青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2004年12月(3)>

(418)吉野田獅子踊 第11回
(419)吉野田獅子踊 第12回
(420)吉野田獅子踊 第13回
(421)吉野田獅子踊 第14回
(422)吉野田獅子踊 第15回
(423)吉野田獅子踊 第16回
(424)吉野田獅子踊 第17回
(425)吉野田獅子踊 第18回
(426)吉野田獅子踊 第19回
(427)吉野田獅子踊 第20回
 
(418)吉野田獅子踊 第11回 2004年12月17日(金)
 ★保護者の意見★

 ※対象者 野沢小学校に通学している全児童の保護者(184世帯・回収率74%)



 ◆文化財などへの興味◆

 「文化財・文化活動は好きですか」に対し「好き」と答えたのは約4割。
 「町内の文化施設を見たことがありますか」に対しては、好き嫌いにかかわらず、半数の人が「見たことがある」との回答がありました。

 また「吉野田獅子踊を知っていますか」では9割が、「学校のクラブ活動で獅子踊をやっていることを知っていますか」では8割以上が「知っている」と答えました。



 一般的な意味で、文化財などへの興味の有無の質問では、特別な数字ではないと思われます。

 しかし、「吉野田獅子踊」の認知度は完璧に近いほど高いということがわかりました。


 地元であることや、児童らが活動していることに加え、これまでの吉野田獅子踊保存会の地元に密着した活動の成果が表れているようです。


 ただ、楽観視できないのは、小学生を持つ親の世代(30〜40代)で、「獅子踊りを踊ったことがある」人がわずか3%ほどしかいないことです。これは、明らかに中間年齢層の欠如を示しています。



 ◆民俗文化財伝承への可能性◆

 「授業の中で子どもが文化財などを学ぶことをどう思いますか」の問いに対しては、7割以上が比較的肯定的です。
 しかし「自分自身でやってみたいと思いますか」では、肯定的な回答が2割に減っています。


 子どもが文化財などを学校その他で積極的に勉強することは、「地域や歴史を見つめなおす意味でも大変よいことだ」と理解を示しているのに対し、「自分自身でやってみたい」とは考えていないようです。

 このことから、地域のことを、あまり自分に引きつけて考えていない。または、考える余裕が無いという現実がわかります。


 実際の生活では経済活動が優先され、「獅子踊り」をやっているからといって、とりたてて良いことも保証されないので、「獅子踊り」への保護者自身の参加の意見が消極的だというのは、無理もないことなのかもしれません。



 ◆保護者の意見◆

 基本的には「文化財(民俗芸能)を、今後も残していってほしい」、「子ども達にこれからもずっと伝えていってほしい」という、ほぼ共通した意見を持っているようです。

 伝承の機会については「クラブ活動としておこなっていけばよい」、「クラブ活動以外でも、運動会やその他の学校行事とあわせてどんどん発表させればよい。できれば全員が参加するように考えてほしい」という声もありました。


 後継者については「小学生だけが後継者ではない。もっと継続性を考えなければ意味がない」、「強制されるものではないので、学校で(特に授業時間に)取り入れるのは絶対に反対だ」、「大人の参加も考えた方がよい」というように、安易に子どもにやらせることには否定的な意見も得られました。


 このような、急激な変化に対する慎重な意見は重要なものとして受け止めなければならないと思います。


 (つづく)
 
(419)吉野田獅子踊 第12回 2004年12月18日(土)
 ★教育現場の声★

 ※対象 野沢小学校全教職員

 実際の活動に協力してくださった現場の先生方からの率直な意見です。



 ◆民俗芸能伝承そのものの活動については◆


●民俗芸能というのは、その土地や生活に昔から根ざしたもので、人間にとってとても大切なものだと思う。子ども達が、自分たちの獅子踊りを大切にする心を育て、また、世界中にある他の民族文化にも目を向け、その素晴らしさを理解していくということは、国際交流にも通じることだと思う。そして異なる文化を認めていく。他人を大切にしていくというような心が育っていったら素晴らしいなあと思う。


●地域の文化を伝承することはとても大事なことなので、取り上げて欲しい問題だ。


 このような、たいへん前向きな考えを持っているようです。




 ◆活動の方法については◆

●何かの行事に合わせて文化活動していけばいいと思う。


●獅子踊りのように、地域の方で、ある程度の時間をさいて指導してくださる方がいるのであれば、学校で「ゆとり」の時間や社会・クラブなどの時間に「浪岡の歴史」など、定期的に児童にもわかるように授業してくれると、子ども達も、もっと地域に関して関心をもつようになる。

