青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2005年2月>

(464)新城獅子踊 第11回
(465)新城獅子踊 第12回
(466)新城獅子踊 第13回
(467)新城獅子踊 第14回
 
(464)新城獅子踊 第11回 2005年 2月 1日(火)
 【笛】

 獅子踊りというものは、ネブタのように派手でもないし、カラオケのようにラクでもない。
 鹿獅子踊りということもあって、飛んだり跳ねたり、汗びっしょりで、普通、踊りは途中交替ということはありませんので、最後まで通さなければなりません。このように汗をいっぱい出して、体力をいっぱい使ってやらなければならない。

 そういった意味で、あまり、楽しい踊りではないのです。

 もう少し、カラオケのように楽しいものなら来るのでしょうが、派手でもないし、疲れる。だからなのでしょうか。今の若い人は来ません。

 私は獅子踊りを10歳ぐらいのときから始めて、今、70歳なので、だいたい、もう60年ぐらいはやっていることになります。
 一応、笛以外は一通りやっています。
 しかし、今にして思うと、笛をやっておけばよかったと、つくづく思います。


 新城獅子踊の昔からの笛吹きの方は、もうお亡くなりになりました。
 その人には、30代と40代の息子がいるので、彼らにしっかり伝えればよかったのですけれど、完全に教えきらないうちに、他界されてしまった。後に残された子どもたちは、結局、しっかり習っていないものだから吹けません。
 なんでも小さいうち、若いうちといいますが、笛の場合は、特にそれがいえます。


 踊りなら、見よう見まねで、なんとか覚えられます。
 しかし、笛の場合は、メロディーを覚える以前に、笛そのものが鳴らない人がいっぱいいるでしょう。音を出すまでが、まずたいへんなのです。

 実は私も笛を持っているのですが、そういったことで、なかなか手がつかずに、奥にしまっている状態です。

 どこの獅子踊りの団体も、この笛の問題が一番切実です。


 3年前に増川家の当主が亡くなりましたが、やっぱり、私たちも笛でつまづくことになりました。

 そのとき、やっぱり自分も、笛をやっておけばなあと、つくづく感じたものです。


 たまたま、うちの獅子踊りの仲間の人が、ネブタに行き、そこの笛の人と知り合いになったので、新城の獅子踊の笛をちょっとやってみてくれませんか、と応援を頼むことになりました。


 (つづく)
 
(465)新城獅子踊 第12回 2005年 2月 2日(水)
 【笛がいなくなったらおしまい】

 笛の継承はあまりうまくいってはいなかったのですが、「音」だけは録音物にちゃんと残していました。そこで、それを応援を頼んだ笛の人に聞いてもらい、囃子を覚えてもらうことにしました。
 その笛の方は20代なのですが、個人賞をもらうような名手で、主に今までは、ネブタをやっていたのですが、新城の獅子踊の囃子も、このようにしてマスターしてもらいました。

 さらに、その方の知り合いで、五所川原の藻川というところから青森市内の大学に来ている人がいるということで、その人にも加わってもらい、現在、2名で、笛をやってもらっています。

 ネブタができれば、すぐにというわけではありませんが、だいたい獅子の笛も録音テープを聴きながら、1年ぐらいの練習期間があればマスターできるようです。

 これが50代の人だと、10年か20年したら、また笛吹きがいなくなるという事態になるのですが、20代の若手2名ですので、やや安心しているところです。この若手2名を核にして、笛の後継者も育てたいと思っているところですよ。
 やはり、他所の人に頼むのではなく、新城の地に笛吹きがいないと後々困りますものね。


 獅子踊りのメロディーは、似ているところもありますが、踊りの演目ごとに違っています。
 囃子は、楽譜があるわけでもないので、勘でやっていかないとダメ。
 したがって、笛吹きの主観がかなり入るため、笛を吹く人が替わると囃子も変化していきます。
 笛が囃子のテンポを引っ張りますので、笛が速くなると、踊りのテンポも速くなりますし、遅くなると、踊りもゆったりします。
 こういったテンポ感も、当然ながら笛吹きによって、多少違ってくるので、「踊りやすい笛」、「踊りにくい笛」といったものもでてきます。
 踊りは囃子に合わせ、囃子は笛を基本に構成されるので、このように笛が、全体のリーダーとなるわけなのです。極論すれば、笛さえあれば、あとは太鼓もカネもいらないくらいなのです。

