(443)宮田獅子舞 これまでの歩み その11 |
2005年 1月11日(火) |
【歌い手のこと】
歌い手は、その地域によって例えば、手びらがねをやっている人が、かけもちで歌うなど、いろいろなやり方があるようですが、宮田の場合は、当時、歌い手が一人いたので、その人に専門にやってもらっていました。
その人は、本当に良い声で、唄の好きな人でね。
民謡の王座をとったほどの人です。
こういった人が歌うのだから、さぞ評判もよいだろうと思われるかもしれませんが、猿賀の奉納大会へ行くと、あんまり声がよすぎてダメだと言われるんです。 おもしろいものですね。
要するに獅子踊りの唄というのは、わかるかわからないかのように、口でモゴモゴ言ったような歌い方をしないとダメなのだそうです。
念仏と同じで、あんまり、はっきり歌詞がわかるように歌わない方が好まれるんですね。
神秘性というか、神聖というか、なにか、こういった思想的なところから出ているんでしょうね。
「なんて言っているんだ」「何と歌っているんだ」と、耳をそばだてるような感じを持たせないとよくないのだそうです。それを、はっきり朗々と歌うと、「今のカラオケと違うんだから」「歌謡曲を歌っているんじゃないんだから」「ちょっとそれは違うんだ」とよく言われたものです。
ですから、発声がしっかりしていて、声が良すぎる人はかえってダメなんですね。 不思議ですよね。
(つづく)
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(444)宮田獅子舞 これまでの歩み その12
| 2005年 1月12日(水) |
【人集め】
さて、神社の話に戻りますと、宮田の神社は大祭になると、市内から宮司さんが6〜7人来ます。そして舞をまって、神楽をやります。 ですから、大祭には30万円ぐらいの経費がかかります。
このように、お金がかかりますので、他の地域は2年に1回とか、3年に1回とかの割合でやっているようです。しかし宮田は毎年、絶やさないで続けています。 できるだけ、今後も継続していこうと考えています。
前は、こうした大祭でも獅子がよく踊ったものですが、今はやっていません。
やはり、大祭はお盆中でしょう。8月15日ですから。 この時期は、みんな忙しいので、なかなか獅子が踊れないのです。
獅子舞(獅子踊り)は人数が必要ですからね。 踊り手4人、囃子は太鼓・笛・手びらがね、単純合計して7人ですが、囃子方は2人ずつは必要ですし、道具運びなども入れると最低でも15〜6名は必要です。
よく冗談で「獅子」を、九九の「四×四」になぞらえ、「シシ16人」と笑ったものですが、やっぱり、それくらいの人数は必要になるんです。 これだけの人数を、お盆の忙しいときに集めるとなると大変です。
今はお盆でも平日にかかったりすると仕事があって休みでない人も多いので、人数集めも思うようにいかないのです。
ただでさえ若い人も少ないですしね。
では、子どもを、ということになりますが、これが、子どもとなると、親もついていかなければならない。
さらに子どもの数が少なくなってきたところに、塾だ部活だと子どもたちもそれぞれ忙しい。
こういった状態で、子どもたちを集めるというのも、これまた大変なことなのです。
これはお盆時に限らず、獅子舞の参加者不足というのは慢性的な傾向で、踊りが若い世代に継承できず廃れていくところが少なくないというのもよくわかります。
私たちも子どもたちへの指導はずいぶんやりました。その子どもたちを、小学校・中学校の校長先生にお願いし、猿賀神社の奉納大会に連れていったものですよ。
(つづく)
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(445)宮田獅子舞 これまでの歩み その13
| 2005年 1月13日(木) |
【子供たちへの指導】
