(402)風太鼓ストーリーI |
2004年12月 1日(水) |
郷土・伝統芸能といえども、舞台に立ってお客さんに鑑賞していただくのなら、「見てもらう」という演じる側の意識が大切だと思います。
様々な娯楽があふれている中、忙しい時間をやりくりし、わざわざ見にいらしていただいたお客さんに対し、なおざりな演技をしたら、もうお客さんは次から見にきてもらえません。 そうなったらこちらの活動にも影響が出てしまいます。
やはり、お客さんへの満足感を与えるステージングを考えることは、伝統芸能(郷土芸能)であっても必要なものではないでしょうか。
歌謡曲のタレントは、お客さんへの目線から、立ち位置から、すべて考え、舞台での動きを作っていきます。
「音楽」で勝負と思われているクラシックの声楽家でさえ、お辞儀の仕方、舞台での足の運び方など、舞台上での手足の動きのスピードなど、ステージングを真剣に考え、徹底的に研究しています。
こういった厳しい意識が、伝統芸能(郷土芸能)の分野では希薄なように感じられます。
私は太鼓の分野しか知りませんが、発表会を見ると、演技者は下を向いて叩いていたり、お辞儀にしても、したのかどうかわからず、さっと引き上げてしまう。 お客さんに見ていただくという、意識が足りないように思います。
よく、伝統芸能のステージにはお客さんが集まらないといいますが、あれでは当然だと思います。郷土・伝統芸能の場合は無料のことが多いので、それでも集まりますが、これが有料になったら、ほとんどお客さんは来なくなるのではないかと思います。
伝統芸能は単なる「見せもの」ではない。というプライドがあり、お客さんに媚びるような姿勢を潔しとしない。そんな考えがもしかしたら、どこかにあるのかもしれません。しかし、こういった考えを持ち続ける団体は、時代から取り残され、どんどん衰退していくのではないでしょうか。
繰り返しますが、私は伝統の変革を言っているのではありません。 伝統のよい部分を頑固に守りつつ、その伝統に人々、特に若い人の意識を向かわせる入口として、現代という時代にマッチしたものを柔軟に用意していくべきだと思うのです。
ですから、私たちの風太鼓は、伝統芸能というには、まだまだ程遠い、本当に浅い歴史しかありませんが、お客さんに見ていただく際、満足して楽しんでいただかなくては、という強い意識で臨んでいます。
そのため演奏はもちろんのこと、ステージングにも気を使います。 郷土・伝統芸能のステージで、照明はなおざりにされることが少なくないのですが、私たちが出演する場合は、照明係の人との交渉を必ずおこなうのです。
(つづく)
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(403)風太鼓ストーリーJ
| 2004年12月 2日(木) |
まず、当日の準備がおこなわれている会場に着いたら、照明担当の人に、照明をこんな具合にあててもらえないかと自分たちのイメージを伝えて頼みます。
照明は契約のうちに入っていないとか言われ、だいたい最初は断られます。 しかし、そこを何とか・・と言ってお願いすると、しぶしぶながら照明をつけてくれます。
しかも、いったんやり出すと、相手も職人としての意地がありますから、手を抜いたことはせず、それなりの照明でしっかりと演出してくれます。
舞台上で、この照明効果があるのとないのでは、雲泥の差があるのです。 照明が曲のイメージに合致してばっちり決まると、ものすごいインパクトと感動をお客さんに与えることができるのです。
他の音楽家ではクラシック音楽も含め、常識となっているこういったことに、なぜか、伝統芸能の分野には気をつかう人が、これまで少なかったのです。 ただ、最近は、伝統芸能であっても、照明に気をつかい、照明係にあれこれ注文をつける団体が徐々に増えてきているようです。
蟹田中学校が全国大会で東京で演奏したときには、お客さんへの目線、立ち位置はもとより、曲のどの場面でお互い、目を合わせ、にっこり笑うかなど、そういった演出も細かく施しました。
