(813)青森市にまつわる歌のエピソード その18 |
2010年 3月 6日(土) |
(50)陸奥の花
作詩 大和田建樹
作曲 北村季晴
明治35年1月、青森歩兵第五連隊が八甲田山の雪中行軍で遭難。199名が命を落とした事件があった。この惨事を題材にした歌が3曲もあることがわかった。その一つは「陸奥の吹雪」として広くうたわれた歌であるが「陸奥の花」も同様にこの惨事をテーマとしたものである。
この歌はソングではなく、朗詠歌調の鎮魂歌である。
大正年間の初期、青森市では師範学校が中心となり大合唱団によりさかんにうたわれた歌だといわれているが、あまり知られていない。
(51)吹雪の敵
作詩 井上松雨・河井酔名・佐々醒雪(校正)
作曲 田村虎蔵
この歌も前記同様のテーマに基づく歌である。
この歌はソングとしてまとめられており、実に27番まであるという大作である。田村虎蔵が作曲している。
(52)青森県民歌
作詩 小沼幹止・西條八十(補作)
作曲 明本京静
1958年(昭和33年)東奥日報社の70周年記念事業の一環として一般公募し、作詩・小沼幹止が入選。それに作曲家の明本京静が作曲している。西條八十が補詩でかかわっている。
(つづく)
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(814)青森市にまつわる歌のエピソード その19 |
2010年 3月14日(日) |
(53)春には花の下で
作詩 山川啓介
作曲 芥川也寸志
八甲田雪中行軍遭難事件を扱った映画「八甲田山」の主題歌として作られたもの。十和田観光のパスガイドさんが車中で歌って観光客に聞かせていたらしい。
いろいろ探ってみたら、五堂新太郎という歌手が歌っていた。ただ、映画の中では歌は流れていないが、BGМとしてメロディだけが全篇を通じて流れていた。
(54)青森行進曲
作詩 岩村芳磨
作曲 細田定雄
東奥日報社「創刊五十周年」記念事業の一環として公募した歌である。昭和14年4月23日、東奥日報紙上で発表された歌。
作詩の岩村芳磨は、戦前の「青森市民歌」の作詩者であり、作曲の細田定雄はポリドール専属の演奏家である。
(55)青森県民の歌
作詩 不明
作曲 不明
戦後、小学校の卒業式などで「君が代」に替わる歌として県内一円で歌われた歌だと言われている。
東奥日報紙を通じて、この歌の作者探しをしたところ、県内いたるところから情報が寄せられたが「この歌を知っている。歌ったことがある」程度で、依然、作詩・作曲者は不明のままである。昭和21〜22年頃の歌のようだ。
(つづく)
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(815)青森市にまつわる歌のエピソード その20 |
2010年 3月20日(土) |
(56)志功館通り
作詩 藤川ツトム
作曲 藤川ツトム
青森市内のNHK、棟方志功記念館、中央市民センターの並ぶ通りを「志功館通り」と名付けた。それにちなんで作った歌である。
この歌、盆踊りや流し踊りに使われたが、一時、青森市役所の閉庁時にも流されていたようだ。
歌の他、「志功館通り」というお菓子も誕生した。
(57)あおもり悠遊小唄
作詩 藤川ツトム
作曲 藤川ツトム
青森市の名所・旧跡を盛り込んだ小唄である。盆踊りや流し踊りに使われた。
(58)松原音頭
作詩 石田正
作曲 石田正
青森市松原地区のご当地ソングである。
(59)春だ桜だ
作詩 武田たか
作曲 土田正雄
国鉄マンで、かつては青森のテノール歌手として活躍したという中掘貞勝さんから提供していただいた歌である。
昭和24年頃の作品といわれている。
(つづく)
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(816)青森市にまつわる歌のエピソード その21 |
2010年 3月28日(日) |
(60)石江まつり音頭
作詩 井筒精一・藤川ツトム(補作)
作曲 藤川ツトム
短歌をたしなむ石江の住人、井筒精一さんの原詩をもとに作ったご当地ソング。
(61)福田音頭
作詩 石田正
作曲 石田正
駒込川と堤川が合流するあたり、松森地区一帯のご当地ソング。
作者の石田さんは、各地のご当地ソングを数多く手がけているが、歌い手の平賀貞子さん(芸名 島崎マリ)とは名コンビで石田さんの作品のほとんどを平賀さんが歌っている。
平賀さんは歌手であると同時に、日本画の大家でもある。雅号、平賀笙園。
(62)青柳音頭
作詩 石田正
作曲 石田正
石田・平賀コンビによる青柳地区のご当地ソング。
(63)縄文まほろば音頭
作詩 松村慎三
作曲 石田正
青森市の文化団体に貢献した松村慎三の詩に作曲したもの。石田・平賀コンビ傑作である。
(つづく)
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