 あくまで笛が中心。太鼓もカネも、笛に合わせて叩きます。笛のメロディーが変われば踊りも変わる、と獅子踊り全体を笛がリードしているのです。

 よって、笛吹きがいなくなったら、そこの獅子踊は、“おしまい”ということなのですよ。
 太鼓やカネ、そして踊り手だけいてもだめなんですね。


 一般に「鹿獅子」は、囃子のテンポが速いのですが、新城はその中でもさらにテンポが速いので、笛吹きは特に大変です。
 息が続かなくなるのですよ。
 歳をとるとなおさらです。
 笛は2人ぐらいいて、かわるがわる、2〜3分休んだりしてやるのが理想です。
 1人だと本当に大変です。
 笛だけではなく、囃子方は、各パート複数いれば、手を休めることができます。
 そうすると長時間でも絶えることなく流れていけますので、複数人、囃子方を抱えるのが理想です。

 笛と違って、太鼓や手びらがねの方は、踊りをマスターしてしまえば、メロディーも同時に頭に入っているので、自然に叩けるようになります。
 したがって、まず、踊りから入るのが基本です。

 (つづく)
 
(466)新城獅子踊 第13回 2005年 2月 3日(木)
 【バランス感が大切】

 新城獅子踊は、現在、踊る人は40代が2人、60代が2人います。
 その60代の人が、最近「疲れてきた」と言っているので、急きょ、中学生と高校生の若い人を教えています。

 私も10年ほど前に一回、オガシコを久しぶりにやったことがあったのですが、つまずいて転ぶところをしましたよ。
 頭ではわかっていても、歳をとると体がついていかないものなのですね。
 そういったことで、やはり踊りは、ある程度の若さがないとダメです。そこで、若手の育成にも力を入れているわけです。

 宵宮などの舞台は暗いので、多少下手でも目立たないということもあり、修行の意味もあるので、若手を積極的に出すようにしています。
 やはり、場数を踏ませないとうまくなりません。
 普段は衣装をつけないで練習していますが、やはり獅子頭をちゃんとかぶせて、お客さんの前で踊るという経験をさせないと上達していかないものなのですよ。

 今は、私は踊らず、もっぱら指導に回っています。一応、新城の獅子踊りは、笛以外は全部でき、猿賀の大会に毎年行って、よその獅子もいろいろ見たりしているので、そういった知識を土台に、後進への指導をおこなっています。


 さて、指導の上で重要なのが「バランス感」です。

 例えば、オガシコは、道化の役割もあるのですが、あまりふざけてもダメだし、かといって、まじめすぎてもオガシコ本来の持ち味が出ません。
 主役の獅子を邪魔しない程度に、適当にやらなければならない。そんなバランス感というものがあります。


 囃子にしてもそうです。
 にぎやかに、たくさんの人数でもって、太鼓や手びらがねをやればいいというものでもないのです。囃子は、笛が中心。その笛の音を通すためには、ほかの囃子が、あまりやかましくてもいけない。
 例えば笛1人に、にぎやかにしようと思って太鼓が3人もついたら、もう囃子が狂ってしまいます。
 ちょうどその辺のところのバランスをうまくとらなければいけないのです。

 今日は笛が2人いるなというときは、太鼓を2つか3つまではいいのですが、それ以上だと、やはりうまくない。
 また、これは太鼓の打ち手にも関係してきます。
 元気のよい若い者が叩くと太鼓の鳴りがいいので、それを考慮した人数の調整というものがあるのです。