子どもたちへの指導ですが、当時、地域の公民館などを利用して、一週間に1回ぐらい指導に行きました。 仕事から帰ってきてからなので、夕方6時ぐらいから始めて1時間ぐらいやりました。 その指導も小学生まではいいんですが、中学生になると受験だなんだと、やっぱり来なくなります。 男女問わず、誰でもいいからということで、あのころ召集をかけましてね。 女の子には鉦とか太鼓とかの囃子を担当してもらい、できるだけ男の子には踊りを教えました。
あのころは囃子方が間に合っていたということもあって、指導は踊りが中心でした。初めて来て、いきなり笛をやってみなさい、と言っても大変ですからね。やっぱり踊りからやらせたね。 ただ、宮田の場合は12の演目があるので、それをいきなり全部マスターさせるというのは無理があります。そこで、演目を選んで、要所、要所を教えていきました。
好きな子だったら進んで全部覚えられるんでしょうが、そんな子ばかりでもないので覚えてもらうのに苦労しました。
実際、私も20代の頃、初心者としてスタートして、獅子舞の12の演目全部をマスターするまでは大変でしたからねえ。今では笛と太鼓が鳴れば、体が一人でに動くという状態ですが、こうなるまでは相当な練習が必要です。私も苦労しましたので、初めて獅子に向かう子どもたちの大変さはよくわかります。
宮田の踊りは、最初から最後まで首を振るので、やっぱり獅子頭をつけて練習するのと、しないのではずいぶん様子が違います。そこで、子どもたちへの指導用に、小さい獅子頭を別に作りました。こうして正装し、緊張した舞台での披露という場数を踏ませないと上達しないので、後継者を育成の意味から、現在の宮田グループは、子ども組を中心に毎年3組ぐらい猿賀の大会に出ているようです。宮田組は、猿賀の大会で今も活躍しているはずですよ。 ただ、現在は私たちがやってきたような各戸回りはやっていないみたいです。
大通りは回っているようですが、やっぱり時間もかかるし、きついので昔のような形で回れなくなっているようです。
(つづく)
〔事務局注〕 去る2005年1月7日(金)、青森市の昭和通り商店街のイベントとして、ストリートに面する商店すべてに獅子踊りの門付けがおこなわれました。 獅子踊りは宮田地区の子供たちにお願いしたそうで、盛況に終わることができたそうです。子供たちも寒い中、ずいぶんがんばり、来街者の中には宮田地区の獅子芸能を知らない方も多く、多くの方にその存在をアピールできたのでは、とのことです。 以上、イベントにかかわった方からのご報告でした。
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(446)宮田獅子舞 これまでの歩み その14
| 2005年 1月14日(金) |
【道具を眠らせないで】
昔は、宮田の囃子方はわりと足りていたのですが、だんだん囃子方も少なくなってきているようです。 囃子方の育成はなんといっても笛が要であり、その笛の指導は子どものころから始めるのが一番です。子どもたちへの指導にはネブタの笛から入り、それをとっかかりにして獅子の笛を教え込むという道筋になっているようです。そのほうがスムーズに行くようですね。
ただ、宮田でも、子どもの数が少なくなってきており、どこまで子どもたちに継承していけるか。こういった問題を抱えています。私の若い頃は青年団があり、その団長も1〜2年やったことあるのですけれど、今は青年団を組織したくても、村から若いものが外に出てしまって、ほとんどいないですしね。 せっかく笛を子どもの頃に仕込んでも、肝心の村回りの時期に宮田に集まれないということで、囃子方も閑散とした状況になりつつあります。 録音素材、今はCDですか。こういったものに合わせて踊るしかないという事態だけは何としても避けたいところですね。
現在の保存会の方たちが、がんばっておられるので大丈夫だとは思いますが、我々が若い頃そうであったように、踊られることなく獅子の道具が、ひっそり眠りにつくという状態だけにはしたくないものですね。
