらべ唄 青森風土記 その74
| 2004年10月28日(木) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★編集を終えて その3★
工藤 健一
◆
分類について そのA ◆
大分類 中分類 小分類 採詞数 採譜数
4自然現象の唄 40雑 2 1
41風 2 2
42月 6 1
43雪 11 11
44雨 1 0
45火 2 1
5行事に関した唄 50雑 3 0
51七夕祭 10 3
52お祭(宵宮) 7 2
53正月 33 5
54お山参詣 3 2
55節分 3 2
56節句 1 1
57お盆 6 2
6子どもをあやす唄 61ねかせ唄 30 9
62あやし唄 23 7
7悪口唄 104 26
8ことば遊びの唄 80雑 5 1
81語り 10 5
82早口唄 13 4
83尻取り唄 5 3
84物を数える唄 18 5
85物選びの唄 3 3
9俗神信仰と呪符呪厭に関した唄
90雑 2 1
91神仏妖怪の唄 5 0
92子もらい遊び 9 1
93まじない言葉 18 1
Fふれ声 春 16 3
夏 19 3
秋 12 1
冬 14 6
(合計) 672 202
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今まで集めた「わらべ唄」は、たいへんな数になりました。
少しでも言葉の違っているもの、旋律の違っているものは一枚として、カードにして整理しました。 そのカードを調べてみましたところ、旋律カードは856枚。採詞カードにいたっては、6845枚にもなっておりました。
その中で代表的なものを、第2〜6集まで分類ごとに整理し、発刊していったのですが、その総数は、上に記したように採詞数で672編、採譜数で202編となりました。
第6巻が今回まとめられたことにより、代表的な「わらべ唄」は、ほとんど発表できたのではないかと思っております。
(つづく)
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(377)わらべ唄 青森風土記 その75
| 2004年10月29日(金) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★編集を終えて その4★
工藤 健一
昭和33年8月から出版して7年間、これで一応、ピリオドを打ちます。
第1、2集の編集後記にも書きましたが、私としては出版するのに抵抗を感じました。 このような未熟なものを公表するのはお恥ずかしいことです。
この本をテキストに、消滅しつつある「わらべ唄」を今後、みなさんの力で追加・補正していただき、よい形にまとめてくださることをお願いいたします。
そのような意味での発刊ですから、お許し願います。
この7年間、斎藤先生は途中で病床にふせ、私も転任がたび重なり、そのたびに忙しい仕事を負わされました。 特に社会教育課、中央公民館、市民会館は、日曜・土曜もなく、夜もない職場でした。
そんな、わがままな私をお許しになり、斎藤先生の御家族の皆さんは会計や発送などの事務を全部やってくださいました。
この本が出たのは、斎藤先生の御熱意によるものです。
この本を境として、子どもたちの生活は大きな変化をしています。好むと好まぬにかかわらず、時代は大きく変わりつつあります。
時の流れは人を変えました。
現代の子どもたちは、まことに合理的で打算的です。
マスコミの影響、教育の普及は、山鳩の鳴声を統一化し、ホタルの呼び声を、全国均一化させました。そのホタルも消えました。もう自然が友ではなくなったのです。
あるものはテレビであり、漫画であり、聞こえるものは自動車の騒音です。 そして、勉強、勉強です。
しかし、私たちの生活は、いまだに根強い歴史の流れに乗っております。 その中には、もちろん捨てなければならないものもあるとは思いますが、どうしても残さなければならぬものも多いのです。
時の流れが変われば変わるほど、それを見つめなければならないと思います。 流れの「上面」だけを見るのではなく、その「底」を見たいものです。
わらべ唄は長い歴史によって、庶民の生活からにじみ出たものです。
川の底を見るための一つの材料を提供してくれているようです。
単に古臭い祖先の文化遺産としてではなく、これらを現代の立場でとらえたいものです。
(つづく)
※次回で「わらべ唄 青森風土記」は最終回となります。
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(378)わらべ唄 青森風土記 その76
| 2004年10月30日(土) |
【第6集(昭和40年10月刊行)より】
★編集を終えて その5★
工藤 健一
「これで一応、ピリオドを打つ」と書いたのですが、私には、この6冊の本が新しい仕事の出発となるようです。
民俗学的な立場からの解明も、もっとしなければなりません。言葉と旋律の関係もあります。民謡・神楽・獅子舞などの民俗芸能との関連も調べねばなりません。
また、時代的には大正末期から昭和初期のわらべ唄の採集、そして現在の子どもたちはどんな遊びをし、どんな唄を、生活の中でうたっているかも調査しなければなりません。
その時に、この採集されたわらべ唄はもっと変わり、意味もわかってくるでしょう。
この本はそのための出発点なのです。
昭和40年8月14日 常盤宮御夫妻をお迎えする日 市民会館にて
【参考文献】
◆津軽口碑集 内田邦彦著 郷土研究社 昭4・12
◆日本支那童謡集 松本竹一編 近代社 昭5・5
◆東北の童謡 仙台中央放送局編 日本放送出版協会 昭12・5
◆津軽むがしこ集 斎藤正著 津軽むがしこ集刊行会 昭26・10
◆東北のわらべ唄 武田忠一郎編 日本放送出版協会 昭29・3