 
 一方、次のような慎重意見も述べられていました。

●教育活動の中に、獅子踊りの練習を取り入れることはとてもよいことで賛成するが、本当に長続きさせるためには難しい面もあると思うので、計画的に少しずつ進めた方がいいと思う。


●負担が過度になるような内容であれば、やはりこちらもアップアップ状態となり、どうしようもなくなることが多い。内容をしっかり考え、具体性のあるものが望ましい。


●小学校だけでなく、中学校でも、獅子踊りを続けられるようになれば、指導面でもよいと思う。せっかく小学校で身につけても、卒業すれば切れてしまうのはどうかと思う。考えて欲しい。


●「後継者=子ども」という図式は間違っている。いま子どもが伝承したとしても、その子らが指導できるようになるまでは、まだまだ先のこと。地域の大人や若者も、一緒に活動して獅子踊りを担う年齢層を厚くしなければいけないのではないだろうか。大人の参加を促すことができなければ、先はないであろう。



 上記の慎重意見は、現実をまっすぐに見据えれば、当然出てくる問題ばかりです。
 教育現場は様々な問題を抱えて忙しく、その上、民俗文化財の問題まで安直に持ち込むのは確かに無理なこともあるようです。
 こうした意見から、まずは伝承に有効な方法論と指導の仕方を確立することの必要性が感じられます。
 具体的に考えられなければ、いつまでたっても不完全なままの繰り返しとなって、継続的に指導していくことは望めないからです。 

 また、学校の先生は人事異動による転勤があります。
 方法論が確立されていなければ、担当が替わった途端になくなってしまうということになりかねません。
 これから、どんな機関が民俗文化財の問題解決に乗り出そうとも、こうした基本的な方法論が確立しないうちは無駄に終わってしまうことが危惧されるのです。


 (つづく)
 
(420)吉野田獅子踊 第13回 2004年12月19日(日)
 ★保存会の取り組みの総括、及び今後の課題★


 伝統文化を支えてきた様々な技術は、長い間の練磨・修練・経験によって受け継がれてきたものです。そのため、映像・記号・合理性だけでは十分説明されないことも多く、一朝一夕ではとても習得できません。このことを忘れてしまえば、民俗文化財は簡単に失われてしまうことでしょう。


 吉野田獅子踊が失われずに伝承されてきたのは、これまでの修練と地域密着型の熱心な活動によるものです。今は後継者不足で大変ですが、これから新たに取り組むべき問題として次の3点があげられます。


●「吉野田獅子踊保存会」以外の人でこの踊りを踊れる人がいないので、その事実を自覚し、まずは原型に忠実な踊りをできるだけ完璧に覚えていくこと。


●後継者を育てるためには、指導者が必要なので、指導できる人材の育成も同時に考えなければならないこと。


●高齢化が進むと同時に、練習中の怪我もふえると予想されるので、安全の確保と、万が一のときの保険の整備などを考える必要があること。


 あとは、これまで通りの地道な活動が継続されることです。



 ★全体を通しての成果★

【 全体を通しての感想 】

 「なぜ民俗芸能が途絶えるのか」ということについて、これまで数百年の間、受け継がれてきたものが、なぜ今になって存続の危機を迎えなければならないのか、その原因を究明しなければ有効手段は見つからないように思われます。
 仮に「時代の変化についていけなくなった」とか、「今の生活に必要ないから」という理由だけなら、原型を完全な形で保存・継承した上で、様々な人に受け入れやすいよう、例えば次のように踊りに多少の変化をもたせることも考えられるのかもしれません。


◆踊りやすいように衣装や獅子頭を軽くする

◆踊りの時間をもっと短縮する

◆お囃子について、いつもと違ういろいろな楽器で演奏をしてみる


 現在の民俗文化財の置かれている状況は、緊急を要するものです。
 技術の正確な習得ばかりを叫んでいるうちに、取り返しのつかないことになる危険性もあるのです。
 理想は「技術の正しい習得と合理的な保存方法」であり、「両者の連携と均衡のとれた発展が時代を超えて、継続的におこなわれている」という状態にあることはいうまでもありません。

 しかし、失われることを避けるには、それ相応の覚悟が必要です。
 時代が変化するのであるなら、地域に根ざした文化の変化も、ある程度考えていく必要があるのかもしれません。