モーニング娘など、中学生が芸能人として活躍していますが、あれは、しっかりと大人が後にいて、どのように動いて、どのように話すかなど、しっかり演出されているものです。
モーニング娘のような中学生がそういったことができているので、我々もやってできないことはないと思ったのです。
完璧な演奏に合わせ、こういったお客さんへのステージマナーという点においても徹底的に私たちは考え、努力できる部分は積極的に対応していきたいとがんばっています。
太鼓という伝統芸能の分野に関係している私たちですが、いままでなおざりにされてきた部分に力を入れ、お客さんを大事にしていくということを念頭に置いた活動をつづけています。
お客さんもそういったことを感じてくれているようで、おかげさまで、支持してくださる方も増え、活動に幅が出てきています。
風太鼓のホームページには、海外からの公演依頼も入ってきています。 経費の関係で、まだ実現には至っていませんが、こうした私たちの努力が報われてきているのだとありがたく思っています。
もちろん、町民の協力は忘れるわけにはいきません。
(つづく)
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(404)風太鼓ストーリーK
| 2004年12月 3日(金) |
風太鼓の活動に蟹田中学生が加わったのは先の連載でも触れたように、蟹中祭での発表という限定された発表の場がきっかけでした。
中学校の先生も、指導にあたっていた蟹田風太鼓のメンバーも、初心者の、あまり乗り気ではない中学生の指導に、当初は疑心暗鬼の部分もあったようで、どこまでできるのかな?というのが正直なところであったようです。
もっとも、発表の場が仲間内だけの目にする文化祭ということで、仮に失敗しても、笑って済ませられるというところもあり、気が楽だという部分は当然あったようです。 しかし、そんな場面でも、蟹田風太鼓のメンバーは手を抜かず、徹底的な指導を繰り返したといいます。 指導時間が限られているため、効率よくマスターできるように、すでに先の連載で触れたように楽譜に工夫を凝らし、基礎練習だけに終始しないようなバラエティーに富んだ指導メニューを用意。情熱で生徒達にぶつかっていく蟹田風太鼓のメンバー。
こうした指導が実を結ばないはずがなく、平成13年度の蟹中祭での披露は大成功。 翌平成14年度は、蟹中祭での発表を終えた後、子どもたちの演奏レベルが高くなってきており、これを単なる学校の文化祭発表の演目にとどめておくのはもったいないということで、「青森県中学校文化連盟総合発表会」のオープニングを飾り、好評を博します。 そして次の年、平成15年度には、青森県文化連盟より、青森県を代表して全国大会の依頼があり、ついに青森県を代表し、蟹中風太鼓が全国大会に出場することになったのです。
こうして、全国大会に向け、5月以降、全校生徒から有志を募り35名を人選し練習がスタートすることになります。
主に練習は、部活動と風太鼓メンバーの方々の勤務にあまり影響のないようにと土・日曜日の夜におこなわれたそうです。 夏休みに入ってからは練習も本格化し、本番まで指導にあたった蟹田風太鼓のメンバーも生徒たちも真剣な練習が続きました。 「棚からぼたもち」という感じで全国大会行きの切符を手にした生徒達の中には、気持ちがゆるみがちになる者もいたそうですが、あるとき、梅田会長が、全国大会に出場するということはどういうことかを自身のスキー指導の体験を生徒たちに語って聞かせたそうです。
全国大会を目指すために海外にスキー修行に行くなど猛烈な努力を積み重ねる。 それでも全国大会行きの切符を手にできるかどうかわからない。 それほど「全国大会」というものは重みがある。 修学旅行気分では済まない。 遊びに行くわけではないのだ。 すでに、東京遠征には経費がかかるため、地元の子どもたちの活動を応援する蟹田町の人たちから、200万円もの寄付金が集まっていました。 そうした、町の人たちの期待に応える必要もある。
こうした梅田氏の思いが生徒一人一人に伝わったのか、話の最中、シーンと生徒たちは静まりかえり、このとき、生徒達の意識がここで切り替わったという印象を受けたそうです。
