青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2005年1月(3)>

(453)新年雑感
(454)新城獅子踊 第1回
(455)新城獅子踊 第2回
(456)新城獅子踊 第3回
(457)新城獅子踊 第4回
(458)新城獅子踊 第5回
(459)新城獅子踊 第6回
(460)新城獅子踊 第7回
(461)新城獅子踊 第8回
(462)新城獅子踊 第9回
(463)新城獅子踊 第10回
 
(453)新年雑感 2005年 1月21日(金)
 以上、昨日までの連載文は、昨年2004年8月11日(水)、今も宮田にお住まいの和田一久氏のご自宅に伺い、取材したものです。
 録音したものを活字におこし、それを審査していただき、承諾を受けた後での掲載となりました。

 伝統芸能もバレーやオペラなどと同様に、音楽をベースとした総合芸術として位置づけており、当協会では青森県の「古くからの芸能の情報」も集積保存しております。

 保存の対象は、形になった紙資料や録音物(映像資料も含む)だけではなく、無形のこれまで活字になることのなかった情報も含め、ただ今、伝統芸能を含め、ジャンルを問わず精力的に集めております。

 集められた資料は、将来の青森県の財産にすべく、物質的なものは県内の公共施設に搬入保管(現在約400点完了)。

 一方、無形の情報、すなわち、関係者の頭の中に残されている“記憶”という情報は、こちらのホームページに活字化、アーカイブいたしております。


 当協会の活動は、営利を目的としたものではなく、県行政の財政事情により、“県民生活に直結する部分”のみが優先されることによって、切り捨ての対象となっている文化的な部分。
 これをなんとか補っていけないものか、ということで、やむにやまれず、青森県音楽資料保存協会が有志によって設立、手弁当のボランティア奉仕により、コツコツ作業が進められているものです。


 こちらに掲載している情報の取材には、少なからぬ経費がかかり、得られた情報をまとめる際には大変な労力と時間がかかります。このような経済的な損失を回収するため、出版物のような形にして発表するなどの商売に結びつけていく方法も一つにはあります。
 しかし当協会ではそのような方針はとっておりません。


 “ふるさと”から湧き上がってくる情報は、郷土の人たちみんなの財産ですので、独占的に特定の人や団体が占有しておくべき性質のものではなく、それをみんなで共有し、ふるさとの文化を高めていく素材として活用してもらいたい。このようなわけで、原則無償でホームページを通し、情報を随時提供いたしております。

 しかし無償提供される情報だからといって、事務局としては手を抜きません。
 ご覧になってくださる方がおられる以上、内容を徹底的に掘り下げ、読まれる方に必ず何か得るものがあるような、価値ある情報の発信を心がけています。
 ここにアーカイブされた情報が青森県、さらには全国の方のお役に立ち、そのことで文化活動が活性化し、発展していけば本望です。

 そのようなわけで、明日から新たな連載を開始いたしますが、先日も秋田県の研究者の方から「青森県では普通のことでも、全国的に見ると、これはかなり特異なものですよ・・」とのご指摘を受けたばかりの情報です。どうぞ、ご期待ください。
 
(454)新城獅子踊 第1回 2005年 1月22日(土)
 それは特異ですね。
 津軽独特のありようじゃないですか?
 先日、こんな声をいただきました。

 津軽の獅子踊りはたくさんありますが、そのほとんどが各集落で組織された保存会で運営されています。こういった中、津軽地方でただ一つ、個人の家で管理するというスタイルで継承され続けている獅子踊りがあります。それが青森市の「新城獅子踊」です。


 昨年平成16年8月10日(火)、獅子踊り歴60年以上という新城獅子踊保存会の会長、中村義一氏にいろいろとお話を伺うことができました。
 中村氏も語っておられますが、新城の獅子踊りは集落での共同管理ではなく、今も個人の家の持ち物として運営されており、かつての津軽地方では、このような獅子のあり方が珍しくなかったそうです。
 私もそのお話を聞き、そうなのかと、何の不思議も抱いておりませんでしたが、これは全国的にみても、大変特異なスタイルだということで驚きました。