「道具が眠る」といえば、宮田の獅子は、神社に保管しているんですが、この獅子の他に、「権現獅子」も、宮田の神社にはあるんです。これも過去には囃子とか踊りとかあったらしいんですが、今はもうほとんど眠ったきりです。 すでに私の若いころ、古老に尋ねても権現獅子の舞や囃子については、誰も記憶していない状態でした。と、いっても、何年も眠らせたままにしておくと、よくないことが起こるという伝承があったりしますので、何年かに一回は権現獅子も村回りをやります。 もっとも、私たちの獅子の村回りのときに、一緒にリヤカーや軽トラックに積んで持ち歩くということなのですけれど。
その他、単独で権現獅子だけ太鼓を鳴らして村を回ったりすることもありますが、踊りはわからないので、やっぱり、ただ持ち歩き、獅子頭で清めのために噛んで歩くというだけです。宮田では、どちらかというと、その権現獅子が神というか、信仰の対象であり、我々の獅子舞の方は、あまりそういった意識がないようですね。
村の人たちは、宮田の獅子舞は信仰の対象というより、もっと身近な親しい存在としてみているという感じですね。
(つづく)
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(447)宮田獅子舞 これまでの歩み その15
| 2005年 1月15日(土) |
【太鼓】
一般に、獅子舞というと「権現獅子」のことを指すようなのですが、宮田では、いわゆる「獅子踊り」を、獅子舞と呼んできていることについては、すでに述べました。
その宮田の獅子舞は軽快。 のらりくらりとした場面はありません。テンポも速い。したがって、踊りは若くないとできません。 高齢になると、踊りを知ってはいても、体がついていきません。
熊獅子系の踊りは、膝をついてみたり、地面をゴロゴロしてみたり、そういった部分も含まれた荘重な雰囲気の踊りとなりますが、宮田の場合は、最初から最後まで跳ねる踊り(鹿獅子系)なので、体力的にきついのです。 ですから、良い踊りを見せるならば、踊り手は40代がせいぜいだと思います。
笛のメロディーの変化に合わせて踊りが変わっていくので、笛が囃子をリードしています。では、笛だけあれば踊れるかというとそうではないんですよ。 これは、実際に踊ってみないとわからないと思いますが、あの太鼓の「ドン」という音がないと足が上がらないものなんですよ。
疲れてくると余計にそうです。
笛だけだと踊れなくなってくるんですよ。
あの「ドン」という腹に響く低音が入ってこないと、足が上がらないんです。
きっと、ネブタも同じだと思います。 あの太鼓の音があるからこそ長時間、跳ねていられるのだと思います。 やっぱり、ここなんですね。笛があって、太鼓があってと。 だからこの二つは絶対に外せないのです。
だからといって、太鼓がたくさんあればいいかというと、今度は笛との音楽的なバランスが崩れてしまうので大変です。 しかも、太鼓は一種「生もの」ですから、晴れは弱め、曇りは強めに張るなど、天候によって皮の張り具合を変えます。太鼓が一つだったら調整も楽ですが、いくつもあったら、音の鳴りをそろえるのに大変なんですよ。 だから本当にうまいところは、太鼓を一つしか持っていきませんね。 囃子方の楽器間の調整も、実は難しいものがあるのです。この、笛と太鼓に、手びらがねがついた構成が、昔からの宮田の囃子方のスタイルです。 他の県ではここに「ササラ」が付属することもあるようですが、津軽の獅子踊りは、これが標準的な囃子の形態のようです。宮田もこれを踏襲しています。
猿賀の奉納大会が終わった後、向こうの役員なんかと一杯飲みをやったりするんですが、そのときに聞いた話では、各地区の獅子の囃子を楽譜にしたいという試みがあったようです。しかし、結局できなかったようです。
囃子には、五線譜の中におさまりきらない音や節回しがたくさん出てきますから、これを正確に書き取るというのは、やはり無理だったのでしょうか。 楽譜にできれば、子どもたちへの指導も楽になるとは思うんですが、楽譜化するというのも大変な作業のようなのですね。
(つづく)
