青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2009年10月>

(791)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その8
(792)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その9
(793)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その10
(794)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その11
 
(791)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その8 2009年10月 4日(日)
 【女性囃子方の活躍】


 こうして、囃子方隊長として、20年以上いろいろと囃子方を時代の流れとともに見てきましたが、一番の変化は女性の参加です。
 今は、手びらがねや笛はもちろん、太鼓も、女性が叩いています。
 男性よりうまい人も多いですよ。もしかしたら、相対的に女性の囃子方の方が多いかもしれませんよ。

 確かに昔も、ねぶた時になると、囃子が好きで、集まってくる女性もいました。が、そんな女性には、よく冗談で、あんまりこんなことばっかりやっていたら嫁にいけないよと言ったものです。つまり、囃子方は女性のやるものではないよ、という雰囲気が昔はあったのですが、今はそんな雰囲気が完全になくなっています。みんな女性は、きれいな衣装で華やかにばっちり決めてやるでしょう。しかも目立ちますから、かえって囃子方に参加した方が嫁に行けるという感じなのですよ。今はもう、囃子方に女性が参加することになんの偏見もない時代です。大変よいことではないでしょうか。


 (つづく)
 
(792)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その9 2009年10月10日(土)
 【裏話のようなもの】


 各団体の囃子の隊長同士は連絡をとりあって、今年はどうしましょうかという協議を何回かやります。今も会議を持っていると思いますが、囃子方を今年はどんな順序でやっていこうかとか、いろいろと話し合うんです。そうすると各団体の情報も入ってきます。
 やっぱり、県庁同様、手びらがねとかの小さい道具や衣装は自費なんですね。みんな好きなので、自分で道具をそろえて、ネブタに参加してくるんです。

 県庁の場合、一晩いくらとお金が出ます。私が隊長をやっていたときは、だいたい3000円とか5000円とか、もらう人は期間中で2万円ぐらいもらっている人もいました。
 今も同じでしょうけど、ボランティアでやっているわけではないんです。

 しかし、そういったお金も、ほとんどネブタに関係する道具や衣装代などで消えてしまいます。


 (つづく)
 
(793)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その10 2009年10月18日(日)
 【ネブタの魔力】


 今はどうか知りませんが、昔は、ビールや水割りを飲んで叩いたりしていました。しかし、すぐ酔いも冷めてしまいます。運動しているからでしょうか。少しぐらい飲んでも効きませんね。終われば終わったでまた一杯やるでしょう。
 こうしてネブタで、一年のエネルギーの大半を使い尽くすという感じでした。

 そのネブタですが、やっぱり気合が入るのが初日です。全部終わると県庁の場合は八甲荘で打ち上げとなりました。苦労して、ぐったり疲れて、終わるわけなのですが、終わると、やっぱり、いろいろと大変なことがあっても、おのずから来年も、という気持ちになってきます。
 囃子方というのは、そういう人の集まりなんですよ。囃子方は、いったんその世界に入ってしまうと病みつきになってやめられないですね。

 そういった魔力がネブタの囃子にはあるんですよ。


 (つづく)
 
(794)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その11 2009年10月25日(日)
 【思い出に残ること】


 実は、北村知事(昭和54.2.26〜平成7.2.25)も、ネブタが好きで、必ず太鼓を叩かせてくれとやって来たものです。そのときは、知事も囃子方の一員となって叩いてもらいました。北村知事もネブタの囃子に魅了された一人だったんでしょうね。太鼓は、一回でも叩くと病みつきになりますから。

 この北村知事のとき、思いもかけず、中国でネブタを披露することになったんです。中国に、ネブタ師をつれていって向こうで製作し、囃子方は、なぜか私たちが行くことになって、向こうで少し練習して北京で披露しました。

 向こうの人は、ネブタ、そしてネブタの囃子に、みんなびっくりしてしまって、すごい反響でした。囃子に乗って、向こうの子どもたちも輪に入ってハネてくれてね。

 長いネブタの囃子方の人生で、この中国でのネブタ披露が一番印象に残っています。ビデオが残っているので、今もときどき見て、当時のことを懐かしく思い出していますよ。

 今では中国だけではなく、アメリカやヨーロッパなど、いろいろ海外にも行っているようですね。もう世界のネブタです。

 でもやっぱり世界の人を感動させるというのも、あの囃子があってこそでしょう。その囃子方隊長として、ネブタに長いことかかわることができ、本当に幸せだったと思っています。

 現在は囃子方も組織化していますが、ここまでの骨格を作るのが大変だったんです。もう今は組織の流れに乗っていけばいいので、だいぶラクになったのではないでしょうか。

 昔は、今のようにネブタの参加に対しての理解が少なかったということもあり、担当部署を回ってお願いに行ったり、そこで議論することもよくありました。

 また、好きでどうしても叩きたい、だけど、その人が入るとバチがそろわない。そんな人には「なんとかあきらめてけろ」と断ったこともたくさんありました。本人は祭りが好きで出たいと思っているんですからね。気分を害さないよう、うまく説得というんでしょうか断るんです。今は、技術が向上し、ある程度の水準が基準としてあるので、いきなり素人がやってきて、囃子方の調子を狂わすということも少なくなっているようですが、昔は、そんなこともよくありました。


 (つづく)


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