 青森県民にとっては普通のことでも、全国的に見ると、県内に存在する古くからの伝統文化はかなり特異な色彩を放っているということは、津軽三味線やネブタなど、数多くの事例を挙げることができると思われますが、もしかしたら、獅子踊りも、その一つなのでしょうか。

 では、たいへん注目される存在である新城の獅子踊り、その歴史について、中村義一氏に語っていただくことにいたしましょう。(掲載内容については、中村義一氏による審査・承認がすでに済んでおります)


・・・・・・・・・・・・・・


 【個人管理の獅子スタイルについて】

 昔は、津軽の獅子踊りは、個人の家の持ち物だったというケースが少なくありませんでした。
 それが時代の流れとともに、運営予算の面だとか、人員確保の問題だとか、いろいろな要因が重なって、個人では管理しきれなくなった。だからといって、このまま、なくしてしまうのもしのびない。
 そういったことで、集落の獅子好きの人たちが集まって保存会のような組織を作り、個人管理の状態から、その集落の獅子というように変わっていったようです。
 現在、青森県の津軽地方に獅子踊りの保存会は70組ほどあるそうですが、活動しているのは35組ほどだそうです。
 その中で昔ながらの個人管理で獅子踊りを運営しているのは、私たち新城だけということで、こんな古風な形態で継承しているのも、津軽地方では、もう私たちだけになってしまいました。

 (つづく)
 
(455)新城獅子踊 第2回 2005年 1月23日(日)
 【古くからのいわれ】

 私たち新城(しんじょう)の獅子踊りについては、400年ぐらい前、農作業をしていたところ、農具に何かひっかかるものがあった。
 よく見るとそこに獅子頭に似た石があった。
 それを当時の物知りに見てもらった。すると、これは大事な石である。
 獅子頭を作って祀った方がよいとのことで、それがもとになり、この地に獅子踊りが生まれたとの言い伝えが残っています。

 もっともその石は現存していませんので、これは、あくまでも伝説ということなのでしょう。

 そういったことを記した古文書も少々残っていたのですが、獅子を管理している増川家の度々の転居や、家屋が洪水にあったりするなど、資料が紛失してしまいました。
 残念なことです。


 こうして、新城の地に生まれた獅子踊りは、集落全体や、個々の家内の安全、無病息災、五穀豊穣、地鎮祭、新築祝などで、昔からおこなわれてきました。

 ところで、「獅子舞」と言ったり、「獅子踊り」と呼んだり、その名称の区別なのですが、実のところあいまいです。形態として、いわゆる獅子踊りなのだが「獅子舞」と呼んでいる保存会も実際あります。

 やはり、これは昔、殿様の前などに行って演じたときに「これはいい舞だ」と言われれば、なるほど、自分たちの獅子は「舞」なのだ。
 また、「これはいい踊りだ」と言われれば、自分たちの獅子は「踊り」なのか、そんな感じで、昔から呼び習わされてきたもので、あまり深い意味はないと思います。
 昔から継承している保存会が自分たちのは「舞」といえばそうだし、「踊り」といえばそれまでです。古くから、どう呼び習わされてきたかだけだと思いますよ。

 私たち新城の場合は、昔から「獅子踊」で通っています。


 津軽の獅子は、みんな、だいたい同時期にできたといわれていますが、熊獅子については山岳地帯に伝わり、鹿獅子については海岸地帯に広がっていったようです。
 
 新城周辺も、昔は低い土地で海岸地帯であったせいか、鹿獅子を継承しています。


 「獅子」は架空の動物であり、実際の鹿ではないのですが、鹿獅子に使われる獅子頭の角は女獅子を除き、枝分かれした長い鹿角になぞらえた形をしています。踊りも、鹿獅子の場合は華やかというか派手で、動きも機敏です。

 一方、熊獅子の方は、獅子頭の角は、短いのが、左右に一本ずつ立っています。
 囃子もテンポがゆったりして動作も荘重。こういった特徴があるようです。


 踊り手は、一匹のオガシコと三匹の獅子で構成します。
 獅子は先頭が雄獅子、二番目が女獅子、最後が、中(なか)雄獅子です。
 オガシコは鉦を打ちながら、三匹の獅子を導いていきます。