 (つづく)
 
(421)吉野田獅子踊 第14回 2004年12月20日(月)
 ★行政支援に期待すること★

◆一時的にではなく継続的な伝承活動への経済支援◆

 練習は、普段の格好よりも衣装をつけて踊った方が効果的であるのは周知の事実です。ところが練習では汗をかいたり、道具が壊れたりということがおこります。だから使わせない、というのではなく、すぐに道具を直せる状況でなければいけません。
 また、せっかく踊りをやりたくても道具がそろっていなければできません。
 これらを整備するには、たいへんお金がかかります。

 さらに、慣れない衣装での激しい動きでは、指導者と伝承者、双方の安全面での確保と不測の事態に備え、保険などの検討もしなければなりません。

 継続的な経済援助が望まれる理由が、こうしたところにあるわけです。



◆完全な形で合理的に保存するための事業を起こしてほしい◆

 合理的な保存方法とは、いつ、誰が、どのような状況でも復元可能なように資料を残し保存しておくことです。

 衣装、頭の形態、色、素材、史料による歴史的背景の調査や研究、お囃子の楽器の種類や楽曲、立ち位置、踊りの形態と意味など、「踊り」についてのあらゆる情報を、現在考えられる技術を駆使し、詳細がわかる完全な記録や教則本・楽譜を作成し、いつでも活用できるようにしなければなりません。まずは、この作業をおこなう必要があります。



◆発表する機会について、もっと工夫してほしい◆

 これまでの「民俗芸能大会」だけではなく、例えば、国際交流の場や、広く文化交流といわれるようなところでも発表できる機会を工夫してほしいのです。

 やる気を起こさせるものは、やはり「大きな目標」です。
 地域の文化を守り伝えているという強い自信と誇りを持たせるためにも、広く大きな文化交流の場に出て発表したり、情報交換したりすることが、とても大事な意味を持ってきます。




  ★平成9年の「実践研究」を通しての反省★

 練習はがんばったのですが、期間が短すぎたため、お客様の前で発表するほど上手にはなれませんでした。
 夏休みにもかかわらず、休み返上で協力してくださった野沢小学校の先生方、また野沢地区の皆さんの全面的な協力のおかげで、この実践研究をおこなうことができ、吉野田獅子踊保存会としても学ぶ点が非常に多くありました。
 アンケートにご協力いただいた皆さんに心より感謝申し上げます。



 この平成9年度の実践研究で得られた成果は、平成15年11月〜平成16年2月にわたっておこなわれた「伝統文化こども教室」に受け継がれました。その「伝統文化こども教室」は下記の目標のもと、おこなわれた事業です。


 長い歴史と伝統の中から生まれ、守り伝えられてきた国民(町民)の貴重な財産である伝統文化(吉野田獅子踊)を将来にわたって確実に継承し、発展させるとともに、子どもたちが歴史・伝統・文化に対する関心や理解を深め、尊重する態度を育て、豊かな人間性を涵養すること。



 (つづく)
 
(422)吉野田獅子踊 第15回 2004年12月21日(火)
 平成9年度の事業について説明しましたが、子どもたちの指導は本当にたいへんです。
 一番悩んだのが、お囃子、特に笛の指導です。

 前会長の工藤長助氏は一生懸命な人で、子どもたちにも指導をおこないました。しかし、一生懸命やっても、なかなか子ども達にお囃子をマスターさせるというところまではいかなかったようです。

 踊りは形があるので教えられるのですが、笛のメロディーは楽譜になっていない。というよりも西洋式の楽譜に表せないので、笛の音を聞いたり、吹き方を見て、覚えていってもらうしかないのです。ただ、その笛のメロディーというのも、単純な音進行になっておらず、吉野田の獅子踊の場合は、特に複雑な装飾音(こぶし)がたくさん入ってきます。
 宮崎県の笛の名人が手余ししてしまったほどですから、それを初心者に覚えさせるというのは至難の業です。しかも、全40〜50分の演目の曲ごとにメロディーも違ってくるのです。単純な繰り返しが多くはないので、ますます覚える側の負担が大きくなってくるのです。