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(448)宮田獅子舞 これまでの歩み その16
| 2005年 1月16日(日) |
【サル役について】
では、宮田の獅子舞の「踊り」について詳しくご説明していきましょう。
我々がまず、右も左もわからない初心者の状態で踊りに取り組み始めたとき、雄獅子・女獅子・サル(オカシコ)といった役割を決めるのではなく、最初はみんなで基本となる踊りを一緒に覚えていきました。その後、ある程度踊りを覚えたところで役が決められるのです。私は、身長もあまり高いほうではなかったので、女獅子を主にやることになりました。 その後、担当者の都合が悪くなると、代役として、サルもよくやりました。
サルは普通は「オカシコ」と呼ばれていますが、宮田は「猿面」を使うということもあって、オカシコではなく「サル」と昔から呼び習わされてきました。 他の地域ではヒョットコ面を使っているところもあるようですが、宮田は完全な猿面を使っています。
そのサル役は、獅子の踊りの内容を全部わかっていないとできません。宮田の場合は後述しますが、全部で12種類の踊りがあります。この順番を把握し、こっちに動く、次はあちらに動くということを理解していないと、踊っている三匹の獅子を、うまく誘導できないのです。 ですから、サル役は、すべてわかっていないとできません。 現場を仕切る監督のようなものです。ベテランでないとちょっとむずかしいのです。
一つ一つの小さな演目がつながって、全体として、一つの大きな獅子舞の踊りとなっていくのですが、このつなぎの場で大活躍するのが「サル」です。
獅子を誘導し、無事踊りをスムーズにつなげられたら、踊りの主役は獅子に移ります。そうすると、次に獅子を誘導するまでの間、サルは暇になりますね。ここでサルは道化のような馬鹿マネをするんです。
サルは、踊りと踊りをつなぎ、踊りの最中も道化のようにふるまってお客さんを飽きさせないようにする。いってみれば、踊り全体の「潤滑油」のような役目を果たすわけですよ。
潤滑油がないと歯車が回らなくなるように、サル役が下手だと、踊り全体もうまくいかなくなります。
確かにサルは、道化のような馬鹿マネもしながら踊るんですが、決してバカではなく、知的重要な役割を担っているわけなのですね。
(つづく)
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(449)宮田獅子舞 これまでの歩み その17
| 2005年 1月17日(月) |
【宮田獅子舞の演目】
それでは宮田獅子舞の12の演目をご説明いたします。
@参進 A追い込み B丘咲き C追い込み D山取り E山のほめ F追い込み G女獅子隠し H女獅子のほめ I松にからまる Jお暇(いとま)の舞 K丘咲き
上記が宮田の獅子舞の演目となります。先述した私の創作した「つなぎの踊り」は、「H女獅子のほめ」と「Jお暇の舞」に含まれています。 踊りの創作にあたって、歌詞が復元できていたので、だいぶ助かったというところもあります。おそらく今見ても、どれが新しい踊りで、どれが昔からのものかわからないはずです。たぶん今では、踊っている人たちも、どこが新しい部分なのかわからないと思います。 スムーズにうまく踊りがつなげられたと思っています。
踊りの内容ですが、これは次のとおりです。
@参進 道路を歩く、神社へ向かう踊り
A追い込み これは一種のつなぎの踊りなんです。
B丘咲き お客さんへ最後に頭を下げる挨拶の踊りです。
C追い込み また、つなぎの踊りです。
