(804)青森市にまつわる歌のエピソード その9 |
2010年 1月 3日(日) |
(25) 浅虫四季小唄
作詩 田沢有石
作曲 竹内省一
作詩の田沢有石は青森市で柳人として有名な方である。
竹内省一は、西郡出精村出身。青森師範、東京音楽学校を卒業後、藤原義江とオペラにも出演したが、青森市で音楽教師をした。浅虫四季小唄を作曲後、上京。コロムビア、ポリドールの専属作曲家となり、のちに、新田八郎という芸名でビクターから歌手デビュー。「啄木の歌」など、数々の歌を世に出す。面白いのは新田の歌った「南洋航路」は、のちに替え歌となり「ラバウル小唄」に変身しヒットしている。戦時中ということもあり、美声・美男の歌手だが、名曲には恵まれなかった。昭和6年8月コロムビアレコードから、淡谷のり子の歌で発売された。
青森市中央の伊藤喜蔵さんと青森市浦町奥野の鹿内文子さんの口ずさみから採譜。
(26) あさむし小唄
作詩 清水誠弥
作曲 木村弦三
木村弦三は「マンドリン・ナータ・デ・ヒロサキ」の主宰者として活躍。青森県の音楽を育ててきた人である。さらに民俗伝承芸能の研究者としても知られている。「あさむし小唄」の他に「浅虫小唄」というのもあるが、特に外部に出した歌ではなさそうである。
「あさむし小唄」も曲想からいって、その頃の作品と思われる。木村弦三のかくれた叙情歌か?
(27) 酸ヶ湯小唄
作詩 米田一穂
作曲 陸奥明
八甲田音頭と同じ頃の作品だろう。どちらかと言えば、八甲田音頭の方が歌われているように思われるが、酸ヶ湯音頭の方も、湯治客の和やかな会話が聞こえてくるようで楽しい歌である。「気ままな一日旅行」より。
(つづく)
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(805)青森市にまつわる歌のエピソード その10 |
2010年 1月10日(日) |
(28) 下湯小唄
作詩 清水誠弥
作曲 石田正
下湯ダムの建設とともに、下湯温泉はなくなったが、酸ヶ湯温泉とならんで名湯であった。
作詩の清水誠弥は青森駅前の靴屋さんだった。
作曲の石田正は創芸企画の社長として文化会館やホールの音響・照明などを一手に引き受けてきた人であり、旧海軍軍楽隊で鍛えた音楽家でもある。トランペッターとしても活躍。数多くのご当地ソングを手がけたり、音楽エッセイなども書いている。下湯については、この他に石田作品の「下湯音頭」がある。
(29) 雲谷音頭
作詩 若松たつみ
作曲 相馬光夫
雲谷はスキー場開設とともに脚光を浴びる地域となった。十和田湖への入口であり、避暑地としても格好の場所である。雲谷そばはそば粉百%でおいしさは抜群。スキー場の小高い丘の上にホテルが建っているが、そこからの夜景はすばらしい。
作詩の若松たつみは児童文学の作者であり、数多くの童話を書いている。版画家の山口晴温とは兄弟。
作曲の相馬光夫は特殊学校の教師をしていた。音楽家でもあり演奏家でもある相馬光夫は他にもたくさんの曲を作っている。クラウンレコードから鎌田英一の歌で発売された。石田正さんの資料より。
(30) 沖館小浜音頭
作詩 石戸谷忠夫
補詩 藤川ツトム
作曲 藤川ツトム
町内融和を図るために、小浜町会の会長である石戸谷忠夫みずからの作詩である。組み踊りがつく。
ベイブリッジの開通式に出演したり、恒例となった「北のBON踊りフェスタ」のオープニングを飾る音頭になったり、小浜地区の歌として定着。平成元年2月の作品である。
藤川ツトムはシンガーソングライター。
(つづく)
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(806)青森市にまつわる歌のエピソード その11 |
2010年 1月18日(月) |
(31) 青森市民歌(戦後)
作詩 横山武夫
作曲 木村繁
戦後の復興と青森市の発展を願った市民歌である。戦前のものもあるが、一面、焼け野原から目ざしい復興に思いをあらたに作ったものである。
歌人であり、青森県の副知事をつとめた横山武夫の作詩。「津軽の旋律」で有名な木村繁の作曲である。「青森市の歴史」より。
(32) 浅虫旅情
作詩 船橋祐太郎
作曲 川崎祥悦
作詩の船橋祐太郎といえば、社会党のれっきとした県会議員である。
作曲の川崎祥悦は東京藝大出の作曲家で津軽ミュージカルを作曲等で活躍。
歌の萩野昭三は浅虫出身の耳鼻咽喉科のお医者さんだが、かつてNHKのど自慢「歌曲の部」で日本一になった本格的歌手。東京で音楽の先生もしている。どちらも本業。
「浅虫旅情」はコロムビアからレコードを出している。
(33) 浅虫小唄
作詩 清水誠弥
作曲 木村弦三
木村弦三の昭和39年頃の作品である。
「あさむし小唄」と同じ頃の作品と思われるが、試作とも思える。石田正さんから資料をいただいた。
(つづく)
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(807)青森市にまつわる歌のエピソード その12 |
2010年 1月24日(日) |
(34) 下湯音頭
作詩 清水誠弥
作曲 石田正
下湯2部作のひとつ。
酸ヶ湯、谷地、下湯はいずれも男女混浴。それはそれでけっこう風情のあるもの。下湯ダムの建設で秘湯のひとつが消えたのは残念なこと。
(35) ねぶた音頭
作詩 北野明
作曲 桜田誠一
ねぶた祭りのテーマ曲のように、期間中、商店街ではこの歌一色。
作詩の北野明は「こぬま・かんし」である。
歌手は佐々木新一。
方言を使ったおもしろい作品である。石田正さんから資料をいただいた。
(36) 大青森行進曲
作詩 不明
作曲 不明
青森市中央の伊藤喜蔵さんから川原田満有さんの採譜したという譜面が寄せられた。川原田さんは、元青森市古川中学校の校長をされた方で、小学校時代の記憶をたどって採譜したと書いてあった。
歌詞の中に五連隊や青函連絡船津軽丸が出てくるところを見れば戦前の歌のようである。ちなみに「津軽丸」の就航は大正13年5月から昭和20年7月である。
(つづく)
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(808)青森市にまつわる歌のエピソード その13 |
2010年 1月30日(土) |
(37) 青森音頭
作詩 サトウ・ハチロー
作曲 上原げんと
歌集初版を出したところ、たくさんの方から資料や情報が寄せられた。その一人で青森市大野金沢の義之栄光さんが、たまたまこの歌をうろ覚えで記憶しておられた。早速、鼻歌風に歌ってもらい採譜したものである。義之さんは元青森市の中学校で教鞭をとられた方である。
(38) ミナト青森
作詩 高橋掬太郎
作曲 古関裕而
義之栄光さん所有のレコードから採譜。
コロムビア・レコードから霧島昇の歌で発売された。
レコード裏面は「弘前花見音頭」で、こちらは成田弘作作詩、木村弦三作曲で音丸、伊藤久男が歌っている。
昭和初期の歌と思うが、この頃は音頭もの、小唄ものを「新民謡」と位置づけていた。
(39) 青森みなと小唄
作詩 幾世橋絹子
作曲 上原げんと
青森市橋本の工藤浩さん所有のレコードから採譜した。「青森みなと音頭」のB面としてキング・レコードから発売されたもの。三門順子が歌っている。戦前の歌である。
(つづく)
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