(842)小倉尚継 論述集 その13 |
2010年10月 2日(土) |
【沖縄音楽を訪ねて その1】
青森県高文連機関紙「高文連」掲載 54年度末
昭和55年1月ブルービーバーズ沖縄旅行記
飛行機から降りて空港の外に出たとき、にこやかに迎えてくださった人は、沖縄県教育庁学校指導課主事・崎山用豊先生だった。
一昨年の10月から11月にかけて、青森県で民謡の教材化について研修された先生である。
私共ブルービーバーズのスタッフ一行6名が沖縄県に音楽研修旅行をしたのは、昭和55年1月7日から10日までだった。目的は日本の中で独特な素材を持つ沖縄の音楽を知ることと、本県出身の戦没者の方々が眠る「みちのくの塔」に詣でること、更にその方々が沖縄の住民とどのように係わり合い、どんなつながりが存在したかを探ることにあった。
このことはブルービーバーズ第16回リサイタルの素材となるという意味もあったのである。
(つづく)
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(843)小倉尚継 論述集 その14 |
2010年10月 9日(土) |
【沖縄音楽を訪ねて その2】
さて、第1日目、崎山先生の御案内で早速戦跡めぐりをした。まず、ひめゆり塔に花を捧げ、みちのくの塔に平和祈念の歌を献じた。
いかにも南国らしい木や草花が繁るこのあたりが、沖縄戦最後の地として、想像もつかないほどの激戦がおこなわれたことを知り、私共一行、様々な感慨を抱かせられた。
その夜は崎山先生のご自宅に招待され、沖縄料理のフルコースで歓迎を受けた。
私共はすっかり調子に乗り、津軽の歌を聴いていただいた。すると、3人のお子様達が、お返しの演奏ということでヴァイオリンとチェロとピアノで重奏を聴かせてくださり、さらには三重唱までも歌って下さった。続いてお婆さんも古い民謡を歌って下さり、家族ぐるみの歓迎をして下さったのである。私共はこれまでそんな経験はなく、この歓迎ぶりは終戦後の米国の影響なのか、あるいは昔からのしきたりなのかわからなかったけれども、とても快い時間を過ごさせていただいた。
(つづく)
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(844)小倉尚継 論述集 その15 |
2010年10月16日(土) |
【沖縄音楽を訪ねて その3】
2日目は本部小学校で私共の小演奏会を行った。津軽の言葉でもわかってくれたのか、1年生でも静かに聴いていたが、ここでもお返しの歌があった。新里という美声の女の先生の歌と、かわいい男の子の歌であった。学校の演奏会でお返しの歌をいただいたのは、これが初めてのことだった。
この夜は嘉手納中学校の長嶺という校長先生宅に招かれた。
時間はかなり遅くなり、8時半頃だったでしょうか。
ここでも家族の方々はたくさんのご馳走を作り、快く迎えて下さった。そればかりでなく、青森からの来客というので、親しい友達に電話をかけている様子だったが、まもなく友人達の姿が現れた。驚いたことに単独ではなく、いずれも子ども連れか奥様とご一緒だった。長嶺先生の大広間はたちまち大賑わいになってしまった。
私共はここでも津軽昔話を歌い、りんご音頭を歌ったが、やはり、お返しの歌があり、若い娘さんの独唱と長嶺先生の蛇皮線伴奏による琉球民謡が流れた。
遥か沖縄の地で、こんな温かい人たちに囲まれ、沖縄の歌を聴けるという幸せに酔い、私共は時を忘れた。
わかりにくい言葉で歌われるそれらの歌は、結局は悲しみと憧れであり、みずからを慰める庶民の歌である。しかし、音階は沖縄だけのものであり、この民謡をなんとか教育の現場に結びつけたい、また、子供達に、将来、この民謡から新しい音楽を創造してほしいという願いが、この夜の長嶺先生宅に集まった人たちの言葉の端はしに伺い知ることができた。
(つづく)
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(845)小倉尚継 論述集 その16 |
2010年10月23日(土) |
【沖縄音楽を訪ねて その4】
3日目は那覇高校と首里高校を訪ねた。
那覇高校の先生は高文連の理事長ということで、いろいろお話を聞かせていただいた。
その中で生徒の派遣費1000万円確保ということがうらやましく、頭に強く刻み込まれてしまった。
首理高校の音楽の先生は民俗学に深い知識をお持ちで、琉球民芸品や琉球民舞について、わかりやすく説明してくださった。
この日は沖縄県指導主事研修会で演奏する機会も与えていただき、単なる観光旅行でない充実した旅にすることができた。
井の中の蛙でも少しは大海を見たような気分になり、崎山先生はじめ、沖縄の皆様に心から感謝の思いをあらわす次第である。
このときまとめた「津軽・沖縄千里を越えて」は、西高校合唱部第9回定演で演奏した。
(つづく)
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(846)小倉尚継 論述集 その17 |
2010年10月30日(土) |
心に響く演奏会を
〜発表会を楽しく演出しよう〜(平成8年6月)
◆その1・ハーモニーの渦に巻き込む◆
「降りつみし山の深雪も薄らぎぬ 春近づきて友の卒え行く」・・・・
ゆったりとした長調の旋律で、この短歌の歌詞がよく聴き取れるよう、まず斉唱で歌われた。
舞台から150人、1階後部座席通路から50人の、いずれも混声である。
斉唱が終わると同じ歌詞で舞台から混声合唱で歌われ、後部通路からは少し遅れて、それを追いかけて飾る混声4部合唱が流れた。
あらかじめ斉唱で歌っているので歌詞がずれてもよくわかる。
いわば、混声8部合唱によるハーモニーの渦である。
これは意識的に、お客さんをハーモニーの渦に巻き込もうと計算されたものであった。
1番が終わり、2番の「思いではとわに忘れじわが胸に 硬く抱きて別れを告げん」で斉唱に戻り、お客さんにも合唱団員にも心の余裕を持っていただく。
そして、再び対位的な二重合唱に入り、どんどんハーモニーを重ねていく。
指揮者はどちらにも指揮できるよう、すでに横向きになっている。
そして終結部に入り、テンポを引き締め、音を最強・最高・最長にして歌い終わった。
指揮の振り終える直前から万雷の拍手がわきおこった。
わずか3分半の演奏だったが、気持ちは非常に充実していた。
後で様々な感想をいただいたが、「音の光に包まれた思いで、自然に涙が出てしまった」という知人の言葉に、この計画、「立体合唱」の成功を強く感じた。
(つづく)
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