D山取り 我々は昔からこう呼んでいるんですが、他所では皆さん、また違った呼び方、たとえば「山の踊り」などと呼んで、竹を三本立て、それにしめ縄を回してというあの踊りなんです。 宮田では、山を表す木は一本だけです。昔から柳が使われることが多いのですが、うまい具合に柳が使えず、竹を使うこともあります。 その一本の木を下で裏方となる人間が支えます。人間を使わず、道具で木を地面に固定してしまう場合もあります。 E山のほめ 木を担いで踊る場面です。 山を表す「木」は、要するに自然の象徴なわけですね。自分たちが住む自然、その領地を象徴的に表した一本の木を担ぎ踊るということは、ここが自分の住みかだということを表し、「ここは、よい場所ですよ。よい地域ですよ」と賛美、つまり「ほめて」いるわけです。そういった意味が込められています。 F追い込み また、つなぎの踊りとなります。
G女獅子隠し 他所では「女獅子争い」と呼ぶところもあるようですが、宮田は「女獅子隠し」と呼んできました。しかし、内容は同じで、一匹の女獅子を、二匹の雄獅子が取り合うという踊りです。 先の「山のほめ」、そしてこの「女獅子隠し」が全演目中の要となり、踊りも必然的に熱が入るので、この辺が、一番疲れます。 女獅子は角が一番小さいので見ればすぐわかりますが、その女獅子を最初、子獅子が隅に隠します。 そこに大獅子が向かっていき、大獅子が子獅子を投げ飛ばします。そして大獅子が女獅子を連れて反対側に隠すんです。 そこへ子獅子が向かって行き、また争いとなるんです。そして大獅子が投げられる。 ですから、どちらが勝つ負けるということではないんです。宮田の場合は必ず一回ずつ女獅子を取り合い、どちらも勝ち負けが公平となり、一対一の引き分けで終わるのです。 H女獅子のほめ 二匹の雄獅子が奪い合った女獅子をほめる踊り、ここで争いも和解に向かっていくわけですね。
I松にからまる 「松にからまる」というのは、三匹の獅子が腕を組んで一本の木になったような格好で踊るんです。もっとも踊るというより、実際的には回るんですけどね。 こうして、三匹の獅子がくっついて、全体として大きな松の木を表現し、その自分たちが体現した松の木をほめるという意味があるのかもしれません。 松は昔から、特別な意味を持つ神木として扱われてきましたので、「自然」と「三匹の獅子」が和合することで、はじめて神的な何かに近づけるということなのでしょうか。 自然と共生することで、はじめて、より良い生活が営める。なにか、そんな戒めなのかもしれませんね。
Jお暇の舞 これで終わって帰りますよ、という踊りです。 お暇(いとま)の踊りは、他所では「迎船がやって来て、戻れとの命がきたので帰ります」という内容になっているところもありますが、宮田の場合は「船」という言葉は、歌詞のどこにも出てこないんですよ。
K丘咲き そして最後に、また挨拶の踊りをして、全体を締めくくるというわけです。
(つづく)
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(450)宮田獅子舞 これまでの歩み その18
| 2005年 1月18日(火) |
【宮田獅子舞の特異性】
ところで、演目をご覧になってお気づきの方もいるかもしれませんが、他所の獅子ではよく見かける「橋渡り」の踊りは、宮田獅子舞ではないんです。
昔はあったんじゃないか、という人もいるんですけれど、私らが始めたときには、すでに演目の中に存在していませんでした。 しかし、その「橋渡りの踊り」を踊れと言われたら踊ることはできますよ。奉納大会などで、他所のを見ているので、それなりに踊ることはできます。
このようにイタズラ的に踊ることもできるわけなのですが、私らが古老から継承した演目の中には、そもそもなかったので、あえて宮田の獅子舞に「橋渡りの踊り」を取り入れるということはしませんでした。だって、宮田では道具としての「橋」そのものも見たこともないしね。 ないものを無理に取り入れることもないでしょうから。
あと、ないといったら、普通どこの獅子でも腹に小さな太鼓をつけているんですが、これも宮田の場合はないんです。 「葛西覧造賞」というのが猿賀の奉納大会であり、このことからもわかるように、津軽獅子踊の発展に大変な功績を残されたのが故 葛西覧造氏です。 ご子息の葛西矯先生には宮田まで来てもらい講演をお願いしたり、あるいは善知鳥神社で講演してもらったりと、ずいぶんお世話になりました。 その際、宮田の獅子舞の話にもなるのですが、葛西先生も、腹に太鼓のない獅子は普通考えられないっておっしゃるんですよ。