 そこで、考えました。
 笛の旋律を樹木にたとえると、複雑な枝葉を落としてしまった「基幹部分」を採譜して、楽譜を作り、一般に普及している学校教材のリコーダーを用いて「旋律の基本構造」を教えることにしたのです。
 西洋の12音階にない音が出てきますので、西洋式の楽譜の五線符に表せない音も出てきます。
 また、子ども達の技術では出せない難しいフレーズも出てきます。
 そういった部分は、少し変えて、演奏しやすいようにしました。
 こうして、吉野田獅子踊の笛のエッセンスを抽出し、本当に基本になる音を楽譜に表し、それを誰でも手にしているリコーダーで学んでいってもらったのです。

 たくさんの演目も、テープに吹き込み、耳でも聞けるようにしながら、子ども達に楽譜を与えると、何回もやらないうちに子ども達は覚えてしまいます。

 これには少し私たちも驚きました。

 今までの聞かせて覚えてもらうという方法はどうしても効率が悪いので、今では楽譜を使うようにしています。
 こうして、メロディーの基幹部分が頭の中に定着したら、徐々に枝葉となる装飾音を加えていけばよいという方法をとっています。
 リコーダーでフレーズが頭の中に入ってしまえば、実際の横笛を手にしたときの覚えが数段違ってきます。
 また、リコーダーを経由せず、最初から横笛で練習する場合でも、楽譜があるのとないのとでは覚え方に大きな違いが出てきます。

 このように楽譜を利用し、段階的に吉野田獅子踊の複雑な「お囃子」をマスターしていってもらおうと、私たちは知恵を絞っているところです。

 ただ、楽譜の指導でも、問題がないわけではありません。
 
 耳が12音の平均率に慣れてしまうことで、微妙な日本音階の音程がつかめなくなるということも一つにあるのですが、それ以上に大きな問題は融通性が失われるという点です。

 踊りは場所の大小で、動き方が変わってきます。当然踊りの時間が長くなったり、短くなったりしてきます。
 笛吹きは、その踊り手の動きを注視し、獅子が一番よい位置に来たときにフレーズを次の曲に切り替え、その笛の音を合図に全員が、次の踊りへと移行していきます。

 楽譜でフレーズを覚えてしまうと、楽譜は小節数が決まっていますので、臨機応変に融通をきかせることができなくなってしまうのです。そうなると踊り手が笛のメロディー、その時間に合わせなければならなくなってしまいます。

 本来の踊りは、場の空間的サイズや、当日の場の雰囲気を取り入れ、即興的な要素をふんだんに持たせた自由自在なものです。
 そういった踊りの魅力が、硬直した囃子によって失われていくことを危惧しているのです。


 しかし、楽譜の利用は、こうした問題点はあるものの、後継者養成のための大きな戦力になるものです。
 よって、いかにその短所を補正していくか。即興性をどのように養っていくか。これは今後の課題となっています。


 (つづく)


 <事務局注>
 以上は、吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと構成・掲載したものです。
 
(423)吉野田獅子踊 第16回 2004年12月22日(水)
 平成15年の事業では、午前中に3時間とってあったのですが、実質的に指導したのは1時間ぐらいです。
 あとは、自由時間です。相手が小学生なので、指導方法にも気をつかっています。

 昔風のスパルタ教育では、すぐに子ども達はいなくなってしまいますから、「現代の子ども達」の特質に合わせた指導をしています。
 獅子踊りの指導の合間に子ども達が何をやっているのか観察すると、みんな携帯用の小型ゲームを持ってきて、それをやっています。
 
 ある小学校のデータでは、人を殺しても、また生き返ると思っていた児童が27%もいたそうですね。出てきたものはみんな殺しても、再度スイッチを入れるとまた生き返りますから、これはゲームの影響でしょうね。最近は、ここ吉野田でも、夏休みになっても、道路に出て遊んでいる子どもが少なくなってきたような感じを受けます。
 おそらく室内でゲームでもやっているのでしょう。あるいは携帯電話で連絡しているのでしょうか。

 昔は、親が子どもの様子を把握していました。例えば何でケンカしているのかなど、しかし今は、携帯電話やインターネットで、子どもが何をやっているのか親もわからない状態です。

 こういった環境にある子どもたちを教えるのは、それなりの覚悟のようなものが必要です。最後には教える側の「根気」。ここに尽きると思います。


 しかし、せっかく子ども達を一生懸命指導しても、そのほとんどが地域からいなくなってしまいます。
 30人教えて、1人か2人残ればいいよという考えで指導しているのですが、ちょっと寂しいものがあります。

