青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2010年7月>

(829)青森市にまつわる歌のエピソード その34
(830)小倉尚継 論述集 その1
(831)小倉尚継 論述集 その2
(832)小倉尚継 論述集 その3
(833)小倉尚継 論述集 その4
 
(829)青森市にまつわる歌のエピソード その34 2010年 7月 4日(日)
 【「吹雪の敵」の補足 その3】


 分割紹介してきた歌詞の最終場面である。


 ◆吹雪の敵

 作詩 井上松雨 河井酔名 佐々醒雪(校正)
 作曲 田村虎蔵



(19)斯る時にも しかすがに
   軍規 乱さぬ 武夫(もののふ)が
   ひたたる雪の ただ中に
   殺気 遅しと まちわぶる
   自若(じじゃく)の おもわ 勇ましや


(20)行くとは すれど 無残やな
   遅れし者は たちまちに
   雪崩(なだれ)の下に 埋められ
   残るも わずか 従者(ずさ)の兵


(21)力と頼む 隊長も
   雪の ふすまに とじられて
   呼吸(いき) 暖かに 通わじな
   見捨てんとしも 思わねど
   我さえ 死地に おちいれり


(22)凍らば 凍れ 生けるまは
   いでや 主将を 守らんと
   己が寒さも 忘れつつ
   まとえる毛布 脱ぎとりて
   着せまいらする 健気さよ


(23)ここより ほども 遠からで
   賽の河原のありと 聞く
   現(うつ)し世からの 地獄なる
   われらは 兎(と)まれ 主将さえ
   冥府(よみ)の 使に 渡すとは


(24)あわれ いまわの際 までも
   身は 忘れても 忘れざる
   主将を思う 赤心(まごころ)は
   日本男(やまとおのこ)に そなわれる
   わが 武士道の 粋(すい) ならん


(25)いで この後(のち)や いかならん
   八甲田山 峰かけて
   凍れる 雲の 足 はやく
   雪は 天地に うずまきて
   崩雪の音のみ 響く のみ


(26)ああ 勇ましの 五連隊
   雪の魔軍と 戦いて
   彼が 包囲(かこみ)に 落ちぬれど
   たてし 偉勲(いさお)は 敷島の
   やまと心の 花なれや


(27)あやに 畏き 大君の
   御衣(みけし)の 袖の 且つひじて
   大丈夫(ますらお)なれや 国民(くにたみ)の
   猛き鑑(かがみ)に せよやとて
   臣(おみ)を 遣わす みことのり



  (終)
 
(830)小倉尚継 論述集 その1 2010年 7月11日(日)
 小倉尚継氏は当協会の設立から4年間にわたり、会長として、当協会の設立と発展に尽力してくださった方です。

 小倉氏の作品はよく知られていますが、小倉氏の音楽観にかかわる文面に接する機会はあまり多くありません。その貴重な小倉氏の文面をこれからシリーズでご紹介していくことといたします。
 当協会ホームページへの文面記載については小倉氏本人から承諾を受けております。

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小倉 尚継 ( おぐら なおつぐ )

74歳(年齢・略歴は平成22年3月時点)

青森市浪岡出身。

弘前大学教育学部を卒業後、音楽教諭として合唱指導の道を歩む。

昭和57年、青森西高校を全日本合唱コンクール全国金賞、平成2年には青森高校をNHK全国学校音楽コンクール全国銀賞に導くなど、青森県の合唱力を全国トップクラスにまで押し上げた。

32校の校歌や10町村の町村民歌や賛歌などの作曲をはじめ、青森に愛着を込めた合唱曲など三百曲を超える作品を発表。

平成20年度のNHK全国学校音楽コンクール全国コンクールで銀賞を受賞した青森県代表の弘前市立小沢小学校が熱唱した「あいや節幻想曲」の作詞作曲も小倉氏である。

現在、青森明の星短期大学教授・青森市合唱連盟理事長。

NHK学校音楽コンクール東青地区審査員を7年、青森県コンクール審査員を3年務めている。

平成20年度(第26回)NHK東北ふるさと賞を受賞。


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 【国際コダーイ・シンポジウム合唱祭に参加して その1】

 (昭和56年度青森県高文連紀要より転載、一部追加)


 ハンガリーのコダーイ・ゾルタンという人は、作曲だけでなく、すべての人に音楽の喜びを与えるための教育メソドを確立した人である。実際その効果が現れ、今やハンガリーの音楽教育は世界的に注目され、研究家達によって国際コダーイ協会が設立されるまでに至った。そして2年に一度、世界の大都市を舞台に国際コダーイシンポジウムが開かれているのである。

 昭和56年8月2日から札幌市で行われたこの大会は、日本で初めてのことであり、カナダ、オーストリア、ハンガリー等に続いて第5回のシンポジウムであった。

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(参考)ハンガリー作品による合唱プログラム
    札幌市教育文化会館大ホール
    1981年8月2日 14時30分〜17時30分