平成15年8月21日の朝、蟹田駅を出発。その日はリハーサルを行い、22日、いよいよ本番。35名の蟹中風太鼓の生徒達は、指導者や町民の皆さんへ感謝の気持ちを込め、魂の鼓動を「北とぴあ・さくらホール」に響かせたのだそうです。
(つづく)
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(405)風太鼓ストーリーL
| 2004年12月 4日(土) |
今年の風太鼓は友達に勧められてやったものでした。 しかし、夏休みの師匠(コーチ)に指導してもらった練習で、風太鼓ってこんなに楽しいものだということを知りました。全国大会でも、練習の成果を思う存分に発揮することができました。 (中略)下北でも短い練習時間の中で、とてもすばらしい風太鼓を披露できました。ここまで来ることができたのは、やっぱり師匠がいるから、だからこそ悔いのない最高の素晴らしい結果を残すことができたんだと思います。 ありがとうございました。今年は、風太鼓が一番の思い出、夢中になれたことだと思います。 (3年女子の手紙から)
僕は蟹中風太鼓に入って3年目です。 最初は打ち方があまりよくわからず、戸惑ってばかりでした。でも、コーチの皆さんが僕たちを優しく教えてくれました。そして、自分でも、自分が「上達している」と思えるようになりました。 本当にうれしかったです。 今年は、東京での全国大会にも出場することができました。これも、コーチの皆さんが、とても素晴らしいご指導をしてくれたからです。 皆さんには、本当にお世話になりました。 (中略)僕は、風太鼓という、町の文化を大切にしていきたいと思いました。 最後に、コーチの皆さん、本当にありがとうございました。 (3年男子の手紙から)
これは全国大会を終えた後に書かれた蟹田中学生の感想文です。 風太鼓のメンバーたちの情熱あふれる指導に感化され、非常に貴重な経験をしたことに対する喜びと感謝の気持ちがにじんでいるようです。
平成13年度、蟹中祭の発表でスタートした蟹中風太鼓の発表機会は、平成14年度に「青森県中学校文化連盟総合発表会」の出演をきっかけに、平成15年度には下記のように広がっています。
◆第11回全国中学校文化連盟 総合文化発表会・・・・8月21日、22日
(東京都北区 北とぴあ・さくらホール)
◆町民へ向けた報告書での発表演奏(蟹田中学体育館)・・・9月初旬
◆町民運動会での発表演奏(町営陸上競技場)・・・・・・・9月中旬
◆文化祭「蟹中祭」での発表披露(蟹田中学体育館)・・・・10月中旬
◆青森県こどもフェスタ21(むつ市下北文化会館)・・11月15日・16日
中学校の倉庫に太鼓が眠っているんですが、なかなか指導に結びつかなくて。 伝統芸能の調査を進めている当協会にこうした声が届くことは少なくありません。また、保存会が子どもたちを集めて指導し始めると、最初は役場の協力もあって、たくさんの子どもたちが集まってきても、だんだん練習の回数が進むと参加者が少なくなってくる。初年度はなんとか乗り切れても、次年度以降がきつくなる。
このような声も少なからず耳にします。
蟹中風太鼓の場合は、まったくこういった声に逆行しており、初年度は風太鼓への参加希望者はゼロ、翌年はちらほら、そして全国大会出場の年は希望者が多すぎて、オーディション選考し、35名の参加者をようやく決めなければならないようになっている・・・というように、ますます活動が発展的に活発化していっています。 いったいこれは何なのでしょうか。
このような指導のノウハウを知りたいという方は多いのではないでしょうか。その答えは、すでにこれまでの連載の中にあるように思われますが、明日は、それをまとめてみることにいたします。
(つづく)
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(406)風太鼓ストーリーM
| 2004年12月 5日(日) |