もともと宮田の獅子舞には、腹につける太鼓がなかったのか、あるいは途中からなくしたのか、これは我々にはわかりません。
途中から外したのであるなら、振り付けの中に太鼓を叩くような仕草が残っていてもよさそうですが、そういったものもまるでありません。 と、いいますか、宮田の場合は踊りが活発なので、獅子が太鼓を叩いている暇が、そもそもないんです。 やはり、もともと腹につける太鼓とは縁がなかったのか葛西先生も不思議がっていましたよ。
さらに、他所では明治以前は獅子踊りの中に、いろいろな俗的要素、つまり、性的な表現ですね。これをいろいろな道具を使ったり、雄と雌の獅子の仕草で表現したりということがあったようです。 宮田の場合は、そういったものもないんですよね。 若いころに古老から話を聞いても、そんな表現が昔あったと誰も記憶していませんでしたしね。
このように、「橋渡り」「腹太鼓」「踊りの表現」などにおいて、他所とは明確な差異があります。
もちろん、囃子も独特で、名称も獅子踊りの形式なのに「獅子舞」でしょう。
やはりこれは宮田に根を下ろした獅子が、独自の発展を遂げた結果なのではないかなと考えています。
(つづく)
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(451)宮田獅子舞 これまでの歩み その19
| 2005年 1月19日(水) |
【ビデオ制作のこと】
宮田獅子舞の演目についてお話しいたしましたが、正式にこれらを全部やると、最低でも30分はかかります。 そうなのですが、猿賀の奉納大会に行くようになってからは、短縮版で踊られる機会が増えてきました。 奉納大会には、出場する組が多いので、20分以内でやりなさいと時間が限定されるんですよ。 ですから、奉納大会に出るようになってからは、20分でまとめるような踊りが宮田でも踊られるようになってきました。他所でも、途中の演目を外すとか、一つの踊りを短くするとか、そんな工夫をして短くしているようですね。
でも、これも弊害もあって、やっぱり、本来の踊りをやらないと忘れてしまうんですよね。 短縮版はあくまでも奉納大会用であって、本来の30分以上の踊りも忘れないように、折に触れ踊り、若い世代に伝えていく必要があると思います。
青森県の獅子踊の組織があって、我々もその組織の大会である「猿賀の奉納大会」に何度も行ったのですが、そのうち、当時の宮田獅子舞保存会の会長の小笠原氏が、県の組織だけではなく、青森市独自の組織があってもよいのではと、青森市の各獅子踊保存会に呼びかけ、青森市獅子踊保存会の連合組織が作られました。事務局は青森市の善知鳥神社に置かれ、講演会や勉強会も、ずいぶん熱心におこなわれました。 昭和62年には青森市教育委員会と共同して、青森市内の獅子踊(舞)の各保存会ごとに、専門家によるビデオ収録もおこないました。
宮田のものも、もちろん収録してもらいました。その映像の中では私はサルをやっています。あのときは宮田の神社で撮影したのですが、雪のある、足元の悪いときに撮ったので、あまり良い踊りにはなっていないのですが、一応、宮田の獅子舞も、映像に残すことができています。
テレビで放映されたこともありますが、それは部分であって、プロの機材で全部の演目を収録してもらったというのはこれが唯一でしょうか。
【面の効果】
ところで、普段はおとなしい人でも、オカシコ面をつけたり、獅子頭をつけて踊っているうちに人格が変わってしまう。 このような「仮面の神秘力」が話題になることがありますが、やっぱりそれはあるでしょうね。 私も普段は物静かな方なのですが、獅子頭をつけたら、それこそ獅子になりきらなきゃいけない。サル面をつけたら、サルにならなきゃいけない、というわけで恥ずかしいなんて言ってられなくなります。 例えば、先に述べた「女獅子隠し」という踊りでは、雄獅子が取っ組み合いをするわけですので、おとなしくしていることは土台無理な話です。 もっとも獅子頭は高価なものなので、傷めるといけないので獅子頭同士をぶつけ合うというような荒っぽいまねはしないですけど、それでも跳ねたり、回ったり、サルの場合は道化のようなしぐさも加わったりと普段の自分とは明らかに違う人格変化が要求されます。