(1)才能教育児童合唱団
   指揮 大熊進子
   ・さすらい
   ・お母さんへ
   ・聖グレゴリーの日


(2)あすなろ少年少女合唱団
   指揮 下瀬のり吉
   ・へい踊れよ
   ・わが娘
   ・何の良き日
   ・夕べの歌


(3)東京放送児童合唱団
   指揮 古橋富士雄
   ・泣くことはないわ
   ・パン焼き
   ・ボタンの祭り


(4)青森西高等学校合唱部
   指揮 小倉尚継
   ・もぐらの結婚式
   ・レンジェルラッスロー
   ・天使と羊飼い


(5)浦和・合唱団コダーイ
   指揮 臼木恵二
   ・セゼドウの彼方
   ・詩篇121番
   ・4つのスロバキア民謡


(6)札幌大谷短期大学輪声会
   指揮 中村菜穂子
   ・山の夜1
   ・チーズをかじるジプシー
   ・新年のあいさつ


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 青森西高校合唱部は創立以来、津軽の歌を合唱曲として歌ってきたが、コダーイのハンガリー民族音楽中心の楽曲に共通点を見いだし、数年前からその魅力にとりつかれ、演奏会に、コンクールにとりあげてきた。

 しかし、言葉について自信がなく、昭和55年東北大会でマジャール語の発音にクレームがついて金賞を逃したり、音楽的にも常に疑問に思っていたため、いつかハンガリーの人に聴いてもらいたいと機会を探していた。丁度そんな時に合唱祭出演の誘いが届いたので、特に発音のことを確認したく思い、喜んで参加したのである。



(つづく)
 
(831)小倉尚継 論述集 その2 2010年 7月17日(土)
 【国際コダーイ・シンポジウム合唱祭に参加して その2】


 コダーイ合唱祭は4日間のシンポジウムの初日に行われた。参加者は少なかったが、東京児童合唱団や札幌大谷短大合唱団輪声会など、最高レベルの合唱団が参加していた。彼らの演奏は素晴らしく、その揺れ動くテンポ感や美しい和音の響きは最高に魅力的であった。

 審査発表は優良賞から行われ、続いて優秀賞。ここまで青森西高校の校名が出てこなかったので、選外か最優秀賞か、ドキドキして聞いていた。結果は思いがけなく青森西高校が最優秀賞となり、生徒共々驚きの声を上げた。そして、批評会では、通訳を通して次のようなほめ言葉をいただいた。


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 ハンガリーの審査員の講評

(1)ドラマチックで、ハンガリー人の心を歌っているようで、とても嬉しく涙が出た。

(2)2曲目の会話の音色が違って良かった。アルトが特によく、全体的にリズムがよい。

(3)1曲目結婚式の様々な楽器の音色対比が美しく、劇的効果を一層盛り上げてよかった。

(4)3曲目天使の声は突然輝くように、そして他の声と違ったところで響かなければならない。天使は少数だが今日は青森の乙女60人全員天使のようだった。

(5)青森の彼女らの生涯に、今日の経験が価値ある1ページであろうことをお祝いする。


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 発音についての注意は全くなし、これまで手探りで歌ってきたことが評価されたことを全員で喜び合い、上機嫌で帰りの連絡船に乗ったのである。


(昭和56年度青森県高文連紀要より転載、一部追加)



(つづく)
 
(832)小倉尚継 論述集 その3 2010年 7月24日(土)
 【広島全国大会金賞の秘密 その1】


 金賞受賞の祝賀会の時、部長遠田綾子さんのお父さんが次のようにお話しされました。

 「県大会が銀賞だったのに、全国大会で金賞を得るとは、なんと素晴らしいことでしよう」


 確かに県大会では声がほやけ、表現も半端で良いところがなく、銀賞で辛うじて東北大会出場権を得たのでした。これは、とりもなおさず指揮者の責任で、音楽づくりの安易さ・甘さから出たものです。それではどうする?


 ◆指揮者の目標をかかげ直し、部員の意欲を確認する◆


 部会を開き、部員の意欲を確認しました。音楽室には「広島大会ベスト5入り」の目標を貼りました。その意欲を受けて、指揮者自身をも変えなければなりません。西高(※の小倉氏の勤務)20年目だからもう後がない。今年しかチャンスがないかもしれません。

(1)声をもっと美しく甘く、しかも進行感のあるものに磨き直そう。

(2)表現の対比を更に極めて個性的な演奏を。(ppとff、マルカートとレガート、緩急など)

(3)豊かなフレーズ作りのため、カンニングブレスの使い方を徹底しよう。

(4)それらをマスターするために個室を活用したアンサンブル方式を採り入れよう。


 その頃の生徒の皆さん、思い出しますか。4、5人のグループを作り、個室で練習しましたね。

 「だめだ。不合格、やり直し!」という声に個室へ戻り、何度も泣いた人があったと聞いています。しかし、3週間で東北金賞まで持っていくためには、その方法が最善と思ったのです。



 (つづく)
 
(833)小倉尚継 論述集 その4 2010年 7月31日(土)
 【広島全国大会金賞の秘密 その2】


 課題曲の「アヴェヴェルム・コルプス」は、譜面では何ともないように見えて、実に歌いにくい曲です。不思議に息を使う曲で、歌い始めるとすぐに息がなくなってしまうのです。

 これを豊かに歌うためには、どうしても一部カンニングブレスを使わざるを得ません。

 思った通り、アンサンブル方式は1週間でその効果が出てきました。フレーズが豊かになったので、表現が自由に出来るようになったのです。

 そのうち、声に甘さと透明さが出てきて、ゆっくりした宗教曲にぴったりの声になってきました。県大会であんなに歌いづらそうだったのが、嘘のように流れが良くなってきました。

 互いの息継ぎ協力により、一流の合唱団になろうという方向に向かったのです。進行感のある声も自然に出来てきました。

 アカペラの曲には特に進行性が大切なのです。



 (つづく)


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