蟹田風太鼓の演奏曲はオリジナル曲ではありますが、その媒体は太鼓という伝統芸能に連なるものです。 現在のような「組太鼓」自体の歴史は新しいものの、太鼓が関係する芸能は歴史的にも古く、「太鼓」がなければほとんどの芸能は成り立たないといってもよいほどです。これは日本に限定せず、世界的にも打楽器は芸能の屋台骨を支えるものです。
こうした古い歴史を通じて人間の精神性にかかわってきた太鼓の響きは、時代を越えて人間に普遍的な感動を与える何かを持っているといってもよいようです。 しかし、その魅力に気付くための「入口」が必ずしも整備されているとは限りません。
昔は村の芸能に参加することが、ある意味、スポットライトを浴びることとなり、参加する若者にとっては、カッコイイことでもあったようです。 しかし、たくさんの情報と娯楽の中にいる現在の子どもたちは目も耳も肥えており、テレビに映し出されるタレントのきらびやかなステージを見慣れています。
今の子どもたちにとってカッコイイのは、そちらの方であり、昔ながらの伝統芸能は、子どもたち曰く「ダサい」のだそうです。 そんなカッコ悪いものに進んで参加する子どもがいないというのは、ある意味、当然な話で、正直な気持ちなのかもしれません。
そこで、子どもたちに「カッコイイ、やってみようか」という気を起こさせるような動機付け、仕掛けが必要になってくるわけなのです。
すでに触れていますが、蟹田風太鼓はステージングということにも、演奏と同等に力を入れています。
梅田会長曰く、「他の音楽家が普通にやっていることを我々も踏襲しているだけなのですけれど」と語っておられましたが、衣装から、動き方、舞台照明など、非常に気を遣っています。
子どもたちの目からすると、普段自分達がテレビで見ているタレントと同じステージ、そのカッコよさが、そこにあるわけです。 これが、やってみようかなという気持ちにつながるわけなのです。
こうして、「入口」を時代に合致した状態に整備。 そして、この「入口」から太鼓の世界に入った子どもたちは、太鼓のおもしろさに次第に目覚めていく。 このような道筋をつけていきます。
その際の指導は、現代の飽きやすい子どもたちの気質に合わせます。
ゴールを示さず、ただやみくもに基礎練習に終始する昔ながらの修行方法とは変え、いきなり楽曲のもっともおいしい部分を提示し、「楽しいでしょう! ここまでがんばっていきましょう」とのスタイルで、現代の子どもたちの性質をつかんだ指導を計画します。
もちろん怒るときは怒りますが、それも、怒られることに慣れていない現代の子どもたちの繊細な神経をつぶさないよう、タイミングやポイントを充分検討し、慎重にカミナリを落とします。
こうした指導によって太鼓が本来持つ伝統的な魅力に気がつき、そして一方では現代的なカッコよさという魅力も身にまとうことができるというわけで、次第に子どもたちのクチコミにより、参加者の輪が広がっていったといいます。
参加希望者が増えることで、技量の悪い者は落とされることにもなるため、子どもたちも、自己の技量アップに真剣となります。 こうして、チーム全体のレベルが向上し、あちこちで発表の依頼が増えると、マスコミに取り上げられる機会も出て、それが子どもたちにフィードバックされ、さらに演奏動機が高まり、またも参加希望者が増える。 こうして、ぐるぐると好循環が繰り返され、活動が活発化してくることになるのです。
蟹田風太鼓と蟹田中学校のかかわりは、現在のところ、非常にうまい状態でこの好循環が繰り返されているといえそうです。
蟹田中学校には、他の学校から見学に訪れる先生方が増えてきたそうですが、太鼓はあっても、どうも活動がうまくいかない。どうしたらこんなにうまくいくのだろう? そういった思いがあるからなのかもしれません。
しかし、梅田会長曰く、「私たちは何も特別なことをやっているわけではありません。『時代』というものをよく考え、それに合わせたことを、他の音楽家たちがやっている普通の方法で取り組んでいるだけです」とのこと。
「時代」に合わせて変える部分と、伝統芸能の心臓部として、ここだけは絶対に変えずに守って伝えていかなければならない部分、そのバランスをうまくとることが大切だと、今回の取材を通じて感じたところです。