 
 養殖魚ではないが、一生懸命育てて放流しても帰ってくるかどうかわからない。しかし、それさえやらねばまったく帰ってこない。無駄なのかもしれないが、残していくにはやるしかない。そんな、腹をくくったような気持ちで取り組んでいます。

 こういった私たち保存会の気持ちが届いているのか、子ども達は積極的です。最近は、獅子踊りは競うようにやりたい、という感じになってきています。


 事業に参加している子ども達は、全部やりたい、覚えたいという意気込みでした。
 踊りも覚えたいし、笛も覚えたいし、太鼓も覚えたい。
 「なにをやりたい?」と聞くと、全部に手をあげるのです。

 我々保存会としては、踊りのグループ・囃子のグループ。
 さらに囃子のグループは笛担当、太鼓担当、てびらがね担当と分けて、集中的に指導したいのですが、子ども達は全部をやりたいので、我々としては嬉しいような困ったような複雑な気持ちでした。

 結局、どの子どもにも、平等に、いろいろなパートを体験してもらいました。

 笛は楽譜を利用することについてはすでに述べました。踊り手の方は、最初、小太鼓のバチのかわりに割り箸を持たせる。その他の囃子方は、てびらがねのかわりに灰皿を利用。
 太鼓の練習には、長テーブルをひっくりかえしますと、「木部」と荷物入れの棚となっている「金属部分」があるので、これを叩かせ、金具と木部の使い分けで、太鼓のたたき方を教えました。

 道具を一人一人の子ども達にそろえられないので、こんな工夫もしています。


 ただ、獅子頭だけは、大人用と子ども用合わせて保存会には二組しかないので、当然、着用できない子も出てきます。
 また、イベントなどで参加する場合も、本来は一組4人だけ踊ればいいのですが、このように事業に参加する子どもが多いと、踊り手の選抜がたいへんになってきます。せっかく踊りたいのに、着用できる道具が不足しているために踊れない。こうした問題もあるのです。


(つづく)


<事務局注>
 以上、吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと構成・掲載しています。
 
(424)吉野田獅子踊 第17回 2004年12月23日(木)
 子どもには練習用の模造品ではなく、本物の道具を使わせています。
 もちろん、最初から獅子頭はつけさせませんが、講習も後半になり、やや踊りがマスターできたところで、獅子頭の重量感を感じて踊ってもらいます。
 獅子頭をつける前は、適当に首を振っていますけど、獅子頭を着用させると、本人は首を振っているつもりでも、全然、獅子頭が動いていないということになります。
 そこで「まだ振りがたりないよ」という指導が入り、子ども達は初めて首の振り方を理解できるわけです。

 ただ問題もあって、子どもに獅子頭(子供用)を与えると、どうしても乱暴に扱われ、獅子の角が折れたりもします。
 本物を着用させるのはいいのですが、後日のメンテナンスの問題もあり、大変なところもあります。

 が、なんとか「踊り」については、子ども達は15分の踊りをマスターしてしまいました。あとは、演技力をどうつけていくかだけです。
 もっと腰をおろしなさいとか、もっと手を真横に振りなさいとか指導してもいますが、これは踊りの順序を覚えてしまえば、長年、何回も踊っているうちに自然に熟練してくるものです。
 今回の事業では、踊りの「順序」と「型」を覚えてもらったというところで終わりましたが、これでひとまずの成果が出たと思っています。
 あとは練習を積み、磨きをかけていくだけです。

 一方のお囃子ですが、20日ほど事業を続けたものの、マスターするというところまでは到達できませんでした。
 笛などは音出しが難しく、酸欠でめまいをしたりと、肉体的にも子ども達にはきつい部分が多かったせいもあると思います。
 笛の名人がやって来て、最初から自分と同じように吹けと言ったってできるものではありません。やはり、お囃子の指導は教える人の根気です。子どもの肉体的な成長を待つ根気が必要な部分もあるのです。

 こうした子ども達の指導事業は、学校でやるときもあるし、学校から離れ、集会所のような場所でやることもあります。
 学校が何かの行事で発表するという際には、太鼓や鉦、笛ともなると、音楽の先生でも対応できないことが多く、獅子頭の装着などはやはり保存会のメンバーがやってあげないといけないので、保存会が直接行って15分から20分ぐらい指導しています。
 獅子頭以外は、学校の方でも何かの行事で対応できるよう、道具が用意されています。
 その道具を使って、4、5年前には修学旅行で、函館で踊ったこともあります。