逆にそれが魅力、たまらないという人もいるのかもしれませんね。
人間にはもともと変身願望があるようですからね。
(つづく)
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(452)宮田獅子舞 これまでの歩み その20
| 2005年 1月20日(木) |
【津軽獅子の個性】
宮田だけではなく、獅子踊りというのは、各地区ごとに特色を持っているものですよ。 旧暦の8月14日、つまり、十五夜の前日ですね。 その日に津軽一帯から猿賀神社に獅子が集まってきて奉納大会をやりますが、それを見ると、まさに個性の競演です。私たちは「津軽獅子」といっても、最初から全然違うものだという意識で眺めていますが、初めて見る人は、「津軽獅子」というジャンルの中に存在している多様性に驚くようです。
形態として「鹿獅子」と「熊獅子」の大分類があり、同じ鹿系、熊系でもずいぶん違います。
各団体の踊りを見たり、囃子など耳にすると、影響を受け、似ている部分もないことはありませんが、やはりそれぞれが独自性を持っており、完全に同じものはありません。隣村でも、まったく違うくらいなのです。これは、村の風土というか、これまでの歴史が獅子踊りの芸能に凝縮され、何百年か経つうちに、それぞれ独自のスタイルへと結晶化していったからなのでしょうね。人それぞれ、顔や性格が違うように、村の様子も同じものはないですから、その中で育まれた獅子が個性を持つというのは、まったく自然なことだと思います。
逆に、画一化されて、まったく同じというのは不自然で、もし、そういう獅子があるとしたら、それは「盗んでいった獅子」です。青森市内でもそういった獅子があるようです。 「盗んだ」という表現は、ちょっとオーバーな表現かもしれませんが、つまり、婿さんに来て、前にその人が踊っていた獅子を別の村で教えた。本家、分家の関係ですね。 そういった獅子は似ています。ほとんどそっくりでしょう。
しかし、たいていは、根っこは同じでも、各村々に入ってきて、その土地の風土に触れ、その土地の人々によって何百年も踊られているうちに個性化してくるのが普通です。
囃子にしても、踊りにしても、それがいえます。
実際、青森市内だけ見ても、歴史ある団体の獅子は、笛はもちろん、唄われる言葉、そして踊り方、それぞれの団体ですべて異なっています。 各地域の個性が出ているんです。 また、それぞれの団体がその個性と独自性に誇りを持って継承してもいます。
こういった個性は、ある意味、村の誇りでもありますので、他所の獅子の、あの部分がよいからといって、踊りなどを、安易に真似したりするようなことはしません。 やっぱり、それぞれ何百年という伝統と誇りがありますからね。
宮田の獅子舞もその個性、独自性においては、他所に負けないものを持っていると思っています。
このような個性ある獅子ですので、宮田の土地からは、絶やしたくはないですね。
ただ、言うはやすしで、実際に維持していくとなると大変です。何でも波があるようで、話を聞くとそれぞれの団体で浮き沈みをいろいろ経験しているようです。
あと15〜20年ぐらいして、宮田の獅子舞が途絶えかけたら、かつて私が若いころに先輩から指導されたように、今度は私たちが若い世代に継承していかなければならないのかなあと思っているところです。
写真を見ても、私たちに指導された方々は、ほとんどがお亡くなりになってしまいましたしね。今度、もしものことがあったら、後進への指導は私たちの世代の責務になってくるのかもしれませんね。
(終わり)
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