青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年11月(1)>

(380)わらべ唄 連載 雑感 A
(381)わらべ唄 連載 雑感 B
 
(380)わらべ唄 連載 雑感 A 2004年11月 1日(月)
 さて、連載でご紹介した本は、一般の出版社を経由したルートで販売・配布されたわけでもなく、限定、数百部といった事情もあって、これを手にされた方も少なく、まして、ハードカバーのような表紙をもった体裁になっていないため、知らない人が見れば、ただのレジメにしか見えないことから破棄されやすく、図書館は別にして、個人で第1〜6巻までをまとめて保管している人は、だんだん少なくなってきているそうです。こういった貴重な本が事務局に届けられ、本当にありがたいことだと感じております。


 その内容を一読しまして、感動とともに資料の公的重要性を感じ、このような「ふるさとの記憶」は、このまま眠らせておくのではなく、多くの方々がまさに今、共有すべき内容ではないかと感じました。

 ご遺族の方のご理解、ご了解を受け、こうしてホームページを通し、多くの方々に情報をご提供できるというのは、今後の青森県の音楽文化において、誠に、意義あることではないかと存じます。ご遺族、そしてなにより、編集にあたられた 故 斎藤正、工藤健一両氏に、ここで、あらためて感謝の意を捧げたいと存じます。


 当協会が設立されたとき、すでに工藤健一氏はお亡くなりになっておられました。

 しかし、「青森県音楽資料保存協会」とは不思議なご縁でつながっていました。


 協会設立まで2年間の準備期間があったのですが、「現代創作音楽」の分野で保存の対象となる青森県出身の音楽家、特に作曲家の名前を、参考資料として列挙していきました。

 その中に工藤健一氏の名が含まれることになりました。


 すでに工藤健一氏のことを知る方も少なく、わらべ唄関係の書籍も出されていたので、最初は「作曲家」として分類されていたのです。

 こうしたとき、協会設立にあたって、県出身の作曲家にいろいろ会い、相談をしておりましたが、あるとき、世界的にも著名な現代音楽の作曲家であられる下山一二三氏(弘前市出身)のご自宅でお話しをする機会がありました。
 そのとき、設立準備のための資料をお渡ししたのですが、「資料保存対象者」の中に工藤健一氏の名を見つけた下山氏が、「どうして工藤健一先生のことを知っているんです?」と尋ねられました。
 そして、「実は私は工藤健一先生のところに、学生時代、下宿していたんですよ。工藤先生には大変お世話になり、今の作曲家としての自分があるのも、工藤先生のおかげなんですよ」とお話しを続けられました。
 そして、工藤健一氏は作曲家ではなく、わらべ唄の採集・研究者であることなど、今まで未知であった情報を下山氏から伺うことができました。

 「おそらく、別の家に下宿していたら、今の私がなかったかもしれない」、さらに、「工藤先生は『自分』というものがない方で、もっと大きな視点で文化というものをとらえる方であった」と語っておられました。


 その後、下山氏のご紹介を受け、工藤健一氏のご遺族に会うために、弘前のご自宅を訪ねることとなったのです。

 青森県音楽資料保存協会を準備するにあたり、工藤健一氏の名が「わらべ唄」の項目に現れることになったとはいうものの、詳しいことは何もわかりません。
 そこでご遺族を訪ねまして、いろいろとお話を伺うことにしたわけなのです。


 (つづく)
 
(381)わらべ唄 連載 雑感 B 2004年11月 2日(火)
 工藤健一氏の奥様はまだお元気で、奥様とご子息からいろいろなお話を伺いました。
 「事務局日記」の工藤健一氏の文面からもわかるように、工藤氏は「自分のやっていることは、いろいろな方の協力があってのもの」ということを生前、よく話しておられたそうです。
 そして、わらべ唄や民謡を含めた民俗音楽を中心に、自分の足で集めた資料を後生に残すべく、公共機関(図書館等)に、そのようなコーナーを作りたいとの考えを持っていたようだ、とのことでした。


 しかし、当時は、まだ機が熟していなかったということもあり、自宅の空き地に「資料室」(工藤氏がそう呼んでいたそうです)を増改築。多くの資料の保管を続けられました。
 その資料室も見せていただきました。

 こうした工藤氏の考えに影響を与えたのが、笹森建英氏であり、「笹森氏との関わりは、父にとって大きかった。そのことも、決して息子として忘れてはならないと思う」とご子息が語っておられました。


 この笹森氏の献身的な援助もあって、その後、録音資料だけでも公の場所におさめられないかとの交渉が続けられ、録音資料がMDに整理され、弘前市立図書館に保管されることとなりました。

 その事業がいよいよスタートすることになり、第1回目の打ち合わせが平成5年6月20日、工藤氏、笹森氏、そして図書館員の3名でおこなわれたのだそうです。


 その話し合いの最中、突然、工藤氏は「気分がすぐれない、別室に行こう」とつぶやかれ中座、そのまま倒れられます。そして6月25日、ついに、帰らぬ人となったのでした。



 その後、工藤健一氏の遺志は、笹森氏、そして弘前市立図書館を中心にして引き継がれ、3年がかりの苦労の末、弘前市立図書館に膨大な録音テープがMDに整理され、保管されたそうです。その曲数は千曲を超えています。


 こうして工藤健一氏の業績は現在、弘前市立図書館で耳にできる状態となっているのです。


 こうした「保存の仕事」は多くの人の力があってこそ、その根底を支えるのは「ふるさと」を大事にしたい、守っていきたいという、多くの方々の熱意と善意があってこそ、そのことをお話を伺いながら深く感じ入りました。


 こうして仏前の工藤健一氏の遺影に手を合わせ、決意をあらたに協会設立の準備を続けたという経緯もございます。

 その後も、折に触れては、工藤健一氏のご子息に協会活動をご報告させていただいておりますが、先日、今回のホームページの掲載、その終了にあたり、「父の仕事をこのような形で紹介、評価していただき本当にありがとうございます」とのメッセージをいただきました。

 工藤健一氏のお人柄などについては、下山一二三氏に現在、エッセイを執筆してもらっている最中なので、またご紹介する機会もあるかと存じます。


 青森県の音楽文化史に貢献されながら、ほとんど脚光を浴びることなく、忘れられている方は、工藤健一氏をはじめとし、たくさんおられるのではないかと存じます。


 そういった方々の貴重な音楽資料を、できるだけ多く発掘し、正当な評価と位置づけのもと、感謝の念を偉大な先人たちに捧げていきたいものだと考えております。

 こうした情報は随時求めておりますので、なんでも結構です。ご教示いただければと存じます。


 (終)


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