 そのオガシコは、猿の面、あるいはヒョットコの面など、3〜4種類の中から、自分たちの獅子に適したものが選ばれます。
 ただ、平内(ひらない)の方の獅子踊りを以前見たことがあるのですが、あそこのオガシコは面をつけないのです。素顔でやるんですよ。こうした例外はありますが、だいたいオガシコは面をつけます。

 私たちの新城は、昔から「猿面」です。

 ところで、髪で目をふさぎ、耳飾で耳をふさぐ獅子頭についてですが、これは、「悪いものを見ない・聞かない」。さらに鼻毛で口を隠しているのは「悪いことを言わない」。こういった邪文を封じる意味があるようですよ。

 また、獅子の幕に牡丹が使われているのは、古来より牡丹が「百花の王」として富貴の象徴となっており、「百獣の王たる獅子」との取り合わせにぴったりということで利用されているようです。

 幕の裾などに描かれる波文(はもん)は、「四海の平穏・不浄払い・身を清める」という意味が込められているそうで、衣装や道具一つ一つに、それぞれいわれがあり、こういったものは昔から取り組んでいる人でないとわからないものです。

 (つづく)
 
(456)新城獅子踊 第3回 2005年 1月24日(月)
 【新城獅子踊の演目詳細】

 獅子の「幕」の中に隠れているので目立ちませんが、獅子は腹に小太鼓をつけています。
 これを新城の獅子踊りでつけるようになったのは、今から50年ぐらい前で、それより前はつけていませんでした。
 踊りの中では、それはもっぱら合図用につかわれています。

 例えば、橋渡りの際、安全かどうか調べてきて、三匹の獅子がそろったところで叩き、「今、私が渡りますよ」、こんな合図をするわけです。

 幕がかかっているので手元がはっきり見えないでしょうが、落ちないように紐のついた小さなバチを手に持って踊っています。


 演奏を担当する囃子方の構成ですが、笛・太鼓・手びらがねがつきます。
 よって、踊り手として三匹の獅子にオガシコを加えた計4人。
 囃子方としては、最低太鼓1人、笛1人、てびらがね1人の合計3名。したがって、獅子踊りには7人は、必要となるわけです。

 さらにここに独立し唄い手がつく場合もありますが、新城は手びらがねの担当者が唄うことが多いです。各踊りの最初に、その演目の簡単な解説の意を持たせた短い唄をうたい、その後で踊りが始まるのです。


 他の団体を見ると、このほか囃子方にササラが加わったり、「大黒舞」「エビス舞」がつくなど、団体ごとに特徴を見せています。


 獅子踊りは、もともとは、一つの組や集団で神仏へ祈りを奉るさまの物語を舞踊化したものだといわれておりますが、新城獅子踊の演目は、次のようになっています。


@参進の踊り〔道行き、街道(けど)あたり〕
 一匹のオガシコと三匹の獅子が安住の地を求めて進むさまです。

A橋かけの踊り〔橋渡り〕
 山谷を進むうちに大川に出合い、橋を探していたところ見つかったので、その橋に危険がないかどうか安全を確かめて渡る踊りです。

B山かけ踊り〔山ほめの踊り〕
 この山は自分たちが安心して住めるかどうかをよく調べる踊りです。

Cしめ縄踊り
 ここなら安住の地としてよかろうということで、しめ縄を開放する踊りです。

D山かつぎの踊り
 四方囲(まわり)と自身の祓い浄めも終わって、山をかついで喜びを表す踊りです。

E女獅子争いの踊り〔女獅子を隠す〕
 踊りを楽しんでいるうちに女獅子が見えなくなったので、先頭の雄獅子が女獅子を探し、中獅子から女獅子を取り返す。こうした争いになるものの、オガシコの仲裁が入って最後には仲よくなる踊りです。

