さて、連載でご紹介した本は、一般の出版社を経由したルートで販売・配布されたわけでもなく、限定、数百部といった事情もあって、これを手にされた方も少なく、まして、ハードカバーのような表紙をもった体裁になっていないため、知らない人が見れば、ただのレジメにしか見えないことから破棄されやすく、図書館は別にして、個人で第1〜6巻までをまとめて保管している人は、だんだん少なくなってきているそうです。こういった貴重な本が事務局に届けられ、本当にありがたいことだと感じております。
その内容を一読しまして、感動とともに資料の公的重要性を感じ、このような「ふるさとの記憶」は、このまま眠らせておくのではなく、多くの方々がまさに今、共有すべき内容ではないかと感じました。
ご遺族の方のご理解、ご了解を受け、こうしてホームページを通し、多くの方々に情報をご提供できるというのは、今後の青森県の音楽文化において、誠に、意義あることではないかと存じます。ご遺族、そしてなにより、編集にあたられた 故 斎藤正、工藤健一両氏に、ここで、あらためて感謝の意を捧げたいと存じます。
当協会が設立されたとき、すでに工藤健一氏はお亡くなりになっておられました。
しかし、「青森県音楽資料保存協会」とは不思議なご縁でつながっていました。
協会設立まで2年間の準備期間があったのですが、「現代創作音楽」の分野で保存の対象となる青森県出身の音楽家、特に作曲家の名前を、参考資料として列挙していきました。
その中に工藤健一氏の名が含まれることになりました。
すでに工藤健一氏のことを知る方も少なく、わらべ唄関係の書籍も出されていたので、最初は「作曲家」として分類されていたのです。
こうしたとき、協会設立にあたって、県出身の作曲家にいろいろ会い、相談をしておりましたが、あるとき、世界的にも著名な現代音楽の作曲家であられる下山一二三氏(弘前市出身)のご自宅でお話しをする機会がありました。 そのとき、設立準備のための資料をお渡ししたのですが、「資料保存対象者」の中に工藤健一氏の名を見つけた下山氏が、「どうして工藤健一先生のことを知っているんです?」と尋ねられました。 そして、「実は私は工藤健一先生のところに、学生時代、下宿していたんですよ。工藤先生には大変お世話になり、今の作曲家としての自分があるのも、工藤先生のおかげなんですよ」とお話しを続けられました。 そして、工藤健一氏は作曲家ではなく、わらべ唄の採集・研究者であることなど、今まで未知であった情報を下山氏から伺うことができました。
「おそらく、別の家に下宿していたら、今の私がなかったかもしれない」、さらに、「工藤先生は『自分』というものがない方で、もっと大きな視点で文化というものをとらえる方であった」と語っておられました。
その後、下山氏のご紹介を受け、工藤健一氏のご遺族に会うために、弘前のご自宅を訪ねることとなったのです。
青森県音楽資料保存協会を準備するにあたり、工藤健一氏の名が「わらべ唄」の項目に現れることになったとはいうものの、詳しいことは何もわかりません。 そこでご遺族を訪ねまして、いろいろとお話を伺うことにしたわけなのです。
(つづく)
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