 学校自体も、『総合的な学習』の時間に取り組む素材があるということで、特色ある学校運営ができると喜ばれています。
 このような学校と吉野田獅子踊保存会とのかかわりは今後、学校長がかわっても、ずっとつないでいきたいと考えています。

 最近、「地域の教育力」の活用が注目されはじめています。
 地域といかに一体になって活動していくか、地域にいかに学校を開放していくか、こういった点が最近の学校の運営目標にもなってきているようです。
 吉野田地区は、学校と地域のかかわりは以前から非常にうまくいっていると思います。
 「地域の教育力」という言葉が使われはじめるずっと以前から、吉野田獅子踊保存会は地域の学校と密接な協力関係を結んでいます。
 最近の親の知識力や学力は、教員として採用されるかされないかだけで、教職の資格を持った人とほぼ同等になってきているようです。
 そういった親の知識力や教育力を引き出し、活用していくというのも学校の一つの役割なのかもしれません。
 地域のそういった活力を、サブティーチャーなどの仕組みを使って、うまく活用し、学校を核に地域の絆を強めていくことは大事なことなのかもしれないと、子ども達への指導から感じています。


 事業に参加した子ども達に道などで、朝夕会うことが多くなりましたが、そうすると、「おはようございます」「さようなら」と挨拶をされたり、私たちは学校の先生でもなんでもないのですが、頭を下げられます。
 こうした地域の子ども達とのつながりが生まれてくるというのは、私たちとしてもたいへんうれしいところです。

 指導を受けた子ども達は、内容を、やはり家でも話しているようで、例えば病院で、その家のおばあさんに会ったりすると、「うちの孫がお世話になっています」と感謝されたり、子ども達のいろいろな感想を保護者の喜びの声とともに聞いたりします。
 私たちの保存会の活動が、単に獅子踊りを伝承しているというだけではなく、地域の絆を深める一助にもなっているのかもしれないということを実感しているところです。


 (つづく)


 <事務局注>
 以上は、吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと構成・掲載したものです。
 
(425)吉野田獅子踊 第18回 2004年12月24日(金)
 会員の高齢化に伴い、吉野田獅子踊の伝承そのものに危機感が漂ってきました。
 ですから今1〜2年のうちに、何か後世につなぐものを残しておきたいと考えているところです。

 以前は少年部や婦人部もあったのですが、現在は統合された形となっています。とはいうものの獅子踊保存会を現在構成しているのは大人だけで、地域の子ども達には、学校活動や各種事業に対して支援・指導していくというかかわり方になっています。

 保存会の会員は、年配でもいいので欲しいです。
 子どもでなくても、年とった人でもいい。
 有志の人に教えたいという気持ちがあります。
 男でも女でも、奥様方でもいい。
 地域の伝統を、気持ちのある方に伝えていきたいと考えています。
 実際、私(会長)も、吉野田獅子踊保存会の会長をやって初めて獅子踊りにかかわったのです。
 それまでは何もやっていませんでした。
 ですから、最初は、笛も太鼓も踊りも知らない状態でかかわることになったわけです。
 今79歳ですが、吉野田の地域バンドのサックスを吹いたりしていますけど、音の出るものは何でも好きでした。横笛から始まって、ギターでもなんでもやってきました。
 獅子踊りの経験はないのですが、音楽的な知識があったために、お囃子を教えていくのにはいいだろうということで、声がかかったというわけです。
 もう、16年以上は会長として活動してきましたが、本当にあっという間です。
 この間、平成2年に獅子の道具を全部更新し、平成13年にはすべての踊りを収録したビデオ制作をおこなうなど、様々な事業に取り組むことができました。
 子ども達への指導は、このビデオ鑑賞から始まるという具合に、ビデオは指導の上でも役に立っています。
 お囃子の楽譜も全部、テープの音を聞きながら自分で作り、子どもたちへの指導の効率化をはかりました。

 あとは、こういったところを、どう後継者育成につなげていくか。
 ここにつきます。


 これまでも地域の勉強会や、子供会・児童館への働きかけ、講習会など、工夫を凝らした独自の伝承活動を何度もおこなってきましたが、まだまだ暗中模索の段階で、決定的な有効手段が見つけられないでいます。

