青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2010年5月>

(821)青森市にまつわる歌のエピソード その26
(822)青森市にまつわる歌のエピソード その27
(823)青森市にまつわる歌のエピソード その28
(824)青森市にまつわる歌のエピソード その29
 
(821)青森市にまつわる歌のエピソード その26 2010年 5月 9日(日)
 【鉄道唱歌の補足】

 日本中を巡る「地理教育の歌」ともいえるのが明治33年に作られた鉄道唱歌でした。
 歌詞は愛媛県出身の詩人、大和田建樹(おおわだ たけき 1857−1910)が手がけましたが、曲はひとつの歌詞に2つずつつけられ、歌いやすい方を選択できる配慮がなされていました。
 現在は、京都出身の多梅稚(おおの うめわか 1869−1920)のメロディーがよく知られています。
 当時、上野〜青森間は奥州線と言われていました。その鉄道唱歌「奥州線・磐城線」の歌詞で、青森県に関連するものは下記の部分です。



(1)汽車は烟(けむり)を噴き立てて
   今ぞ上野を出(い)でてゆく
   ゆくへは何(いず)く陸奥(みちのく)の
   青森までも一飛に


(37)尻内(しりうち)こせば打ちむれて
   遊ぶ野馬の古間木(ふるまき)や
   今日ぞ始めて陸奥(みちのく)の
   海とは是(これ)かあの船は


(38)野辺地の湾の左手に
   立てる岬は夏泊
   とまらぬ汽車のすすみよく
   八甲田山も迎えたり


(39)渚に近き湯野島を
   見つつくぐれるトンネルの
   先は野内か浦町か
   浦の景色の晴れやかさ


(40)勇む笛の音いそぐ人
   汽車は着きけり青森に
   むかしは陸路二十日道(はつかみち)
   今は鉄道一昼夜


(41)津軽の瀬戸を中にして
   函館までは二十四里
   ゆきかう船の煙にも
   国のさかえは知られけり


(42)汽車のりかえて弘前に
   あそぶも旅の楽しみよ
   店にならぶは津軽塗
   空に立てるは津軽富士



 (つづく)
 
(822)青森市にまつわる歌のエピソード その27 2010年 5月16日(日)
 【新 鉄道唱歌の補足】

 ◆第4集 東北・常磐線(昭和4年3月)

 第1〜45番まであるが、青森県関連は下記

 作詩 小川保
 作曲 美和充


(42)尻内駅に 岐(わか)れゆく
   八戸線の 鮫駅や
   鴎(かもめ)の集う 蕪島は
   見るから涼し 波の上



(43)古間木出(い)でて 山深く
   支線は向かう 十和田湖や
   湖水は青し 目に凄く
   奥入瀬川の 水の上(かみ)



(44)かぐろき潮の 野辺地湾
   山肌赤き 恐山
   右に眺めて 浅虫や
   鴎(かもめ)の島や 裸島

 ※かぐろき→「光輝く」の意



(45)早や目に見ゆる 青森や
   思えば早し みちのくの
   道のり遠き 三百里
   東北線の 汽車の旅


 昭和3年、鉄道省は、明治の鉄道唱歌に匹敵する「新鉄道唱歌」の作成を企画、東京日日新聞、大阪毎日新聞と提携し、歌詞と作曲を公募。
 その結果、作詩では東北線は鉄道省の小川保、奥羽線では東京府の大内兆が入選。作曲は静岡県の美和充が入選した。
 奥羽線(福島〜青森間)の開通は明治38年10月である。



 (つづく)
 
(823)青森市にまつわる歌のエピソード その28 2010年 5月23日(日)
【新 鉄道唱歌 その2】

 今回は、奥羽線を取り上げます

◆第9集 奥羽線

 第1〜47番まであるが、青森県関連は下記

 作詩 大内兆
 作曲 美和充


(39)大館あとに 陣場駅
   鉄路は陸奥に 進みいり
   碇ヶ関や 大鰐の
   湯の里すぎて 弘前市



(40)第八師団 屯(たむろ)する
   ここは津軽の 旧城下
   城址に立ちて 眺むれば
   目路もはるばる 津軽野や



(41)姿美し 岩木山
   流れは清き 岩木川
   林檎や米に 恵まれて
   わけて名物 津軽塗



(42)弘前駅を 離れきて
   川部は鉄路 十文字
   右は黒石 支線にて
   左に入れば 五所川原



(43)道はこれより 西に折れ
   津軽平野を横切りて
   鉄路の果ては 鯵ヶ沢
   千畳敷も 訪ねみん



(44)川部をたちて 雪深き
   冬の夜長の 藁(わら)細工
   つくるといえる 浪岡の
   駅もうしろに いざさらば



 (つづく)
 
(824)青森市にまつわる歌のエピソード その29 2010年 5月30日(日)
 【「八甲田山の唄」の補足】


 世界的版画家の棟方志功は八甲田山が好きで、酸ヶ湯温泉で遊んだ。ふと口ずさんだ志功の歌詞に陸奥明が作曲した珍しい作品がこれである。
 その志功の手によるとされる歌詞を以下に記す。昭和9年以前の作品といわれている。


   「八甲田山の唄」


(1)八甲田山へと 登るさ来るさ
   雲谷の峠を 登るさ来るさ
   左 田代に 右には岩木
   アレサコレサの 八甲田山よ



(2)つづら峠を 登るさ来るさ
   かけい清水で 登るさ来るさ
   ここらあたりで 一服どころ
   アレサコレサの 八甲田山よ



(3)萱野原だよ 登るさ来るさ
   茶屋の渋茶で 登るさ来るさ
   岱(たい)の野放し 馬数知れず
   アレサコレサの 八甲田山よ



(4)六根清浄 登るさ来るさ
   東西南北 登るさ来るさ
   山嶺つづくよ 八つの頂上
   アレサコレサの 八甲田山よ



(5)大岳鹿の湯 登るさ来るさ
   毛無岱原 登るさ来るさ
   神の田丸沼 睡蓮沼と
   アレサコレサの 八甲田山よ



(6)春に夏にも 登るさ来るさ
   秋にも冬にも 登るさ来るさ
   北の屋根だよ 国見せる
   アレサコレサの 八甲田山よ



 (つづく)


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