(817)青森市にまつわる歌のエピソード その22 |
2010年 4月 4日(日) |
(64)合浦の歌
作詩 三ツ谷平治
作曲 石田正
青森市の合浦海浜公園のさわやかさを歌ったもの
(65)合浦の桜
作詩 石田正
作曲 石田正
合浦海浜公園は桜の名所であり、4月末から5月初めにかけて花見客でにぎわう。
(66)志功の誓い
作詩 石田正
作曲 石田正
版画家の棟方志功を歌ったもの。
(67)八甲田山の唄
作詩 棟方志功
作曲 陸奥明
世界的版画家の棟方志功は八甲田山が好きで、酸ヶ湯温泉で遊んだ。ふと口ずさんだ志功の歌詞に陸奥明が作曲した珍しい作品。
唯一、この歌のメロディーを知っているという青森短大の山崎忠二先生の歌うメロディーから小倉尚継先生が採譜したもの。
昭和9年以前の作品といわれている。
(つづく)
|
(818)青森市にまつわる歌のエピソード その23 |
2010年 4月12日(月) |
(68)八甲田小唄
作詩 中崎伊一郎
作曲 木村弦三
昭和5年10月5日の東奥日報紙で紹介されたもの。
もともと中崎伊一郎の民謡にあらたに木村弦三がピアノ譜を添えて小唄風にしたと紹介されている。
(69)酸ヶ湯ブルース
作詩 不明
作曲 服部良一
昭和14年8月コロムビアレコードから発売された「東京ブルース」の替え歌である。
「東京ブルース」は西條八十の詩に、服部良一の曲で、淡谷のり子が歌ったヒット曲。
八甲田のスキー仲間、登山仲間が替え歌にして歌ったもの。
(70) 八甲田旅情
作詩 不明
作曲 中村修
作詩は不明だが、八甲田のスキー仲間、中村修が作曲したオリジナルソング。
(つづく)
|
(819)青森市にまつわる歌のエピソード その24 |
2010年 4月17日(土) |
(71)油川寿大学の歌
作詩 丹野敏雄
作曲 丹野敏雄・(補作)藤川ツトム
油川地区市民センターの寿大学の卒業生、丹野敏雄の作詩・作曲したものに
藤川ツトムが補作した歌である。油川寿大学の歌として認知されている。
(72)ふるさとの花りんごの花
作詩 竹内俊吉
作曲 桜田誠一
元青森県知事竹内俊吉氏の詩に、作曲家の桜田誠一が曲をつけたもの。
青森市の歌とは限らないが元県知事の作詩になる歌として珍しいので掲載。
(73)秩父宮・同妃殿下 奉仰記念日奉唱歌
作詩 首藤勇郎
作曲 岸登佐美
昭和10年、秩父宮を青森県にお迎えしたことを記念して県では奉唱歌を公募した。
作詩では、当時、新町小学校の首藤勇郎先生が入選。
作曲は当時、青森女子師範学校の岸登佐美先生があたった。
首藤先生は千刈小学校の校歌の作詩者でもある。
(つづく)
|
(820)青森市にまつわる歌のエピソード その25 |
2010年 4月25日(日) |
(74)出でよ少年航空兵
作詩 瀧田好雄
作曲 中西重朗
昭和15年12月10日、少年航空兵の輩出を願って、東奥日報社の提唱で、そのキャンペーンソングの公募をおこなったもの。
昭和16年4月16日にコロムビアレコードから発売された。歌手は遠山春夫と松原操だった。
(75)征け征け青森県号
作詩 笹波美樹
作曲 明本京晴
軍用機献納運動の中で生まれた歌。
東奥日報社の提唱でこの歌の公募がおこなわれ、その入選作である。
昭和16年4月16日、コロムビアレコードから発売された。歌手は伊藤久男と奈良光枝だった。
(76)移動図書館の歌
作詩 柳政司
作曲 木村弦三
戦後、アメリカ指導・助言で始まった移動図書館。青森県では、昭和27年5月にブックモビール「はと号」という車を配置し、各地方を巡回して歩いた。
この歌は昭和37年8月10日、移動図書館開業10周年記念式典で披露されたものである。
(77)青商応援歌(母校の歌)
作詩 横山武夫
作曲 木村弦三
昭和2〜5年頃の歌といわれている。
青森商業学校の応援歌として作られた。高校になってから一部、詩を改めているが、難解な歌詞が面白い。
(78)男附校歌
作詩 佐々木新七
作曲 釜萢善作
青森師範学校が青森市にあった時代の男子の附属小学校の校歌である。
(79)女附校歌
作詩 蛎崎守忠
作曲 相馬克夫
青森師範学校が青森市にあった時代の女子の附属小学校の校歌である。
(つづく)
|