 後継者の育成は本当に切実な問題ですので、子どもだけではなく、町内の大人の人たちにも呼びかけ、その技術を継承したいのです。


 青森県の他地域で、吉野田出身の笛吹きの人が、吉野田の獅子踊りを教えているそうです。
 分家した地域での伝承活動が活発で、本家本元の吉野田での伝承活動が衰え、獅子踊りが廃れていくことのないよう、吉野田地域に古い時代から伝承されてきた「地域の宝」として、なんとか残していきたいものです。

 保存会は現在23名ぐらいですが、保存会に入るための資格審査のようなものはありません。たとえば、踊りや笛を全然やらないが、協賛したいという方は、どうぞと、お入りいただいています。
 また、吉野田の出身者以外でも、当地の獅子踊を勉強したいという方の入会も歓迎しています。

 若手は、高等学校を終わると他の地域へ出てしまうという難しい現実がありますが、保存会の年齢構成、若い世代も充実させていきたいところなのです。

 県の無形民俗文化財に指定されたのは、やはり全国青年大会で優勝したことが大きいと思います。
 優勝した次の日も発表したそうですが、やっぱり次の日は、優勝したということで前日より気持ちが高揚していてよかったのか、反響がよかったそうです。

 当時、昭和30年代は、「アンプ」と言っても通じない時代、「拡声器」と言わないとわからない時代です。テレビも無いころなので、獅子踊のお囃子の音にさそわれ、地域の若い者がたくさん集まっていました。
 そういった若者だけで獅子踊りを構成し、ついに全国優勝を成し遂げた。往時のその勢いを、なんとか取り戻したいところなのです。

 (つづく)


 <事務局注>
 以上、いつものように吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと構成・掲載しております。
 
(426)吉野田獅子踊 第19回 2004年12月25日(土)
 踊りは4人、囃子は笛2人・太鼓2人・でびらがね2人で合計10人。

 しかしこれだけでは足りません。

 3本の木を立ててしめ縄を張りめぐらし神舞の場としますが、こうした舞台設営・撤去の裏方も必要となります。

 また、演目に対する解説者も入ったりしますので、どうしても大所帯となります。
 こういった大人数で活動していると、いろいろな思い出、忘れられない出来事もたくさんあります。


 東京ドームでやった青森県のイベントに出演させてもらいましたが、東京在住の浪岡町出身の人が出演している私たちのそばに駆け寄ってきて、「ふるさとを離れる以前に耳にしていた、覚えのあるお囃子の旋律・・・、ついつい幼い頃を思い出してしまった。」と懐かしそうに話してくれました。


 吉野田の獅子踊りは、「ふるさとそのもの」なのだなあ、というのを、そのとき、私たちも実感しました。

 また、東京ドームでの出演が終わったあと、東京浪岡会の総会の会場に行かなければなりませんでした。
 しかし時間がなかったので、“獅子踊の衣装のまま”山手線に乗り込み、会場へ直行しました。

 電車の中の人たちには、「なんだろうこの一行は?」という感じで、みんなにジロジロ見られました。
 いっそのこと、獅子頭を装着したまま電車に乗り込んだら、もっと強烈なインパクトを与えられたかなと今でも冗談を言ったりしますけど・・・、あのときは、別に恥ずかしいという気持ちはありませんでした。

 こうして、東京浪岡会の人たちの前で吉野田獅子踊を披露したのですが、もちろんたいへん喜ばれました。何十年かぶりに、懐かしい獅子に出会った方も多かったようでした。



 一番心に残るのは、やはり、大分県で開催された国民文化祭に出演したときのことでしょうか。

 国民文化祭出演の打診を青森県から受けたのですが、県としては費用の半分しか出せない。
 九州までですから、旅費の半額負担といっても、ばかになりません。
 参加するかどうか難渋しました。

 そんなとき地域の人たちが、リンゴなどの農作業に忙しい時期にもかかわらず、自主的に吉野田獅子踊を国民文化祭に参加させるための協賛会を作ってくれ、募金活動を展開してくれたのです。

 この協賛金を得て、大分県に旅立つ準備を整えることができたのです。


 さて、出発というとき、大きな台風が青森県を襲ったのです。収穫前のリンゴの多くが落果するという被害を、ここ吉野田でも受けました。
 それを目にしての大分県への旅立ちとなりました。

 会場となった大分県久住町に到着したものの国民文化祭は大雨にたたられ、10月というものの寒く、控え室には石油ストーブを入れるという状態。

 私たちも、リンゴの大量落果を目にしての出発ということもあり、外気同様、心の中に冷たいものが吹いていました。


 (つづく)