伝統芸能といえど、時代の潮流をつかまず、古い時代のスタイルにすべて固執すると衰退は免れないのかもしれません。
常に「新しい時代」というものから、新鮮なエネルギーを取り入れ、それをもとに古くからの伝統を守っていく。こうした発想が求められているのかもしれません。
(つづく)
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(407)風太鼓ストーリーN
| 2004年12月 6日(月) |
津軽の山々と紺碧の陸奥湾に抱かれた風の町、蟹田町。 ここを訪れた作家・太宰治は、観瀾山にたたずみ感慨深い一言を残しています。 「蟹田ってのは風の町だね」 蟹田は古代・縄文の人々が感じていた風を悠久の時を越えて、今もなお、そのままに感じているのです。・・・平成元年、ふるさと創生事業の一環として「風」をテーマに、この旋律が生まれました。あらたなる町の文化と人づくりに向け、今、「風」は、聞こえてきます。
このような素敵なナレーションの後で、蟹田風太鼓の演奏が始まります。
演奏はいずれも1曲が5〜6分。その理由を梅田会長はこう語っていました。
集中して、太鼓の怒涛の音に触れていられるのは、この時間が限度だと思われます。 風太鼓の太鼓の数は、全部で40ぐらいになりますが、太鼓の音圧というのはもの凄いんです。 あまりそういった状態にお客さんを長時間さらすのは一種の暴力にもなりますからね。1曲7分以下というのが、今までの経験では、一番よいようです。
私が蟹田風太鼓の取材に訪れたのは今年の5月。ちょうど「蟹田しらうお祭」の真っ最中で、蟹田のカニも最盛期。そのカニをごちそうになりながら、いろいろなお話を伺ったところです。
蟹田のカニがなぜおいしいか。
それは潮流の関係で川から海へ流れ込んだ栄養分が、ちょうど蟹田の方に堆積される。それを食べるので蟹田のカニがおいしいのでは?というウンチクも伺いました。
風太鼓の中心メンバーも駆けつけてくださり、いろいろと率直にお話をしていただきました。
蟹田風太鼓の動きの振り付けは、日本舞踊を学んできたという若手の方が担当されるなど、自分の個性を風太鼓に積極的に反映させて、風太鼓の活動に幅を出そうと、メンバーの一人一人が真剣に取り組んでいる様子がよくわかりました。
ところで、風太鼓オリジナル楽器があるそうで、その名も「ザルトカイ」
。 必ず、「ザ」にアクセントを置いてくださいよ、とは梅田氏の弁。
これは、町の特産のホタテの貝殻とザルで構成されたもので、風の音を奏でる楽器として開発されたものだそうです。曲のイントロで使用されることが多いとのこと。世界に2台しかないもので、一聴の価値あり、だそうです。
風太鼓のシンボルマークは、津軽の書道家・寺田沙舟氏によるもので、もともとは、「ふるさと創生事業」全体のロゴマークだったものが、今では、蟹田風太鼓のロゴとして定着しています。
平成14年5月23日、青少年育成青森県民会議「育成者の部」で梅田会長は表彰を受けることになりました。 地元の「太鼓やれるかなぁ、やってみたいなぁ」と言う子供たちに、「やれるって、やってみようよ」と、言ってきただけなのに、と謙遜されていましたが、その陰にある並々ならぬ苦労が、この連載からおわかりいただけたのではないかと思います。
帰りは、梅田会長に蟹田駅まで送ってもらいました。 梅田氏と二人で徒歩で駅へ向かう途中、自転車で向こうからやってきた男子生徒が、丁寧に会釈をしていました。 「教え子ですよ」と梅田氏は笑いながら語っていました。
さらに、梅田氏は、地域での活動を通じ、蟹田風太鼓のメンバーも、ふるさと蟹田、そしてふるさとの子どもたちを考えるということが、当たり前のように口につくようになってきた。
このようにも語っていました。
そうした蟹田風太鼓のメンバーの気持ちが、子どもたちに届いているのか、礼儀正しさも、太鼓を通して子どもたちは自然に身につけはじめているようです。
これからも、太鼓の皮を破るような、厳しく、そして楽しい指導が続けられていくのでしょう。
(完)
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