F暇乞(いとま ごい)の踊り
 飲めや踊れやと楽しんでいたところへ、国から帰れと知らせが来たので暇をもらって帰る踊りです。



 だいたい、以上7つで、「基本踊り」は全部で20分ぐらいあれば一通りできます。
 もっと長く踊ることもできますが、その場合は、基本踊りの繰り返しとなります。


 例えば、山を回る踊りですが、普通2回くらい回るところを、3回も4回もまわる。
 橋渡りにしても、橋が危険かどうか、獅子が頭をかしげて見るんですが、右に2回、左に2回やって、この橋は大丈夫だということで渡るのですが、それを3回も4回も見る。

 無駄というわけではないのですが、こういった繰り返しによって、時間が延びてきます。

 そういった部分を排除した基本踊りだけみると、新城の獅子踊りの場合は20分ということです。
 ただ、この踊りにしても現在のものは、私の若い頃とはずいぶん変えられてきました。

(つづく)
 
(457)新城獅子踊 第4回 2005年 1月25日(火)
【獅子踊りの教育的側面】

 「女獅子争い」の場面で、二匹の雄獅子がけんかをします。
 私の若いときは本当に取っ組み合いのけんかのようにしてやったものですよ。
 そうすると、角を傷めます。
 昔は、手作りの細工のない獅子頭だったからよかったものの、今は高価な獅子頭になっているので、角を修理するとなると何万円もかかってしまいます。
 そうなると昔のようなスタイルでは踊れなくなります。
 今はちょっとつかみあうぐらいで止めていますが、そうするとちょっと迫力がなくなるんですよねえ。しかし、これは仕方のないところでしょう。

 また、昔は踊りの中に、男女の性行為を連想させるような部分もありました。
 それを今の時代、一般大衆の前で披露するのも具合が悪いので、変えられました。
 そういった性的表現は醜いものとして切り捨てられてしまいましたが、昔は、それなりに意義があってやっていたことなのです。

 もともと、獅子踊りは農作業と密接な関係があり、五穀豊穣を願うという祈願の意が込められていましたので、繁殖を意味する行為が、踊りの中に含まれていたのは当然のことです。それ以上に大衆、特に若い世代の教育という面もあったと思います。

 例えば、我々新城獅子踊りの一番最初は「挨拶の踊り」ですが、これは、自分がどこかに呼ばれて行くようなことがあったなら、必ず挨拶をするものだ。
 そういった挨拶の仕方を教えているんです。

 二番目は「橋渡り」ですが、橋のそばにいって、ただまっすぐわたるのではなく、初めてのものは、危なくないのか、確かに安全なのかどうかを、しっかり見極める必要がある。
 こういったことを教えているんですよ。自分の知らない場所や物事に対しては慎重でなければならないという戒めですね。
 それを踊りを通し教えているともいえます。

 三番目の「山かつぎ踊り」では、『山』を表す三本の木を各獅子が一本ずつかつぎ、足をあげて跳びはね踊りますが、喜ぶときは、このように徹底して喜びなさい。こういったことを教えているのです。

 次の「女獅子隠し」では女性を争い、昔はそこでは性的な表現も見られました。
 これも、成人になればなったなりに、そういった動作もあるということを若い世代に教えているのです。

 最後の「暇乞いの踊り」ですが、これは、お暇をもらって帰る際にも、自分を呼んでくれた人に丁寧に挨拶して帰ってくるものなのですよ。
 こういった人生の基本を、獅子踊りを通して教えていったのです。


 昔のように教育手段が限られていた時代には、そんなことを教える人も集落には少なかったので、子どものときから、獅子踊りを通し、人生の基本事項を教えていったんです。
 こんな大衆教育という側面もあったように思いますよ。

 ですから、獅子踊りは単なる娯楽ではなく、それ以上の重要な意味を持っていたのです。その獅子の機能も、現在では他のものに代用されていますから、踊りそのものが、時代とともに変えられていくのはやむをえないところだと思っています。

 (つづく)
 