 <事務局注>
 以上は、吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと構成・掲載したものです。
 
(427)吉野田獅子踊 第20回 2004年12月26日(日)
 しかし、そういった私たちを元気づけてくれたのが、雨の中びしょ濡れになって最後まで声援を送ってくれた大分県のお客さんたちでした。

 私たちは屋根のかかったステージで踊っていたのですが、お客さんはたいへんだったと思います。
 そんな中、最後まで見てくれ大きな拍手をしてくれました。

 こうしたあたたかい拍手に元気づけられ、発表が終わって控え室に戻ると、職員が待機しており、すぐに「差し入れですよ」と言って、熱々の肉マンやらアンマンなどを持ってきてくれるなど、まさに、至れり尽くせりでした。自分たちがこんな大会をやったとき、ここまでできるかと深く感じ入りました。

 実は、舞台で使う「山」用の木を、青森から飛行機で運ぶわけにもいかないので、現地調達しようということになっていたのですが、連絡の行き違いで準備ができていませんでした。
 そうしたところ、急いで当日の朝、大雨の中を役場の職員が取りに行ってくれ、おかげで私たちは無事演じることができました。

 また、会場となった大分県久住町の収入役の奥さんが青森市出身の人で、青森県からやってきた我々に対し、ずいぶんあたたかいもてなしもしていただきました。
 ところで、青森といえばネブタですが、景気づけに、本番前の控え室でネブタのお囃子をやりました。
 そうしたところ、当日の出演者がみんな私たちのまわりに集まってきて、「すごいものだ」「いい音楽だ」などと、しきりに感嘆しているんですよ。

 本番前でみんな緊張萎縮していたと思うのですが、ネブタの囃子で出演者全員の気持ちが、一気に踊ってしまいました。
 あれはよかったなあと思っています。こういった力を青森県の芸能は持っているんですね。すごいと思いました。

 さて、リンゴ落果で気分が沈んでいた私たちでしたが、こうした大分県の人たちのあたたかい心に触れ、元気を取り戻しました。こうして、大分県に都合二泊し、吉野田に帰ってきたのですが、まだ感激が続くことになりました。

 実は、前夜祭に「何か一言」ということで指名があったので、「リンゴが落果してしまい今年はたいへんな年になりました」と、なにげなく述べたところ、「落ちたリンゴを救うため、うちの方でもリンゴを注文したい」との声が高らかに上がったのです。こうしたものは、えてして、その場限りのリップサービスに終わるものなのですが、大会が終わって吉野田に戻ると、本当に注文が届いたのですよ。数としてはそれほど多いものではなかったのですが、あのときは本当に感激してしまいました。これまで長い間、獅子踊りをやってましたが、これほど人の心のあたたかさを実感した瞬間はありませんでした。

 獅子踊りをやっていなければ、九州の大分まで行くチャンスもなく、こういった大分の人たちのあたたかい心に触れることがなかったかと思うと、本当に獅子踊りをやってきてよかったと感じています。

 その後、協賛会を作ってくれた地域の人たちに集まってもらい、当日のビデオを見せながら報告会をやりました。大分県に行けなかった人たちも、報告を熱心に聞いてくれ、我がことのように喜んでもらいました。
 自分たちの地域の吉野田獅子踊が大分の人たちに感動を与えてきたということは地域の人たちにとっても大きな誇りだというのをそのとき感じました。ふだんあまりこういったものは見えてこないのですが、やはり心のどこかに吉野田獅子踊は地域の誇りであり、宝であるという意識があるのだというのをつくづく感じました。

 地域の絆を深め、北と南の人の心と心をつなぐ獅子踊りというものをこれからも、私たちは大切に守っていきたいと考えています。

 ところで、これは余談なのですが、大分県の久住町までということでしたので、大分空港を手配、大分空港からはバスをチャーターして久住町まで行きました。
 久住町に着いたところ、町の人から、「どの空港におりられましたか」と聞かれました。

 「大分空港です。」と答えたら、「そりゃあ遠かったですね。」と、言われました。実は、“熊本空港”の方が近いんだそうです。

 そんな笑い話のようなエピソードも、よい思い出。獅子踊りを通した、こうしたありがたい思いは、今も私たちの心に消えることなく残っています。


(完)



 <事務局注>
 以上、吉野田獅子踊保存会の複数の方々の声をまとめ、保存会から発せられた一つの声として読めるよう、保存会の方々の審査承認のもと、構成・掲載いたしました。


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