 さらに天候ともバランスを取る必要があります。
 太鼓はその日の天候によって皮を締めたり緩めたりします。天気がいいのに、皮をビシッと締めると、軽く叩いただけで「ボン!」と大きく鳴ってしまいます。その反対に曇りの日は、皮の張りが弱くなりがちです。
 少し締めてきつくし、普通の音が出るよう調整しなければなりません。

 笛にしても、金属製もありますが、普通は素竹です。
 そうなると暑いとすぐ乾燥して吹きにくくなるので、水にぬらしながら吹いています。

 このように、その日の天候が、大きく獅子踊に影響してくるものなのです。

 こういった様々なものとのバランスを取ったその上に獅子踊というものは乗っているものなのですよ。

 (つづく)
 
(467)新城獅子踊 第14回 2005年 2月 4日(金)
 【将来への光】

 ここ新城では、権現様は権現様で、獅子踊りの獅子とは別に神社に置いています。
 お宮では、1年おきに神楽もやっています。
 本当は毎年やりたいのですが、新城の神社は格式があるので神楽をやるとなると、1人や2人ではだめなんです。
 やはり、5人ぐらいの太夫様をあちこちから招くことになります。
 ですから、お金もかかります。そうなると、毎年は、なかなか難しいのですね。
 かかるお金は、地域を回っていただいたものですべてまかなっています。


 神楽をやる場合は、15人ぐらいいる各町会長や、いろいろな関係協議会に全部声をかけなければなりません。筆で書ける人がいないということもあって、そういった事務処理も、ほとんど全部、私がやっています。
 一応、それに対する手当てをいただくのですが、ほとんどが電話代などの通信費で消えてしまいます。
 それどころか、たくさんの人に1年を通して何度も何度も連絡しているので、実際は私の持ち出しで、厳密には、赤字になっているのではないでしょうか。
 一年に一回きりの電話で終わればいいのですが、終わらないですしね。さらに話がこみいってきたりすると、直接行って話をしなければなりませんから、面倒です。
 もっとも、こういった損得を考えてやっていたのでは地域のお祭りなどできませんが・・・
 このようなボランティア奉仕で、収支を、なんとかトントンの線で進めているのが現状ですよ。

 こうした、ある意味、損な役回りをやっているというのも地域、もっと限定すると地域に伝わってきた獅子踊りが好きだからという一言に尽きますよ。
 いったん獅子に関わった以上、完全に体が動かなくなるまで、がんばりたいと思っております。
 もう60年、獅子踊りにかかわっていますが、まだ今のところ元気なので、新城の獅子だけではなく、新聞に他の獅子情報が出ていたら、切り抜くなどの勉強もし、精進を続けております。やはり、人から聞かれて、知らないとはいえませんからね。
 ある程度のことを答えるには、やはり、それなりの勉強も必要だと考えています。



 おかげさまで、今年(平成16年)も、いろいろなところからお声をかけていただき、地域のあちこちで踊っております。今日も教えに行くのですが、今、近くの西部市民センターでも教えているんですよ。
 今日で5回目です。

 5回やったからといって、すぐに覚えるわけでもないのですが、獅子踊りがこういうものであるということを、ひととおり指導しています。子ども中心ですが、大人も、直接は踊らないが、獅子の話を聞きたいとの興味を持った方が見学にみえています。
 普段は、増川家に広い車庫があるので、そこで練習しているのですが、最近は、このような施設からも声がかかり、利用できるようになっています。



 幸いなことに、新城の獅子踊りは、笛も20代若手2名、また、お盆の時期になると、若い者が自発的にやってきて踊ったりと、活況を見せ始めています。
 子どもたちに教えても、成人になると、どこかへ行ってしまい地域から消えてしまうのは事実ですが、新城の獅子踊りの場合は、それでも、いくらか「将来への光」が見え始めてきているという感じです。
 獅子踊りについて私が持っている技術、そして、いろいろな昔から伝承されている話は、地域にこれからも残していきたいものです。ここでお話しした内容が、少しでも、そのお役に立てればと願っているところですよ。


 (終)


(平成16年8月10日 中村義一氏宅にてインタビュー)

 ※中村義一氏による文面の審査、承認済。


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