(458)新城獅子踊 第5回 2005年 1月26日(水)
 【運営方法】


 こういった事情で、本当の昔からの踊りを伝承しているところは、新城だけではなく、今では、ほとんどなくなってきているのではないでしょうか。

 大会などで、他の団体の踊りや囃子に影響され、よいところを取り入れたりということもありますから、そういった面でも、時代と共に踊りは変わってきているといえます。


 昔から獅子は増川家で管理しているのですが、今の時代、「増川家の獅子踊り」とするのも具合が悪いので、書面上の名称は「新城獅子踊保存会(しんじょう・ししおどりほぞんかい)」としています。
 しかし、参加者は増川家の親族が主で、獅子踊りは、半分増川家の「神様」、半分「郷土芸能」といった形になっています。

 保存会の組織にすると、規約を作ったり、いろいろ面倒な事務手続きが発生してくるため、そういったこともあって、昔ながらの運営が続いているという事情もあります。


 だからといって閉鎖的なものではなく、増川家以外の人でも、獅子頭をかぶれるなど、開放的な雰囲気で、昔から運営しています。もっともそうしないと、増川家でも家族が5人も10人もあるわけではないので、獅子踊りを運営していけません。必ず、よそから手伝いが入ります。


 青年団が中心となって運営してきたところもあるようですが、新城は、獅子踊りの好きな人たちが自主的に集まってきて踊っています。

 終わった後に、お酒が出たりするので、どうしてもお酒の好きな人が集まったりもしますが、まあこれは仕方のないところでしょうね。獅子踊りが終わって、そのまま、さあ解散というわけにもいきませんから。


 昨日の夜も会合をやったのですが、やっぱり、終わった後、ビールでも飲むかという話になります。
 そういったものも、ただではないので、それが全部、増川家の負担になってしまうと大変なことになります。
 そこで、そうならないように、他所で踊って得た謝礼などを貯め、その中から少し出すようにしています。

 いくら個人管理の獅子といっても、全部増川家の負担とならないように気をつかっています。


 (つづく)
 
(459)新城獅子踊 第6回 2005年 1月27日(木)
 【獅子頭】


 現在、使っている獅子頭は3代目か4代目です。

 私が若い頃かぶった獅子頭は、山から木をとってきてナタで割って、板を張り合わせて作ったような本当の手作りで、中にタオルを2本も3本も入れてかぶったものでした。

 細工のないものだったので、頭が痛くてね。

 早く終わらないものかと思って踊ったものですよ。


 今は、獅子頭も進歩し、中に竹で作ったザルを帽子のようにしてかぶるので、ずいぶん楽です。

 獅子頭の外装も、漆を塗ったりするなど、きれいなものに変わってきました。

 現在の獅子頭は、だいたい20年ぐらい使っています。

 今は、大会などもあり、目が肥えてきているので、昔ながらのみすぼらしい獅子の道具で踊るところはありませんね。


 しかし、昔は、獅子を持っているといったって、お金があるわけではない、ただの百姓だったんですから、衣装にしても、ただの赤色や青地の着物でした。

 金銀が入ったきらびやかなものでは、もちろんありませんでした。
 衣装がこのようになってきたのも、最近のことなのです。

 大会などで、他の獅子を見ると、「あれー、あそこの獅子がいいなあ、では自分たちのところも」といった具合に影響を与え合っているうちに、本当の昔のものがなくなってしまっているようです。
 あんまりきれいになりすぎてしまって・・。


 それも一つの憂えるところなのかもしれませんが。


 (つづく)
 
(460)新城獅子踊 第7回 2005年 1月28日(金)
 【猿賀奉納大会のこと】


 大会といえば、獅子踊りの県大会が毎年一回、猿賀神社で開かれています。

 これは戦時中、葛西覧造氏と斉藤浩氏の2人が中心になって、津軽に伝わる芸能を守っていかなければならないと、自家用車もないときに、自転車で各集落を回り、各地の有志に働きかけ、登山囃子は岩木山神社、獅子踊りは猿賀神社に奉納させて、保存育成していこうということで始まったものです。
 こうして、昭和18年に青森県獅子踊り保存会が結成され、奉納は確か翌年の昭和19年からスタートしたように記憶しています。


 今では、猿賀神社に大きな獅子踊りについての石碑が立ち、津軽獅子踊りの中心のようになっていますが、当初は、獅子とそれほど深いつながりのある神社ではなかったようです。

