(838)小倉尚継 論述集 その9 |
2010年 9月 4日(土) |
【すべての人に感謝したい その1】
青森県立西高校「西高通信 潤・73」昭和57年12月22日より
11月20日夜8時半、表彰式直後、指揮者の体が宙に軽々と舞った。かよわい女生徒でも76名になると胴上げぐらい、簡単にできるものだ。こんな経験はめったにあるものでないと思いながら彼女等のエネルギーに身をまかせていた。
広島県立体育館前の広場では、千名近い大学・高校生が自校の入賞を祝い、思い思いに歌い合う、やがて青西高合唱部員は校歌と青春賛歌を高らかに歌い出した。
顔は笑い、笑った頬に金の涙が止めどなく流れていた。
初めての全国金賞を成し遂げた彼女等は、どこかの音楽使節でもあるかのように可愛く、西高の制服が本当によく似合う。最高に美しい乙女達であった。
第35回全日本合唱コンクール全国大会出場23校中15番目に演奏した本校合唱部は、直前の好調な練習通り本番を終えることが出来た。
さすがに全国大会とあって、わずかに音が上がったが、その分だけ声に張りと輝きが加わり、曲の持つ緊張感と美しさを十分表現することが出来た。
あとは審査の発表を待つのみ。
(つづく)
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(839)小倉尚継 論述集 その10 |
2010年 9月12日(日) |
【すべての人に感謝したい その2】
何人かの人達から九分通り金賞間違いなしという言葉をいただいたが、これまで何度も打ちのめされた経験上、発表まで安心できなかった。
やがて審査発表。
「金賞、青森西高校」
「キャーッ。今、何て言ったの。金?銀?金!やった!」
思えば、どんなに多くの先輩達がこの時を願い、時間と労力をかけてきたことだろう。
なぜもっと早く、彼女等にもこのような喜びを味わわせられなかったのか。生徒達の喜ぶ姿を見て指揮者としての未熟さを深く詫びる思いだった。
ありがとう先輩達。PTA、PTA同窓会、奨学会、同窓会の皆さん、ほんとうにありがとうございました。
全校の生徒達、先生方及び関係各位の大声援、心にしみて嬉しく思います。西校合唱部を全国トップレベルに並べて下さった11人の審査員の方々ありがとうございました。
生徒を励まして下さった父母の皆さん、その他すべての人達に感謝いたしたい思いで一杯です。
(つづく)
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(840)小倉尚継 論述集 その11 |
2010年 9月18日(土) |
【20周年で賭け、声もからした】
昭和57年11月27日 東奥日報夕刊「あすなろ随談」より
◆やりましたね。青森西高校の全日本合唱コンクール金賞おめでとう。弘中央高以来11年ぶりの日本一ですね。
やぁ、11年になりましたか。弘中央高は西谷英樹先生のころで、うちは昭和54年・56年銅賞でした。今回は『三度目の正直』で定期演奏会を夏休みにやったんですが、2時間分の内容なものでそちらに精力を取られたのか、県大会は調子が出ませんでした。東北大会の直前から急激にうまくなってきて、その勢いで全国大会を、となりました。チャンスはめったにあるものではないですからね。今年こそ、と頑張りました。
◆相当厳しいトレーニングだったらしいですね。
76人のメンバーが毎日2〜3時間の練習、大変だったと思います。今年は学校が20周年ですから、私も広島大会に賭けました。ダメをだして大声をあげるものだから私も声をからしてしまいました。
◆どのような作戦で臨んだのですか。
県大会の失敗を考え、3部合唱の音色をぴたっとそろえること。これで東北大会は成功。さらに曲に色をつけようと思いました。とかく無表情、単色になるんです。内容に合わせ、部分部分の色を変え、全員に花匂うような色を出せ、と言ったんです。数そろうと、パッと素早く反応し出すものですね。
自由曲はコダーイの『聖霊降臨の村祭り』です。変化に富み、コンクール用の曲です。前にこの曲で東北大会を落ちたことがあったのですが、とにかくこれでやってみようと思いました。
◆凱旋公演は?
日曜・祝日もなく声をからして頑張りましたから、これからは勉強に全力をあげてもらいます。披露の会はしません。
◆小倉さん自身、作詞・作曲をし、男声4重唱団ブルービーバーズのメンバーですね。
当分、ブルービーバーズは休業です。声がかれて歌えません。青森市文化会館ができたので新しいところで一度、と思っています。手持ちの曲ならいつでもできますが、新作となると2年はかかりますよ。一昨年、沖縄へ取材に出かけ、昨年、それを題材に演奏会を開きました。あと、3年すれば、メンバー4人で200歳になります。その記念演奏会で最後になるでしょうか。その前にもう一度。
◆『津軽沖縄千里を越えて』『弘前城物語』『津軽の糸』など大作を含んで自作は150曲ぐらい。ブルービーバーズで発表、教え子やママさんコーラスなどで広く歌われている。作詞・作曲・歌唱とこなす才人で、今回は指揮者・指導者としての才能も太鼓判を押された。県内の若手を大いに引っ張ってほしい。
(つづく)
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(841)小倉尚継 論述集 その12 |
2010年 9月25日(土) |
【1年間をふりかえって】
青森県高文連機関紙「高文連」
合唱部委員長としての挨拶文(昭和54年度末)
何をどうすればいいのか全くわからないまま、委員長という重責につかせてもらい、規定の審議から始まった54年度の最大の喜びは、青森県から八戸東高と青森西高の2校が出場した全日本合唱コンクール全国大会で、共に銅賞に入賞できたということです。
これは、その先に金と銀があり、まだまだ努力が必要だという意識を持つと共に、かつて弘前中央高しか経験したことのない全国大会が、青森県のすべての高校のすぐ手のとどくところまで近づいているということをも意味していると思うのです。
したがって、青森県高文連合合唱部の活動はますます活発に、しかも水準を高めるべき内容の濃いものにしていく工夫の必要な時期にきています。
課題曲研究・二つのコンクール県大会・県高校音楽祭・二地区高校音楽祭などで、かなり演奏水準は上がってきているは思うのですが、まだ完全に東北を制覇していません。東北の冠たるものが全国の王者となっている実情であれば、私共合唱部は、目標を東北制覇に置き、合唱部を持つ学校の層の厚さ、水準の向上をはかるための、たゆまぬ鍛錬を続けなければなりません。
54年度の成果から見て、それがごく近い将来実現できそうに思えるのです。
(つづく)
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