◆続 津軽むがしこ集 斎藤正著 津軽むがしこ集刊行会 昭30・7
◆津軽のわらべ唄 工藤健一編 自筆稿本 昭30・10
◆東北民謡集(青森県) 武田忠一郎編 日本放送出版協会 昭31・6
◆津軽の民話 斎藤正著 未来社 1958・5
◆津軽の旋律 木村繁編 音楽之友社 昭33・10
◆津軽のわらべ唄 第1集 斎藤正・工藤健一編 津軽のわらべ唄刊行会 昭和35・3
◆西北のむがしこ 佐々木達司著 青森民友新聞社 1960・8
◆津軽のわらべ唄 第2集 斎藤正・工藤健一編 津軽のわらべ唄刊行会 昭和36・3
◆わらべ唄 110曲集 藪田義雄・安部盛 共編 全音楽譜出版社
◆続々 津軽のむがしこ集 斎藤正著 弘前教職員組合文化部 昭37年・2
◆弘前語彙補遺(津軽語彙9編) 松木明著 昭37・6
◆わらべ唄考 藪田義雄著 カワイ楽譜 昭37・7
◆わらべ唄 町田嘉章・浅野健二 編 岩波書店 昭和37・1
◆津軽のわらべ唄 第3集 斎藤正・工藤健一編 津軽のわらべ唄刊行会 昭和38・1
◆わがふるさと(第1編〜5編) 船水清著 陸奥新報社 昭和35〜38・10
◆中里町誌 成田末五郎 編 中里町役場 昭和40・1
◆浪岡のわらべ唄 平井信作 編 自家稿本 昭和35・12
◆竹舘村誌 葛西覧造 編 竹舘村役場 昭和28・8
◆金屋郷土史 金屋郷土史編集委員会 昭和33・8
◆水元村誌 折登岩次郎 鶴田町水元支所 昭和31・6
◆東北の民俗 仙台鉄道局 昭和16・4
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【津軽のわらべ唄 第6集】 昭和40年10月30日
編集 津軽のわらべ唄刊行会
●斎藤 正
●弘前市市民会館・公民館 館長 工藤健一
●印刷
八木沢 孔房
・・・・・・・・・・・・・
(完)
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(379)わらべ唄 連載 雑感 @
| 2004年10月31日(日) |
昭和33年から7年間にわたって営々と続けられた、斎藤・工藤両氏のわらべ唄の保存継承への取り組みについてご紹介してまいりました。
連載中、青森県内の方からは、一口に「わらべ唄」といっても、その多様性、そしてそこに付随する多岐にわたる民俗的情報に驚かされた。
また、県外からは、例えば北海道の合唱団の方より、「かだゆぎかんこ」に関する歌を今度取り上げることになっているのだが、歌詞の意味というか情景がよくわからず、どのようにイメージして歌ったらよいのか、つかめずに困っている。楽曲の背景となっているわらべ唄「かだゆぎかんこ」の情報をいただけないだろうか、などの声が、事務局に届けられました。
その「かだゆぎかんこ」ですが、次のような背景がございます。
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春が近くなると、日中はあたたかくなって雪が解けるようになる。 しかし、翌朝の寒さで解けた雪は、再び堅く凍結し、表面は氷のようになる。 その雪が「かだゆぎ」と呼ばれるものである。
子どもたちが早朝、外に飛び出すと、広々と続いた田んぼが一面「氷の原」となっている。子どもたちは長靴でその氷を滑りながら、春が近いことへの喜びを満面に浮かべて「かだゆぎかんこ」を唄うのである。
●かだゆぎ 渡(わだ)るが しなしなゆぎ 渡るが にんにゃ ちゃなべこ 熊の しし親方(おやがだ) 雉(きじ) けんけんよ 穴 三つ
●かだゆぎ かんこ しらゆぎ かんこ しんこのてらさ あずぎ ぱっとはねた はねた あずぎッコ すみとって まめッコ ころころ まめッコ ころころ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この他にも青森県内各地では類唄が多数あります。 このようなことが、今わかるというのも、斎藤・工藤氏をはじめとする先人の「残そう」という努力があったからこそです。
そういった苦労が吐露されたともいえる「事務局日記」に連載した斎藤正氏・工藤健一氏の文面ですが、30〜40年近くも前のものなのに、まったく古さを感じさせません。文面に何度か現れた「今残しておかなければ、永遠に失われてしまうだろう」という部分などは、まさに、現代においてこそ、切実な響きとなって直接的に、我々の心に訴えかけてきます。 また、すべての文面の基底を波打って流れている「ふるさとの失われつつある伝統、ふるさとの子どもたちの文化を守っていきたい」という情熱は、30〜40年の時代の垣根を超え、生々しく読む人の心に響いてきます。 何度か私も連載を続けながら目頭を熱くしました。
すでに斎藤氏、工藤氏はこの世におられませんが、連載を続けているうちに、両氏の息づかいが身近に感じられるような気がし、今も、すぐそこにおられ、毎日、両氏から届いてくる原稿を掲載しているような錯覚を受けたものです。
昨今の書籍、特に「コンピュータの関係本」などは、急速に内容が色あせ、たった数年で現代人にとって、読了価値の薄い資料になってしまうようです。 しかし、ここで連載できた斎藤・工藤両氏の文面は、まったく色あせることなく、それどころか今後、ますます大きな輝きを放ちつつ、読む人の心に、これからも何かを訴え続けていくのではないかと思われます。
現物をお見せできないのが残念なのですが、第6集になって一部活字印刷が見受けられるものの、第1〜5集までは、ガリ版印刷の手書きのわら半紙印刷。 本当に「私家版」という体裁の本で、ふるさとの大切な「わらべ唄」を、なんとか後世に残したいのだという思いがこの手作りの本から、まっすぐに伝わってくるのです。
(つづく)
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