 旧8月1日に岩木山神社の大祭で登山囃子が奉納され、翌2日に、各地にある獅子の「獅子起し儀式」がおこなわれ、旧8月15日におこなわれる猿賀神社大祭の前日の14日に、猿賀神社に参集し、獅子踊りの競演奉納がおこなわれます。
 当初は63組が参加したそうです。
 現在は、だいたい20組前後が出演しています。

 今と違って出演団体の多かった昔は、時間が長くなってしまうので、1回に、2組ずつ、「熊獅子」がこちら、「鹿獅子」があちらといった具合に、同時におこなっていました。
 今は数が少ないので、そういったことはしていませんけれども。

 現在は1団体の持ち時間は15〜20分でおこなわれています。


 猿賀の奉納大会には、家主に不幸があったときは喪に服すので休みますが、それ以外は、毎年参加しています。欠席は5回ぐらいでしょうか。

 今年(平成16年)9月27日に行けば54回、すなわち、54年にわたっての参加です。

 地元の獅子で毎年参加というところはありますが、新城のような遠方から、このように毎年参加しているところは、それほど多くないようで、私たちを含め、数団体だけだと聞いています。

 交通事情が悪かった昔は、泊りがけで前の日に行って宿をとり、準備して当日本番に臨んだものです。


 (つづく)
 
(461)新城獅子踊 第8回 2005年 1月29日(土)
 【 受賞歴 】

 猿賀の奉納大会での受賞歴は次のとおりです。

●10年賞、20年賞、30年賞、40年賞、50年賞を各受賞
●神賞旗受賞5回(鹿獅子、熊獅子の総合の部)
●葛西覧造賞3回受賞
●優勝旗受賞5回(鹿獅子の部)


 私たちの獅子は歴史あるもので、絶えることなく長いこと踊られてきており、芸的にも完成されているので、いろいろな賞をいただいています。昭和27年には、北海道松前郡福島町で1ヵ月に及ぶ大漁祈願祭に招かれたこともありました。

 今でも毎年、猿賀神社の大会に出かけていますが、すでに評価も定着し、いろいろな方に認められているので、最近は賞をもらいに行くのではなく、ただ獅子を奉納するために行くという感じです。
 最近、審査外出場が増えているのはそのためです。


 今年(平成16年)行けば、54回。
 来年行けば、55回で区切りがいいので毎年、増川家で打ち上げをやってはいるのですが、来年は、どこか立派な所で打ち上げをやらなければとの声も上がっています。

 これだけの歴史がある獅子踊りなので、青森県の無形民俗文化財の指定を申請すれば取れるのでしょうが、あえてとらないことにしています。

 指定をもらうことによって、よい面もありますが、県の民俗芸能の代表ということで縛られてくる面も考えられるので、私たちとしては、そういったものとは無縁な、これまで通りの自由な活動をやっていきたいと考えているところです。私自身、個人的にも、あまり束縛されるのは好きな方ではないのでね。


 猿賀の獅子踊り大会の常連ということで、私も理事になっています。この時期(8月)は、大会を前に、総会やら、その前の役員会など、猿賀と新城を往復せねばならず、忙しい時期です。

 今年(平成16年)は賞が2つあって、昭和14年生まれの人が「功労賞」、つまり65歳以上の人ですね。また、45歳以上は一般表彰となります。

 定員枠はないのですが、年齢の審査は厳密にやります。

 仲間内で気軽に賞を乱発しても価値がなくなりますので、何十年以上やった人、何歳以上の人といった基準を設け、確かにそれに該当するか、しっかりと審査するのです。
 こうして該当者には賞状、功労賞になればメダルを授与します。

 私も10歳ぐらいのときから獅子踊りをはじめて、今、70歳ですから、もうかれこれ60年、獅子に関わってきています。
 功労賞もいただきました。
 何かあれば下げて歩くんですが、メダルの中に獅子の「獅」が刻まれています。これは獅子関係者で30年から40年ぐらいやった人に厳正な審査で与えられるもので、いってみれば、獅子踊りの勲章のようなものです。

(つづく)
 
(462)新城獅子踊 第9回 2005年 1月30日(日)
 【仲間との交流】

 このように毎年猿賀の大会に行っていますので、それぞれの獅子踊りの関係者とは顔なじみです。
 奉納大会の最中、踊りの舞台となる「山」にお酒が2升上げられるのですが、踊っている相手の「山」に私たちの方から上げたり、その逆に、私たちが踊っている時に上げていただいたり、「あら、お酒をあげてもらった。それじゃあ、こんどはお返しに」といった具合でね。
 他の組の人たちとは、踊っている最中にこういったやりとりがあるんですよ。

 また、大会の前後には一緒によく飲んだりもします。
 結局、そういった交流が楽しいので行くという面もあるんです。

 猿賀に来るという人で、「獅子の嫌いな人」はまず、いませんので話の合う仲間ばかりです。
 40歳を過ぎた年配者にとっては、一年に一回、こうした知り合いと顔をあわせる楽しみが大きいのです。

 ただ、獅子に「酒」がつきものなので、酒で倒れる人が多いのも事実で、この点は残念なところでもありますが、これも、致し方のないところなのかもしれませんね。


 こうして飲んで話をしていると、愚痴のような話が出ることもあります。抱える問題といえば、どこも同じで後継者です。早く跡継ぎを育てなければというそんな話がやっぱり多くなります。


 活動が休止していたようなところが、何かのきっかけで息を吹き返して活発な活動をする。その逆もありますが、どこの団体も、このような浮き沈みを必ず経験しているようです。

 私たちも、そういった存続の危機を2回ぐらい経験しています。

(つづく)
 
(463)新城獅子踊 第10回 2005年 1月31日(月)
 【継承の危機と人員の問題】

 私たちの獅子踊の継承の危機は2回ありました。

 やはりそれは獅子を管理している増川家の当主が亡くなった時で、30年ぐらい前に1回、そしてつい3年ぐらい前に1回ありました。当主が亡くなった時というのは、獅子の継承が、やはりぐらつくもので、実際、この前は2年間、獅子踊の活動を休むところとなりました。

 囃子方はもちろん、踊り手もそれほど多くないので、急に誰かが腹痛などをおこしたりすると、囃子も踊りもすぐにできるものではないので、当日、別な人を用意できず、行けないということになってしまいます。
 1人でも欠けるとダメになってしまう。
 そんなギリギリの状態で運営している団体が少なくないのです。


 普通は予備の人員を抱えているものなのですが、一時期それがいなくなり、厳しい状態に突入することがあるのです。ここから盛り返せればよいのですが、ここで一人抜け、二人抜けると、もう踊れなくなってしまいます。こうして活動休止に追い込まれていく団体が少なくないのです。


 私たち新城は、幸いなことに、まだ、そこまでの、せっぱつまった状態となっていませんが、いつなんどき、そんな事態になるかわからないので、警戒しています。

 50年も前の昔なら、この辺は、ほとんど全部が農家なのでよかったのですが、今は職業がみんな違います。
 そうなると人を集めるのに特に苦労します。

 実は昨日も会合を開いてみんなに集まってもらったのですが、それは、何月何日に獅子に参加できるかとの確認、そしてお願いの意味が強いのです。

 特に、笛の人はJRの運転手ですから休みが不規則です。
 そこで、「8月15日、早くなくてもよいので晩7時に間に合うように、なんとか来てください!」、と神頼みのようなものですよ。だって、その笛の人が来ないと、もう踊れないんですからね。
 笛がいないと、あとの太鼓や獅子がいくらいても踊れないんですから。


 もちろん、笛だけでありませんよ。
 踊り手の人数確保も重要です。4人そろわないとだめなんですから。
 最悪の場合オガシコなら、誰かに一杯飲ませ、「獅子の後にいればいいから」と言っておだててやらせても、見ている人はオガシコというものはそういうものなのかなあと思って見てもくれるでしょうが、獅子の場合はそうはいきません。囃子に乗ってちゃんと踊っていかなければなりません。


 (つづく)


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